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というわけで、日本に帰ってまいりました。
二日前の24日だったかな。インド航空308便で、朝の八時に到着。ボンベイから十時間の旅。機内泊だったんだけど、けっこう空いてて、横になれたから楽だった。
で、ローカルな話題でまことに恐縮至極なんだけど、成田空港からここ東京の西のハテ五日市までの新しい帰り方を発見したのだ。
すなわち、リムジンバスで、八王子まで行く。終点の京王八王子で降りると、徒歩一分くらいのところに、武蔵五日市行きのバス停があるのだ。それに乗れば一時間ほどで武蔵五日市駅に到着。所要三時間。しめて4170円。もしみなさんの中で成田から五日市に行きたい人がいたら、これがおすすめ。(そんな人いないか)
では、もっと役に立つ旅のヒントをお教えしよう。プーナ日本間のいちばんの難関、プーナ・ボンベイ間190kmの交通手段だ。
いちばん楽なのが、飛行機利用だろう。かつてはセスナ機みたいのしかなくて、それもいつ飛ぶのかわからず、まったく信頼性に欠けていたが、現在は、今をときめくジェット・エアラインのボーイング737が就航し、快適この上ない。
ジェット・エアラインというのはインド最大の民間航空会社で、官営の国内線インディアン・エアラインに比べ時間も正確だしサービスもいい。(スッチーも若い美人ぞろいだから、インド美女を観賞したい向きには、国際線のインド航空よりいい。ただ、プーナ・ボンベイ路線は飛行時間わずか30分だから、ゆっくり観賞している暇もないか)
このプーナ・ボンベイ路線は、朝と夕方に便があるから、自分の帰国便の時間にあわせて選ぶといいだろう。値段は70ドル前後だったかな。予約はコミューン周辺の旅行代理店で。
なお、このジェット・エアラインは日本からでも予約できる。ただし、日本インド間の航空券購入と同時に予約が必要。代理店によっては扱っていないので、まず確認のこと。私が二十年近く使っているNTSトラベルボックス(03-3988-9507
Email :
nts@ga2.so-net.ne.jp)では扱っているので、そこに頼んでもいいだろう。永田さんというオジサマが親切に対応してくれる。
ただ、飛行機は朝と夕方しかないので、たとえばインド航空や全日空、大韓航空などで夕方に到着した場合、ボンベイに宿をとって、翌朝に飛ぶということになる。そしてボンベイの宿というのは、今や東京をしのぐほどバカ高いのである。
それで、金はないが体力はある、ないしは、とにかく早くプーナに行きたいという人にとって、いちばん手軽なのがタクシー利用だろう。
みんなが良く使うのが、プーナの個人タクシーだ。日本から申し込んでおけば、空港の出口のところで、プラカードを掲げて待っていてくれる。あとは安心して任せておけばいい。空港にも遠距離タクシーはあるが、それに比べてかなり安いし、サニヤシン慣れしていてプーナの地理にも詳しい。
こうした個人タクシー業者はコミューン周辺にいくらでもあるが、今回使ったのが、Vijay's
Taxi
Serviceというところ。ファーイーストのラキバに紹介されたところで、わりあい信用おけるみたい。料金はNon−AC
(エアコンなし)のMaruti Vanが1600ルピー、 Tata Sumoが1800ルピー。AC
(エアコンつき)のTata Sumoが2500ルピーだ。(1ルピー=約3円)。Maruti
Vanというのは日本でいうと軽のワンボックス、Tata
Sumoというのは四駆タイプ。ボンベイ・プーナ間はけっこう事故が多いので、できるだけTata
Sumoを使いたい。(ただMaruti
Vanは助手席がリクライニングなので、二人連れでも横になれる)。
なお、夜間走行の場合エアコンはいらないが、昼間の場合は冬場でもエアコンは必須。ボンベイの渋滞とホコリと排気ガスの中を一時間も揺られた日にゃアンタ…。(あとドライバーにバクシーシを要求されるかもしれない…。インドの場合しょうがないね、50ルピーか100ルピーあげるといい)
このVijay's Taxi Serviceの連絡先は、Fax 001-91-20-634172、 Email :
guru.arts@jwbbs.com
ボンベイ・プーナ間は五時間かかるからね。夜だったら座席に横になって寝てればいい。昼間はデカン高原の景色でも見ながら旅しよう。
明日もまたなんか書くと思うので、見てね。
「ボンベイのホテル」と銘打ったからといって、ゆめゆめ、私が今ボンベイのホテルでこれを書いていると勘違いしてはいけない。
私は三日前に帰国したのだ。今、東京西多摩山中の自室でこれをしたためている。
さて昨日はボンベイ・プーナ間の足について書いたので、今日はここでボンベイのホテルについて…
ん!?
