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ハワイからもどりました。
今回のハワイでのフーマンとのワークで体験したことは個人的なことですが少し書いてみようと思います。
まず何故か始めからあまり外側に気分が向かなくて、静かな日々を過ごしながら1回、2回、3回と個人セッションの中で自分の今ある状態を少しづつ明確に感じ始めました。
そのことを理解するのに必要なだけのマインドのワークもしました。
それとは別に、あるときちょっとつまった感じがしてきました。
自分が何かを得ようとしてだんだん苦しくなってくるのを感じました。
もっともっとheartを開きたいとか、何が起こっても平気な状態になりたいとか、もっと深い瞑想に入りたいとか、Houman
にwork
してもらっているのだから何かもっと劇的なことが起こるのではないか?など。
そしてこのことが本当は自分を苦しめていることに気がつきました。
私にとって何よりも大切なのは「今ある状態を感じて信頼することだった」ということが、くりかえしくりかえしフーマンとの個人セッションの中で、その経験を重ねるうちに身をもってわかってきました。
私の場合、今ある状態とは意識の中心がpresenceでもbeing
でもheartでもなく、言葉で言い表すとしたらそれは自分の周りにあって全てと溶けているような感じ、透明な感じで、光のようでもあります。
自分はその中に存在しているような感じです。
この感じを信頼してheartで感じられると、くつろいで平和が訪れることに気づき始めました。
そしてちょうど滞在の半分あたりで私にとっては深刻でショックな事件が起きたのです。(今はそのことに感謝していますが)
そのことがきっかけとなり、フーマンの臨在のもとで深い悲しみの中に入っていきました。
入り口はまあ関係性の中で起きたことだったのですが、そのおかげで入っていったところは古くてそうとう深いところだったと思います。それはそれは苦しくて、悲しくて.....。
数日間その中で過ごしました。
苦しくて涙がかれるのではないかと思うほど泣いたし、体力の限界を越しても?まだ続きました。
そしてその最終にフーマンとのセッションのなかで、その傷を癒すことができました。
というか、つまってつっかかっていても慣れてしまって忘れられていたものすごいかたまりのようなものを溶かすような、ものすごい経験でした。フーマンの導きのおかげでした。
ハートが開いていくときにその反対側にある悲しみや苦しみを解放していかなければならなかったようです。
今までにも何回となく、機会あるごとに、カタルシスや感情のレリースのワークはやってきていました。でも今回は、その「今ある状態」を感じ続けることと共にこのワークがあったので、今までとはぜんぜん違いました。外側でなにが起こっても内側のなにかが大丈夫だったのです。
あとこのことは、時が来て必要な時に起こったという感じがしています。
少し前だったらこんな風にはならなかったと思うのです。
この予想もしなかったいわば大手術の後は不思議な程、自然にlet
go してしまい、静かにくつろげるようになりました。
heartの重荷をおろして軽くなりました。
平和は外からやってくるものではなくて、誰かがくれるものでもない、Houmanが与えてくれるわけでもなかったのです。
それは実は自分の中にあったのです。
ただそれだけのことだったのです。
それに気づいた時に本当に楽になりました。
ただ自然に自分にくつろいで今に坐ることが、劇的な至福でなくて、優しい感じであっても、平和で心地の良いことがわかってきました。
そしてもっともっとくつろぐことで、それが深まり広がっていく感じも。
自分の「それ」を信頼すること、が今の自分にとって一番大切だと思っています。
そのことに気づかせてくれる経験をするまで導いてくれたHoumanに心の底から感謝しています。
そしてAzizの臨在で坐り続けてきたこと、Aziz
の瞑想への導きにも心の底から感謝がこみ上げてきました。
そして今になってあらためてOshoの言葉が心にしみてくるようなのです。
やっとわかった........。という感じです。
今回自分の道、というものがようやく見えてきた。
という風に思います。それは他の誰のものとも違う自分の道で、他のだれのものとも比べるものではないこともわかりました。そのことでもまたほっとしています。
そして目に見えないgraceや光の存在をなんだかうすうす感じながら自分の中に目覚め、育ち始めているこの状態に今日もちょろっと水をやっているところです。
