フーマン体験記


フーマンとはいったい何者でしょう。
これはひとくちにはいわく言い難いものがあります。
たぶんそれは、フーマンが鏡のような存在だからでしょう。
それぞれがフーマンなる姿形の中に違った顔を見ます。
そしてそれぞれがフーマンのもとで違った体験をします。
そんな様々な体験の中から、いくつかご紹介しましょう。
フーマン・ワークを受ける際の参考になれば幸いです。
(以下の意味不明なる名前のうち、Shakti、ヨガビジャ、マハンタ、プラモーダ、プラギャ、サハジョは女、それ以外は男である)



ぱるばによる体験記
Shaktiによる体験記
ヨガビジャによる体験記
マハンタによる体験記
アサンガによる体験記
プラモーダによる体験記
プラギャによる体験記
アートマラーマによる体験記
サハジョによる体験記
シャルマによる体験記
特別リンクキヨタカによる裏話&体験記(リーラスペースHP)



ぱるばによる体験記

 

 Houman…。
 へんな名前だと思う。
 最初は読めなかった。
 ホウマンとかハウマンと読んでいた。
 この名前を目にしたのは、アジズに初めて出会った頃 、すなわち、今から二年ほど前のことだった。

 読めなきゃ無視すればいいんだろうが、そういうわけにもいかなかった。
 なぜなら、アジズ最初の本、『Enlightenment』の共著者になっていたからだ。
 裏表紙の記述によると、アジズに大きな影響を与えた人らしい。
 アジズと好対照のヘアスタイルをした(すなわち長髪の)この人物は、いったい誰なのだろう?
 
 その後、この人物のことが、アジズの口によくのぼった。
 「フーマン」というらしい。
 なんでも、ハワイで教えているということだ。
 フーマンについて語るアジズの口調には、大きな愛と敬意がうかがえる。
 アジズにそこまで敬愛される人物…いつか会ってみたいものだと思った。

 一昨年の秋、アジズに聞いてみたことがある。
 「フーマンに会うことは私にとって役立つでしょうか」
 するとアジズはこう答えたものだ。
 「そうだね、State of Presenceを確立した後だったら役立つと思うよ」

*****


 というわけで、今までに二度ハワイに赴き、フーマンのお世話になってきた。
 一度目は昨年(2001年)三月に一週間ほどの滞在。そして二度目はつい先だって二月に三週間ほどの滞在だった。

 私は今まで三人ほどの導師についたわけだけども…。
 最初はOshoで、これは直接まみえて指導してもらったことはない。二千人収容の大ホールに座って、遠くから説法を拝聴するのみだった。
 次がアジズで、サットサンに出たり、個人セッションを受けたり、リトリートに参加したり。

 そして今般のフーマン。
 ハワイでのワークは、そのほとんどが個人セッションに費やされた。
 個人セッションのほか、週一度のクラス(サットサンのようなもの)、そしてときには数日間のリトリートも行われるという。ハワイ在住の生徒たちは、週に一度クラスに参加して坐り、ときどき個人セッションを受けたり、リトリートに参加したりするらしい。
 しかし僕らのように遠路はるばる短期間やってくる生徒たちには、特別に個人セッションを多目に組んでくれる。

 個人セッションというのは、禅の世界ではおそらく独参と言われるものだろうと思う。
 師がひとりの弟子に相対して、そのエネルギーを注いでくれるわけだから、こんなに有り難いことはないわけである。
 もちろんそれが本物の師であればの話だ。
 じゃフーマンはいったい……? ということになるんだろうが、ま、それは各自の判断にお任せするとしよう。
 数えてみると私は、今までに十回ほどのセッションを経験したことになる。
 これからも受け続けることになると思う。(フーマンが引き受けてくれたらだが)

 まあ、誤解を恐れずに言うと、フーマンというのは、悟ったチャネラーかな。
 アジズもサットサン中に、「私の言うことは40パーセント、チャネリングだ」と言ってたし。
 つまり、フーマンはガイダンスと一体になって語るわけだ。
 ガイダンスというのは、アジズの本によると、Over-Soulの臨在ということになる。
 そのフーマン=ガイダンスが、私の存在を見て、いろいろアドバイスをしてくれるのだ。
 前生譚もよく出てきて、おりおりに興味をそそる。
 それによると私は、ここ数生はずっと僧をやり続けてきて、それなりの境地に達してはいたんだが、なんとなく行き詰まり感があって、それで今生は僧じゃなくてOshoサニヤシンになって、ちょっとばかりゾルバ的な生活を送っているんだそうだ。

 基本的にフーマンは、イイコトしか言ってくれない。あんまり手厳しいことを言われた記憶がない。
 それで思うんだけど、ほら、警察署には、鬼の×××、仏の○○○ってのがあるじゃない。容疑者を吐かせるとき、こわもてで追及する人と、優しげになだめすかす人がコンビを組んだりするわけだ。もしかしたら、手強いマインドを手なづけるため、鬼のアジズ、仏のフーマンが組んでるのかなあ、なんて密かに思ったりして…。(もっとも、アジズも鬼というほどコワかないけどね)

 私の場合、根がマインド指向なので、言葉による指導にかなり時間が費やされる。
 しかしそればかりではない。そして本当は、言葉によらない、エネルギー的なワークのほうが大事なのかもしれない。
 「フーマン状態」という言葉がある。これは私どもの勝手な造語なんだが、フーマンの前に出ると、自動的に、ある状態の中に入ってしまうのだ。
 これはいわゆるノーマインドの状態なのだろう。静かで穏やかな至福に満ちている。
 フーマンいわく、これは状態ではなく、あなたの真実なのだそうだ。
 ここは探求者の行き着く究極で、ここより先は、はからいも捨て、探求も捨て、ただ手放しで往くよりほかはないらしい。

