PUNESPECIAL FEBRUARY/2


Oriental Tea House 「點心 」(2/15)

 Far East Connectionができてから、極東人を中心にいろんなイベントが催されるようになった。今日のだしものは、峠の茶屋「 點心」。これは中国語の「点心」で、Tenjinと読む。この名前の由来は中国唐代の禅師・徳山にまつわる公案にあるのだが、詳しくはソパン訳『これこれ千回もこれ』の178ページを参照のこと。

 約一週間前にあった台湾勢による「春節」に刺激され、日本人のマ・サダを中心に、東洋風の茶屋をやろうという話が持ち上がった。そこで三日ほどの準備期間を経て今日の11時、店開きとなったのである。Far East前のロータス・パラダイスに茶席ふうの赤い布をめぐらし、ゴザとじゅうたんを敷きつめて座れるようにし、茶店のノボリを立て、徳山の因縁話を英語と日本語でかかげ、例によって笛と太鼓でオープニングをする。

 今日のメニューはアンパンと番茶。アンパンは小豆を煮ることから始める。製作経験者は誰もいなかったにもかかわらず、これがじつによくできたのだな。これで15ルピーというのは安い。日本人のスワミ・アヌモダが大島の着物に草履姿で現れ、旦那役をつとめる(写真・右手奥)。開店時から長い行列ができて、百個用意したアンパンは一時間ほどで売り切れる。

 なかなか楽しいお店やさんごっこで、これはちょっとくせになりそう。


◆コミューン・ワーク(2/18)

 一日何千もの人々が訪れるOshoコミューン。その裏にはたくさんの人々の創造的貢献があるのである。

 たとえば、このFar East Connectionオフィスの向かいにはコミューン・ケアという名の、こぎれいなオフィスがある。ここはコミューン内の美化、清掃、設備、調度などいっさいを担当する部門。日本人のブーティをチーフにして、サーキブやプリティなど日本の女性たちが陣頭に立ってきりまわしている。

 今日はラオツの隣にあるOshoハウスの窓そうじをしましょうということで、日本の男たち四人が朝から駆り出される。その中にどういうわけか私も入っている。机にばかりかじりついていないで、ちっとは体を動かしなさいという、コミューン・ケアのお姉さま方の有り難いご配慮によるものだ。それで朝の九時半に出勤。高いはしごに昇って、窓のそうじを始める。

 写真の中で腰をかがめて窓ふきをしているのは、スワミ・ニサルグ。下から見ると簡単そうに見えるけど、はしごを昇ると、これがけっこうこわいのだ。ところがニサルグ君ときたら、ぜんぜん平気のへいざ。大柄なのにもかかわらず、窓の狭い桟にヒョイと飛び移って、器用に窓の掃除をする。これではニサルグではなくてオサルグだという評もあったが、ともかく人それぞれ、いろんな特技があるものだ。


◆蓮花天堂英語教室 (2/19)

 極東の人々にとって共通の問題は、なかなか英語になじめないということ。だいたいユーラシア東端の人間が西端の言葉でもってコミュニケートしようというのだから、難しいといえば難しい。しかしそれがこの世の実状であるならば、従わざるをえまい。

 そこで今回のロータスパラダイス英語教室となった。日・韓・台三ヶ国の生徒が朝9時30分、Far East Connection前のロータスパラダイス(中国語で蓮花天堂)に集合。先生はイギリス人のマ・ロチャナ(写真・左端)。日本にもしばらく滞在したことのある、英語教師歴15年というベテランだ。

 彼女いわく、言葉を習うには、まず何よりもリラックスしてやることが大切――。そこで写真のごとく和気あいあいとスタートする。What is your name? といった基本的な会話を一時間ほど練習。それから厨房にところを移して、英語だけ使いながら野菜の下ごしらえをする。そんな具合に二時間半、みんなで英語に親しんだ。ワークが入っているから、受講費は無料。

 参加者の評判も上々で、週に一回のクラスの予定が、明後日の金曜日に第二回をおこなうことになった。次回は、ブック・ショップから要請のきている折り紙の花を、みんなで折ることになりそう。ちなみに「折り紙」は英語でもorigamiという。


◆カルタールの北信濃Oshoデッサン(2/20)

 信州・小川村在住の画家、スワミ・カルタール。彼が北信地方を舞台におもしろいプロジェクトを考えていることは、前にもお伝えした通りだ。信州出身のオレとしても、クニにOshoの香りが広がるということは実に喜ばしいことである。そこで是非ともそれを応援いたしたく、今日は本稿をしたためているという次第。

