モンロー研究所訪問記

アメリカの東部、ヴァージニア州にモンロー研究所というところがある。  
ヘミシンクという技術で、肉体を超えた世界を探究する機関だ。  
ロバート・モンローという人が創始者。  
縁あってこのたび同研究所を訪れた。  
春の日の花と輝く2010年4月10日から17日。  
なかなか面白かったので、そのご報告を致したい。

ロバート・モンロー

 モンロー研究所やヘミシンクの名前は知っていた。ただあまり縁はなかった。「死後世界」を探究するということで、何となくウス気味悪い印象があった。

 先年末、『投影する宇宙』(マイケル・タルボット)という大部の本を修善寺のキヨタカ氏から借りた。その中にロバート・モンローのことが紹介されていた。なかなか面白い活動をしている人のようだ。それで興味を抱くに至る。
 まずは軽く覗いてみようと『誰でもヘミシンク』(まるの日圭)という本を一読する。ホントに軽い本なのだが、「ホンマかいな」という内容。ただ、その軽さがけっこう気に入ったので、モンロー本人の著書をひもとくことにする。

 モンローは1995年に他界しているのだが、生前、三冊の本を書いている。体外離脱で有名な人だ。
 体外離脱とは、幽体離脱ともアストラル投射とも呼ばれる現象で、要するに意識が肉体から離脱して動き回るわけである。私自身そういう経験はないが、ときどき話には聞く。別にあっても不思議はないと思う。

 モンローは実業界の人で、ラジオや音響関係のビジネスでかなり成功を収めていた人らしい。それが、音響の研究を重ねるうちに体外離脱を経験するようになった。そして、その方面を研究を深めるために、私財を投じて同研究所を立ち上げたという経歴を持つ。
 だから、いわゆる「精神世界」に踏み入ったのは、かなりの年齢になってからだ。体外離脱するようになった当初は、自分がおかしくなったのではないかと心配になり様々な医者や研究者に相談したようだ。自己の経験を自著で公にしたことにより、各界の注目を集め、大学の研究者たちによってモンロー本人の臨床的な実験もたびたび行われている。

 三冊の本はいずれも邦訳されている。実業界の人間だけあって、その著書のスタイルはかなり現実的だ。とっつきにくい理屈が書いてあったりする。しかし、やっぱり、「ホンマかいな」なのだ。体外離脱ばかりでなく、故人に会ったり、指導霊に会ったり、非物質界に旅したり。で、やっぱり、そうであっても不思議はないか、と思う。
 真かもしれないし、偽かもしれない。
 自分で確かめるほかあるまい。
 モンローの開発したヘミシンクという技法でそれが体験できるという。


ヘミシンク・ツアー

 ヘミシンクとは、Hemispheric Synchronization の略。両脳をシンクロさせるということだ。何かの動名詞と勘違いして「ヘミシング」とか言う人もいるが、それは間違い。
 左右の脳に別々の周波数の音を聴かせることによって、低周波の音波を発生させ、変性意識状態を作り出す。その変性意識状態によって、様々な「ホンマかいな」が可能になるらしい。

 変性意識状態にも様々な段階があり、それぞれに、F10、F12、F15、F21などという呼び名がついている。Fとはフォーカス(焦点)のことであり、番号の若いほど通常の意識に近い。
 各フォーカス用に特別に調整された音を、ステレオヘッドフォンで聴くわけだ。
 そうした音を収録したCDがモンロー研究所から発売されている。
 ヘミシンクに関心ある人は、そのCDを買って自宅学習するか、ヘミシンク・セミナーを受講することになる。

 モンロー研のヘミシンク・セミナーは、現在日本では、三人の公認インストラクターによって開講されている。アクアヴィジョンの坂本政道さん、京都のケヴィン・ターナー、そして長野在住の植田さんだ。
 京都のケヴィンとはたまたまディクシャ関係で面識があったのでセミナーを受けてみようかと思ったが、時間が合わなかった。
 やっぱり本家モンロー研究所に行ってセミナーを受けるのがいちばん手っ取り早いんだろう。アメリカ見物もできるしな。