これはいいなあ。
いや、実は今、ハードディスクの回転を止めて作文しているところ。
まったく音がしない。
Pin drop silence。
聞こえるものといえば、時計の音と、キーボードをたたく音、ときおり訪れる鳥の鳴き声…。
これはまさに、瞑想者向けのパソコン使用法ではあるまいか。
どうしたらこーゆー芸当ができるのか……。それについては、またおいおい書くことにしよう。
(種明かしをすると、ノートPC+フラッシュATAハードディスクカード)
さて、ボンベイのホテルの話なんだが、その前に、二三年前から起こっている、インド大都市の名称変更について。
みなさんもつとにお気づきのことと思うが、かつてプーナと言えば、英語では、Poonaと表記されていた。それが最近ではPuneに変わっている。(正確に言うと、かつてはPoonaとPuneが混在していたのだが、Puneに統一された)。つまり、やっとインドの英語地名表記が整備されてきたということだ。
しかしながら最近の名称変更は、単なる表記の整備にとどまらない。これはおそらくヒンドゥー至上主義の台頭とも関係するのだろうが、都市の名前を、イギリス占領以前のものに戻そうという動きなのだ。
それによって、インド四大都市(デリー、ボンベイ、カルカッタ、マドラス)のうち、二つまでもが名称変更になってしまった。
だからBombayという都市は、もはや公式には存在しない。今ではMumbaiだ。成田空港での表示もそうなっている。空港アナウンスもそうだ
―
「インド航空301便ムンバイ行きの搭乗手続きは…」となる。ゆめゆめ、「あっ、ボンベイ行きの便がない」なんてあわててはいけない。
Mumbaiならまだしも以前の音に近いが、驚いたのはマドラスだ。この哀愁ただよう固有名詞は、飲み屋の名前などにもよく使われて、けっこう親しみがあったのだが…。今はなんとChennai「チェンナイ」だ。
さて、近年のインド経済発展と、円の下落のせいで、インドの宿泊に要する費用は、ほとんどウナギ昇りの状態。
我々なんぞ首都デリーでビジネスをしているんだけど、かつては五つ星ホテルでゴーセイにやっていたのに、今じゃとっても…という感じ。
ことにインド経済の中心地ボンベイではその傾向が著しい。ほんとに東京のホテル代を越えてるんじゃないかと思う。
かつてよく使った空港近くのCentaur
Hotel、これはインド航空の経営で、乗り継ぎ時の一泊には便利だった。ところがこれが、今や一泊二万円ぐらいする。古びてたいしたホテルじゃないのに…。もはや、プーナ入りの前にちょっと一泊ってわけにゃいかない。
五つ星の超一流ホテル、Taj
MahalやLeelaなんて、こわくて値段も聞けない。おそらく一室三万は下らんだろう。
オレは今回、インド航空で夜の九時に到着し、翌日朝のプーナ行き飛行機を予約していたので、どうしてもボンベイで一夜を明かさねばならない。ホテルなんてどーにでもなるだろうと、予約もせずに行ったのだが…。(しかしそれは正解かもしれない、なぜなら、日本で予約できるホテルなんて、一番下でもCentaurあたりじゃないかと思う。でもみなさんは一応、旅行社でチェックしてみてね)
両替を済まし、荷物をかついで空港ビルの外に出ると、客引きのタクシー運転手がたむろしている。そのうちのひとりが寄ってきて、「ホテルに連れてってやるよ」という。いくらか聞いてみると、空港送迎も含めて日本円で4000円くらいだというから、まっ、それでいいかと思って、運ちゃんに任せる。
運ちゃんは道々、「オレは日本のスワミ、ニランジャノを知ってるよ」とか言って、信用させようとする。ニランジャノといえば、名前だけは知っていたから、まあ信用してやろうと思う。
蒸し暑いボンベイ市内を十分ほどドライブして、ホテルに到着。しかしこれがまあ、最近のオレだったら、まず泊まんないような、ひどいところ。(二十代前半だったらOKだろうな…最近どうも根性がなくなってきた)
夜も十時過ぎてるし、一泊だけだからと思って、がまんする。
すると運ちゃん、「明日のチケットは大丈夫か、オレがリコンファームしてやる」、と言う。
「いやこれはOKチケットだ、リコンファームはいらない」、と言うと、
「いや、インドではそれが必要だ」
「でも、もう十時過ぎだぜ、どこでリコンファームするんだ」
