オショー をめぐる最近のトピック '97 春・



◆ オショー エンライトメントデー Celebration (3/20)                   1996年版はこちら
◆メーリング・リストのススメ(4/2)
◆西南紀行―九州のセレブレーション、および沖縄のウパニシャッド(4/14)
◆エラスミアのいないダンス・グループ(5/19)
◆サクシン・ピラミッド訪問記(5/28)
◆八ヶ岳にキヨタカを訪ねる(6/26)
◆キヨタカのレストラン開業!(8/12)
ウパニシャッド近況 (8/27)


オショー エンライトメントデー・セレブレーション in Tokyo(3/20)


 3月20日の春分の日、恒例のオショー エンライトメントデー・セレブレーションが、東京墨田区の墨田リバーサイド大ホールでおこなわれました。隅田川のほとりにたたずむ、この気持ちのいいホールでのセレブレーションは、これで三回目。もうすっかりおなじみです。

 どうしてこんな「ですます調」で書いているのかというと、昨日このセレブレーションで司会をやったので、その余韻が残っているためでしょう。

 今年のゲストは、去年に続いて、オショー のお世話係で『オショー と過ごしたダイヤモンドの日々』著者である、マ・プレム・シュンニョ。三度目の来日です。それから彼女とともにヨーロッパの瞑想キャンプで活躍している音楽家の、スワミ・マルコとスワミ・サンデッシュ。(今この三人は、『ダイヤモンドの日々』版元であるOEJ自宅の、狭いマンションの六畳で和気あいあいと寝起きしているということ。)

 セレブレーションの中身はというと、シュンニョによるハート瞑想のワークショップ、サニヤス・セレブレーション、エナジー・ダルシャン、各種インフォメーション、くじ引き、ホワイトローブ、ミュージック・グループといった、おなじみのメニュー。なにより年に一回、大きなホールでサニヤシンたちが一堂に会し、いろいろ情報やエネルギーを交換するというのは、たいへん有意義なことだと思うのです。

 

 そういう意味でも、入場料6500円は、ちょっと高いかな。3500円くらいにして、もっとたくさんのサニヤシンたちが集まれるようにしたいもの。そうして、もうすこしアジアチックな、猥雑としたバザール的な雰囲気にしたら面白いんじゃないでしょうか。

 ともあれ、東京のオショー ごっこ地盤沈下が言われる中で、それでも百二十人ほどのサニヤシンが集まって、にぎやかなセレブレーションとなりました。主催者のOJもほっと一息というところでしょう(でもきっと赤字だろうなあ)。オショー サクシンのパトラたちも、くじ引きの賞品(拙訳のオショー 本とナタラジ・レストラン招待券)を持ってかけつけてくれて、一緒にセレブレーション。これで東京近辺のサニヤシンたちが仲良く一緒に遊べるようになったらいいなあと、切に願う次第であります。

〈写真〉上:サニヤス・セレブレーション 下:みんなでダンス(左サンデッシュに右マルコ)


メーリング・リストのススメ(4/2)


 このホームページを覗いているあなたなら、おそらくはつとにご存じかもしれないが、ネット上の「オショー ごっこ」のひとつに、「サニヤス・メーリング・リスト」なるものがある。
 今日はそれをちょっとご紹介したいと思うのである。

 このメーリング・リストができたのは、つい最近、今年の一月。設置者はスワミ・フィラク。若きコンピュータ・プログラマだ。
 一月といったら、私がプーナにいたころ。メールを通じてこのリスト開設の情報が伝わってきたので、フィラクに問い合わせてみたところ、これがなかなかおもしろそう。それで私も何度かプーナから通信を書き送ったものである。

■いったいこれは何ぞや

 現在のところ、五〇人ほどの人がリスト上に登録しているという。
 その仕組みは実に簡単で、あるメール・アドレスあてにメールを出すと、それが主宰者フィラクの手を通じて登録者全員に配信されるというもの。そのアドレスあてにはいつでも投稿できる。今のところ、瞑想会やイベントの案内が中心。

 じつはサニヤス・メーリング・リストというのは、英語版で世界規模のものがひとつある。これは僕は登録していないからよく知らないんだけど、毎日ドバッと英語のメールが入ってきて、まじめにつきあっていると、けっこうタイヘンみたい。
 それに比べると日本版のリストはまだかなり慎ましやかで、現在のところ、一日ひとつメールが来るか来ないかというところ。

