オショー
をめぐる最近のトピック '97
秋
このプレム・コミューン、今年五月末に訪ねたときに比べ、かなり施設も充実してきた。新たにレセプションやカフェテリアが建設され、黒と生成りを基調としたなかなかセンスのいい建物となっている。このセレブレーション・サイトに、名古屋からソナやプラディープ、ハリマなどお馴染みサニヤシンたちが数台の車に分乗してやってくる。ただ肝心の東京近辺からは、サクシンの不人気が災いして、古参の弟子たちがほとんど姿を現さず、ちょっと淋しい。それもあって祭の参加者は主催者発表で80人どまりだ。
もう30年近くもオショーの弟子をやっているニーラム。やはりただ者ではない。優雅なサリー姿で登場し、探求者たちからの質問に対して、自らの瞑想経験から懇切丁寧に答える(写真左)。プーナのオショーコミューンで毎週木曜に行われるオショーダルシャンにもよく登場して、世界中の探求者からの質問にも手際よく答えているニーラムだが、さすがに長い間オショーの身近にいて親しく薫陶を受けてきただけのことはある。オショーからは「ハートの道」を指示され、ひたすら愛に生きてきた人なのだが、ちゃんとマインド(頭)も働くのだ。このニーラムとの質疑応答は毎日一時間ずつあったが、これがなかなか楽しくてタメになる。また、かつて若きオショーが瞑想キャンプで自ら指導した瞑想法も、別に時間を設けていろいろ披露してくれた。
ミュージシャンたちがまたゴージャス。おなじみミラレパ(ギター&ボーカル)、ジョシュア(シタール、バンスリ、サックス)、サットギャン(ベース)のみならず、ちょうど日本に来あわせたニヴェダノ(ドラムス)、そして名古屋からヨーコ(横笛)、サットプレム(パーカッション)、ニーラ(ボーカル)、東京のバルティ(キーボード)も加わり、プーナでもちょっとお目にかかれないような豪華メンバーとなった(写真右)。それがみんな、会場の雰囲気とすっかり一体となって、いかにも楽しそうにプレーしているのだ。オレなんか彼らのそばで演奏ぶりを眺めているだけで、至福の境地にひたりこむのだった。
食事も申し分ない。もともとレストランも経営しているセンターだから、こういうのはお手の物だ。今回はタンドゥーリ(インド式パン焼きガマ)まで用意され、焼き立てのナンもふるまわれた。ただカレーに関しては、いつもながらちょっと辛目だったけどね。
そして本日、三日目の午後。最後のニーラムの質疑応答までは、オレにとって順調だった。
ところが、最後の最後に、サクシンのリーダーであるインド人スワミ・サティヤティルスの希望で、キルタンが行われたのだ。キルタンとはインド風の献身歌。これには正直、ぎょっとした。ヒンディー風の単純な旋律と歌詞を繰り返すこのオショー賛歌。オレからすればほとんど音楽的に見るところのないつまんない曲なのだが、サクシン瞑想センターの面々はすべからく涙を流さんばかりに感動し、狂喜乱舞しているのだ。オレはその姿にショックを受け、しばし呆然と立ちつくすのであった。このキルタンが延々40分ほど続くのである。
インド人であるニーラムはもちろん楽しそうに踊っていたが、でもちょっとやりすぎだと思ったのだろう。キルタンが終わるやミラレパのところに歩み寄って、一曲リクエストしたのだ。こういう感覚はさすがニーラムだと思う。オレは元来、ミラレパの曲はウェスタンポップ過ぎてあんまり好きじゃないんだが、このときばかりはおなじみの「オショーソング」が始まるや、百年ぶりになつかしのわが家に帰りついたみたいな安堵感につつまれた。
しかしサクシンの面々。見かけは日本人なのだが、中身はほんとにインド人なんだなあと、ほとほと呆れ返った次第だ。でももしかすると、例の「サクシン疑惑」なるものも、案外こんなところに源を発しているのじゃないかと思った。