私にとって言葉で言い表すのはとても難しいことですが、こんなところが今の私の感じです。
2001年12月31日。
Houmanに初めてメールを送りました。
それから、11日後の1月11日
受信箱にHoumanからの返信メール発見
返信の日付は1月1日でした。なぜか、本当に見逃していました。
それから慌しく、2月ハワイ行きの準備を始めたのです。
秋のアジズとの最後の面談で、次の3デイズに出れば、プレゼンスが安定するだろうといわれたのですが、直後に手術がきまっており参加しませんでした。
それからは、いちおう、毎日夜30分から60分座るのが、日課でした。
ずっと、プレゼンスの瞑想をしていたのですが、これでいいのかという思いがずっとありました。
12月2002年の実現したいことで、まず思ったのが、ハワイにいきフーマンに会うことでした。
春には来日することを知っていたのですが、ハワイで、フーマンのワークを受けたいと強く願いました。
1月になって今年のエンジェルカードを引きました。「GRACE」でした。
滞在は2002年2月9日から16日まで8日間。
ハワイ島にいってきました。
夜のクラスが1回、個人セッション3回受けることが出来ました。
カタルシスの話や、過去世についての話など、他の人から体験談として、聞いていましたが、私の受けたものは、違いました。
まず、プラギャの状態をフーマンは、語ってくれました。
ビーイングがあること、そして、プレゼンスをより安定化させる必要のあること。そのための練習として、1日4回45分座ること。15分は目を開けたままでということでした。
部屋で座っていると、ほんとうに、自然に、苦がなく、つらくなく、座れるようになりました。
フーマンと一緒に瞑想すると、下へ下へと落ちていく感じがして、絶対的な信頼、正しい場所にいること、深い深いやすらぎ、ひろがり、全体感平和、幸福感に包まれました。
もっともっと、プラギャがいなくなるように・・・
そして、消え去るように・・・。
また、私のなかには、なんらかの火(情熱)があり、それに集中しすぎるとマインドが強くなってしまうのだそうです。
他人と接するとき、人や、感情にでなく、そこに留まることが大切と。
仏性についても話してくれました。
本当にフーマン個人ではなく、フーマンを通して、しっかりと何か大いなる存在に出会った気がします。
日本で再会できること、楽しみにしています。
必要な人すべてがフーマンに会えることを祈っています。
フーマンの名前は伝わっていても、実際どんなことをするのか知らない方も多いかと思うので説明も交えて書きました。
<きっかけ>
私がフーマンに最初に出会ったのは一昨年の7月です。
その頃私はステートオブプレゼンスを練習してしていました。
ウラスはすでにスタビライズして、次のハートのワークをしていました。
フーマンのことは、アジズと書いた「Enlightenment」の後ろの写真と、生まれながらにしてハートの悟りに達していた人そしてハワイ在住ということぐらいでほとんどど何も知りませんでしたが、私達は「一度訪ねてみよう!」ということになりました。実を言うと行くきっかけになったのはハワイという響きが大きかった気がします。
<リトリート>
幸運なことに私達が着いた3日後に、月一度に行われるリトリート(朝から夕方まで)に参加することができました。
フーマンが行うリトリートというのは、午前中はフーマンを中心にして輪になって瞑想します。その時にフーマンは、一人ずつにエネルギーをその人が受け入れられる限界まで入れてくれます。最初の時は分からなかったけれど敏感になっていくと、瞑想してして何か内側でシフトしたことが感じられるようになりました。
そして一人ずつに今のその人の状態そしてどこに焦点をあてたら良いかを言ってくれます。プレゼンス、ハート、ビーイングと人によって皆違います。
そして午後は主にヒーリングです。癒して欲しい人が輪の中心に出てきて、フーマンと一緒に皆でその人に愛と癒しのエネルギーを送ります。癒す人も癒される人も自然と涙がこぼれてきます。ヒーリング中、長い間抱えていた大きな問題に直面して号泣していた女性もいました。
見ていて辛いけれど、氷がとけた後のその人はとても美しく光ってました。
リトリートの内容はその時によって違いますが、大体こんな感じになります。でもフーマンの元に日本人が来るようになってから、日本人は感情を貯めているせいでしょうか、カタルシスを取り入れるようになりました。
