◆デリーオショー 事情(9/12)
◆ああさすらいの Friends of オショー その行く末やいかに(9/14)◆伊勢で聞いたオショージャパンの話(10/9)
◆オショーサクシン新瞑想センター訪問記(10/10)
先日インドから帰ってきました。今回は首都ニューデリーのみで、二週間半ほどの滞在でした。インドといえばオショー
のふるさと。彼の名前を知らない人はいません。
ニューデリー市内の閑静な住宅街に、オショー
ラージヨーグ瞑想センターがあります。スワミ・オム・プラカッシュというオショー
の古い弟子が主宰しています。プラカッシュは80歳になる長い白髭の老人で(つまりオショー
よりずっと年長なのです)、日本でいうと「御老師さま」といった感じです。訪ねてきた客人なんかは、身を屈めて彼の足に触れていました。
この瞑想センターが現在、デリー郊外40kmほどのところに、新しいアシュラムを建設しています。
広さは2万5千坪くらいあるそうだから、かなりゆったりしています。今は大きな瞑想ホールと、居住スペースが少々できあがっているということです。完成にはまだ数年はかかるということ。だからまだ公式にはオープンしていません。
現在は毎週末に瞑想の集いがあり、また9月8日にはマハパリ・ニルヴァーナのセレブレーションをやるとのことでした。それからマタジ(オショー
の母堂)の世話係だったマ・ジョティを招いて、よく瞑想グループをやるみたいです。参加するのは主にデリー在住のインド人たちです。
僕も6日にオム・プラカッシュと一緒に瞑想会へ連れていってもらうはずだったのですが、当日、御老体は加減がよくなく、キャンセルになってしまいました。それで写真だけもらってきたので、皆さんにご紹介します。上に写っている丸屋根の建物が瞑想ホールです。
インドといえば数千年の瞑想の伝統を持つ国です。最近は人々の心もハイテクの方へ向かいがちですが、それでも瞑想ということが日常会話の中にもよく出てきます。
最近はインドのマスメディアもすっかりオショー
びいきになりました。かつては新聞・雑誌に書きたてられることの9割は悪口だったみたいですが、今はそれがすっかり逆転して、9割がたオショー
のことを誉めたたえるんだそうです。
そういえば生前、オショー
もこんなふうに言っていたなあ――インド人ていうのは困ったもんで、導師が生きているあいだはケナシてばかりなのに、死ぬととたんに崇拝しだす……。
先日、オショーイア瞑想センターに電話したとき仄聞したのだが、オショー
Japan の機関誌、Friends of オショー
第二号の発行がなんかアブナイらしい。その理由は多分お察しのところだろう。
7月末に発行された創刊号は、サニヤス・ワールドに非難の渦を呼んだ。非難を呼ぶということは、じつはこの世界では大きな祝福なのである。わが師なんぞ、どのくらいの非難を浴びてきたことか。いやしくもこの世で何ほどかの価値あるものは、すべからく世人の非難という洗礼をくぐるものであろう。多少の非難くらいでへこたれるようなら、最初からやらないほうがいい。
非難のもとは、言うまでもなく、スワミ・ニサルガムの記事、「和尚・プーナ・その他あれこれ」だ。
記事の内容は別として、基本的にオレはああゆう物言いが気に入っている。ここはひとつニサルガム君はもちろん、編集者のアナンド・ミキ、そして黒幕のスワミ・ラーマ氏を誉めてつかわそう。
もちろん異議はあるだろう。たとえばニサルガム君は「プーナ2期の講話集はあまりよくないから出版するな」とか言うけれども、オレなんかその時期の講話集を三つも翻訳している(うち出版されているのはひとつ)わけだから、そんなふうに言われると、ちょっと立場がないのだ。
でも反対意見があるならば、その雑誌の中で述べるというのが筋だろう。ミキ編集長もそれを歓迎しているんだから。それもせずに、「こんな記事を載せるなんてけしからん」とか言って、ミキ君やラーマ氏を窮地に追いやるようなことがあるとしたら、それはニサルガム君の正しさを証明することになるんじゃないか。つまりそれに対抗する有効な根拠がないということになる。
オショー
を愛するサニヤシン諸君、ここはひとつがんばって、Friends of