 カルタールのプロジェクトは二つにわかれている。ひとつはより現実的なもの。それは長野市に絵画研究所を設けるという案。これはデッサン教室で、サニヤシンのモデルたちに来てもらい、絵画を志す人々に腕を磨いてもらう。宣伝の手づるもあるそうで、経済的にも十分成り立つようにする。その利潤によって、第二の夢的なプロジェクトを進めていくわけだ。その夢というのは、「温泉瞑想センター」。

 長野市から車で一時間くらいのところにある高山村。志賀高原と菅平の間にある、標高千二百メートルほどの風光明媚な土地だ。そこにひとつ、高山温泉といういで湯がある。湯治宿が一軒きりという山間の秘湯だ。その宿にはすばらしい露天風呂があるのだという。所有者はカルタールの知人なのだが、人手不足のため、現在は閉じている。それをサニヤシンで借り切って、リラクゼーション・センターとして運営しようというわけ。

 三月に信州に帰るというカルタール。帰ってみなきゃどうなるかわからないと言うんだが、こうしてインドに暮らしていると、「温泉」という響きがたまらなくなつかしいものだ。

写真・インド人に折り紙を教えるカルタール(右)


◆Silent Explosion (2/21)

 今日の夜、ホワイトローブ後にブッダホールでおこなわれた、「サイレント・イクスプロージョン(静かなる爆発)」。実はこれは、今日から3月21日まで催されるOshoブック月間の名前だ。

 この一月間、ブック・ショップを中心に、毎日一冊ずつの本を取り上げ、イベントやショーなどがおこなわれる。それで今日は初日ということで、Oshoの本に関りの深い人々、ミディアムのアナンド、出版チーフのシュンニョ、質問係のマニーシャ、ジョーク係のヴィマールの四人が前に出て、Oshoの講話や本についての様々な秘話を披露するのである。これがすごく面白かったので、誰かテープ起しをして、プリント配布をしてほしいものだ。

 Oshoは学生時代から本が大好きで、現在ラオツハウスのOsho図書館には十万冊の蔵書があるということだが、また自分の本のデザインにも非常な関心を払った。タイトルも自分で考え、写真も自分で選び、表紙のデザインも自分でスケッチしてアナンドに与えたのだそうだ。そんなスケッチもブックショップに展示されるのだという。ともかく世を去る前夜まで、アナンドに本のタイトルを指示していたそうだ。いわく、

 「Come follow to you というのはどうかな」
 「ちょっとそれは、文法的にへんですね」

 「いや、それでいいんだ」

 というわけで、いずれ「Come follow to you (さあ、あなたに従って)」という本が出るらしい。先日出版された「India my Love」もそうだが、Oshoが遺していったタイトルはあといくつもあるのだという。その中には「Notes from Grave(墓場からの手記)」なんてのもあるんだって。

 ところでジョーカーのヴィマールが七年かかってOshoジョーク集をまとめて、それがこのたび出版の運びになるそうだ。誰か訳してみない。


◆ハワイへのいざない(2/24)

 日本のサニヤシンの草分けのひとり、スワミ・アサンガ。ここ数年は、プーナのコミューンや欧州のセンターで、弓道のグループをリードしている。
 そのアサンガがこのたび、住み慣れた伊豆高原の山荘を引き払い、ハワイのマウイ島に移り住んで瞑想センターをつくるのだという。そこで本誌はそのへんの事情をつまびらかにすべく、インタビューを試みるのである。以下はその要約;

 アサンガの家(写真)はハワイ・マウイ島の標高1200mのところにある。音楽家のスワミ・サハストロとともに住んでいる。マウイ島には世界各国からサニヤシンたちが移り住み、その数は現在300名に及ぶという。サニヤシンたちはひとつのコミュニティーを形成し、ひんぱんに集っては瞑想したりパーティをしたりする。その中心になっているのが、上記のサハストロとかカルネッシュといった音楽家たち。

 ここ数年、世界各地を訪れていたアサンガは、しばらく前このマウイを訪れ、その土地の放つ波動とサニヤシンたちのハートフルな交流にいたく感動。ここに住む決心をする。

 現在、この写真の家の裏手にもうひとつ家を借り、それをサニヤス・ゲストハウスとして開放。誰でも宿泊できるようになっている。(シングル一泊35ドル、ダブル一泊40ドル、二週間以上滞在の場合は約30%割引)。

 今年は家の前の庭に、50人ほどが瞑想できる円形の瞑想ホールを建設するのだという。夏休みになど手伝ってくれる人がいたら、宿泊用にパオ(モンゴル・テント)を用意するので、連絡をもらいたいとのこと。連絡先:0557-51-4128(3月−5月)、1-808-878-3576(それ以降)