<フーマンのワーク>
フーマンはその人の過去からの修行してきたことそしてブループリントを見てその人に合った道を教えてくれます。そしてそこに近づくにはどうすれば良いかを個々に指導してくれます.。
私の場合ハートを開くことでした。でもハートと繋がるにはプレゼンスが必要で、ハートとプレゼンス両方にワークをしてくれました。そしてフーマンと恩寵のおかげでステートオブプレゼンスにスタビライズすることができました。
次のワークは、ハートに何世にも渡って傷を作ってしまったので、まずその傷を癒すことが主でした。それは私にとってとても重要でした。
フーマンと一緒にとても深い部分に下りていって、ヒーリングをしていくという作業でした。スピリチュアルの大手術です。
私はセッション中もそして終わってからも、悲しみ、怒り、憎しみなどさまざまな感情がでてきて浄化が起きました。いままで蓋をしてきたものに直面するということはとても辛いことです。
でもフーマンは充分暗闇をとりのぞかないと、解放されないと言っています。
そしてハートが癒されていくと同時に、本来の自分が誰なのかを思い起こしなさい、と何度もくりかえして言ってくれました。
… フーマンが分かり易く言ってくれた言葉です …
真実というのはあなたの魂です。
サハジョは肉体で、女性で、ある形をしていて、ある時期に死んで、なにも真実なものはありません。
あなたには思考があります。記憶によるもの、過去、未来に関する思考それは夢によるものです。これらの思考が世界をあなたの目を通して見ます。
そしてそれが人格を作ります。それは夢のようなものです。偽りの人格がそこに住んでいます。すべてのものが、内側でからみあって、偽りの人格が生まれます。
人格は苦しみます。色々な教えや先生が現れます。偽りの人格はとても深い部分で何かが間違っていると感じます。
何かが間違っていると思うのがあなたの魂です。偽りの思考を通して、マインドがやってきて「なにか探求しよう!」と言います。この偽りの人格がやってきて「そうだ、そうだ何かすごくいい所へ行こう!と言います。そして今度は探求者という又偽りの人を作りだしてしまいます。
それ以前では世間で色々なものを探し求めてきました。しかし今やスピリチュアルな世界で探し求めるようになりました。
徐々に偽りの人格は探求していきます。魂は機会がやってくるのをずっと待ち続けています。偽りの人格が止まるまで。いつも過去、未来と動いています。それが止まる時、魂がやって来ることができます。
魂がやってきてもまだ偽りの人格がやって来たがります。しかしそれがあなた全体になることはありません。表面に留まるだけです。
もっと魂が認識されると、偽りの人格は落ちていきます。すべての問題はこの偽りの人格にあります。それは決してハッピーになることはありません。それは真実ではないからです。
あなただけが真実です。何か他のものを探求する必要はありません。ただそれを表面化させてそれに留まってください。
一瞬一瞬サハジョになるか、魂になるか選択肢があります。サハジョはとても荒くて硬いのです。だけどあなたの魂は微細です。もっともっとそれに留まるとどんどん大きく強くなっていきます。だからあなたの本物の部分にいつもいて下さい。境地というのではなく、あなたが誰であるかということです。
いままで上記の言葉のようになろうと努力してきました。でもマインドでどうにかなろうというのは不可能でした。
そして沢山のグルに会い探求してきましたが、本当に変容させてくれる人に会うことは叶いませんでした。もうほとんど諦めていた時、フーマンに会いました。
最初にフーマンは私に聞きました。「なんでここに来たのですか?」
「私はステートオブプレゼンスが欲しいんです。」と答えました。
するとフーマンは「あなたは変容したいのではないですか?」とズバリ言いました。その頃はSPのことに夢中だったので、ハッとしました。
そうです私はずっと変容することを求めてきたのです。
物心ついてからずっと自分の居場所がないと感じがしていて、いつも悲しみと不安がつきまとっていました。その悲しみは絶望といったようなものです。やっと私のことを私以上に分かってもらえる人に会えた喜びは計り知れません。
今は内側にくつろいでいて平和を感じています。やっと自分の居場所を見つけた安心感があります。そしてそれは留まることなく、日ごとに深くなっていくのが感じられます。
たくさんのセッションを受けることができて、そして何度も辛抱強く分かり易く教えてくれたフーマンに心から感謝しています。