 フーマンのワークには三つの柱があるという。
 ひとつは上記の「ノーマインド」つまり瞑想的なワーク、二つめはSoul Desire すなわち魂の青写真に関するもの、そして三つめがカルマの浄化だったかな。
 この三つがそろわないと、どうも具合が悪いらしい。
 今回私は、ひとつめと二つめのワークを主に受けた。
 三つめに関しては、私のカルマ的弱点がみぞおちあたりに存在していると指摘された。そう言われると思い当たるフシも多々あるのであった。そして、それに働きかける強力なワークを今回日本で導入するという。この点に関しては、多くの人も同様な問題を抱えているそうなので、きっと役立つことも多かろう。
 瞑想ばかりでなく、人間という存在をトータルに扱っていくのがフーマン・ワークの特色かも知れない。その意味で、Oshoの提唱する「ゾルバ・ザ・ブッダ」の概念に大いに通じるところがある。

 といふわけで、春も弥生の半ば過ぎ、杉檜の花粉にまみれつつ、つれづれにフーマン状態にひたりながら、こころ静かに次なるワークを待ちもうける日々である。  (2002/3/19記)

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Shaktiによる体験記

 

 ハワイからもどりました。
 今回のハワイでのフーマンとのワークで体験したことは個人的なことですが少し書いてみようと思います。

 まず何故か始めからあまり外側に気分が向かなくて、静かな日々を過ごしながら1回、2回、3回と個人セッションの中で自分の今ある状態を少しづつ明確に感じ始めました。
 そのことを理解するのに必要なだけのマインドのワークもしました。
 それとは別に、あるときちょっとつまった感じがしてきました。
 自分が何かを得ようとしてだんだん苦しくなってくるのを感じました。
 もっともっとheartを開きたいとか、何が起こっても平気な状態になりたいとか、もっと深い瞑想に入りたいとか、Houman にwork してもらっているのだから何かもっと劇的なことが起こるのではないか?など。

 そしてこのことが本当は自分を苦しめていることに気がつきました。
 私にとって何よりも大切なのは「今ある状態を感じて信頼することだった」ということが、くりかえしくりかえしフーマンとの個人セッションの中で、その経験を重ねるうちに身をもってわかってきました。
 私の場合、今ある状態とは意識の中心がpresenceでもbeing でもheartでもなく、言葉で言い表すとしたらそれは自分の周りにあって全てと溶けているような感じ、透明な感じで、光のようでもあります。
 自分はその中に存在しているような感じです。
 この感じを信頼してheartで感じられると、くつろいで平和が訪れることに気づき始めました。

 そしてちょうど滞在の半分あたりで私にとっては深刻でショックな事件が起きたのです。(今はそのことに感謝していますが)
 そのことがきっかけとなり、フーマンの臨在のもとで深い悲しみの中に入っていきました。
 入り口はまあ関係性の中で起きたことだったのですが、そのおかげで入っていったところは古くてそうとう深いところだったと思います。それはそれは苦しくて、悲しくて.....。
 数日間その中で過ごしました。
 苦しくて涙がかれるのではないかと思うほど泣いたし、体力の限界を越しても?まだ続きました。
 そしてその最終にフーマンとのセッションのなかで、その傷を癒すことができました。
 というか、つまってつっかかっていても慣れてしまって忘れられていたものすごいかたまりのようなものを溶かすような、ものすごい経験でした。フーマンの導きのおかげでした。
 ハートが開いていくときにその反対側にある悲しみや苦しみを解放していかなければならなかったようです。

 今までにも何回となく、機会あるごとに、カタルシスや感情のレリースのワークはやってきていました。でも今回は、その「今ある状態」を感じ続けることと共にこのワークがあったので、今までとはぜんぜん違いました。外側でなにが起こっても内側のなにかが大丈夫だったのです。
 あとこのことは、時が来て必要な時に起こったという感じがしています。
 少し前だったらこんな風にはならなかったと思うのです。

 この予想もしなかったいわば大手術の後は不思議な程、自然にlet go してしまい、静かにくつろげるようになりました。
 heartの重荷をおろして軽くなりました。
 平和は外からやってくるものではなくて、誰かがくれるものでもない、Houmanが与えてくれるわけでもなかったのです。
 それは実は自分の中にあったのです。
 ただそれだけのことだったのです。
 それに気づいた時に本当に楽になりました。

 ただ自然に自分にくつろいで今に坐ることが、劇的な至福でなくて、優しい感じであっても、平和で心地の良いことがわかってきました。
 そしてもっともっとくつろぐことで、それが深まり広がっていく感じも。
 自分の「それ」を信頼すること、が今の自分にとって一番大切だと思っています。
 そのことに気づかせてくれる経験をするまで導いてくれたHoumanに心の底から感謝しています。

 そしてAzizの臨在で坐り続けてきたこと、Aziz の瞑想への導きにも心の底から感謝がこみ上げてきました。
 そして今になってあらためてOshoの言葉が心にしみてくるようなのです。
 やっとわかった........。という感じです。
 今回自分の道、というものがようやく見えてきた。
 という風に思います。それは他の誰のものとも違う自分の道で、他のだれのものとも比べるものではないこともわかりました。そのことでもまたほっとしています。

そして目に見えないgraceや光の存在をなんだかうすうす感じながら自分の中に目覚め、育ち始めているこの状態に今日もちょろっと水をやっているところです。

 私にとって言葉で言い表すのはとても難しいことですが、こんなところが今の私の感じです。


                    with love Shakti (2002/3/19記)

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ヨガビジャによる体験記

 