オレはこの4年間ほど、サクシンとはずっと友だちづきあいをしてきた。そのせいで、主に東京近辺の古いサニヤシンたちからは、だいぶ白眼視されたものだ。というのもサクシンが悪逆非道の輩と思われていたからだ。人にどう言われようと友だちは友だちだから、オレは何とも思わずつきあいを続けてきたのだが、でもなぜ彼らサクシンがこうまで悪し様に言われるのか、それが不思議でならなかった。その原因の一端を、五年目にして今日、かいま見たような気がするのだ。
つまり彼らはインド人の集まりなのだ。センターリーダーがグル的な風貌を持つのも、実にインド風だ。オレは昨年、デリーのオショー瞑想センターを訪ねたことがあるが、そこでもリーダーのスワミ・プラカッシュに対して来訪者が身を屈め、足に触れて挨拶する姿を目にしている。
西欧的洗練から程遠い根っからのインド人・サティヤティルスも、そうしたインド風の瞑想センターを日本に作り上げてしまったのだ。そしてそれが肌に合う日系インド人が周りに集まってくるというわけ。もちろん日系インド人は絶対数が少ないから、それがサクシンの限界となるだろう。だから今回のセレブレーションにしたって、クオリティからすれば300人は集まってもいいはずなのに、スタッフも含めてわずかに80人しかやってこない。
だから彼らは基本的にマイノリティーなのだ。マイノリティーは得てして差別の対象になる。そんなマイノリティーが一カ所に集まってキルタンで狂喜乱舞していたら、フツーの人が見たらぎょっとするだろう。
でも誰だって何らかの意味でマイノリティーなのだ。例えばオレだって、日系の古典派ヨーロッパ人だ。そうした連中が集まってラヴェルの『ボレロ』で狂喜乱舞していたら、やっぱりフツーの人はぎょっとするだろう。
いかにキルタンが気に入らなかったとしても、それはあくまでオレの問題なのだ。それがどうしても嫌だったら、『ボレロ』でセレブレートするようなセンターを作りゃあいいんだ。
それが僕の今日の発見。
ニーラム&ミュージシャンたちによるセレブレーション日程大阪 9月20日(土) ピッコロシアター 9:30-4:00
福岡 9月23日(祝) 場所や時間についてはテラ(092-533-4007)までニーラムによる1日イベント
名古屋10/5 大阪10/10 東京10/14 そのほか鹿児島や屋久島でも開催。
今、10月9日、午前10時前。全日空492便・那覇発関西空港行きの機内。
実はウパニシャッド(喜納昌吉)に招待されたのだ。オショー秘書のマ・ヨガ・ニーラムが沖縄に来るというので、その通訳&接待係をおおせつかったというわけ。いや、しかし、めくるめく三泊三日であった。
6日の午後、那覇空港にニーラムとスワミ・タターガタを迎える。タターガタというのはニーラムのパートナーで、オショーからプーナ・コミューンの運営を任されていた人だ。現在も出版関係の総責任者をしていて、インド国内を忙しく駆け回っている。今回初めて休暇をとって日本へやってきたのだが、インドを出ることも生まれて初めてだということで、これはちょっと驚きだ。
もうひとつ驚いたのが、スワミ・サティヤティルスの出現だ。サティヤティルスは今回のニーラム訪日を画策した中心人物のひとりなのだが、ニーラムたちが沖縄のウパニシャッドに招待されたというので、急遽、自分も行きたくなって通訳のアナンディを伴ってやってきたらしい。またサクシンの運営する市民出版社が今ちょうど、那覇郊外の宜野湾(ぎのわん)市の書店でオショーブックフェアを開催していたということもあった。
私たちの泊まったホテルが、その宜野湾の海に面したANAのリゾートホテル。四年前やはりウパニシャッドに招かれたドクター・アムリットの泊まったホテルでもある。ウパニシャッド&チャンプルーズはその日の夜、中国・大連のコンサートから戻ってくる予定になっていた。
それで我々はホテルの近くに最近オープンした沖縄初の温泉センターに出かける。ニーラムたちは阿蘇のタカシや鹿児島のカイヤームのゲストにもなっていたので、もうすっかり温泉慣れしている。「オンセン」は大好きなのだそうだ。海辺の温泉だから、なめてみるとちょっぴり塩辛い。でも亜熱帯の植物を眺めながらの露天風呂というのも、なかなかおつなものだ。
