新刊レビュー


『奇跡の探求』(1998/6/25)



発行 市民出版社

定価 2800円

 96年末に発行された初期講話集、『奇跡の探求氈xの第二部。発行は98年3月1日だ。もともとの講話は1970年7月4日から九日間にわたってヒンディー語で行われたもので、本書は英語版を介しての重訳だ。全九章、483ページで、かなり読みでがある。

 ヒンディー語の講話集ということで、当然ながらインド人の探求者に向けて語られたもの。英語による中期・後期の講話集とはかなり趣を異にする。
 「シャクティパッド」とか「恩寵」など、我々にはあまり馴染みのない話から始まってちょっとかったるいのだが、章が進むにつれ、だんだんおもしろくなる。

 本書の白眉は、『七身体の神秘』という副題にもある通り、「七つの身体」についての様々な論考だろう。お伽話めいた神秘的な講釈の連続に、「ホンマかいな」とか思ったりもするのだが、素直に承ることにいたそう。
 こうしたお話は、西洋人相手の講話にはまず登場しない。余計な秘教的インフォメーションは瞑想の妨げになるということもあるのだろう。でもやっぱり、読み物としては刺激的でおもしろい。そういう意味で貴重な一冊だろう。

 ブックカバーを含め本のデザイン(by Sw. タブダール)はなかなか美しい。ただ、翻訳にもうひと工夫ほしいところ。『奇跡の探求氈xに比べて、なんとなく中だるみしている。「Oshoサクシン瞑想センター訳」となっているんだが、上手い人と下手な人がいるのかな。


『グレート・チャレンジ』(1998/4/21)



発行 市民出版社

定価 2600円

 発行は97年12月なので、あんまり新刊とは言いがたいのだが、僕はこの本の出版を知らなかった。かほどこの日本ではOsho 関係の情報が行き渡っていないのだ。
 さて本書は読んで字のごとく、Osho講話集「The Great Challenge」の邦訳だ。もともとの講話は1970年から71年にかけてボンベイで語られたもので、時期的に言って、おそらく元々はヒンディー語だったろうと思われる。同じく市民出版社で刊行中の『奇蹟の探求(上下)』と同時期だ。どうもこの出版社は初期講話集がお好きらしい。

 『ヴィギャン・バイラヴ・タントラ』シリーズと同じく、ボンベイのウッドランド・アパートメントに集う探求者との間に交わされた質疑応答だ。それを十二章+付録に収めている。質問は前もって用意されたものと、その場で問われたものがあるようだ。
 もっと時期の遅い講話集とは違って、遊びも少なく、まじめ一方という感じだが、様々なOsho的要素が渾然一体となって、読む者を瞑想の境地に誘ってくれる。野次馬的に言うと、第九章の「イエスの知られざる生涯」と、付録にあるOshoの輪廻転生の話がおもしろい。

 ただこのような本は、一般読者にとってはなかなか近づき難いものがあると思われる。サニヤシンはともあれ、一般の人々に買ってもらうには、しかるべき「のし紙」をつけないといけない。
 前書きか後書きで、いったいなぜこの本を世に問うのか、この本があなたにとってどういう意味があるのか……等々を、高らかに謳いあげる必要があるだろう。西洋人が西洋人のために書いた前書きをそのまま翻訳掲載しているようじゃ芸がない。
 Osho本のマーケットにあまり活気がない今だからこそ、かつてのプラブッダの本みたいな、ムンとした熱気の伝わってくるような本をつくってほしいものだ。(ん!? 時代錯誤かな?)


『あなたが死ぬまでは』(1997/5/14)

 

発行 和尚エンタープライズ・ジャパン(OEJ)

定価 2300円


 
なつかしい本の復活だ。翻訳者はマ・アナンド・ナルタン。わが国ではプラブッダと並んでOsho 翻訳者の草分けだ。本書が初めて翻訳出版されたのが1979年、今から18年も前のこと。版元は「ふみくら書房」という出版社で、その後しばらくして倒産してしまったので、本書もそれきり絶版となっていた。

 今回、諸方からの要望もあり、訳者のナルタンが全面的に手を入れ、スワミ・ジュンのデザインにより装いも新たに、OEJから再版ということになった。

 本書収録の講話は1975年の4月にプーナで語られたもの。邦訳書で言うと、『存在の詩』と『Tao:老子の道』(ともにめるくまーる社)の間に位置している。この頃はプーナ1期の中でもかなり初期。そのせいか、講話の中にもサニヤシン相手のくだけた話はあまり現れず、瞑想についてのメッセージがよりダイレクトに語られる。