 私がフーマンのワークを受けにハワイに行ったのは昨年の7月 でした。2週間の滞在で5回のセッションを受けることができ ました。
 そのころの私は、自分の方向性がまったく見いだせず、子供の ころからの「ここにいたくない」という漠然とした感覚からくる無力感を、時折感じるといった日々を送っていました。 実際、ここ数年リーラスペースでは様々な優れたリーダー達を招聘し、人々にワークを提供してきましたが、私自身にとっては正直なところ、どのワークもお手上げ状態でした。
 キヨタカの勧めにより、ゴアでアジズのセッションを受けステート・オブ・プレゼンスの練習もしましたが、私にとっては非常に難しく、ある時期私はこのワークを自分に強いることを止めました。
 その後リーラで企画したインドツアーで、シッダールタ達によ る「サマディ・プラギャ」「モン・プラギャ」に参加しましたが、やはりここでも「自分がなぜここにいるのか分からない」という想いに圧倒されそのワークに集中することができず、もう自分はどんなワークも諦めようと思いました。
 実際、私には悟りたいという欲求があるわけでもないし、ただいかにしたらこの生を楽しく生きられるか?という程度のことしか関心がなかったのです。

 フーマンに会ったのはそんなときでした。
 これでダメだったら成長なんてことはすっかり忘れ、ただ普通に悩みながら、そしてたまに楽しみながら、「人生は所詮こんなもんだ」って感じの、ごくごく平凡な人生を送ろうと思っていました。

  フーマンのワークで私が最も強く感じたことは、彼はすべての人々に、その人にとっての自然な本性を取り戻すこと、その人のパワーをその人自身に返してあげることを最優先にワークしているということです。

 私は英語が話せないのでキヨタカと一緒にセッションを受けていましたから、いつも隣の部屋でそのセッションの様子を感じていました。
 キヨタカのセッションでは、フーマンは彼にもっと自信をもち 、自分自身のパワーを取り戻すということを何度も何度も話していました。それはとても慈愛に満ちたお兄さんが弟を諭すかのようであり、親しげでかつとても楽しそうでした。
 私のセッションでのフーマンは、キヨタカの時とはうって変わり、天から舞い降りてきた神の使いのようでした。
(もしかしたら白い翼があるかも?って思い、後ろにまわって みたかったです・・・。)
 実際、彼と向かい合って座っているとフーマンという個人を感じることができなかったのです。
 
 フーマンは私に「あなたの道は多くの人とは違った特定の道だから、本当にそれを信頼するように」と、ほとんどのセッションのなかで言っていました。

 今まで自分が他の人とかけ離れていると感じること・・・ものの感じ方、考え方、他の人たちが当然のようにできることが自分にはできない等・・・が、なんら間違っていたのではなく(自分に能力がないからではなく)、単に自分のユニークさのあらわれであることが分かりました。
 そして「ありのままの自分をまるごとそのまま受け入れられること」ほど、人に癒しを与える体験はないのではないでしょうか?
 フーマンが私にしてくれたように、私が私自身を(判断することなく)ただ受け入れられるようになったとき、初めて自分が本当の意味で人を愛することのできるポイントにたどり着いたと感じました。

 セッションでは私には質問がほとんどなかったので、いつもフーマンの話を一方的に聞いているという感じでした。ですから短いときは1時間足らずで終わってしまうこともありましたが、私にとって特に重要だとフーマンが感じることは何度も話してくれましたし、私の理解を確認するかのように、たまに彼は私に質問をしました。

 私はこのときのハワイに限らず、海外に行くとたいてい体調がおかしくなります。
 その理由もフーマンは話してくれましたが、今回のハワイでの体調の変化は、あきらかに集中的なフーマンのワークに関係していることが分かっていました。フーマンによると私たちの滞在が2週間と短かったため、かなりインテンスなワークになっているとのことでした。食欲もなくなり、夜もほとんど眠れず、熱や咳といった風邪の症状もでていましたが、自分にとって今、絶対的に必要なことが起きているという確信があり、精神的にはなんら影響を受けることはありませんでした。
 3回目のセッションの後だったと思いますが、ある夜、いつにも増してとても強いエネルギーを感じ、眠れませんでした。 一人でいる必要を感じた私は、ブランケットとフーマンのセッションのMDを持って隣のリビングに行きソファーの上で休むことにしました。ブランケットにくるまってヘッドホンから流れてくるフーマンの声を聞いていると、今自分がとても大きな変化を通過しつつも、大きな存在から守られているのことを強く感じました。
 そして、フーマンの言葉とともに過去の出来事やそれにまつわる言葉や感情といったものが、やって来ては消えていきました。
 次の朝、私の体はいささか衰弱した感じでしたが、深いレベルで自分の中の何かが終わった事を実感しました。 フーマンの「あなたがハワイにいる間、昼も夜も休むことなくあなたに働きかけます」という言葉に偽りはありませんでした 。

私の印象では、フーマンは否定的なものの言い方はしません。あえてネガティビティに焦点を合わせないといってもいいのかも知れません。
まだ顕れてはいない、その人の潜在的可能性についてもフーマンは話してくれるので、正直なところ「えっ!? そこまで言ってくれちゃうの??」というほど、私のエゴが喜んでしまいそうな言葉もたびたびありました。このへんに関しては自分自身が冷静に気づいていようと思いました。

 私はフーマンから「いつもハートのプレゼンスと共にいること 」「もっともっと祈ること」「自分の直感を信頼すること」が 、今のあなたのワークだと言われました。

 でも帰国後、実際にこれらを行おうとしたらいろんな問題に直面しました。
 例えば「祈る」ということをとっても、私が自分のハートの広がりを感じ始めると、ふとどこかで痛みを感じストップしてしまうのです。
 そうです。私にはまだ終わらせていない家族との関係性にまつわる痛みがあったのです。だからまず、その関係性を修復する事から始めました
  愛するときは、ある一部の例外を設けて愛するなんてできないみたいです。
 ただただ自分の中の、誰とも仲良くいたいという想いを受け入れ、表現したことで、私のハートはのびのびと広がることができるようになりました。
 そして、ハートがのびのびとしていると「祈り」は自然と起きるみたいです。
 ただ、みんなにしあわせであって欲しいって。