「オレの事務所でやってくる。さあ、チケットを寄こせ」
と、迫ってくるんだが、どうもこれは怪しいと思って、チケットは渡さなかった。
この4000円の料金の中には、翌朝のホテルから空港までの移動が含まれていた。この運ちゃんがホテルまで迎えに来るというのだ。
もちろんホテルからリベートをもらっているはずだが、運ちゃん、部屋の中に入ってきて、バクシーシをせがむ。
それで多少のチップを渡し、翌朝八時にということで別れる。
まあ、住めば都で、ひどい部屋でもどうにかなるもんだ。水みたいなシャワーを浴び、蚊取り線香をつけて蚊を撃退しながら、ほどなく眠りにつくのである。インドでの最初の一夜であった。
そして、翌朝の八時過ぎ。しかし運ちゃんはやってこない。まあそんなもんだろうと、通りでタクシーを拾って、国内空港に乗りつける。案の定、プーナ便のチェックインは何の問題もなく、すんなりいく。かくしてオレは機上の人となり、一時間後にはプーナの土を踏むのである。
教訓:ボンベイ空港で客引きの運ちゃんについていくというのは、あまり賢い選択ではない。特に女性一人のときはやめときましょう。(しかしながら、あえてついていくというのも、インドの一面を知る上で、いいかもしれない)
ちょっと記憶が定かではないが、ボンベイの国際空港にも、ホテルデスクはあるはず。そこで予算に応じたホテルを見つけ、足も手配してもらえばいい。そうすればかなり安心。
ともあれ、空港周辺にタムロして外国人旅行者にタカる手合いというのは、インド八億の人民の中でも最も手強い連中である。こうした人々を相手に、心乱されることなく、安らかに対応できたとしたら、あなたはもうそうとう「近い」と言えるだろう。
とゆーわけで、明日はプーナの宿について。
プーナ…
なんとゆかしき響きだろう。
オレなんかプーナ期しか知らないけど、プーナ汪、すなわち1981年以前のプーナを知る人にとっては、「バグワン」とともに、終生忘れえぬ固有名詞のひとつであるはずだ。
この「プーナ」という日本語はPoonaの音訳であるわけだが、昨日も書いたように、もはやインドにはPoonaは存在せず、Puneに統一されている。
それで最近、日本のガイドブックなどには、プーナのかわりに「プネー」とか表記されてるみたいだけど、ちょっとね〜。
これは「Pune」を音訳したつもりなんだろうが、音声学を知らない人の仕業だとしか思えないよね〜。
インド人の「pu」の発音は、カタカナに直すと、「プ」じゃなくて「ポー」に近い。
また「ne」の「e」も、あいまい母音であって、「エ」というより「ア」に近い。
だから「Pune」の音訳は「ポーナ」が正解なわけ。
「プネー」なんて正確じゃないし、センスわりーよね〜。
「プーナ」のほうがよっぽどましだ。
かくして、私はいまだかたくなに「プーナ」を使い続けているのである。(実際、プーナにいる日本人の中で、「プネー」なんて言っている人、誰もいないのだ)
さて、先月(98年12月)7日、昼頃に私はプーナの地を踏むのである。
外気温は摂氏28度…(だったかな〜、ちょっと覚えてない)。雲一つなくカラッと晴れて、すこぶる気持ちいい。
ボーイング737のタラップを降りて、空港ビルに向かう。ビルといったって、二階建てのささやかなものだ。オレはこうゆう小さな地方空港が大好き。
ガラス張りの二階ギャラリーには、小学生たちが鈴なりだ。おそらく空港見学に来たのであろう。飛行機から降りてくる乗客に向かって、盛んに手を振っている。この国では飛行機に乗れる人なんてほんの一握りだから、オレなんか定めし、文字通りの雲上人なのだ。上を向いて手を振ってやると、ワーッという歓声が聞こえる。(実際、遠くから飛行機が飛来して、そこから人が降りてくるってのは、いつ見ても感動的なものだ。これは小さな空港じゃなきゃ味わえない)
預けた荷物を受け取って、待合い室に出るところに、タクシーカウンターがある。コミューンのあるコレガオン・パークまでは200ルピーだそうだ。(いちいち「コレガオン・パーク」と言わなくたって、「アシュラム」だけで通じる。なお1ルピー=3円)
そのまま外に出ると、客待ちのタクシーが並んでいる。コレガオン・パークまではやっぱり200ルピー。交渉次第では150ルピーになりそうだ。