 題材はスーフィーにまつわる逸話集。スーフィーというのは、Osho 講話の中にもたびたび登場するイスラムの精華だ。スーフィー講話集の完訳版は本書が唯一のものだけに、ユニークな一書と言えるだろう。(あとスーフィーにまつわる絵本『モジュッド』が同じくOEJから出ている)。私たちとはあまり縁のないイスラム・中近東を舞台にした、ちょっとエキゾチックなOsho 講話の世界。


『奇跡の探求vol.1』(1997/1/23)

発行 市民出版社

定価 2884円

 これもいろいろ紆余曲折のあった本だが、ついに昨年末、日本語に翻訳されて出版された。かつて『バウル・愛の歌』を翻訳したスワミ・サンギートが最初に手を染め、その後ずっと眠っていた原稿を、サクシン瞑想センターが完成させて出版の運びとなった。

 1970年のインド・グジャラート州でおこなわれた瞑想キャンプのときの講話五つと、同年ボンベイでおこなわれた講話四つを収めている。どちらもヒンディー語で語られたものであり、英語を介しての重訳だ。日本で出版されたなかでは、『セックスから超意識へ』(1968)、『死・終わりなき生』(1969)に次いで、古い時期の講話集。

 瞑想キャンプでOsho が自らダイナミック瞑想を指導したときの言葉がそのまま収録されているのも興味深いが、やはりボンベイでの講話がおもしろい。この時期はOsho がエソテリックな方面に傾き始めた頃だそうで、クンダリーニ・エネルギーなどの話を中心に、探求者との間に活発な質疑応答が交わされる。質問はあらかじめ用意されたというよりも、その場で自由に問いかけられたものらしい。

 このようなヒンディー語講話を読んでいると、西洋人を意識した英語の講話とはまた違った、味わい深いOsho の世界がある。インド人弟子に聞くと、みな口をそろえてヒンディー語講話のほうがいいと言う。(だけども、「単にそのことだけのためにヒンディー語を学ぶのはまかりならん」とOsho はのたまったそうだ)。

 仏教などを通じて精神的に共通する要素も多いヒンディー語と日本語だけに、その間に英語を介してしまうと、きっと何かが失われるんじゃないかと思うのだ。だから誰か日本人で、ヒンディー語を学んでOsho の講話を訳してくれる人はいないだろうか。

 さてこの本 『奇跡の探求vol.1』―。ハードカバーで、スワミ・タブダールのカバー・デザインもなかなかいい。翻訳も総じて読みやすい。(でもオレはいつも助動詞の処理が気になるんだよね、should を自動的に「すべきだ」と訳したり、have toを条件反射的に「しなければならない」と訳したりするのがね)。ともあれ本としての出来は上々といったところだろうか。この 『奇跡の探求』は二巻完結で、下巻もつい最近、英語版で出版されている。これもなかなかおもしろい(シュンニョ評)そうだから、その翻訳出版も期待したい。


『タントラ・ヴィジョン』(上)(1996/10)

 発売 星雲社

 発行 UNIO

 翻訳 スワミ・プレム・ヴィシュダ

 定価 2575円


 96年の10月には、Osho の邦訳講話集がふたつ、世に現れた。この『タントラ・ヴィジョン』と、拙訳の『光と闇の瞑想』で、ともにタントラ関係だというのもおもしろい偶然だ。

よく人々のウワサにのぼっていた本書『タントラ・ヴィジョン』、私も手にするのは初めてだ。全20回からなる講話シリーズで、本書には前半の10講話が収められている。かなり読みでがある。

このシリーズが語られたのは、1977年の4月―5月。邦訳の本で言うと、『バウルの愛の歌』と『般若心経』の間に位置するもので、まさにプーナ第一期のまっさかり、かの伝説的翻訳者、プレム・プラブッダの活躍していたころだ。

プーナ一期の邦訳は、90年の『白隠の座禅和讃』(品切・質問部はカット)以来6年ぶり、完全なものでは88年の『一休道歌・下』以来約9年ぶりだ。久しぶりのプーナ一期もの、太平の世に惰眠をむさぼるサニヤシン諸嬢諸氏も(オレも含めてだが)、たまにはこういう本を読んで、ありがたくOsho の禅スティックを頂戴すべきである。

本書にも見る通り、このころの講話シリーズはだいたい、スートラ(経文)を使う日と、質疑応答の日が交互に現れる。私の訳しているヴィギャン・バイラヴ・タントラ・シリーズもそうなのだが、僕は個人的には質疑応答の方が好きだ。師弟間のやりとりがおもしろい。最近、その部分をカットして本づくりをする傾向がままあるけれども、できるだけ完全な形で出してほしいものだ。

訳についてひとこと。全般的に直訳風で流れの滞る部分が目につく (特に助動詞の翻訳)。スートラの部分はよく訳せているのだから、本文も同じ調子でやってほしいものだ。下巻を期待したい。


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