 こんなふうにフーマンから言われたことを行っていく中で、いろんな理解がやってきました。それは毎日続いています。

 今、私のハートにはつねにほのかな喜びの質があります。
 最近、深刻になれないのです。
 ただこのハートの質と共にあって、これを育んでいけばいいんだって分かります。
 いつかフーマンのガイドが必要ないくらい、自分自身の内なる声を聞けるようになったらいいなあと思います。
 それまでは、まだまだフーマンのお世話にもなると思うし、そのことは私にとってなにかとても楽しみなことでもあるのです 。

・・・必要としているすべてのひとが、いつかフーマンに会えますように。

 ヨガビジャ  (2002/3/21記)

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アサンガによる体験記

 

 私は文章が書けるような人間ではなく感じる事が出来るエネルギーフリークです。
 Houmanに会ったその時、私は我が懐かしい心の故郷に帰り着いた深い安らぎと感動に、喜びの涙を流しました。それはOsho(バグワン)に初めて会った時と同じ感動です。懐かしの我が家に帰り着いた気持ちです。
 Oshoが肉体を離れて10年、サンニャーシンのムーブメントも下火になって、Oshoを感じる日々がだんだんと少なくなっていた時、Houmanと会って再びあのマスターの臨在の喜び興奮が帰って来ました。
 Houmanと深く繋がるだけでなく、我が愛するOshoとも再びエネルギーの交流が出来たのです。
 今回、冬の間プーナにいて自分の人生でも最大級の深いHealingと変容が起きました。それはHoumanが私のハートの深い所にあるブロックを取り除いてくれたからです。
 私はOshoと共に15年間生活し、その後たくさんのエンライトメントマスターに会いましたが、私の真の心に触れたのはHoumanだけでした。HoumanはOshoと同じ次元にいる稀な存在です。会う事が出来た人は永遠の祝福を得る事が出来ます。

 スワミ・プレム・アサンガ

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マハンタによる体験記

 

 体験記を書くことになって、最初は簡単に書けると思っていました。
 でもいざ実際に書こうとすると、それはとても難しいものだとわかりました。
 個人的なことを書くのは避けて通れないし、またセッションを受けた後もその体験は日ごと深まり、日々新たな理解が生まれてくるからです。
 ハワイを発つ前にフーマンは私にこう言いました。「3月はあなたにとって統合の月となる。」と。
 今実際に変化の真っ只中にいて体験記を書くより、落ち着いてから書くほうが本当はいいのかもしれません。
 でも、 フーマンが日本に来るというこの時期、フーマンのワークを紹介するお手伝いを少しでもしたいと思い、書くことに決めました。というのは、私にとって、フーマンは『魂の恩人』というべき人だからです。

 今回、ハワイには4週間滞在しました。
 そのうち3週間、フーマンの個人セッションを受けることができました。
 最初の2回は、ハートの傷を癒すということをしました。
 それは主に、エナジーワークを通して行われ、フーマンとダニエラの2人がかりで行われました。
 無言の中で、二人が静かに手を動かしているだけにもかかわらず、強烈なカタルシスが起こりました。
 とくに2回目は、このまま発狂してしまうのではないかと思うくらい強烈でした。
 その後、ある朝、自分のハートが本当は何を望んでいるかをクリアに思い出しました。
 今回1回目のセッションのとき、フーマンに「あなたは自分のハートが本当は何を望んでいるのかを思い出す必要がある。」と言われました。
 エナジーワークでハートの傷が癒えたおかげで、そのことをクリアに思い出すことができたのです。

 それを思い出した後、セッションの内容ががらりと変わりました。
 「プレゼンス」の練習に多くが費やされることになりました。最初は正直言って、がっかりしました。
 「どうして今さらプレゼンスなんだろう?あんなに一生懸命ステイト・オブ・プレゼンスの練習をしたのは一体何だったのだろう?」と私のマインドの中は不満でいっぱいでした。
 プレゼンスの練習をしている最中に「あまりステイト・オブ・プレゼンスにはエネルギーを注がないように。」とフーマンに言われ、今練習しているものはステイト・オブ・プレゼンスとは別物なんだということに気づきました。
 プレゼンスはもっと全体的なものであり、それはステイト・オブ・プレゼンスやビーングを超えたものであること、そしてそこにとどまっているときが「本来の自己」であり、それが私にとってのリアリティだということを説明してもらいました。
 でも、それでもやっぱり私の中に不満は残っていました。というのも、私は一刻も早くハートにワークをしたいと思っていたからです。
 アジズのもとでステイト・オブ・プレゼンスのワークを始めたときから、私の願いは私の道である「ハート」に働きかけ、「自分の本当の家」に帰り着くことでした。
 ステイト・オブ・プレゼンスのワークに一区切りがつき、今度こそ「ハートのワーク」を始めれると思ってフーマンのもとを訪れ、そしてフーマンに「あなたの道は、Only Heartだ。」と教えてもらったにもかかわらず、ハートの傷が癒えた後始まったワークは、「ハート」ではなく「プレゼンス」だったのです。
 だから、正直にフーマンに言いました。「プレゼンスの練習をしていると『So what?(だから何なの?)』という気持ちがあって、それが去りません。」
 そのことについてフーマンと話していると、その感覚は今に始まったものではなく、生まれたときからずっと私につきまとっているものであったことを思い出しました。
 私は人生におけるすべてのことについて、『So what?(だから何なの?)』と思い続けて生きてきたのです。

 その思いに働きかけるために、退行催眠を行い、フーマンのガイドのもと、ここに来る前に自分がいたところまで戻りました。
 どんどん戻って行って、心の中で「ここかな?」と思ったとき、「そこがあなたが以前いた場所です。」とフーマンが言いました。
 そして、どうしてここに来たのかを自分自身で思い出して戻ってきました。
  戻ってからしばらくは涙が止まりませんでした。フーマンは、私を泣くがままにそっとしておいてくれました。
 私が泣き止んだ頃、「今、どんな気持ちですか?」とフーマンにたずねられ、「どうしてこんなに大切なことを忘れていたのかとショックに思います。」と答えたら、フーマンはこう答えました。「みんなそうなのです。子宮に入ったとたん、忘れてしまうのです。そして、時期がくればあなたのように思い出すのです。」