 モンロー研究所のHPをチェックすると、まずは入門コースに参加する必要があるという。
 入門コースは毎月行われているが、4月中旬のものが日程的に一番都合良い。日本語でのコースだ。ご親切にそんなものがあるんだ。坂本政道さんが引率するらしい。英語コースよりやや高めだが、こっちはまったくの初心者だし、日本の様子もわかるから、いろいろ便利だろう。
 そこで2月下旬、アクアヴィジョン経由で、入門コース参加を申し込む。
 海外ツアーなんて初めてだから、ちょっと楽しみである。




ヘミ書濫読

 自慢じゃないが、ヘミシンクはまったくの初心者だ。そんな人間がモンロー研に行って良いのだろうか!?
 ともあれ、予習が必要だろう。
 そこでいろんな本を買い込んで濫読する。

 まずはブルース・モーエンの本。
 これはモンローの弟子のような人だ。この人の体験談は『死後探索』というタイトルで四冊邦訳刊行されている。監訳・坂本政道。
 このモーエン氏もエンジニアなのだが、まさに本書は「ホンマかいな」の連続だ。普通の人なら、まあ、まともには取るまいな。
 しかしたとえば、第四巻に出てくる「死後改心した牧師」の話など、たとえ作り話だったとしても、かなりの文学性を湛えている。「まあ騙されてみるか」という気にもなる。
 後で坂本さんに「あの本に書いてあることはホントなんですか?」と聞いたところ、ホントだとのこと。
 よくもあんなに自分の体験内容を記憶していて本にできるものだと感心したのだが、坂本さん曰く、執筆の最中に上方から情報が供給されるのではないかとのこと。

 そして、坂本さん自身の著書『死後体験』シリーズ。上記の本とタイトルがややまぎらわしいが、三冊刊行されている。(おかげで我が卓上は「死後」だらけ)。とりあえず一巻だけ拝読。これも驚くべき体験談だ。せっかくだからセミナー参加前に全巻読破したいと思うのだが、とても時間がない。

 春は仕事も忙しく、特に三月下旬は38℃のインドに一週間出張し、帰国して三日後から寒い北京に五日間出張、帰国して翌々日に渡米という、我が人生において最も気違いじみたスケジュールであった。その中で、ヒマを見てはこれら驚くべき書物を読みふける。
 おかげでいささか「耳年寄り」になってしまったか。

 そして4月の10日、始発で武蔵五日市の駅を出る。立川で成田エクスプレスに合流できたから、わりあい楽だった。
 成田第一ターミナルの待合場所には、既に坂本さんが到着していた。写真で顔は見知っていたので、すぐにわかる。ひとつふたつ言葉を交わし、この人なら大丈夫だろうと安心する。
 集合場所で係の人から本を一冊いただく。坂本政道・植田睦子共著『ヘミシンク入門』。まさにタイトル通りの本だ。私があまりに初心者だから特別にくれたのだろう。表紙裏にサインペンで「努力は必ず報われる 坂本政道」と著者サインがある。う〜ん、ヘミシンクもやっぱ努力なのか!?

 全日空002便でワシントンまで12時間の長旅。それなりに快適だった。『ヘミシンク入門』と『死後探索W』を読みながら過ごす。
 機内食は事前に「インド菜食」を注文しておいたのだが、夕食・朝食ともけっこうまともなインド料理が出てきた。東に向かっての旅だから、途中で六時間の夜がある。
 短い夜が明けるとアメリカ西部のアイダホ州あたり。飛行機は広大な北米大陸を東進し、五大湖のひとつミシガン湖をヒラリと飛び越え、午前十時過ぎ、ワシントン・ダレス空港に無事到着。