■その限りない未来…

 インターネットというのは実にサニヤシン向きのメディアなわけだけど、このメーリング・リストも、使いようによってはかなりおもしろい道具になるとオレは思っている。今のところ、各地に散らばったサニヤシンたちが自由に情報交換をするという機会も、あまりないからね。和尚タイムズ(日本語版)も隔月になっちゃったし、ミニコミ各誌もいつのまにか消え去ったし……。

 というわけで、まずはとりあえず、諸人こぞりてフィラクのメーリング・リストに参加して、その使い方をともに探っていこうではあるまいか。
 問い合わせ、申し込みは、 フィラクsyouza@kt.rim.or.jp まで。


西

 

4月11日

朝、羽田から熊本へ飛ぶ。今日の宿は、スワミ・タカシとマ・ヒロが経営する「森のアトリエ」。阿蘇山南麓の広々とした高原に建つ、洒落たペンションだ。じつはこのペンションには「ルナ天文台」という施設が併設されていて、なんと口径82センチという大望遠鏡が据え付けてある。九州最大の天文台であり、また私設のものとしては世界でも屈指のサイズだそうだ。

じつはタカシとヒロ、明日あさってと福岡で開かれるオショー セレブレーションの仕掛人なのだ。それで今日ここには、プーナからやってきたマ・シュンニョ(かつてオショー の世話係をやっていた人)を始め、ミュージシャンやら何やら、7〜8人のサニヤシンたちが泊まっている。一般のお客さんもいるのに、長髪・ヒゲ面の変な連中たちがロビーを闊歩していたりして(オレも含めてだが)、オーナーとしても気を使うところだろう。

ここ阿蘇は湯の里でもある。さきほど何人かのサニヤシンたちと連れだって、近くの村営「瑠璃の湯」へ行ってきた。ほとんど貸し切り状態の広々とした露天風呂にのんびりつかっていると、夕風に運ばれて山桜がひとひらハラホロヒラリンと湯船に舞い降り、遠くに目をやると峰を連ねる阿蘇の外輪山が残光に照りはえている……という具合で、やっぱりウチの近くの「日の出つるつる温泉」とはひと味違うなあ――。

明日の朝、総勢10人ほどで、クルマを連ねて福岡のセレブレーション会場に向かいます。さていったいどんな仕儀とあいなることやら。 明日のレポートをお楽しみに。


4月12日

雲ひとつなく晴れ渡った阿蘇の朝。前夜からの宿泊客を送りだした後、車三台を連ねて出発です。おっとその前に天文台をバックに記念撮影(写真左)。

ところでタカシ&ヒロのペンションも、最近とみに忙しくなってきたんだそうです。九州でも一番はやっているペンションではないかとタカシは言います。確かにそれだけのことはしてるよね。それに天文台のほうもだいぶ有名になってきたらしく、天気のよかった今日なんか百五十人もの入場者があったそうです。ヘールボップさまさまだよね。

さて車三台、総勢十人で出発。二時間半ほどして本日の会場に到着しました。福岡市のとなりにある大野城市の「まどかぴあ」というところです。まだできたばかりの真新しいホール。今日はサタデー・パーティーで、いわば明日のセレブレーションの前夜祭みたいなものです。でもディクシャントたちが名古屋から持ってきたPA(音響装置)をしっかり据えつけ、準備は万端。博多のサニヤシンたちによるデコレーションもなかなかのものです。北は福岡、佐賀、南は宮崎、鹿児島まで、九州全域から集まった参加者は三十人ほど。クンダリーニ瞑想からホワイトローブ、ストップダンスまで、シュンニョの話も交えながら、楽しいイベントになりました。

そして今晩の泊まりは、博多駅ちかくのまだ真新しいホテル。夜十一時過ぎに帰ってきてから、またぞろこれを書いているというしだいです。でもホテルでは接続できそうもないので、外へでかけて公衆電話だな。オレも好きだね。


4月13日

今日はセレブレーションの本番。シュンニョたちにとっても、一ヶ月近い今回の滞在の中で、最後のイベントになります。朝八時に朝食をとって、九時前には出発。今日の会場は、福岡の中心地・天神から西鉄で四つ目「高坂」駅徒歩二分の「アミカスホール」。ところでタカシたちの企画しているショップは、このホールの真向かいにあるのです。暇がなくて今日はゆっくり見られませんでしたが、なかなかの物件です。五月中にはオープンしたいということなので、一同、注目いたしましょう。