翌日の昼、ウパニシャッドがホテルにやってきて、ニーラムたちと久しぶりの再会を果たす。ニーラムはコミューンのアート関係の責任者もしていて、ウパニシャッドのコンサートのときも司会や花束贈呈役を務めているので、顔なじみなのだ。まずは昼食ということで、近くにあったウパニシャッドの姪の夫であるネパール人の経営するインド料理店へ出かける(写真左・左からタターガタ、ウパニシャッド、ニーラム)。このネパール人がサティヤティルスの友人の友人ということで、世の中は狭いものだ。
続いて、近所にある田園書房というところで開かれていたオショーブックフェアに出かける。二階建ての立派な書店だ。小さなフェアであったが、なかなか美しくディスプレーされていた(写真右・左端がサティヤティルス)。オレの翻訳した『ヴィギャン・バイラヴ・タントラ』シリーズなどが並んでいたが、担当者に聞くと、和書よりも洋書やCDの方が売れているという。レジ横の壁には10日に開かれるウパニシャッドのコンサートのチラシが張ってある。
ウパニシャッドはかなりの読書家であるらしく、ここで何冊もの本を買い込んでいた。オレも一冊『平家物語』を買い求めた。なぜ今さら平家物語かというと、オレは琵琶法師を目指しているのだ。いずれ『敦盛』の一段でも語ろうかと思っている。
さてその夜は、那覇の銀座通り(もしくはMGロード)である国際通りにあるウパニシャッドの店、『チャクラ』に出かける。ここで夕食をとりながら歓談だ。
ところで、沖縄というのは日本一の肉食県だ。この島でベジタリアンとして生きるのはまことに難しい。ことにニーラムやサティヤティルスは、ダシも動物性はダメということで、これは沖縄では非常に難しい注文なのだ。それでもチャクラのスタッフが一所懸命、菜食料理を作ってくれる。特にウパニシャッドの妹でチャンプルーズのメンバーでもあるタルーナが腕によりをかけて、まことにおいしい料理をふるまってくれた。やっぱりクリエーティブな人々だ。料理がいっさいダメなオレは、ただただ感じいった次第である。ウパニシャッドは今日は休みで、ステージには上らない。それで楽しみは明日にとっておく。
そして明くる8日。今日は沖縄観光の日だ。ウパニシャッドが東シナ海に浮かぶ座間味島に案内してくれる。那覇から船に乗って一時間くらいのところだ。ここ慶良間諸島の海は世界でも有数の透明度を誇るところ。白砂の海岸に出ると、水が三色のブルーに輝き、まるでゼリーのよう。オレも世界中けっこういろんなビーチで遊んだが、やっぱりここはピカ一だろう。水中メガネで海中をのぞくと、群れ寄る魚がまたデカイ。この島はまた、地形的にもまことに変化に富み、断崖絶壁や峨々たる岩石の露頭がいたるところにある。今度は是非一度、地質学者を連れてやってきたいところだ。
そんなこんなで時を忘れて遊び興じ、港に着いた時には、那覇行きの最終船が桟橋を離れた後であった。そこでウパニシャッドが岸壁から手を振って船を呼び戻し、めでたくみんなで乗り込んだのである。出航した船を呼び戻せるのは国の大臣クラスだけだと沖縄では言われるが、引き返してくる船を見やりながら島人たちの口からは、「やっぱり有名人は違うなあ」という感嘆とも諦めともつかぬ声がもれるのであった。
そしてその夜は再びチャクラに繰り出す。ニーラムはオショーのサインをあしらった美しい緑色のシルク・サリーを着ている。これはニューデリーで高級サリー店を営むスワミ・サティヤ・ポールの手になるもので、オショーの在世中に作られたものだそうだ。ウパニシャッド&チャンプルーズの出番は三〇分ほど。中国の旅や接待などでまだ疲れていたのだろう、あんまり調子が出ないとウパニシャッドはのたまっていた。でも僕たちはそんなことにおかまいなく、ハイサイおじさんや、唐船ドーイに踊り興じるのだった。
そして宴のあと、最後にみんなで卓を囲んだ時、ちょっと意外な展開があった。