でもまあせっかくだから、リキシャを使おう。リキシャというのは三輪の簡便タクシー。ドアも窓ガラスもないから、空気がスースー通って気持ちいい。コレガオン・パークまで100ルピーだそうだ。ちょっと高いなと思うけど、まっいっか。
それで私はリキシャに乗って、コレガオン・パーク内のHotel South
Courtに向かう。
このホテルは僕の定宿で、コミューンから徒歩3分という屈強のロケーションにある。もともと裁判所だったということで、ちょっと古めかしく、あまりホテルらしくない。特に僕がいつも使っていた三号室は、天井が高く、だだっぴろくて、運動会でもできそうな感じ。でも、なにより近くていいから、いつも帰りがけに予約金を入れて、部屋を確保していたのだ。日本円で一泊4000円くらい。
チェックインを済ませ、まずはコミューンへと向かう。
コミューンも、ただ入るというわけにはいかない。まずチェックイン作業が必要なのだ。
正門右手のウェルカム・センターへと出向く。
来訪者がまず訪れるこのセンター、床には緑大理石が張られ、池塘を巡らした禅庭園に面している。この庭園は四年前、飛騨の庭師アナンド・ボーディによって造られたものだ。毎度のことながら、ここに来ると、なつかしき我が家に戻ってきたみたいなホンワカした気分になる。
まずはいちばん奥手のチェックイン・カウンターで、書類に必要事項を書き込む。その際、パスポートと写真二枚が必要だ。(写真はそのほかに、通常、マルチバーシティと貴重品預かりに必要だから、つごう四枚ということになる)。写真の持ち合わせのない人は、入口横で、ポラロイド写真が撮れる。
書類書き込みが終わると、エイズ検査だ。どーしてエイズ検査が必要なのかというと、このコミューンには美しい男女が多いから恋に落ちる可能性が高いということと、それからエイズ防疫意識の向上だな。つまり、ここに来てエイズ検査されると思えば、バンコクやボンベイでちょっと遊ぼうか…って気分にはなりにくいわけ。ボンベイにも遊郭があるらしいが、遊女の八割はエイズに感染しているという報告もある。(かくしてオレにとってススキノやパッポン街は遙かに遠き存在となってしまったのである)
検査にはクイック検査と通常検査があって、クイックだと一時間後、通常だと数時間後に結果が出る。クイックのほうが多少値が張る(といっても、七、八百円くらいだが)。
検査の結果が出るころ再びセンターにやってくれば、よっぽどのことがない限り、パスが発行されるというわけ。
コミューンの入場料は、現在のところ、一日百ルピー。日本円にして三百円弱だ。あれだけ遊べて三百円というのは、経営者の感覚からすると(オレもそのハシクレだ)、えらく安い。欧米並みの設備と衛生水準を保ちながらの料金だから、運営するほうも大変じゃないかと、他人ごとながら思うのだ。
昔はエイズ検査の結果待ちというのは、いくら身に覚えがなくても、ドキドキもんだった。ところが毎年受けていると、これが慣れてしまうもんだな。
ちょっとホテルに戻って横になろうかな…と外に出ると、スクーターに乗ったインドの若者に呼び止められる。
「アパートはいらないかい?」
サウスコートに泊まってるからいらないよ、と言うと、
「とってもいい部屋なんだ、このすぐ近くにあって、緑がいっぱいで、パラダイスみたいだよ」
とか言うものだから、じゃちょっと見てみようかという気になり、若者の後ろにのっかるのであった。
(明日に続く)
しかしだなあ、プーナも気持ちよかったが、日本の冬もなかなかいいもんだ。
オレの住んでいる養沢の谷も、今日はさんさんと陽光が降り注ぎ、青い空、白い雲……。ふと庭に目をやると、ツツジの繁みにメジロがつがいでやってきたりして、とってもかわいい。
プーナの鳥たちって、もっとハデハデしかった。
自室のテラスんとこには、でっかいマメ科の木が枝を広げていて、そこにはトンビのつがいが巣を作っていた。あるいは、巨大なくちばしの犀鳥(サイチョウ)が数羽で飛来したり、ちょっと怪しい雰囲気のキジバンケイが暗い声で鳴いたり、カラフルなキツツキが木をほじくっていたり…。そのほか、黄緑のオウムとか、名も知れぬいろんな小鳥たちとか、なかなかにニギニギしいのだ。
さて、どうやってオレが、Hotel South