 退行催眠で私が見たもの思い出したものについて、フーマンは一言も触れませんでした。
 フーマンの能力をもってすれば、それを知るのは簡単なことだし、いくらでも解釈することができたでしょう。
 フーマンは、ただ一言こう言いました。 「それはあなただけの大切なものです。」私はこの言葉に、フーマンの愛と私に対する尊重の思いを感じ、また泣いてしまいました。

 退行催眠の後、プレゼンスの練習がずっとやりやすくなりました。
 そして、私はプレゼンスを誤解していたことにも気づきました。
 プレゼンスをキープすることは本当に大変で、こんなことをしながら生活できないと思っていましたが、本当はそうでなくもっと自然なことだということに気づきました。
 そして、それは努力なしで起こることなのだということにも気づきました。
 どこか一点(例えば、気づきやビーング)に集中することなしに、それを全体として自然に感じられるようになったとき、プレゼンスのスタビライズが起きました。
 そして、『本来の自己』に目覚めたのです。
 私の場合、『本来の自己』が目覚めるのは、プレゼンスを通して起こりました。
 人によって方法は違うのかもしれません。
 でも、フーマンは何度も何度もこう言いました。

 「誰々も誰々も誰々も(ここには毎回、フーマンの個人セッションを受けたことのある日本人の名前が入りました。その度ごとに名前は変わりましたが、ずい分前から修行を始めている人から、それよりずっと後から修行を始めた人まで幅広く名前があがっていました)みんなやっていることは同じなのです。ここではみんなこれ(『本来の自己』を指している)をやっているのです。」

 フーマンはこうも言いました。
 「本当の自分でいるということ以上に美しいものはない。」と。
 『本来の自己』が目覚めるまでの間、私はいくつかのステイトを超えていきました。
 でも、フーマンはあまりそのことは重要視していないようでした。
 超えていったステイトについては、最後に教えてもらっただけでした。
 私が聞かなければ、そのことについてフーマンは最後まで触れなかったかもしれないとも思っています。

 今、私は、本当の自分にくつろぐということの中に幸せを実感しています。
 これ以前も、私は本当の自分にくつろぐということを、瞑想中や何かのグループのときに体験したことがあると思っていました。
 でも、そのとき感じていたものとこれは全く違 うものです。
 『本来の自己』に目覚めたとき、フーマンにはっきりこう言われました。「今までのあなたの成長はマインドの中でしかなかった。これからが本当の意味での、あなた自身のスピリチュアルな道が始まる。」と。
 この厳しい言葉は、私の胸に深く響きました。
 この言葉通り、私は今、やっとスタートラインにたてたという感じがしています。
 そしてこの道は、人と競争したり比較したりできるものではなく、私だけの個人的な道だと感じています。
 フーマンはこうも言いました。「『本来の自己』は決して変化しないものだけれど、それを広げていくことはできる。」と。
 これは、言葉で読むと矛盾しているように感じますが、それを今、体験として私は感じています。
 フーマンに会えて、そして魂というものを実感できた私は、本当に幸せ者だと思います。
 この出会いに感謝せずにはいられません。
 フーマンは私にとっていろんな意味で、本当に魂の恩人なのです。
                           (2002/3/21記)

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プラモーダによる体験記
 

 とにかく、私にとっては天地がひっくりかえるような体験でした。
 なにがというと、いままで会ったマスターやセラピストみーんなに、「私は耳が悪いんだけど、これはボディーに関する質問ではなくて、どうしたらいつでもどこでもリラックスして存在していられるのでしょうか」って質問をしていたんです。
 瞑想を始めたのも、耳が悪くていつもオブラートに包まれたようにもやっとして、全ての人や起こっている物事から切り離されたような孤独感を、なんとか、今を十分にリラックスして深く感じて楽しく生きられないかな、と思って始めたことでした。
 でも、いままで納得のいく答えはなく、この不自由な状態を受け入れるしかないんだと思っていたところにフーマンに出会いました。
 フーマンにはもうそのことについて問いかけはしませんでした。

 フーマンのワークは、エネルギ−ワークを通してプレゼンスを統合させるというものでした。
 5回のセッションで段階をおって私が行き着いたのは、そこには私という人が消え去り、自分という枠や隔たりが消え、すべての中に溶け合っていて自分の周囲のどこにでも私は存在している、という状態でした。

 それを体験することで、私の中にあった周囲と繋がろうという無理な働きかけや漠然とした不安は完全に消えていき、全体の中に守られて存在しているという安心感と共に生きられるようになりました。
 心配しなくても、存在があなたの面倒をちゃんとみている、というフーマンの言葉に心底納得できる思いがしました。

 マインドの浄化も私の中では大変重要で、日々このマインドを使って生活する以上は、この窮屈なマインドもなんとかしたいという思いもありました。
 マインドと離れたけど、じゃあこの古いマインドはどうするの?!というせっかちなマインドすら浄化された気がします・・・(!)

 あなたの場合は休息がベースだと言われ、なにもしなくてもいいと解かったことも、心底肯定された感じがして印象的でした。

 昨年の7月にフーマンの個人セッションをうけたあと、日々変化してきてます。
 リアリティを生き続ける喜びが少しづつ、増している感じがします。
 これほどの慈愛があるのかと心を打たれる体験を、簡単ですが、拙いながら、シェアできればと思って書きました。

                  love pramoda (2002/3/24記)

 

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プラギャによる体験記

 

 2001年12月31日。
 Houmanに初めてメールを送りました。
 それから、11日後の1月11日
 受信箱にHoumanからの返信メール発見
 返信の日付は1月1日でした。なぜか、本当に見逃していました。
 それから慌しく、2月ハワイ行きの準備を始めたのです。