じつは、その前々日サティヤティルスが空港に現れた時、これはちょっと困ったなあと思ったのだ。というのもウパニシャッドが前々からサクシンを批判していたことを知っていたからだ。ところがこの二人、会ってみると、意外に気が合うらしいのだ。そしてこの最後の晩、サティヤティルスはウパニシャッドに『禅マニフェスト』を自分のところで出させてほしいと申し出たのである。
じつは今回の私の沖縄行きには、この『禅マニフェスト』の出版について詰めておきたいという意図もあった。この禅マニフェストにはウパニシャッドが深く関わっていたのである。ウパニシャッドはこの本の出版権を五年ほど前にオショーインターナショナルから取得している。しかしこの出版権は一年以内に出版しないと消滅するのである。そしてもちろんウパニシャッドはその契約更新をしていなかった。
そして昨年、新たに市民出版社がその権利を取得し、翻訳を完成していた私にその出版を打診してきたのだ。それを聞いたウパニシャッドはちょっとあわてた。サクシンに対する「不信」もあって、どうしても自分でやりたいと彼はいう。そして京都のある出版社を見つけてきて、そこで出そうという話になっていた。このことは市民出版社の社長であるパトラも了承していた。
しかしサティヤティルスはパトラからこの本の概略を聞き、どうしても自分のところで出版したいと思ったらしい。今回の沖縄行きもそこに理由があったのだ。その出版希望についてはオレもちょっと聞かされていたが、今までのいきさつもあるから、さてウパニシャッドがどう反応するかまったく未知数であった。
さてサティヤティルスがウパニシャッドにその申し出をした時、お互い言葉の通じない二人の間に一瞬、ビビッと電撃が走る。ややあって、ウパニシャッドが「じゃ一緒にやりましょう」と言うのである。喜んだサティヤティルスはさっそくその場でパトラを携帯で呼び出し、「吉報」を伝えるのである。このおっさん、ひげは白いが、なかなかの熱血漢なのだ。かくして、出版の打ち合わせをかねて紅葉の京都見物でもというオレの目論見は、一瞬にして打ち砕かれてしまったのである。
「おっさん」と言ったけども、これはちょっと失礼であったかな。じつはこの四人…ニーラム、タターガタ、ウパニシャッド、サティヤティルスは、ほとんど同世代、1940年代後半生まれの先輩サニヤシンたちなのだ。もうじき50歳になろうという働き盛りのこの四人が一緒にいると、これはなかなかの見物であった。ちょうど店には『ニュースステーション』の取材が入っていて、踊り狂うオレたちもけっこう写されていた。カットしないよう撮影スタッフにはよく言い含めておいたので、みなさん見てね。11月に放映予定だという。
というわけで、そのうちウパニシャッドとサティヤティルスが手を組んで、東京でなにかやらかすらしい。詳細はまた追ってお知らせしよう。
今、関西空港から大阪に向かう南海電車「ラピート」の車内。さてこれから、梅田・阪急デパートの展示会場で新作の拙著『タッサーシルクのぼんぼんパンツ』を店頭販売し、夕方新幹線に乗って東京に戻り、明日午前中は近所の小学校の運動会に来賓で招かれ、午後からはバナナバンドのミュージックグループに参加という、ウパニシャッドばりの強行スケジュールが待っているのである。
オショー関係では最大のサイトであるosho orgサイトに、オショーのビデオクリップが登場! という情報が入ったので、さっそくアクセスしてみることにした。
まずビデオを見るためのプラグインが必要。これはリアル社のReal
Playerをダウンロードする。僕はMac用のPPC版を入手したけれども、2Mほどのサイズを5分くらいでダウンロード(ISDN
64k使用)。
Real Player Plusというのもあるが、これは有料らしい。
そしてさっそくオショービデオサイトに接続。すると六つのクリップが並んでいる。ひとつ選んでクリックすると、やおらReal
Playerが起動して、その小さな窓にオショー
の動画が現れるのだ! 左の写真が実物大のビデオクリップ。
小さいとは言え、自分のパソコン上でオショー
が動き、音声を発するというのは、なかなか感動的なものだ。