オショー
第二号誌上に、ニサルガム君に対する反対意見の論陣を張ってみたらどうか。
きのうスワミ・ラーマに会った。久しぶりのことだった。喜多郎のコンサートがはねた後のこと。近所に住んでいながら、最近はあまり顔を合わす機会もなかった。それでお互いお伊勢くんだりまでやって来て、お話をしたとゆうわけ。
ラーマのうわさは最近、風に乗って諸方からやってきていた。熊本あたりからも聞こえてきた。いわく、「ラーマが
オショー Japan から抜けたってホント?」。
ラーマといったら オショー Japan
設立の代表を務めていた人だ。ウチあたりにもやってきて、出資の話を持ちかけたりしていた(応えられなかったけどね)。この一年ばかりこのプロジェクトに挺身し、諸方をかけずりまわって浄財を募っていた。その額も相当なものに上っていたらしい。(サニヤシンから金を集めるってのはタイヘンなことなんだよ)。
そのラーマがプロジェクトから抜けたという。そこで昨夜、「喜多郎コンサート御一行様」と貼り紙されたホールの片隅で、茶碗酒を傾けつつ(といってもオレもラーマも下戸なのだ)そのへんの事情を聞いてみた。
けっこう晴々とした顔をしていた。もう一月も前に抜けたんだそうだ。そして集めた浄財も出資者に戻し始めているという。
ラーマが抜けたからといって オショー Japan
がなくなるわけではない。当面はイアから引き継いだメンバーと場所をもって運営される模様だ。ただ、昔の菊名みたいな自前の瞑想ルームを持ちたいという願いは、しばしのところおあずけになるらしい。
ロケーション
荻窪駅南口から歩いて五分くらい。割合わかりやすいところにあるビルの地階。上にはセンスのよさそうな陶器店がある。この新しい瞑想ホールのお披露目は先月だったようだが、今回はホール内にブックショップが新設されたということで、そのオープニングをかねてのコンサートだった。その司会をやってくれというリクエストで、オレもまんざら嫌いじゃないから、招きに応じて出かけていったというわけ。
Stepping Down
階段を下におりると、二重のドアがある。中に入ると、そこに目新しい瞑想ホールが現れる。40畳くらいの広さか。板張りの床と白い壁紙が気持ちいい。付帯設備としてトイレとシャワー、そして小さなキッチン。これがぜんぶメンバーによる手作りだというから驚く。防音工事がしっかりなされているから、ダイナミック瞑想もオショー
三唱もこころおきなくできる。20―30人のセラピーや瞑想グループならじゅうぶんにできそうだ。
ミュージシャンたち
さてプログラムの始まりだ。今日やってきたのは、おなじみミラレパ(ギター、ボーカル)、初来日のジョシュア(横笛、サックス)、ボーカルのニーラ、名古屋のサットプレム(パーカッション)、そしてもうひとり名前は失念したが名古屋のベースだ。お得意のセレブレーション・ナンバーに、40人ほど集まったサニヤシンたちは踊り狂う。
1時間半ほど踊ったであろうか。休憩をはさんでホワイトローブが始まる。壁際のスクリーンがスルスルと下り、天井に据え付けられたプロジェクターから、合掌姿のオショー
が写し出される。
ブックショップのお披露目
そしてこの日、オショー
のブックコーナーがオープンした。自由が丘にあるオショー
ジャパンのブックコーナーと並んで、日本でも一番充実したオショー
ブックショップの誕生だ。講話集の邦訳がすべてそろっているほか、英語版講話集、講話ビデオ、講話テープ、オショー
ミュージックCD、そしてマルーンローブやホワイトローブまでそろっている。
そしてシメは例のごとく、すぐ近くのカレーショップ・ナタラジ仕出しの夕食だ。このたびはスペシャルのデザートつきであった。
というわけで、住宅の一室にすぎなかった西荻の瞑想ルームよりも、一段とグレードアップした瞑想ホールの誕生という印象だ。
オショー
ジャパンのプロジェクトが足踏みしている今、ここはおそらく東京唯一のオショー
専用瞑想ホールであろう。
いつのまにか消えてしまったあの美しき菊名・瞑想ホールの二の舞にならぬよう、関係者一同の一層の精進と、サニヤシン諸氏諸嬢のうるわしき連帯を期待するものである。