 秋のアジズとの最後の面談で、次の3デイズに出れば、プレゼンスが安定するだろうといわれたのですが、直後に手術がきまっており参加しませんでした。
 それからは、いちおう、毎日夜30分から60分座るのが、日課でした。
 ずっと、プレゼンスの瞑想をしていたのですが、これでいいのかという思いがずっとありました。

 12月2002年の実現したいことで、まず思ったのが、ハワイにいきフーマンに会うことでした。
 春には来日することを知っていたのですが、ハワイで、フーマンのワークを受けたいと強く願いました。
 1月になって今年のエンジェルカードを引きました。「GRACE」でした。

 滞在は2002年2月9日から16日まで8日間。
 ハワイ島にいってきました。
 夜のクラスが1回、個人セッション3回受けることが出来ました。

 カタルシスの話や、過去世についての話など、他の人から体験談として、聞いていましたが、私の受けたものは、違いました。

 まず、プラギャの状態をフーマンは、語ってくれました。
 ビーイングがあること、そして、プレゼンスをより安定化させる必要のあること。そのための練習として、1日4回45分座ること。15分は目を開けたままでということでした。
 部屋で座っていると、ほんとうに、自然に、苦がなく、つらくなく、座れるようになりました。
 フーマンと一緒に瞑想すると、下へ下へと落ちていく感じがして、絶対的な信頼、正しい場所にいること、深い深いやすらぎ、ひろがり、全体感平和、幸福感に包まれました。
 もっともっと、プラギャがいなくなるように・・・
 そして、消え去るように・・・。
 また、私のなかには、なんらかの火(情熱)があり、それに集中しすぎるとマインドが強くなってしまうのだそうです。
 他人と接するとき、人や、感情にでなく、そこに留まることが大切と。
 仏性についても話してくれました。
 本当にフーマン個人ではなく、フーマンを通して、しっかりと何か大いなる存在に出会った気がします。
 日本で再会できること、楽しみにしています。
 必要な人すべてがフーマンに会えることを祈っています。


                             Antar Pragya (2002/3/24記)

 

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アートマラーマによる体験記

 

  

 2月中旬ハワイに1週間滞在し、3回のフーマンのセッションを受ける機会を得ました。
 フーマンのセッションは深く、まだまだ未消化の点も多いと思いますが、フーマンとハワイで世話になった人達への感謝をこめ、体験したことを文章にしてみます。

 9月のアジズのリトリートが終わってから、僕は思うように瞑想に入って行くことができず、行きづまっていました。
 ステートオブプレゼンスの次の段階はビーイングということなのですが、毎日瞑想していても、自分の求めているものではないような感じがしたのです。
 12月にはタバコのひどい職場にうつり、喘息になってしまい、瞑想に深くはいるどころではなくなってしまっていました。

 ハワイに行ったら、体調もよくなるのではないかとの考えもあり、思い切って(首覚悟で)1週間の休みを会社に申請し、フーマンに会いにゆくことにしたのです。

 フーマンがセッションする場所は、爽やかな風を感じる広く気持ちのいい一軒家でした。髪が長く、胸に十字架をつけたフーマンは、どこかの司祭のようにもみえました。

 フーマンは僕にはすでに、過去世からつながっている神聖ななにかがあり、それから祝福が送られている、私のワークはそれをより強くすることだ。またあなたにとって大切なのは、もっと祈ること、真に欲することを求めることだ、真に欲するものが何であるかは、ハワイにいるあいだにハッキリするだろう、と語りました。(それは、ハワイにいたあいだほんとうにはっきりしました)

 また僕の道はハートでありハートにより自分がなんであるかを体験する、ということでした。
 だからステートオブプレゼンスにいてハートにプレゼンスが落ちてくるのを感じたらそのままにするように、エネルギーの自然なままにまかせるというのはあなたにとって大切なことだ、と語りました。
 僕がどうして、ビーイングに行き詰まっていたかがわかりました。
 僕の場合ステートオブプレゼンスにいてリラックスするとだいたいハートにプレゼンスを感じるのです。それが「腹の近くのビーイングに明け渡すこと」にこだわっていまい、無理やり意識をそちらにもって行こうとしていたのです。

 初めてのエナジーワークで、フーマンが手を僕の頭に乗せたとき、聖なるものが僕にふれた感じがして、涙が流れてしかたがありませんでした。

 その後のセッションにおいて、フーマンのアドバイスは結婚生活や仕事に及びました。
 たとえば、人と話すときや、仕事をしているときは、ステートオブプレゼンスを強くすることによってハートが傷ついたり、他のひとの感情をピックしたりするのを防ぐことができる。一人のとき、くつろいで安全なときなどには溶ける瞑想をするのがよいということでした。
 また、仕事はプレゼンスの練習をするのに最適な場所である、ということでした。
 魂を目覚めさせることの重要性についても語り、魂から行動し決断し生きることや、ハートの直感に従うことについても語りました。「それによって自分の天性がはっきりして、カルマが終わってゆく、カルマが終わるとあなたは、家にいるだろう」と。

 そのようなアドバイスは日本に帰ってからとても役にたちました。
 仕事中ステートオブプレゼンスを強くすることにより、ストレスが少なくなり、より健康を保つことができるようになったのです。
 最近になってステートオブプレゼンスのひとつの重要性がわかった気がします。
 ステートオブプレゼンスは僕にとって、肉体にも魂にもハートにもとても滋養をあたえるものなのです。
 ただし、僕の場合、ステートオブプレゼンスを強くする練習は、「友人に会うようにソフトにやりなさい、武士のようなやりかただと、ハートを台無しにしてしまう」ということでした。
 ステートオブプレゼンスを強くする練習は楽しいものです。
 また、ハートの直感に従うことで、自分のなかの強さのようなものを少しずつ感じ、自信が持てるようになってきました。

 3回目のセッションのとき、フーマンのガイドで深い瞑想にはいりハートから自分が広がってゆくのを感じていました。そしてそれと同時に、大きな強い神聖なエネルギーが、自分のなかへと溶けて行き、自分が「それ」になってゆくのを感じました。