さて、アミカスホール。三百人収容の大きなスペースです。朝から博多近辺のサニヤシンたちが手伝いに来ています。 正面、オショー の写真の下にはオショー のローブが飾られます。これは今回シュンニョが九州のサニヤシンたちのために、特別にプレゼントしたものです。オレゴン時代にオショー が何度も着たもので、シュンニョ自身もかつて洗った覚えがあるということです。

九州全域から四十人ほどのサニヤシンが集まり、セレブレーションの始まりです。今回のように外国からゲストを招いて開催するというのは、九州では初めてだということです。サットサン、ライブ・ナタラジ瞑想、サニヤス・イニシエーション……。今日は七人がマラをもらいました(写真)。ついでに私も呼ばれてセレブレートされたんだけど、オレはどうもああゆうのは苦手。

そして最後は私の十八番、クジ引き。今日は前もって趣向を凝らしておいたのだ――。ゲストのそれぞれにプレゼントを用意してもらったんだけど、ひとつひとつに各人の「プリクラ・シール」をくっつけておいたのです。ついでに僕も持参の市民出版社提供オショー 訳本に、今朝シュンニョとペアで撮ったシールをくっつけておきました。このプリクラ作戦、大ウケだったなあ。

というわけで楽しかった九州セレブレーション紀行も、これでおしまい。シュンニョ、マルコ、サンデッシュは夕方、タカシたちの車で阿蘇に戻ります。そして明後日、福岡空港から飛び立ち、日本を後にすることになります。そして僕も今、機上の人。18時25分発、那覇行きの飛行機です。今晩はウパニシャッドの店に出かけて、踊ってこようかと思っています。


4月14日

さて、昨日の晩は、那覇に到着後、その足で中心街の「国際通り」にあるウパニシャッドの店にでかけました。ときは夜の九時半、折良く、ウパニシャッドを始め、チャンプルーズのフルメンバーがステージに上るところでした。今年で四年目を迎えるこのライブハウス「チャクラ」に足を運ぶのは、実に久しぶりのこと。一時健康の不調を伝えられたウパニシャッドも、元気いっぱいに歌を歌っていました。

しかし、世の中にこんなに楽しいスポットも珍しいよね。オレも脱帽だよ。彼らはエライ!! みなさんも那覇に御旅行の節は、是非お立ち寄りになることをお勧めする次第であります。でもやっぱりフルメンバーのときの方がいいよ。最近は売れっ子だから、いないときも多いしね。日程などについては、近いうちに開設される彼らのホームページを参照のこと……。

そうです、なぜオレが今回チャクラに立ち寄ったかというと、彼らをネット上に引っぱり出したかったからなのです。特にウパニシャッドは伝えたいことがたくさんあるみたいだから、ホームページを開いたらきっとおもしろいんじゃないかと思ったわけ。

そうしたら彼らもやっぱり同じことを考えていたみたい。特にキーボード奏者のスワミ・プーシャンなんかは、パソコンのキーボードのほうもなかなか達者なのです。それで、もうじきホームページを開く模様なので、みなさん楽しみに待っていましょう。ついでにサニヤス・メーリングリストにも参加してもらったので、そのうち南国からホットな情報が流れてくることでしょう。

そして今、私は再び機上の人。今度は石垣島に向かっています。飛行機の窓から外を見ると、たそがれの空にヘールボップ彗星が淡い尾を引いています。

 




実録・「エラスミアのいないダンス・グループ」(5/19)


なんだこの「エラスミアのいないグループって」? 
じつは私の地元で、「エラスミアのダンスグループ」という一泊二日の企画があったのです。
エラスミアというのはギリシア人のサニヤシンで、ベリーダンスの名手です。
僕はその主催者のひとりでした。
今までセレブレーションの主催に加わったことは何度かありましたが、グループの主催はこれが初めてです。
ところがところが……! 好事魔多しと言われますね。
それでは以下の「起承転結」をお読みください。



「起」

 このホームページをときどき覗いている人なら知っているだろうけど、つい先日までフロントページに『エラスミアのダンスグループ』というタイトルがハデハデしく踊っていたのである。それがグループの始まる三日前に、突如として消え去ってしまったのだ。これはいったいどうしたことか。