Courtからこの部屋に到達したのかというと、それは昨日書いた、インドの若者のおかげなのだ。ヴィッキーという名のこの青年、じつは私設の不動産屋なのだ。
部屋を探している外国人をハントし、スクーターの後ろにのっけて、自分の知っている空き部屋を紹介する。客がその部屋を気に入って、家主と交渉が成立すると、しかるべき手数料を取るというビジネスだ。
手数料の額は滞在する長さに応じて変わるみたい。たとえば、二ヶ月滞在の場合には、半月分とか。
これはあらかじめ、よく確かめておいたほうがいい。(人によって違うのだ)
たとえば月一万ルピーのところに二ヶ月滞在するとなれば、手数料は五千ルピーということになる。これはインド的感覚からするとけっこうな額なのだ。
「なんでスクーターに乗っけてもらっただけで五千ルピーも取られるのか」と疑問に思ったりもするのだが、これが彼らの生業なんだからしょうがない。スクーターの後ろに乗ったが最後、成約のあかつきには、どうしても払わないといけない額だ。
こうした私設不動産屋が、コミューン周辺には何人もいる。コミューン側もそうした人々の介在を排除したいと思っているみたいだが、部屋探しというのはけっこう切実な問題だったりするので、彼らの存在もそれなりに必要だったりする。
まあ私の場合、ホテルの一部屋を二ヶ月キープするつもりだったのでそんなに差し迫ってもいなかったのだが、エイズ検査待ちでヒマでもあったので、そんなら乗ってみようかということになった。
ヴィッキーの言うほど近間ではなかったが(彼いわく「ホテルとおんなじくらい近い」)、スクーターの後ろに乗って、二つほど部屋を見るのである。そして二つ目の部屋が気に入ったというわけ。
場所はコレガオン・パーク内。コミューンの裏門から歩いて十分弱のところだ。
コミューン裏手の地区は静かな邸宅街で、道も広く、巨大な街路樹が佇立し、交通量も少ないので、歩いていても気持ちいい。
この街路樹というのはバニヤン樹、沖縄でいう「ヒゲ・ガジマル」で、枝から無数の気根を垂らすという南国情緒あふれる樹木。束になって路上にぶらさがる気根を見ると、ついターザンごっこをしたくなる。
とある邸宅の敷地内に立つテラスハウス形式のバンガロー。(インドでバンガローというのは、別荘タイプの戸建て住宅)
二棟続きなのだが、一棟に五部屋ずつのベッドルームがあって、それをサニヤシンたちに貸している。
中に入ってみると、床はすべて大理石。家具つきで、ベッドの造りなんかもムガール調でかっこいい。窓の外は緑の木々と青空。プライベートなテラスもある。もちろん各部屋にバストイレ付きだ。裁判所を改造したSouth
Courtホテルとはだいぶ趣が違う。
値段を聞いてみると、ホテルよりもだいぶ安いのだ。
それで家主に会ってみることにした。
家主はその邸宅の主で、シャムダスという名だった。年のころ六十代後半。資産家という感じの、ややでっぷりしたインド人だ。人あたりはなかなかいい。
部屋を借りたいむね伝えると、あの部屋は最低で三ヶ月は借りてほしいと言う。三ヶ月といえばSouth
Courtホテルの二ヶ月分とだいたい同じだから、まっいっかと思う。余計な一ヶ月分はそのうち借り手が見つかるだろう。
そしてシャムダスとともに部屋に赴き、ここにカーテンをつけてくれだの、電話が必要だの注文をつける。彼はそれを了承する。
明日までにシーツとか毛布とかすべて用意しておくというので、じゃ明日から入居しようということになる。
シャムダスと別れると、ヴィッキーが私を隅っこのほうに引っ張っていく。そしてヒソヒソ声で、約束のカネ、ちゃんと払ってくれるだろうな、と眉間にシワを寄せて迫ってくる。
そんなに迫ってこなくたって、ちゃんと払うよ。(とゆーか、オレはヘソ曲がりだから、そんなふうに迫って来られると、あんまり払いたくなくなる)
インドというと、ブッダやガンジーのイメージがあって、「人々はみな無欲無執着だ」と思っている人があるかもしれないが、別にそんなことはない。逆に、みんなそうじゃないからこそ、無欲無執着という教えがアピールするわけだ。
いったいいつまで続くのだろうか、この日記。
今はちょっと風邪ぎみで家にこもっているので、手なぐさみにはちょうどいいんだが。
読んでくれてる人、いんのかなあ。
ちょっと、ここまで読んでくれた人、このボタン、押してみて!