 フーマンは「それ」があなたのゴールだ、といいました。
 そして、それを初めて体験したのはいつですか? 僕に尋ねました。
 神聖なエネルギーとしかいいようのないなにか・・・、浮かんできたのは小学生のとき、家族で四国の霊山にいったときのことです。そのとき僕はこの世のものとは思われないなにか、を感じたことを思い出しました。

 あなたはすでに知っていたのだ、でも「それ」をもっと目覚めさせる必要があった、「それ」はこれからどんどん大きくなってゆくだろう、といいました。

 ハワイから帰り自分自身にもっと落ちつくことができるようになりました。(課題はたくさんあるのですが・・)
 ただこれは始まりであり、フーマンは「これ」とワークするのに長い時間が必要だ、と語りました。

 フーマンは神聖な山のように思えます、彼の前にいると、深くくつろぎを感じ自分のなかの聖なるなにかが溢れ出すのです。
 フーマンのセッションはたくさんの愛と祝福に満ちています。
 このような機会を得られて感謝せずにはいられません。

         SW.ATMARAMA (2002/3/24記)                               

 

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サハジョによる体験記

 

 フーマンの名前は伝わっていても、実際どんなことをするのか知らない方も多いかと思うので説明も交えて書きました。


<きっかけ>

 私がフーマンに最初に出会ったのは一昨年の7月です。
 その頃私はステートオブプレゼンスを練習してしていました。
 ウラスはすでにスタビライズして、次のハートのワークをしていました。
 フーマンのことは、アジズと書いた「Enlightenment」の後ろの写真と、生まれながらにしてハートの悟りに達していた人そしてハワイ在住ということぐらいでほとんどど何も知りませんでしたが、私達は「一度訪ねてみよう!」ということになりました。実を言うと行くきっかけになったのはハワイという響きが大きかった気がします。


<リトリート>

 幸運なことに私達が着いた3日後に、月一度に行われるリトリート(朝から夕方まで)に参加することができました。
 フーマンが行うリトリートというのは、午前中はフーマンを中心にして輪になって瞑想します。その時にフーマンは、一人ずつにエネルギーをその人が受け入れられる限界まで入れてくれます。最初の時は分からなかったけれど敏感になっていくと、瞑想してして何か内側でシフトしたことが感じられるようになりました。
 そして一人ずつに今のその人の状態そしてどこに焦点をあてたら良いかを言ってくれます。プレゼンス、ハート、ビーイングと人によって皆違います。

 そして午後は主にヒーリングです。癒して欲しい人が輪の中心に出てきて、フーマンと一緒に皆でその人に愛と癒しのエネルギーを送ります。癒す人も癒される人も自然と涙がこぼれてきます。ヒーリング中、長い間抱えていた大きな問題に直面して号泣していた女性もいました。
 見ていて辛いけれど、氷がとけた後のその人はとても美しく光ってました。

 リトリートの内容はその時によって違いますが、大体こんな感じになります。でもフーマンの元に日本人が来るようになってから、日本人は感情を貯めているせいでしょうか、カタルシスを取り入れるようになりました。


<フーマンのワーク>

 フーマンはその人の過去からの修行してきたことそしてブループリントを見てその人に合った道を教えてくれます。そしてそこに近づくにはどうすれば良いかを個々に指導してくれます.。

 私の場合ハートを開くことでした。でもハートと繋がるにはプレゼンスが必要で、ハートとプレゼンス両方にワークをしてくれました。そしてフーマンと恩寵のおかげでステートオブプレゼンスにスタビライズすることができました。

 次のワークは、ハートに何世にも渡って傷を作ってしまったので、まずその傷を癒すことが主でした。それは私にとってとても重要でした。
 フーマンと一緒にとても深い部分に下りていって、ヒーリングをしていくという作業でした。スピリチュアルの大手術です。

 私はセッション中もそして終わってからも、悲しみ、怒り、憎しみなどさまざまな感情がでてきて浄化が起きました。いままで蓋をしてきたものに直面するということはとても辛いことです。
 でもフーマンは充分暗闇をとりのぞかないと、解放されないと言っています。

 そしてハートが癒されていくと同時に、本来の自分が誰なのかを思い起こしなさい、と何度もくりかえして言ってくれました。


… フーマンが分かり易く言ってくれた言葉です …
 真実というのはあなたの魂です。
 サハジョは肉体で、女性で、ある形をしていて、ある時期に死んで、なにも真実なものはありません。
 あなたには思考があります。記憶によるもの、過去、未来に関する思考それは夢によるものです。これらの思考が世界をあなたの目を通して見ます。
 そしてそれが人格を作ります。それは夢のようなものです。偽りの人格がそこに住んでいます。すべてのものが、内側でからみあって、偽りの人格が生まれます。
 人格は苦しみます。色々な教えや先生が現れます。偽りの人格はとても深い部分で何かが間違っていると感じます。
 何かが間違っていると思うのがあなたの魂です。偽りの思考を通して、マインドがやってきて「なにか探求しよう!」と言います。この偽りの人格がやってきて「そうだ、そうだ何かすごくいい所へ行こう!と言います。そして今度は探求者という又偽りの人を作りだしてしまいます。
 それ以前では世間で色々なものを探し求めてきました。しかし今やスピリチュアルな世界で探し求めるようになりました。
 徐々に偽りの人格は探求していきます。魂は機会がやってくるのをずっと待ち続けています。偽りの人格が止まるまで。いつも過去、未来と動いています。それが止まる時、魂がやって来ることができます。
 魂がやってきてもまだ偽りの人格がやって来たがります。しかしそれがあなた全体になることはありません。表面に留まるだけです。
 もっと魂が認識されると、偽りの人格は落ちていきます。すべての問題はこの偽りの人格にあります。それは決してハッピーになることはありません。それは真実ではないからです。
 あなただけが真実です。何か他のものを探求する必要はありません。ただそれを表面化させてそれに留まってください。
 一瞬一瞬サハジョになるか、魂になるか選択肢があります。サハジョはとても荒くて硬いのです。だけどあなたの魂は微細です。もっともっとそれに留まるとどんどん大きく強くなっていきます。だからあなたの本物の部分にいつもいて下さい。境地というのではなく、あなたが誰であるかということです。