なつかしきヴァージニア

 空港のイミグレに、Welcome to Virginiaと書いてある。
 ここはヴァージニア州なのだ。
 じつはコース参加申し込み以来一ヶ月半、ずーっと頭の中で鳴り続けていた曲がある。
 ♪なつかしきヴァージニア 花咲きみのる良きところ 鳥また春をさえずる かのヴァージニア我が生(あ)れし国…♪
 『なつかしきヴァージニア』という歌だ。たぶん中学の音楽の時間に習ったものだろう。

 入国審査について坂本さんから指示がある。入国目的を聞かれたら「観光」と答えるように、と。
 なにやら一昔前のインドOshoコミューン(当時ラジニーシダム)の訪問を思い出す。ムンバイ(当時ボンベイ)空港のイミグレでは、決してOshoラジニーシやプーナの名前は出さなかったものだ。
 指示通り、審査官の質問には「観光」と答える。それでもなお行き先を尋ねるので「モンロー研究所」と答える。すると「なにそれ?」みたいな顔をされる。同じヴァージニアなのに、わりあい知られてないらしい。
 イミグレも大過なく通過し、現地集合も含め、参加者15名全員が顔を合わせる。

 空港からバスを仕立ててモンロー研究所へ向かう。
 外は雲ひとつない青空だ。暑くもなく寒くもなく、ちょうど日本のゴールデンウィーク頃のような絶好の行楽日和。アメリカの春っていつもこうなのかと坂本さんに聞くと、いや今日は特別ですとの答え。
 空港から約三時間の道のりだ。沿道は畑や牧場、野原で、ところどころに小綺麗な家が建つ。春を迎え、桃花のピンクが美しい。どこまで行っても公園のようだ。一番前の席に陣取って、移りゆく景色に見とれる。う〜ん、これがアメリカン・ドリームか。日本では真夜中で、参加者の多くはうつらうつらしているが、観光気分の私はもったいなくて眠るいとまもない。まさに歌の文句のようなところだった。
 もう何度も訪れているのだからきっと知っているだろうと、坂本氏に歌のことを確かめると、意外にも知らないとの答え。けっこうマイナーな歌らしい。  やがて、広々とした丘の上に建つモンロー研究所に到着。
 私も世界中のいろんな「瞑想センター」を訪ねたが、周囲の環境という点で言えば、まず随一と言えるのではあるまいか。

 オフィス棟のてっぺんに止まって春をさえずる鳥がいた。
 ものすごく複雑なさえずり方で、おそらく数十通りのパターンを持っているのではあるまいか。日本のクロツグミやキビタキよりすごい。
 トレーナーのアメリカ人、ジョンに聞くと、モッキングバードというんだそうだ。
 ただ、このジョンも『なつかしきヴァージニア』は知らなかった。やっぱりマイナーな歌なのだ。




ヘミシンクへの期待

 ところで、なぜまたヴァージニアくんだりまで来るほどヘミシンクに興味を持ったのか。

 ひとつは死に対する関心だ。
 つらつら思うのだが、現代社会では肉体的な生命の価値が重すぎるのではないか。「人の命は地球より重い」とか言われたりするが、おかげで地球が危機に瀕している。
 あまりに軽すぎるのも困るが、重すぎるのも問題だ。肉体生命にはそれにふさわしい重さがあるだろう。要はバランスだ。
 現代の主流である「科学」信仰では、肉体こそすべてだ。従って、死ねばすべておしまいである。
 本当に死ねばおしまいなのか。
 かつて日本の生死観は現在とはかなり違っていた。死んでも霊魂は生き続ける。だからたとえば、能楽の主人公はほとんど死後の人間たちだ。
 仏教やヒンドゥー教には輪廻転生の観念がある。この肉体はひとつの乗り物、衣服のようなものだ。
 キリスト教では生は一度きりで、その後に天国か地獄が待っている。しかしイエスの母体であるエッセネ派では輪廻転生が信じられていた。
 いろんな見方があって良いわけだ。
 もし死ねばおしまいだったら、肉体の維持が至上のものとされる。すると、ボロボロになった衣服を脱ぎ捨てたいと思っても、あくまでもその着用を強要されたりする。そして物理的な力の象徴である「カネ」が至高の価値を持つようになる。あまり居心地いい状態ではない。
 死後の生はそうした物理偏重に対するアンチテーゼとなる。特にヘミシンクは、音響機器の利用により、死後体験が再現可能であるらしい。これは試してみる価値があるだろう。