「読んだよ」の上をクリックするわけ。するとブラウザによっては、「セキュリティで保護されていません…」とかなんとか表示されるけど、かまわず送信する。するとその「読んだよ」が、こっちまで飛んでくるという仕組み。(ただし今回は景品は出ないけどね)
あるいはもっと積極的に、上記のメールアドレスあてにfeedbackをくれるとありがたいんだけど。「イイゾ、どんどんやれッ」とか、「ちょっとお色気が足らんぞッ」とか、「もう飽きた、話題をかえろッ」とか。
さて、話題を変えろと言われない限り、延々と「プーナ、その知られざる実像」をお伝えしようと思うわけである。
というわけで私は、私設不動産屋ヴィッキーの仲介で、家主のシャムダスに会うのである。
ヴィッキー・二十代後半。まあ、ハンサムな部類に入る青年だろう。
シャムダス・六十代後半。腹が出て、禿頭。リタイヤした資産家風。
この二人、ある意味でビジネス・パートナーなんだけど、なんだか仲が悪い。お互い陰で相手の悪口を言い合っている。
ヴィッキーいわく、「あのオッサンは欲深だ。気をつけたほうがいい」
シャムダスいわく、「あいつは法外の仲介料をふっかける。けしからん」
シャムダスの欲深はコミューン内外でも知られているようで、ほかの日本人からも聞いたことがある。
ただ、どーゆーわけか、そうした悪名高い人物と友人になってしまうとゆうのが、私の宿命でもあるらしい。
つきあっていくうちにだんだん気心が知れてきて、折に触れ、彼の生い立ちなど少しずつ聞かされるようになった。
それによると、彼は血筋からいうとシンド人なのだという。シンドというのはインド西部の地方名で、言葉もヒンディー語に近いシンド語を使う。
生まれたのは現パキスタンのカラチで、生家はかなり裕福だったそうだ。ところが1948年のインド・パキスタン分離により、一切を失って現在のインドに流れてくる。(シンド人も広義のヒンドゥー教徒なのだ)。
やがて一家はボンベイに落ち着く。まだ二十歳前だったシャムダスは、そのインド第一の商都ボンベイで、父親からもらった五百ルピーを元手に商売を始める。織物を商う彼のビジネスは順調に伸び、やがてはいくつもの大手織物工場と総代理店契約を結ぶまでに成長する。
そうして六十を過ぎ、もっと快適な気候を求めて、プーナのコレガオン・パークに居を移す。ボンベイの織物ビジネスは人に任せ、今度はプーナで、二人の息子たちとともに、不動産デベロッパーを始めた…ということらしい。
当年とって六十九歳、実はまだまだ現役だったのだ。
どうりで電話をかけても留守がちだったわけだ。
現在、コミューンの近くにアパート(日本で言うとマンション)を三カ所。ベッドルーム数にして六十室ほど持っている。建設中のもあるから、それも含めると、今年中には百室を越えるという。
この人の部屋の特質は、クォリティーも値段も高めだということ。
たとえば、屋根瓦が赤土色のスペイン風だったり、床に大理石が張ってあったり、しゃれた照明がついてたりして、なかなか美しいわけ。
どうやら、この人の二人の息子、ナラヤンとムルリが、かなりいいセンスをしているらしい。
一度シャムダスに連れられて、プーナ川対岸に建設中の、ムルリがデザインしたというバンガローに連れてってもらったことがある。吹き抜けの白いリビングに、生成りの手織地カーテンと巻きカーテンがあしらわれていて、なんか日本のインテリア雑誌に出てきそうなかっちょいい家だった。インド人ってのはたいていドハデな原色系統を好むので、こうしたモダーンなセンスはなかなか珍しい。どこからヒントを得たのかなと思っていたら、ムルリは欧米の雑誌などでいろいろ研究しているらしい。また自身でもイタリアなどに赴いているんだという。
