越中閑話 |
冬の越中 (99/12/29)
冬に入って、越中の嗜好もかなり変わってきた。
すなわち、絹から綿にシフトしてきたのだ。
夏場は絹や麻ばかりで、綿なんてほとんど眼中になかったのだが…。
今、手許には四種の綿製越中があるのだが、それをとっかえひっかえやっている。
理由は簡単。絹や麻の場合、ヒヤッとした着用感があるからだ。
その点、綿はモワッとした風合いで、着用時に暖かい感じがする。
綿糸というのは短繊維の紡績糸なので、長繊維である生糸(きいと)に比べると、糸の表面が毛羽立っている。
そして、糸の径も太いので、織り上がりも厚手になる。
それが冬場にはいいのだろう。
生糸で織った生地は、どうしても薄く、ひんやりしたものになる。
そこで一案。
短繊維の絹糸で織った生地を使って、越中を作ってもらうことにした。
今、真木千秋がインドに居るのである。
現地には腕利きのテーラーが何人もいる。
その人々に生地を渡して、作ってもらうのだ。
絹糸には、絹紡糸(けんぼうし)というのがある。
これは、生糸のように、繭から繰るのではない。
生糸にならない部分を、束にして撚りをかけて、糸にするのだ。
当然、太めの、ホンワカした糸になる。
インドには、モトゥカ糸と呼ばれる絹紡糸がある。
屑繭からズズッとずり出して、手で紡ぐのだ。
モトゥカとは壷のことで、つまり、壷をひっくり返して、その底面を使って撚りをかける。
この糸で織られた生地が、モトゥカ・シルクだ。
今回、そのモトゥカ・シルクで越中を作ってもらっている。
ところで、インドには越中タイプの下着はないらしい。
テーラーたちは老いも若きも一緒になって、「いったいこれは何なのだろう」と、鳩首協議の様子。
日本人がわざわざ注文するくらいだから、きっと何か大事なものであるに違いない…。
真木千秋も工房主のアミータ嬢も敢えて事情を説明しないので、今のところみんな「エプロンみたいなものだろう」と思っているらしい。
違うのだよテーラー諸君、もっと大事なものなのだ。
ふんどしというものは、そもそも南方の衣(ころも)であるらしい。
だから例えば、ヨーロッパでは馴染みがない。(それで英語にもふんどしに当たる適当な訳語がないのだ)
一方、南に目を転じると、それこそどこにでもふんどし様の衣が存在するようだ。
もしかすると日本は、ふんどし分布の北限なのかもしれない。
それゆえ、ふんどしも独特の発展を見せてきたのではあるまいか。
つまり、日本では、ふんどしは下着だと思われている。
冬場を中心とした冷涼な気候ゆえに、いつも上に、着物なり袴なりズボンなりをつけている。
だから、あまりかさばらないように、さらしのような薄地が主流となるわけだ。
すなわちブリーフやトランクスと同列なのである。
しかし以前にも書いたように、ふんどしには単なる下着を超えた要素がある。
たとえば着用する際の、儀式性のようなもの。
そこには何らかの精神性さえ感じられるのだ。
深作光貞という学者の書いた『衣の文化人類学』(PHP)という本を読んだ。
主に下半身の衣についての、文字通り文化人類学的研究だ。
著者いわく、このような学問的観点から下半身の衣を扱った研究は珍しいという。
その本によると、人類の最初の衣は、腰ヒモなんだそうだ。
もともと素っ裸で暮らしていた人間が、何らかの思いによって、ヒモを腰に巻いて結ぶ。
それは一本のヒモだから、もちろん、防寒や局部保護には役立たない。
その意味合いは、物理的なものではなく、装飾とか呪術とかいった精神的なものだ。
そもそもは、自分の大事な部分(腹部)に結界を張って守るということだろう。
そしてその腰ヒモに、いろんなものが下げられるようになる。
葉っぱやヒモが下げられると、それがやがて腰ミノとなっていく。
布が下げられると、やがて越中のようなふんどしが生まれていく。
もとよりそうした衣は精神的なものなので、祭や儀式に際して着用される。
人々は普段は素っ裸で野山を駆けめぐり、祭式の際にだけそうしたものを身にまとったわけだ。
だから、ふんどしとは、そもそも晴着だったというわけ。
それで私も合点がいったのだ。
朝、裸体の腰に越中のヒモを回して結ぶとき、人は遙か昔の祖先の営みを追体験することになる。
すなわち、自分に結界を張るのである。
私の感じた「儀式性」というのは、そうした太古の記憶だったのだろうか。
列島を台風の過ぎ去った今日9月25日。
東京にはまた盛夏のような日差しが戻る。
たまった洗濯物や湿った夜具にとっては、有り難いことだ。
またしかし、冷房のない我が家では、室温もウナギ登り。
そこでたまらず、ふんどし一丁の生活に戻る。