 そして瞑想との関わりについて。
 ヘミシンクは脳波や音響の研究から開発された技術だ。その技術によって変性意識状態が誘発されるという。
 瞑想と脳波、あるいは脳内作用の関係というのは、私も関心あるところだ。
 ヘミシンクの技術で一時的なりとも瞑想状態にアクセスできるなら、きっと人々の役に立つこともあるだろう。

 もうひとつは純粋な好奇心だ。
 様々な本に出ている「ホンマかいな」。これを自分も体験してみたいと思った。
 星の世界まで行けてしまうなんて、元・天文少年としては捨て置くべからずである。
 まっとうな人々から見るとトンデモかもしれないが、他人の迷惑にならない範囲なら、多少のトンデモも楽しいもんじゃないか。




ヘミシンク初体験

  ヘミシンクはチェック・ユニットと言われるブースの中で聴く。
 ブースは一部屋の中に二つ設けられ、カーテンで仕切られている。このブースはまた寝室でもある。中にはマットレスが敷かれ、ヘッドフォンが一台と枕許にライトが設置されている。
 ヘッドフォンをリラックスした姿勢で装着し、リラックスした姿勢で聴く。
 通常は寝転んで聴くようだが、長旅の疲れや時差もあって、気持ち良く寝入ってしまうことも多い。それで身体を起こして聴いたりもする。

 モンロー研には午後に到着し、夕食後に軽いセッションがある。ジョン・コータム氏と坂本さんがトレーナーとして指導に当たる。ジョンはまだ四十代だが、坂本さんが入門コースを受講した時もトレーナーをしていたという古株だ。

 明くる日からいよいよ本番。
 ヘミシンクを聴くのはこれが初めてだ。
 実はツアー申込時に坂本さんのオフィスから予習用のCDが一枚送られてきたのだが、ロクに聴いていなかった。
 参加者の中には十年も聴き続けて初めてモンロー研に来たという人もいるのだから、スタート時からして誠に大きな懸隔がある。
 まずF10という意識状態に入る。これは通常の意識に一番近い変性意識レベルで、「肉体は眠り、意識は目覚めている」という状態だ。

 このセッションで感じたのは、上丹田へのエネルギーの集中だった。上丹田というのは第三の目、眉間あたりだ。
 これは、アジズの許で修めたステート・オブ・プレゼンス、すなわち覚醒の状態によく似ていた。
 目覚めてはいるが、思考が過去や未来に向かうことがなく、今にとどまっている。これは悪くない。入門コースの前途に大いなる期待を抱かせるものだった。
 しかしながら、F10セッションで誰もがみなそれを体験するかというと、それはわからない。というのも、この日F10のセッションは計5回あったが、こうした瞑想的覚醒状態を感じたのは初回のみだったからだ。
 人によってはこのF10でガイドと交信したりするらしいが、私の場合、特にそんなこともない。
 各セッションとも40分ほどヘミシンク音を聴き、その後、ホールでミーティングがある。

   翌二日目目はF12というレベル。これは、より知覚や意識の拡大した状態で、「肉体的・空間的自由からの束縛」だ。セッションの構成はだいたい二日目と同じ。
 昨日のような上丹田への集中も感じることはなく、ガイドと出会うこともなく、特に変わったことは感じられない。F10と何が違うのかもよくわからない。あえて言うと、F10が少し拡がったような感じか。
 非物質的な存在と出会うこともあるらしいが、特にそんなこともなかったと思う。  この日、一度だけ体外離脱に関するセッションがある。肉体は仰向けに寝たまま、第二の体(エーテル体?)だけ丸太のようにゴロッと反転させたり、床の下に沈み込んだり…。これも私にはなかった。