僕が初めてフーマンに出会ったのはインドのゴアでした。
フーマンは僕のプレゼンスのスタビライズのチェックをしてくれたのです。
僕がフーマンのキリストのような目を覗き込んだ時、「マスター」、という言葉が僕の中から出てきました。僕はその時、その場に跪いて、「マスター、御伴させて下さい」と言いたかったのですが、その横には僕のプレゼンスのスタビライズの為に必死になってワークしてくれたアジズが居たし、会ったばかりでそんな時代劇のようなことを言うのも変だし、喉まで出掛かった言葉を飲み込みました。
それはまるで、OSHOタロットの<カレッジ>のような体験でした。僕はイエスの美しさに惹きつけられた漁師のようでした。
それから約半年後、僕はハワイでフーマンに再会しました。
フーマンの最初のクラス(サットサング)に出ただけで、僕は深い深い瞑想に入り、それまでいくら必死になっても分からなかったことが分かったような気持ちがしました。
フーマンの個人セッションは、驚きという他はありません。僕はあんなに凄いセッションというものを受けたことはなかったし、多分、これからもないと思います。
何故なら、フーマンの場合は、言葉でその境地について説明して教えるというだけではなしに、その説明している境地に僕を入れてしまったからです。他人のケースは僕には分かりませんが、少なくとも僕の場合はそうでした。
僕の場合はプレゼンスの統合化もほぼ完了しているというのに、僕の、真実を知りたい、悟りとは何かを知りたい、という強烈なマインドが邪魔をして、自己認識に至らずにいました。
それでセッションは言葉による説明に多くの時間を割きました。
僕はフーマンとのセッションで内なる平和を見出し、中心のない、内も外も無い、意識に確立しました。
しかし、フーマンは、もうシャルマという存在は死んだ、と言うのですが、どうしてもそのことだけは、分かるようで分からない、確かにフーマンの前に出ると、マインドもあまり働かないし、そんな気にもなるのですが、自室に帰るとまた疑いが頭をもたげる、という繰り返しでした。
最後のほうでは、無心ということを掴んだような気がして、フーマンもそれだ、と言うのですが、どうしても確信までは至らずにいました。
そしてそれは宿題になりました。
フーマンには家に帰っても、半年くらいは本も読まずに何も書かずに、ただ、その平和と一緒に居なさい、そうすれば突然、自己認識は訪れるだろう、と忠告されました。
そして、それは本当に約半年後に実現しました。
どうして、それが分からなかったのか、それは今から思えば、意識が自分だ、という錯覚をしていたからです。これが僕にとって最後のマインドでした。
自分と呼べるようなものは、自分の中には無かったのです。(魂については省略します)
僕はOSHOについては、これは、どの道いっても僕がこの先何を言っても自分の人生で一番大きな存在であり、かけがいの無い存在であり、一介の不良少年上がりのゴロつきだった僕を、あそこまで育ててくれた恩というものは、変わるものではありません。
この先自分が自分の命と引き換えにしてもいいと思うことがあるとすれば、それはOSHOに対する報恩だと思います。
それはもう感謝という言葉を遥かに超えたものです。
しかし、フーマンに出会って、無心の境地に入れてもらった、ということも、言葉では表現できませんが自分にとっては一大事だと思います。
フーマンは去年の夏で、僕らが訪れたフーマンの家を引き払ってしまったようです。あの家を見れなかった、ということは本当に残念なことだと僕は思います。
フーマンの家は海岸から斜面を上がった丘に建っていました。
サトウキビが雑草化して鬱蒼と茂る中、急な斜面を車で登って行くとフーマンの家がありました。
そこから見渡す、その雑草の丘陵、その向こうに盛り上がる海、曇り空の下、快晴の空の下、強風の中、その風景の美しさは見る者をその瞬間に引き付けました。
ある日、僕は帰り道にハンドルを握っていましたが、その風景のあまりの美しさに、また自分の幸運に、感謝と歓喜が渦のようになって僕を襲い、僕は運転が出来なくなり、外へでました。
それは、祈らずにして祈れる、数少ない瞬間の一つでした。
フーマンが日本に来るということで、読者の方々にはこの上ないチャンスがやってきたようです。皆様がこのような千載一隅のチャンスを逃すことがないよう、真心から神に祈って、この話を終えようと思います。
全ての存在が幸福でありますように
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