 すべては順調に進んでいた……。

 エラスミアと連絡を取り、地元にステキな会場を見つけ、参加者も二十人ほど集まり(インターネットではぜんぜんだめだったが)、楽器を演奏してくれる地元のアーティストを手配したりで、5月17、18日の本番に向けて、着々と準備は進んでいたのである。地元の新聞には、オショー の顔写真をバックに彼女の踊っている写真が、けっこう大きく掲載されたりもしていた。

 ところがその三日前の14日水曜日、主催者アグニの彼女であるババナから昼過ぎに電話が入ったのである。エラスミアを迎えに成田まで行っているアグニから連絡が入って、エラスミアの日本入国が入管で拒否されたというのだ。これは大きな衝撃であった。

 ま、詳細はここでは省略するが、書類上の様々な不備によって、彼女は日本に入ることができなかったのである。ここが外タレ興行の難しいところだ。長い時間をかけて準備しても、最後にドンデン返しを食らうことがある。
 ここで思い出すのは昨年3月の東京エンライトメントデー・セレブレーションだ。オーストラリア国籍のアナンドとマニーシャに、在インド日本領事館がなかなかビザを発給してくれない。それで僕たち主催者側はぎりぎりまで大いに気をもんだのである。マニーシャは早々に来日をあきらめ、ねばったアナンドは、飛行機出発時刻の二時間前にやっとビザを入手するという具合だった。

 


「承」

 エラスミアが来ないとわかった段階で、ああこのグループはキャンセルだなと思った。というのも、「エラスミアのベリーダンス」で売ってきたグループだ。主役なしでどうなるだろう。「あきるのダンスセラピー」主宰の私もベリーダンスはちょっと苦手……。

 ところが中心人物のアグニは、そこでひとつパワーを出した。「だったら少し値段を下げて、瞑想キャンプに変更しようじゃないか」――。そこでその晩、参加者ひとりひとりに電話をかけて事情を話し、改めてキャンプ参加の意思を問うのである。するとキャンセルは数人出たものの、過半数から参加するという回答を得た。

 そこで「エラスミアのダンスグループ」を急遽「瞑想キャンプ」に変更し、会場側には人数の異同を連絡し、そして大急ぎでプログラムの編成にかかるのである。キャンプは土曜日の正午から日曜日の午後3時まで。時間はたっぷりあるから、いろんなことができる。そして僕は土曜の夜と日曜の朝に、ふたつのセッションを受け持つことになる。

 えっ、パルバがグループのリード!? そうなんです、私がリードするのです。土曜の夜は私の考案した「腹チャンティング」というセッション。これは私の太鼓にあわせて、能の謡いみたいに腹から声を出すというやつ。なかなか気持ちがいい。これは以前アグニの瞑想会で一度やったことがあるので難しくはない。今回は特別に地元の友人に頼んで、ピアノも入れてもらうことにする。

 そして日曜朝は瞑想指導。『ヴィギャン・バイラヴ・タントラ』の中から、瞑想法をいくつか紹介して実行するというもの。この本はもう十一年前から翻訳しているけれども、それをグループの中でリードするなんて、これが初めて。いったいどうなることやら。

 


「転」

 そして瞑想キャンプの当日。東京の西のはずれ、緑したたる養沢の谷あいに、関東一円から参加者たちが集まってくる。総勢十八人。主催者側の僕たちを除くと、サニヤシンは一人もいない。だいたいがクラニオをやっているアグニのクライアント関係だ。

 会場である「養沢センター」は、この谷の自治会が母体となって運営している公共の宿泊施設。養沢川のせせらぎに臨む別棟に、気持ちのいい木造の講堂がある。オーケストラなども練習に使うほどだから、ダイナミック瞑想でも思う存分に声が出せる。

 この講堂で、ジベリッシュを筆頭にして瞑想キャンプが始まる。

 急ごしらえのグループにしては、これがなかなかいいのだ。参加者もほとんどがオショー瞑想初体験であるにもかかわらず、みんな非常にオープンで積極的――。特に踊る機会があると、プーナのコミューンもかくやと思わせるくらい、自由奔放にエネルギッシュに踊り回る。
 私の「腹チャンティング」にしても、人数が集まるとみんなスゴイ声を出す。おかげで楽器のほうがお互いの音が聞きとれず、合わなくなって四苦八苦した。ダイナミックなんぞもほとんど全員初体験だったが、すごくよかったみたい。