 あるセッションの中で、「質問に答えてもらう」という試みをした。
 F12に入り、心の中で何か質問し、Yes、No、で答えてもらうのだ。
 二日目に入ってはかばかしい進展の見られない私は、ちと危険な質問をした。曰く、「ヘミシンクは自分に役立つか?」
 すると、答えは、No。
 ヤバいぜ。はるばるアメリカくんだりまで来て。

 


チベット僧の伝説

 モンロー研にはひとつ「伝説」がある。
 八十歳を超えるチベット僧が、六十台の弟子とともに入門コースに参加した。一日目、二日目と淡々としていたが、三日目になると興奮した面持ちで現れ、「キミたちアメリカ人はスゴい! 我々が何十年もかけて到達したところに、こんなに簡単に連れてってくれるなんて…」と言ったという。
 三日目はF15のセッションだ。
 そして確かに、チベット僧の言うことがわかる気がする。
 ここは「時間からの自由」と言われるレベルだ。
 セッションが始まると、エネルギーが臍下丹田へスッと下降していく。そして禅定の状態に至る。ひたぶるに心地良い。法悦。三昧境。アジズ・フーマンの言う「ビーイング」、絶対状態だ。
 「絶対状態とは仏教僧のゴールだ」とアジズも言っていたが、チベット僧が感心したのも道理かもしれない。
 ただし、誰もがそう感ずるかどうかはわからない。確かに過去の参加者の中にも「空の境地のよう」という感想を持った人もいる。トレーナーのジョンも「黒いビロードにくるまれたような心地よさ」と語っていた。この辺は今後の検討課題だ。
 また、このレベルは無時間なので「自分の過去世が見える」とも言われるが、私の場合、特にそういうことはなかった。

 四日目目の朝。ガイドから自分にとって重要な「五つのメッセージをもらう」というセッションがある。今までの経過から、オレなんかそんなメッセージもらえるわけないじゃんと思ったが、ともあれブースで虚心坦懐に待つ。
 重要度の低いものからメッセージをもらうのだが、まず、母親の顔が浮かぶ。親孝行しろということか。これが五番目。
 次いで、故郷の山河が浮かぶ。これは環境を大切にということだろう。それも地球環境というマクロなことより、まずは身近な環境からということだろう。これが四番目。
 次に浮かんだのが、仕事。ビジネスをしっかりやりなさいということ。肉体や物質面も大事にしなさいということか。これが三番目。
 ビジネスと来たら次は女か!?と思って待っていると、もっと小さな人形(ひとがた)が浮かぶ。愛だ。すなわち、性愛ではなく、無条件の愛。これが二番目。
 さて、無条件の愛より大事なメッセージとはいったい何か? 更に虚心になって待つと、現れたのは抽象的なシンボル。言葉で表すと、さしずめ、不可思議、ミステリーだ。これが第一番目。
 というわけで、私にもちゃんとやってきた。けっこうマトモなものが現れたと思う。 

 


三途の川

 そし四日目の午後。F21に突入。これは入門コースで扱う四つの変性意識レベルの中で、最も彼岸に近いものだ。「あの世とこの世の架け橋」だと言われる。
 その名の通り、ここには川があって、橋が架かっているそうだ。そして故人に会ったり、非物質界の存在と会うことができるという。

 眠らないよう、ブースの中で身を起こし、ヘッドフォンを装着。ロバート・モンローの声(と日本語ナレーション)に導かれ、F10、F12、そして気持ちの良いF15を通過して、F21に入る。
 混沌とした世界。F15のような法悦は感じられない。
 視覚的に言うと、暗い霧の中という感じで、何も見えない。川も橋もない。最近物故した友人に会いたいと思っていたのだが現れることもない。