ま、インドだから、細かい問題はいろいろあるんだけどね。でも、私も自分の過ごしたバンガローの一室が気に入ったので、来シーズン向けに手付けを打ってきたのだ。(手付けを打ったところで必ずしもその部屋があるとは限らないのが、またインドなのだ)
というわけで、彼の持ち部屋はかなりクォリティーが高い。従って値段も高い。
コミューンから徒歩20分くらいの新築アパートで、バストイレ家具つき月1万5000ルピー(日割り600ルピー)。
ってな感じ。徒歩五分の距離でもっと高いところもある。(1ルピー=3円)
アパートなんて、探せば、月5000ルピーなんてところ、いくらでもあるわけさ。(家具はないけどね。だから自分で敷き布団とか買いそろえて暮らす。長期滞在者向き)
ま、シャムダスの物件は、目安としては、プーナに二週間以上滞在し、オレみたいに心身のオゴッている人向けかな…。
(だいたいオレなんかさぁ、まだ求道の志も熱き三十代前半のころは、月500ルピーの、「ポピュラーハイツ」キッチンから始めたんだぜ。安アパートのキッチンに布団を敷いて、蚊帳はって寝てたんだ。数ヶ月。夜なんかよく、焼き肉のニオイがただよってきたもんだよ。どこからだって? そりゃあ隣りのヤキバからよ)
で、問題は、どうやってこのシャムダスとコンタクトを取るかということ。
運良くオレとコミューンで出会えばいくらでも紹介してやれるんだが…。
ヴィッキーの後ろにのっかって、上記のアパートが気に入って二ヶ月滞在するとすれば、仲介料8000は覚悟だし。
というわけで、ヴィッキーには悪いが、私設不動産屋を通さずシャムダスとコンタクトするシステムを編み出したのだ。
これは、現在コミューンのアコモデーション(お部屋)デスクを預かる日本人スワミ、アナディに介在してもらうという方法。
このアナディという男、外見はかなり風変わりなんだけど、奇特なヤツで、コミューンの一角にデスクを設け、居場所を求めるサニヤシンたちに無料で部屋を紹介しているのだ。
では次回は、このアナディの陰謀について。
今日は一月最後の日曜だしね、天気もいいし、まぁ「プーナの怪人アナディ」の話でもないか…。
おたがいちょっと息抜きも必要だし…。
ってのはじつは口実で、ほんとはあんまり時間がないの。
今、午前10時。これから上京して、荻窪のオショーサクシン瞑想センターへ、瞑想のリードをしに行くわけ。
えっ、ぱるばが瞑想のリード!?
なんて驚かなくてもいい。
人前に出ると即席でエンライト(開悟)するってのが、オレの得意技でもあるのだ。
とゆうわけで、きのうは「読んだよ」ごっこを試してみたんだけど、
ここ半日ちょっとで十人ほどのレスポンスをいただいたという次第。
いやぁ〜、インターネットって、おもしろいよね。クセになりそう。(もうなってるか)
ご協力いただいた方々には、この場をもって、感謝申し上げる次第。(わりとあっさりしてる…。今度は景品も考えるからね)
まだご協力いただいてない向きは、今からでも遅くないから、この下↓約八センチのところにある「読んだよ」ボタンを押してね。
とゆうわけで、今日はこのくらい。
これから車に乗って、八王子インターから中央道にのって、三つ目の高井戸インターで降りて、環状八号線を北上して、まずは市民出版社に出向いてオショーの本などを仕入れて、それからサクシン瞑想センターに行く。
夕食はサクシン経営のインドレストラン「ナタラジ」かな。
カレーを食うのも、サニヤシンたちに会うのも、じつに一週間ぶりだ!(プーナではまいんちだったからな…。オレ、高速の運転、できるかしら)
それではみなさん、本日のところは、ごきげんよう。