 そして『ヴィギャン・バイラヴ・タントラ』のリードだけども、これがなかなかおもしろかったのだ。参加者にもおおむね評判よかったし……。だいたいオレは舞台の上に立つのが好きだからね。クセになりそう。(タントラの拙訳もたくさん売れたしね)

 


「結」

 というわけで、主催者も参加者もおおいに楽しんだ二日間であった。

 グループ終了後、近くにある拙宅に、主たるメンバーが九人ほど集まっていろいろしゃべっていたところ、またこうした瞑想キャンプをやろうという話になった。

 そこでアグニと私がオープンカーに乗って(これは参加者のひとりから借りたもの)、養沢センターにとって返し、次回の分を予約したのである。次回は11月の8、9日(これを読んでいるみなさん、参加してね)。そしてついでに次々回の分まで予約を入れておいた。次々回は来年の5月16、17日。

 というわけで、「瞑想グループを主催するのって、セレブレーションの主催とはまた違った楽しみがあるものだ」と実感した今回の一件でした。これもエラスミアのおかげだね。


サクシン・ピラミッド訪問記(5/28)

 山梨県の明野村にあるオショーサクシン瞑想センターのピラミッド。正確に言うとオショープレム・コミューンという名前だ。南方はるかに南アルプスを望む、標高六百メートルほどの静かなロケーション。周りにはほとんど人家もなく、野山や畑に囲まれた緑の別天地だ(今日は天気がよかったので、余計にそう感じたのかもしれない)。

 二年半ほど前に訪ねたときには何もない平地だったのに、今回行ってみると、ピラミッドのほかに、十部屋ほどある大きな居住棟ができあがっていた(写真上・右手前にピラミッド、左手奥に居住棟)。かなり立派な建築という印象だが、これがほとんど全部スタッフやボランティアたちの手作りだというのだから驚く。

 今日はインド人スワミのサティヤティルスをはじめ八人ほどの人々がいて、みんなで敷地の入り口に八角形のレセプションを作っていた。さらにはコーヒーショップ、宿泊棟、ヴィパサナ庵など、建設プランは目白押し。そのほか付近に五カ所ほど畑を借りて、様々な作物を作っているのだという。

 このピラミッド、一月ほど前に完成したばかりだそうだが、中に入ると板敷きのホールはけっこう広い。百二十畳ほどもあるという(写真中)。静かに座って瞑想するなら二、三百人は収容できるだろう。ダンスだったらせいぜい百五十人というところか。ともあれサニヤシンの所有するホールとしては日本一のものだろう。
 ピラミッド型のせいか残響が大きく、歌を歌うとほとんどバスルーム・シンガー状態になり、自分で自分に酔いしれてしまう(この前のデヴァカントのコンサートでも、やっこさん、けっこう歌ったみたい)。とにかくこれはなかなかご立派。ほめてとらす。(でも入り口の趣味が、ちょっとねえ……写真下)

 お昼には例によって本場インドカレーが出てくる。これがウマイんだけども、いつもながら激辛なんだよね。でもみんな平気で食っている。インド人なんだねえ。おみやげに畑でとれた二十日大根をもらった。

 9月13,14,15日と、インドからスペシャル・ゲストを招いて、ここで三日間のセレブレーションをやるそうだ。いったいどんなものになるか楽しみである。参考オショー サクシン瞑想センター・ホームページ

 ところでところで、これは極秘情報なんだけど、インド・マディヤプラデシュ州のクチワダにあるオショーの生家を、サティヤティルスが買ったんだってさ。大将、ここでも何やらプロジェクトを企てているらしい。まずは今年十二月のオショー誕生日、内外のサニヤシンはもとより村人たちも全部招いて、当地で盛大にセレブレーションをやらかすんだと……。お祭り男のオレとしては、おおいに食指をそそられる話ではある。

 


八ヶ岳にキヨタカを訪ねる(6/26)

 