 終了後のシェアリングでは、けっこう皆さん、川や橋を見ている。橋のたもとにはカフェもあるという。その中に私が出てきて、参加者の女の人とお茶をしていたそうだ。別な人も私を目撃して、別の女性とお茶をしていたという。ホントかよ。
 女とお茶をするなどいかにもオレらしいが、本人は全く記憶にない。ずっと暗い霧の中で目を凝らしていたのだ。のんきにティータイムを楽しんでいたのは、オレの分身か。はたまた過去か未来か。

 そこで続くセッションで再チャレンジ。今度はF21での滞在時間もやや長い。しかし相変わらず目の前は濃い霧に閉ざされたまま。友人を呼んでも、非物質的な存在を呼んでも、誰も応えてくれない。
 そのうち気がつくと、チラッと川が見えた。それも幽玄な三途の川じゃなくて、大雨で水位の増した農業用水のようだ。ごく小さくて両岸に青々と草が生えている。そしてひとり、参加者の女性の後ろ姿が見えた。しかし、これらも、オレに言わせると、入眠時イメージなわけだ。

 入眠時イメージというのは、眠りに入る直前、夢ではないが、眼前に現れる様々な視覚的イメージのこと。
 こうしたイメージの一環として、川が見えたり、人の姿が見えたわけだ。まあしかしながら、入眠時イメージはまったく無意味だ、ということもないかもしれない。

 三途の川と言っても、人それぞれ違うようだ。大きかったり、小さかったり。
 それから、昔は渡し船があって、そのための賽銭を用意したものだが、今は橋がある。橋ばかりでなく、カフェも。
 しかしこれも人によって違うのであろう。古風な人が見たら、相変わらず渡し船があって、茶店があるのかもしれない。




ヘミシンクとOsho

 最終日の六日目はおさらいのような日だった。
 最後に所長のポールからひとりひとり修了書が渡される。
 この所長はRademacherという苗字なのだが、難しすぎて何と読むかわからない。
 もう六十過ぎだろう、いかにも温厚そうな人だ。聞けばプロテスタントの一派、プレズピテリアン(長老派)の元牧師だったという。ヘミシンクに出会ったのは1990年代で、その後、牧師を辞め、モンロー研究所に加わったそうだ。
 キリスト教の教義に真っ向から反することも多いこの世界に入るというのは、彼にとって大きな方向転換であったことだろう。

 ところで、モンロー研が活動を始めたのは1970年代。私がOshoの弟子になったのは1986年だが、寡聞にして私の周囲ではあまりモンロー研の名前を聞くことがなかった。
 ひとつにはOshoがあまりその手のことを語らなかったせいもあろう。あるとき弟子が死後の世界について尋ねたところ、Oshoは「Who cares?」(知ったことか)と答えている。あるいは最後の説法シリーズ『禅宣言』の中で、輪廻転生を否定したりしてもいる。
 ただしOshoの説法はTPOに応じて変幻自在な対機説法だから、ひとつの言葉を捉えて絶対的真理と思ってはいけない。あなたを前にしたら全く別のことを言うかもしれないのだ。
 初期の説法集を読むと、輪廻転生の話も盛んに出てくる。一方、私が弟子になった頃は、禅を題材に説法していたこともあってか、誠に明快・直截なものであった。ヘミシンクの関わるのは第二身体(エーテル体)、第三身体(アストラル体)あたりだろうが、そうした微細身の話は一切出てこない。ひとこと「This!(コレ)」と言うのみ。とにかく委細構わず一直線に解脱へと向かうスタイルだった。
 そういう意味ではちょっと道草なのかな。

 ひとつ意外だったのは、坂本さんがOshoの存在を知らなかったことだ。それだけヘミシンクとOshoのつながりは希薄だということだろう。
 ポールはさすがに知っていたが、それでも「ロールスロイス93台」的なアメリカ人の「一般常識」の域を出ていない。彼の知る限り、モンロー研にOsho の弟子が来たことはないという。ということはオレが最初のサニヤシンか。Oshoの瞑想法、たとえば強烈な浄化を伴うダイナミック瞑想のことなどを語ると、興味深げに耳を傾けていた。
 毎朝ダイナミック瞑想をしてからヘミったら、体験変わってくるかも??
 そういうのやっても面白いかもな。ダイナミック・ヘミ。