◆Oshoブック・オークション(2/26)

 これは昨晩の話。ホワイトローブ終了後、ミラの作品とOshoの本のオークションがあった。これはOsho Book Explosionの 一環としておこなわれたもの。競売人はおなじみ英国人のスワミ・ヴィマール。Osho在世中にもこの種のオークションの競売人として活躍していた人である。巧みな話術で聴衆を引きつけ、知らぬ間に競り値をつり上げていく。(現在はOshoカフェの責任者として毎日エプロンをかけて立ち働いている)。

 まず最初は日本の画家、マ・ミラのポスターと絵7点。いずれもOshoがかつて著書を飾る挿画として選んだものだ。ブックショップ前に集った二百人ほどのサニヤシンの間で、数千ルピーから数万ルピーの値段がついていく。私もただ見物しているだけじゃつまらないので、美しい夜桜みたいな絵に一万ルピーの値をつけてみたものの、あっさりほかの人に持っていかれてしまった。いずれもミュンヘンのギャラリーでは数千マルクの値段がついているものだそうで、かなりお買い得だったと言えるだろう。

 この夜のメインは、Oshoの自筆サイン入り著書。Osho在世中は新しい本が出るたびにこのようなオークションが行われ、Oshoがサインとともに競り落とした人の名前を書いてくれたものだ。その収益がまた次の本を出す経費となるのである。(コミューンでは本はすべて原価で売られている)。ヴィマールによれば、普段は早く床に就くOshoも、オークションの夜だけは夜更かしをして、どこの誰がいくらで落としたか聞くまでは寝なかったのだそうな。

 さてOshoのサイン入り本は、まだこのコミューンに数冊残っているのだという。出版予算の足しにするようにと、Oshoが在世中にサインして残していったのだそうだ。そのうちの一冊が昨晩、競りに出されたというわけ。数年ぶりのことだ。本の題名は「From Darkness to Light(闇から光へ)」、オレゴン時代の講話集だ。ヴィマールの懸命なる努力にもかかわらず、落札値は7万5千ルピーと意外に低い。収益は未刊行のヒンディー語講話集三百冊の英訳出版に使われるというから、私としても一札加わりたかったのだが、あまり馴染みのない講話集だし、先立つものの問題もあって、今回は見送った。しかしこれは買い得だったと思う。というわけで、次回のオークションに向け、クニに帰ったらしっかり働こうと心に決めた私である。  写真:Oshoサイン入りの本を見せる競売人ヴィマール  


◆パーティ! (2/28)

 これも昨晩の話。毎月末の恒例なのがホワイトローブ後のコミューン・パーティ。「マハカーシャパ」というコミューン奥の広い敷地で行われる。パーティというと騒々しくて嫌いだという人もあるだろうが、このパーティだけは格別。騒々しいのは同じだが、宵闇に数万の豆電球がきらめき、出店が出たり、バンドが出たり、知った顔があちこちに出没したりで、楽しいことこの上ない。

 数ある出店の中でも一番人気なのがこの寿司コーナー(写真)。いつも日本人が前日から仕込みをしているのだが、今回は韓国人も加わって、「ギンパップ」という韓国風のり巻きを作る。これがなかなかうまい。百数十人分用意したのだが、会場のオープン直後から行列ができて、30分もたたないうちに完売。家に帰ってきれいなパーティドレスに着替えたりしていたら、まずありつけないのである。

 そこで、正しいコミューン・パーティの楽しみかた:  ホワイトローブが終わったら、そんなに急がなくていいから、ロッカールームで平服に着替える。(マルーン・ローブだとシラけるから避ける)。トイレを済ませ、パーティ会場に入り(入場料百ルピー)、まっすぐ寿司コーナーへ行く。寿司を一皿手にしたら、ビールでも飲みながら、ひとまず腹ごしらえだ。それから会場をあちこちひやかして回る。生バンドでダンサーたちと一緒にサルサを踊るもいいし、巨大なディスコ会場で(昔を思い出して)ディスコ・ミュージックに興じるもいい。そして腹が減ったら、イタリア人がやっている茹でたてスパゲティーを食べたり、インドの珍しいスナックをつまんだりする。シャンペングラスを傾けつつ、ちょっとリッチにムードを楽しむという手もある。夜空にオリオン座やシリウス星を眺めながらの野外パーティなんて、日本じゃ滅多にできるものではない (凍死してしまう)。

 いつ果てるともなつ続く夜の饗宴。踊り疲れた私は、後ろ髪を引かれる思いで、家路に就くのである。
 みなさんもネット・サーフばっかりやっていると、体がなまるよ。


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