PUNESPECIAL 〈MARCH



◆ひなまつり(3/3)

 今日は桃の節句。もちろん日本では桃なんか咲いていないでしょうが、こちらはブーゲンビリアが花盛りです。

 「3月3日にはひなまつりをやろう」……Far East Connectionの日本人たちの間にそんなアイデアのわいたのが、半月ほど前のこと。そしてこの4、5日間は、Far East前の広場はひなまつりの準備一色。折からOsho Book ExplosionというOshoの本のプロモーション月間だったので、それにジョイントして、コミューンの目抜き、書店前の広場でおこなわれることになりました。

 さてこの日、3月3日がやってまいりました。ところが、ひとつ事件が起こったのです。ひなまつりといえば白酒。みんな何よりこれが楽しみです。サクシンのスワミ・サティヤティルスに3キロほど麹を背負ってきてもらい、昨日の夜、スワミ・ナロパが米と混ぜて保温機に入れた……ところまではよかったのですが――。その保温機がこわれていたのです。それで温度が上がりすぎ、麹がだめになってしまいました。涙・涙の物語。

 そんな悲劇にもめげず、みんなで朝からセッティングです。白大理石の広場(エッグと呼ばれています)をきれいに掃除して、画家のスワミ・カルタールの手になる平安調の絵や廻り灯篭をそこここにつるし、音楽用の機材をセットし、赤い布を敷いてちょっとしたヒナ壇を作ります。

 その間、Far Eastのオフィスの中では、マ・サーキブの手によって、三人官女たちの着付けがおこなわれます。お内裏様とお雛様は日本人の二人の幼児が扮します。そして五人囃子ならぬ六人囃子は、ヨーコ、ニーラ、サットプレムなどおなじみミュージシャンたちです。

 コミューンの昼休み。機材のセッティングに手間取る間に、エッグ周辺は黒山の人だかり。Far East主催のものは物珍しいせいか、いつもたくさんの人々を集めます。やがて準備完了。まずは呼び込みの太鼓です。これは私が打ったんだけどね。「白酒がだめだったから、ここはひとつ頑張らなくちゃ」と気負ってしまったのだな。今までのステージの中では最悪の出来。でもやさしいみんなはほめてくれた。(写真を見たい人はここ:雛祭りで太鼓をたたく私 21k)

 続いては六人囃子によるウパニシャッドの「花」です。曲にあわせて書店コーディネーターのタヌーが踊ります。この「花」、なかなか良かったのだな(オレが気張る必要なんかぜんぜんなかった)。ゆったりしたテンポで、「泣きなさい笑いなさい」というリフレインを何度も何度もくりかえし、ほんとに「すべての人のこころに花」が咲くのでした。途中で白ひげカルタールが花咲爺で登場し、みんなの頭上に花を振りまいたりして、演出のほうもなかなかです。曲が終わると長い拍手。三人官女が降りてきてみんなに白酒ならぬ番茶をふるまいます。

 これ、すごくハートフルでいいイベントでした。Far East主催の中でもピカ一だったんじゃないかな。ともあれ日本人てのは、グループワークが得意だよね。写真・歌うニーラ(左)と笛のヨーコ(中)、手前は踊るタヌー、奥に三人官女が見えます


 

◆シュンニョのOsho Heart Tour (3/5)

 97年春、またセレブレーションの季節がめぐってきます。

 おなじみマ・プレム・シュンニョ(写真中央 Oshoのお世話係をしていた人で『和尚と過ごしたダイヤモンドの日々』の著者)が、また日本にやってきます。題して、「シュンニョのOsho Heart Tour」。

 今回は二人のミュージシャン、スワミ・マルコとスワミ・サンデッシュを伴っての来日です。この二人の楽人たちは、ヨーロッパを中心にシュンニョの瞑想キャンプをずっとサポートしています。マルコ(写真右)は陽気なイタリアン、アコースティック・ギターを抱えてやってきます。サンデッシュ(写真左)は日本のパーカッショニスト。今回はオリジナルの瞑想音楽を披露してくれるということで、楽しみです。

 日本各地のセレブレーション日程は;

 詳細は最寄りのOsho瞑想センターまで。

 こうしたセレブレーションに向けて、今回プーナで鳴らしたお祭り人間たちが、大挙して帰国します――サダ、ウシュマ、バティヤ、カルタール、ヨーコ、ディクシャント、ニーラ、サットプレム、ぱるば……。
 それではみなさん、セレブレーション会場でお会いしましょう。


◆Far East ネットワーク(3/9)

 あれはたしか、一月ほど前の二月七日だったか、われらがFar East Connectionオフィスに待望のコンピュータが運びこまれました。しかしそれは、ディスクのないネットワーク・コンピュータ。ネットにつながらなければ、ただの箱でしかありません。そして、コミューンのコンピュータ課はもっとも多忙を極めるセクションです。なかなかそれから先が進みません。

 かくしてこのインド製の中古パソコンは、この一月の間、オフィスの片隅に眠ったまま、ほとんど顧みられない存在となっていました。それが突然、脚光を浴びるようになったのが、おとといの7日。コンピュータ課のスワミが何の前触れもなくやってきて、ネットにつなぐ作業を始めたのです。そしてそれが終了したのが今日九日。私がプーナを去る一日前のこと。

 というわけでみなさん、Far Eastオフィスは、今現在、少なくとも英語では、全世界と自由にE-メールをやりとりすることができるようになったのです。メールアドレスの知りたい人は、私 parva@din.or.jp までご連絡ください。
(写真・パソコンの使い方の説明に熱心に聞き入るFar Eastオフィスのメンバー)


◆さらば愛しのOshoコミューン…(3/10)

 現在、インド時間、午後8時15分。プーナ発デリー行きインディアン・エアライン850便の機中。

 二ヶ月にわたったコミューン生活に別れを告げ、今、日本への帰途に就いています。途中、商用で二日ほどデリーに滞在。ビジネス・パートナーのインド人家庭に滞在することになります。  この二ヶ月間いろいろあったけど、やっぱりコミューンはOshoの遺産、まこと世にたぐい稀なるところです。みなさんもネット上の「Oshoごっこ」におつきあいいただいて、ありがとうございました……。

 そうこうしているうちにデリー空港到着。夜9時で外気温22度。プーナより多少涼しくて、まことに快適。

 というわけで、日本到着は13日朝になります。今年の日本はなんとなくエキサイティング。そう、Oshoごっこの本番はこれからです。

 


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