モンロー研の周辺

  モンロー研自体は思っていたよりこじんまりした規模だった。インドのOshoコミューンやワンネスユニヴァーシティなどとは比ぶるべくもない。(敷地はものすごく広いようだが)
 従ってプログラムの数もあまり多くない。日程表を見ると、たとえば今年四月は、今回の日本人入門コースも含めて四本だ。定員は各24名と想像されるから、そのサイズも推して知るべしである。
 入門コースから先に進む人は、坂本さんいわく、約三分の一だということ。これはモンロー研のプログラム一覧を見てもうかがえる。入門コースは年間18本組まれているが、その先の、たとえば『ライフライン』は5本のみだ。入門コースだけで十分という人々がそれだけ多いということだろう。裏を返すと、三分の二の人々が、先へ進むほどの成果を得られなかったということかもしれない。宇宙の果てまで行く『スターラインズ2』に至っては一本のみで、つまりは各入門コースからひとり進むくらいの計算になる。
 価格がアメリカの場合二千ドルであり、交通費(アメリカは広い)と、一週間の日程を考えると、そういうリピート率はむしろ上々かもしれない。

 モンロー研の設立が1970年代。入門コースが開始されて四十年ほど経つようだが、このサイズから見ても、アメリカ国内でそれほど認知されてはいないようだ。空港イミグレの審査官も知らなかったみたいだし。
 米東海岸ののどかな丘陵地帯で淡々と仕事をしているという印象だ。車の台数から見て、常勤の職員も十人ほどだろうか。

 ちなみに、モンロー研の公認インストラクターは米国内に十数人だという。そして日本に三人。ヨーロッパに一人。
 入門コース18回のうち二回が日本人コース。それ以外はすべて英語のみだ。通常の英語コース参加者のほとんどはアメリカ人だという。
 入門コースはここヴァージニアのほか、日本でも坂本さんをトレーナーに開催される。
 ということは、日本はアメリカに次いでヘミシンクの盛んな国ということになるのか。



とりあえずのまとめ


 というわけで、六日間にわたるヘミシンク入門コースは終了した。
 坂本さんの入門コース体験談『死後体験1』に出てくるような驚くべきことは何もなかった。
 ガイドも出てこなければ、死者も生者も現れなかった。
 瞑想との関連が確認できたという程度だ。
 一番の関心事であった「死後世界の確認」については何の手懸かりも得られなかった。

 参加前には、「オレは今までこんなに瞑想してきたんだからきっとたちまち目くるめく体験があるんだろう」と思ったりしていたんだが、そんなことは全然なかった。
 実際、モン研まで来てオレほど何もなかった人間も珍しかろう。
 こんなんでいいんですかと坂本さんに聞くと、ちゃんと五つのメッセージをもらえたじゃありませんかという答え。(各セッション後のシェアリングの時間、オレはかなり活発に発言した。自分ではつまらないことだと思えるようなことも、いちおう体験として発言する。そうすれば坂本さんにも状況を把握してもらえるだろう。)
 なるほど、五つのメッセージはあった。あれでいいんか。
 こんなんで先に進んで良いんですかと聞くと、良いとのこと。坂本さんがそう言うなら信じることにしよう。

 モンロー研には入門コースのほかに、様々なプログラムがある。いずれも入門コースを経ないと参加できない。
 その中に、柱となるプログラムが四つほどある。F21を超えるものから、宇宙の彼方を探るものまで。
 しかし今回みたいな次第では、いささか心許ない。しばらくはCDを使って自習が必要か。入門しただけで引き下がるのも、ちょっとシャクだしな。

 ともあれ、アメリカ東海岸・春の旅は楽しかった。こんなこともなければなつかしきヴァージニアなど一生訪れることもなかったろう。

(2010/5/27)

 


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