これがすこぶる涼しくて快適。
今日着用していたのは、タッサーシルク(インド野蚕)製の越中。
これが短めで、茶褐色。
字のごとく野趣あふれるワイルドな一品だから、
これ一丁で暮らしていると、なんだかターザンになったような気分。
(上の題字の背景、およびトップページの背景が、そのタッサーシルク生地)
ただ、局部だけ覆って、ほかは全部裸体ってのは、何だかちょっと気持ちが悪い。
これは実は、「陽嚢は冷やせ」という哺乳類六千五百万年の伝統にもとる行為なのである。
その意味で、ニューギニア裸族のペニスケースは合理的だと思う。
無防備な陽根のみを保護し、陽嚢は露出して冷却している。
ところがだ、越中というのは、その意味でもなかなかの優れモノなのだ。
布をちょっと脇にずらせば、陽部全体、ないしは陽嚢のみを露出冷却できるのである。
そして前垂れがあるから、かかる局所部分冷却も、家人に見とがめられることがない。
これは実際、気持ちいい。
こうしていれば、高温多湿の日本の夏でも、精力維持、陰金撃退に効果あること疑いなし。
劇場や映画館の幕間には、女子トイレに長蛇の列ができることがある。
それを見て人は、「女はオシッコが長いなあ」と思うかもしれない。
そうじゃないのだ。
女のトイレが長いのは、服の上げ下げや、「ついでに大きいほうも…」という誘惑が原因なのである。
男の場合は、社会の窓を開け閉めするだけだし、またゆめゆめ、「ついでに大きい方も…」というような事態に立ち至ることはない。
オシッコ自体は、男の方が時間がかかるのである。
これは、男の生理上、いたしかたないことだ。
すなわち、女の尿道は排尿にのみ捧げられているのに対し、男の尿道は排尿と生殖の両方に使われるからだ。
男の尿道の場合、オシッコも通るし、精液も通る。
だから女の尿道に比べ、四倍も長いし、その周りには複雑な神経系が巡らされている。
だから朝顔の前に立っても、すぐにオシッコが出るわけではない。
まず尿道周りの神経系を緩めないといけない。
緊張なんかしていた日にゃ、開通までが一苦労。
ところが女の場合は、そうでもないらしい。
ちょっと耳を澄ませてみるとわかるが、便器に腰をかけるが早いか、もう盛大な放水が始まる。
そして男の場合、キレもまた問題だ。
なにしろホースの全長が16〜20cmもある。
それで男たちは、腹の筋肉で絞り出した後も、手を使って陽物を振ったり、しごいたりするわけだ。
しかしそれでも、長い尿道は完全にはクリアにならない。
どこかしらに琥珀色の液体が残存しているものである。
そうした尿道内の残尿の処理は、下着に委ねられることになる。
現在、男性用下着界で、ブリーフと並んで天下を二分しているトランクス。
局部を締めつけないので、ブリーフより良いとされている。
その点では越中と通ずるところがある。
しかし、ひとつ大きな欠点がある。
この残尿処理だ。
トランクスの場合、陽物の先が空中遊泳しているのである。
よって、首尾良く残尿を受け止めることができない。
かくして琥珀色の液体は大腿部に糸を引く、ということにもなりかねない。
この点、越中はいい。
柔らかく陽物をおおっているので、とりこぼしがない。
またブリーフみたいに、残尿とともに磔になるということもない。
常にほどよい距離があるので、あまり気にならない。
またトランクスに関してもう少し言うと、陽物が一方に偏るのである。
これはあまり気持ちいいものではない。
珍宝金玉(ちんぽうきんぎょく)には、やはり中庸を保って下垂してもらいたいものだ。
また言うまでもないが、ゴムでウエストを締めつけるのは、あんまり体に良くない。
というわけで、オレに言わしむれば、トランクス vs 越中
の勝負は、明らかに越中方有利なのである。
もっとも、ジーンズみたいなピッタリしたパンツをはいていたら、トランクスも越中も、あんまり関係ないけどね。
越中の特性を活かすためには、それにふさわしいパンツを考えないと。
かつて倫敦に遊んだ折、友人にBenjamin、通称Benという名の学生がいた。当然のことながら、人々は彼の顔を見ると、「Hi Ben!」と声をかける。それがおかしかった。
倫敦のテムズ河畔には、ネオ・ゴチック様式の国会議事堂が鎮座している。その高いところにある大時計の名前が、「Big Ben」。友人のロンドン大学日本語学科生 Martin は、その時計の名前を「大ベン」と和訳して喜んでいた。
さて、神戸に住む友人の菩提達磨からメールが来た。いわく;
越中をはいていて尿意をもよおし厠にたったとき、南蛮式のトランクスの場合にくらべて、かなり不便ではあるまいか?