 いままで上記の言葉のようになろうと努力してきました。でもマインドでどうにかなろうというのは不可能でした。
 そして沢山のグルに会い探求してきましたが、本当に変容させてくれる人に会うことは叶いませんでした。もうほとんど諦めていた時、フーマンに会いました。
 最初にフーマンは私に聞きました。「なんでここに来たのですか?」
 「私はステートオブプレゼンスが欲しいんです。」と答えました。
 するとフーマンは「あなたは変容したいのではないですか?」とズバリ言いました。その頃はSPのことに夢中だったので、ハッとしました。
 そうです私はずっと変容することを求めてきたのです。

 物心ついてからずっと自分の居場所がないと感じがしていて、いつも悲しみと不安がつきまとっていました。その悲しみは絶望といったようなものです。やっと私のことを私以上に分かってもらえる人に会えた喜びは計り知れません。

 今は内側にくつろいでいて平和を感じています。やっと自分の居場所を見つけた安心感があります。そしてそれは留まることなく、日ごとに深くなっていくのが感じられます。
 たくさんのセッションを受けることができて、そして何度も辛抱強く分かり易く教えてくれたフーマンに心から感謝しています。

                               サハジョ(2002/3/25記)

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シャルマによる体験記

 

 僕が初めてフーマンに出会ったのはインドのゴアでした。

 フーマンは僕のプレゼンスのスタビライズのチェックをしてくれたのです。
 僕がフーマンのキリストのような目を覗き込んだ時、「マスター」、という言葉が僕の中から出てきました。僕はその時、その場に跪いて、「マスター、御伴させて下さい」と言いたかったのですが、その横には僕のプレゼンスのスタビライズの為に必死になってワークしてくれたアジズが居たし、会ったばかりでそんな時代劇のようなことを言うのも変だし、喉まで出掛かった言葉を飲み込みました。

 それはまるで、OSHOタロットの<カレッジ>のような体験でした。僕はイエスの美しさに惹きつけられた漁師のようでした。

 それから約半年後、僕はハワイでフーマンに再会しました。

 フーマンの最初のクラス(サットサング)に出ただけで、僕は深い深い瞑想に入り、それまでいくら必死になっても分からなかったことが分かったような気持ちがしました。
 フーマンの個人セッションは、驚きという他はありません。僕はあんなに凄いセッションというものを受けたことはなかったし、多分、これからもないと思います。

 何故なら、フーマンの場合は、言葉でその境地について説明して教えるというだけではなしに、その説明している境地に僕を入れてしまったからです。他人のケースは僕には分かりませんが、少なくとも僕の場合はそうでした。

 僕の場合はプレゼンスの統合化もほぼ完了しているというのに、僕の、真実を知りたい、悟りとは何かを知りたい、という強烈なマインドが邪魔をして、自己認識に至らずにいました。
 それでセッションは言葉による説明に多くの時間を割きました。

 僕はフーマンとのセッションで内なる平和を見出し、中心のない、内も外も無い、意識に確立しました。
 しかし、フーマンは、もうシャルマという存在は死んだ、と言うのですが、どうしてもそのことだけは、分かるようで分からない、確かにフーマンの前に出ると、マインドもあまり働かないし、そんな気にもなるのですが、自室に帰るとまた疑いが頭をもたげる、という繰り返しでした。
 最後のほうでは、無心ということを掴んだような気がして、フーマンもそれだ、と言うのですが、どうしても確信までは至らずにいました。

 そしてそれは宿題になりました。

 フーマンには家に帰っても、半年くらいは本も読まずに何も書かずに、ただ、その平和と一緒に居なさい、そうすれば突然、自己認識は訪れるだろう、と忠告されました。

 そして、それは本当に約半年後に実現しました。
 どうして、それが分からなかったのか、それは今から思えば、意識が自分だ、という錯覚をしていたからです。これが僕にとって最後のマインドでした。
 自分と呼べるようなものは、自分の中には無かったのです。(魂については省略します)

 僕はOSHOについては、これは、どの道いっても僕がこの先何を言っても自分の人生で一番大きな存在であり、かけがいの無い存在であり、一介の不良少年上がりのゴロつきだった僕を、あそこまで育ててくれた恩というものは、変わるものではありません。
 この先自分が自分の命と引き換えにしてもいいと思うことがあるとすれば、それはOSHOに対する報恩だと思います。
 それはもう感謝という言葉を遥かに超えたものです。

 しかし、フーマンに出会って、無心の境地に入れてもらった、ということも、言葉では表現できませんが自分にとっては一大事だと思います。

 フーマンは去年の夏で、僕らが訪れたフーマンの家を引き払ってしまったようです。あの家を見れなかった、ということは本当に残念なことだと僕は思います。

 フーマンの家は海岸から斜面を上がった丘に建っていました。
 サトウキビが雑草化して鬱蒼と茂る中、急な斜面を車で登って行くとフーマンの家がありました。
 そこから見渡す、その雑草の丘陵、その向こうに盛り上がる海、曇り空の下、快晴の空の下、強風の中、その風景の美しさは見る者をその瞬間に引き付けました。

 ある日、僕は帰り道にハンドルを握っていましたが、その風景のあまりの美しさに、また自分の幸運に、感謝と歓喜が渦のようになって僕を襲い、僕は運転が出来なくなり、外へでました。
 それは、祈らずにして祈れる、数少ない瞬間の一つでした。

 フーマンが日本に来るということで、読者の方々にはこの上ないチャンスがやってきたようです。皆様がこのような千載一隅のチャンスを逃すことがないよう、真心から神に祈って、この話を終えようと思います。

 全ての存在が幸福でありますように

          アムリット・シャルマ

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