 サニヤス界の名物男、スワミ・キヨタカ。最近いったい何をしているのだろう。そういえば昨年春、「エンライトするまでぜったい日本には帰らない」と言い残して、プーナのオショー コミューンに旅だったのだが……。
 そう、キヨタカは今年の春、みごと言葉どおりにエンライトして、日本に戻ってきたのである。
 彼が八ヶ岳のふもと信州・原村に移住し、何やら良からぬことを企んでいるというウワサは、風の便りに聞いていた。そこで今回、友人二人とともに彼の許を訪れ、その実態をつぶさに見聞してきたのである。

 


悟った男の近況

 キヨタカの住まいは、長野県原村にあるペンション『バロック』内のトレーラーハウス。この『バロック』というペンションは、三年前キヨタカ等が中心になって企画した「八ヶ岳セレブレーション」の基地となったところ。オーナーの稲葉さんは、今春プーナで二週間過ごすなど、オショー とはかなり縁のある人だ。
 このペンション村は八ヶ岳山麓、標高千三百メートルのところにある。空気は冷涼で、近くには温泉もあるし、湧水もある。木々のこずえではカッコウやウグイス、アカハラやコルリなど様々な鳥たちがさえずる……。
 キヨタカは当初、この別天地に静かに住んで、ボディーワークや瞑想グループでもやりながら静かに余生を送ろうと考えていたらしい。ところが「存在」はそれを許してくれなかった。あのタヌキのぬいぐるみのような独特なキャラクターには、なかなか捨てがたいものがある。そう簡単には引退させてもらえないのだ。


『リゾート・グレイスフル』
 バロックのすぐ近くに「八ヶ岳自然文化園」という施設がある。先の八ヶ岳セレブレーションの会場となったところだから、覚えている人も多いだろう。その真ん前に『リゾート・グレイスフル』というペンションがあって、ここ数年空き家になっていた。その管理を任されていたのが、バロックのオーナーである稲葉さんだったのだ。
 その稲葉氏がキヨタカに、ここでビジネスをやってみないかとそそのかしたのである。夏場、自然文化園にはたくさんの人々が集まるのだが、付近には食事するところがあまりない。だからレストランでも開けばきっと繁盛するというのが、稲葉氏のビジョンであった。そういう話にすぐに乗るところが、エンライトしたとはいえ、キヨタカのゾルバチックなところである。
 そしてキヨタカは非常にムシのいいことを考えるのである。億単位の金のかかっているこの空ペンションを稲葉氏名義で借りてもらい、雀の涙ほどの賃料を払ってそこでレストランを開業し、最愛のヨガビジャとともにそこでスウィートな暮らしをしようというのだ。そしていずれここを基地に、瞑想性の香あふれる『スピリチュラルランド原村』を建設しようという、壮大な夢を持っているのである。オレはその「雀の涙」の額を聞いて、そんな無体なと思ったのだが、昨晩オーナーから連絡があって、OKが出たのだな。これはひとえにキヨタカの人徳であろう。(写真:キヨタカとリゾート・グレイスフル 撮影ウシュマ)

 


今後の展望

 それに先だって、昨日、どういうわけか、みんなで清里でかけたのである。ビジネスのための社会見学というふれこみだったが、原宿をそのまま高原に持ってきたような凄じさにみんな気持ち悪くなってしまい、疲れ切って原村に帰ってきたのだ。「原村を原宿にするな!」、これが昨日キヨタカの学んだ教訓であった。クレープ屋やソフトクリーム屋を出して儲けようなんて安直な考えはいけないのである。
 『リゾート・グレイスフル』なんて、名前からしてラブホテルみないな雰囲気なのだが(実際そうゆう趣味なのだ)、たとえその軒下から始めるにしても、こころざしだけは高く掲げ、全世界に向けて発信するというような、超一流のものをつくりあげる気概が必要なのである。
 そういう気概は十分あるのだが、周りを見回すと、まだまだスタッフがこころもとない。もう七月早々には仮オープンするそうだから、店づくりのできる人、料理のつくれる人、サービスができる人、何にもできないけどとにかく興味のある人は訪ねてみるといい……オープンなキヨタカは誰でも歓迎してくれるはずである。なにせ由緒ある日本初のペンション村だから、泊まるところはいくらでもある。ペンション『バロック』は菜食で、朝はダイナミックもできて一泊二食一人8300円(二人の場合)。キヨタカの連絡先は0266-74-2980。


キヨタカのレストラン開業!(8/12)

 