ぱるばはどのようにその問題を解決しているのか?
いや、それが思ったほど不便ではないのだよ、達磨くん。
越中というのは非常にフレキシブルな下着だから、ちょっと緩めれば、横っちょから陽物は容易に顔を出すのである。
しまい込むときは、ブリーフやトランクスより多少手間がかかるかもしれないが、慣れてしまえばどうということもない。
また越中には、トランクスに比べ、決定的に優れている点がある。それについてはまた述べよう。
ただし、小用のスタイルは人それぞれなので、一概には言えないかもしれない。少なくとも私は今のところ不便は感じていない。
実際、私はこの小用タイムが好きだ。なぜなら、お気に入りの越中に触ることができるからだ。
だからポイントは、自己着用の下着をいかに愛しているか、ということかな。
だからこそ、素材は大事だということ。
Big Ben
について言えば、越中の場合、ブリーフやトランクスみたいに、下げる必要すらない。
ちょっと緩めて、脇に押しやれば事足りる。
しかしこの場合にもやはり、私はすっかり取り外してしまう。
なぜなら、越中の着脱という儀式はこの上なく荘厳なものなので、私としてはその機会を逃したくないのである。
ま、厳冬になってモモヒキでも穿くようになったら、どうなるか分かんないけど。
ともあれ、百聞は一見…。一度お試しあれ。
私が会長を務める真木テキスタイルスタジオは、「野蚕手織布」ってことで世に知られている。
すなわち、シルクがメシの種だったわけだ。
「自分が着て気持ちいいもの」が眼目だから、主宰の真木千秋も、その妹・真木香も常々、自分たちのつくった絹の織物を着用している。
もちろん、私向きにもいろいろつくってくれるのだが、「いいよオレ、綿でじゅうぶん」って感じで、ほとんど見向きもしなかった。
昔から綿の手紡ぎ手織布が好きで、そればっかり身に着けていたのだ。
ましてや下着にシルクを使うなんて、考えもしなかった。
パンツなんかそのへんに売ってるものをつけてりゃいい…。
そんな程度の認識だった。
しかしこれは大きな間違いなのではないか。
そもそも下着(この場合には股間につけるもの)というのは、朝起きて一番に身に着け、夜の最後に取り外すもの。
医者に行っても、マッサージに行っても、これだけはよう外さん。
つまり下着ってのは、一番長く我々に触れている衣なのだ。
それも一番ダイジな部分に。
ゆめゆめ、「二枚組500円」的なレベルで扱われるべきものではあるまい。
台湾・蘭嶼のタオ族ツヤマさんにも見るごとく、褌とは人類最初に織られた布ではあるまいか。
裸体の人間がまず覆う部分といったら、まずあそこだからだ。
特に男の場合、外性器は女より複雑だし、森や藪の中に狩猟に出かけるとしたら、まずはそこを保護しないといけない。
それでいろいろ工夫がなされたはずだ。
ニューギニア原住民のように木や角でペニスケースを作ったり、あるいは蔓や樹皮でカゴを編んだりもしたことだろう。
しかし身に着けるものとしたら、布に勝るものはあるまい。
もともと褌は、ただ一枚の布だ。造形的なデザインはあまり必要ない。
それで、ムラの女たちが、夫のため、父や子のため、あるいは思ひ人のために、手づくりしたのであろう。
そもそも女性というのはあの部位が決して嫌いじゃないから、その作業もきっと楽しいものであったはず。
ツヤマさんの場合は、奥さんが手織していた。
古代そのまま、なんとゆかしい…
と思われるかもしれないが、じつはちょっと違っている。
昔は、付近で採れる苧麻(からむし)や芭蕉(バナナ)から繊維を取り、手で紡いで、糸にしていたはずだ。
蘭嶼では既にその伝統がとだえていた。
機械紡績の綿糸を購入し、それを手織していた。
造形的デザインの単純なぶんだけ、布素材の重要性は大きくなる。
同じ手織布でも、手紡ぎの苧麻糸を使うか、機械紡績の綿糸を使うかで、できあがりには雲泥の差ができる。
そして実際、織物で一番手間のかかるのが、じつはこの糸作りの部分なのだ。
もし今、苧麻手紡糸を使って手織褌を日本でつくったら、一枚ン万円の世界になるだろう。
じつに昔の人は、それほど高価な布を下着として身に着けていたのだ。
いったい我々とどちらが豊かなのか、頭をひねる。
かつて桃太郎の押し入った鬼ヶ島の宝庫に鎮座ましましていたごとく、布とはがんらい宝物であったのだ。
珍宝をもって珍宝をくるむ。
これがそもそも褌の起源。
決してあだやおろそかにしてはなるまい。