 スワミ・キヨタカが信州・八ヶ岳高原にレストランを開くという話は、ひと月半前の本ページでお伝えした通り。さてあれからどうなったか。

 今ぼくは旧ペンション『グレイスフル』の二階で、この記事を書いている。階下からは高原のティータイムを楽しむ客の話し声が聞こえてくる。そう、ここはキヨタカのレストラン『ベジタブル・パラダイス』なのだ。ネーミングがちょっとイマイチという気もしないではないが、これがなかなか洒落たスペースになっているのだ。ひと月半前に来たときは、五年間も放置されたラブホテルチックな建物にちょっとヘキエキしたもんだが、今では立派に変身を遂げている。やっぱり人が入ると建物は生き返るものだ。このペンション 『グレイスフル』のテラスと一階の一室で、10:30から16:30までの営業となっている。(写真左・二階のバルコニー右側が今ぼくのいるところ)。スタッフはキヨタカ始め、現在サニヤシンばかり六名。キッチンはなにかプーナのオショーカフェみたいな雰囲気だ。

 それではさっそく注文してみよう。昼食のみの営業でメニューはただひとつ、特製のベジタブルカレーだ。これはインドパンであるナーンと一緒に食べる一風変わったカレーで、これがなかなかおいしい。ドリンクつきで1250円。キヨタカみずからエプロンをかけて、慣れない手つきでレストラン・マスターをやっている。タントラ・マスターだったはずなのだが、どこでどうでどう間違ったのかな。今日は平日なので多少余裕もあるが、土日となると戦争状態になるそうだ。確かにここは標高千三百メートル。下界の灼熱とは無縁の緑の別世界だ。ただやっぱりレストランだけじゃ経営は苦しいみたい。キヨタカとしてはここで将来、瞑想ルームやセッションルームを備えたスピリチュアル・ペンションをやってみたいのだという。

 現在、その手始めとして、9月にはスッダのセラピーグループ、10月アサンガの瞑想キャンプを企画している。10月いっぱいは営業するらしいから、それまでに一度このスピリチュアルランド・原村を訪ねてみたらいかがだろうか。連絡先は0266-74-2980


ウパニシャッド近況 (8/27)

 近況というにはチト古いが、8月3日にウパニシャッド喜納昌吉と会った。信州上田郊外の峰の原高原の野外コンサート会場でのこと。(上田といったらオレの故郷なのだ)。コンサート自体は三千人を集め、最後は観衆総立ちで踊るという盛り上がりを見せ、いやあ上田も捨てたもんじゃねえなあと、大いに感心した次第である。オレも三年ぶりに舞台でエイサーを踊らされて、まあ楽しかったんだが、ペース配分を間違えて後半はバテバテでたいへんだった。

 最近サニヤス・メーリング・リストにもよく発信されるのでお気づきのことかと思うが、ここのところまたウパニシャッドはサニヤシンにラブコールを送り始めているようだ。「すべての武器を楽器に」という旗印のもと、来年アメリカにセレブレーション白船を出したり、またこのたびは急遽、名護の海上ヘリポートに反対して三たびサバニを漕ぎ出そうとしている。それでオレにも協力してほしいとチャンプルーズからたびたび連絡が来るんだが……。ウパニシャッドにも言ったんだが、オレはどうも社会的問題意識というものが欠けてるんだなあ。ともあれ、これを読んでいるみなさんの中で、関心のある人はウパニシャッドのホームページにとんでみて、できることから協力してやってくだされ。

 オレとウパニシャッドの関係は、もともとはオショーの本づくりだったんだよね。もう四年越しでオショーの最終講話集『禅マニフェスト』にかかわっている。このたびスワミ・モンジュが照稿を終了してくれたので、近々、訳稿の仕上げに入りたいと思う。ウパニシャッドが京都のなんとかという出版社を探してきたので、おそらく来年春にはそこから出版されるんじゃないかと思う。一時期オショーの本がまったく消え去っていた那覇・国際通りの『チャクラ』だが、先日訪ねてみたら、拙訳『ヴィギャン・バイラヴ・タントラ』シリーズほかオショーの本がだいぶたくさん取り揃えられていた。ホームページ担当のプーシャン(キーボード)とハルナ(彼女がサニヤシンだったとは知らなかった)もがんばっているので、励ましのメールも出してやろう。


ホームページにもどる