いずれも短いクリップで、最長でも2分23秒。いろんなオショー が出てきて、講話をしたり、ダンスをしたり、ナマステをしている。画像はまだ粗く、動きもブツブツ途切れるのだが、これでまた世界同時ホワイトローブへと一歩前進したことになる。
オレもちょっと戸惑ってはいるんだが……。
伝えによると、ブッダの在世中、悟りを開いた弟子たちの数は五〇〇人にのぼったという(五百羅漢)。で、オショー
の場合はいったいどうなんだろうと、前々から気にはなっていたのだ。悟りを開いたサニヤシンもいるという話は、ちらほら耳にしてはいたのだが。
そんな中のひとり、Swami
Tyohar(スワミ・ティオハル)に、一昨日、昨日とお目にかかった。ちょうど日本を訪れていたのだ。
今月8日9日と、友人のデヴァアグニが近所の養沢で瞑想キャンプを主催した。その二日目に彼が
Tyoharを連れて来たのだ。じつはこの Tyohar、八ヶ岳のキヨタカのところで瞑想キャンプをすることになっていたのだが、参加申し込みが少なく、お流れになってしまったのだ。そこでアグニが養沢に連れてきたというわけ。
この
Tyoharの噂は、今年プーナでも耳にしていた。なんでも、若いイスラエル人が悟りを開き、コミューンの近くでダルシャンをしているというのだ。でもオレはとくべつ関心もなかったから、訪ねもしなかった。
さてこの Tyohar、オショー の弟子になったのが93年。そして悟ったのは95年だという。今年29歳ということで、オレよりずっと若く、まあ言ってみれば弟デシにあたるわけで、それがさっさと悟りを開いたというんだから、ちょっとフクザツな気持ちだった。
人が悟りを開いているか否か、オレには判定するすべもないし、そもそも「悟り」なんてものがこの世に存在するのかすら知らないんだから、この
Tyoharなる人が本当に悟っているのかどうかは、みなさんご自身の判断にまかせるほかない。
一昨日の瞑想会と、昨日のダルシャンの席で、彼との質疑応答が行われ、オレが通訳をするはめになった。
その受け答え、とくに瞑想に関する回答について言うと、まさにオショー
もかくやと思わせるものがあった。オレもオショー
の翻訳を十年以上やっているから、頭脳をふりしぼれば似たようなことは言えるだろうが……。
先日来日したオショー の秘書ニーラムの瞑想に関する質疑応答もなかなか見事だったが、
Tyoharとのひとつの相違点は「オショー
いわく」という引用符が頻出したことだ。
Tyoharの場合はそれがない。なんか、自分の存在というか、体験からにじみでてくるような感じだ。
そこには静かな権威というか、カリスマのようなものがある。その余韻は一日たってもまだ残っていて、だいたいにおいて非瞑想的なこのオレもさすがに、もっと瞑想的にならなくちゃと思ったりするのだ。
(写真:11月9日・東京あきる野市の養沢にて)
ここは肥後の国・熊本。タカシ&ヒロのフィールドである。タカシと言えば自分の営む南阿蘇のペンションに九州一の口径82センチの望遠鏡を据え付けてしまったという、ちょっとキ印に近いサニヤシンだ。
このタカシ&ヒロが九州の中心都市・福岡にオショー
ギャラリー創設を企てていたことは、今年の春から何度もお伝えしてきたとおりである。さて、あの話はいったいどうなったか。
夢は大きく現実はつつましやかな大方のサニヤシンの中にあって、一度口にしたことはだいたいにおいて実現してしまうのが、このタカシである。
そして今、福岡の中心地・天神から西鉄で三つ目の高宮駅前に、ギャラリーショップ『テラ』は堂々店開きしていた。(この「テラ」は寺ではなく「Terra」、つまり「大地」という意味)。今年6月にオープンして、早半年がたつ。(写真左・ギャラリー『テラ』とタカシ&ヒロ)
ただし、当初の目論見であったオショー
ギャラリーとはかなり趣を異とし、彼らが阿蘇で経営する『ルナ天文台』のアンテナショップという性格だ。従って、置いてあるものも、天体望遠鏡や天文グッズ、クリスタルやヒーリングストーン、阿蘇の有機野菜といったもの。店の一番奥に設けられたセッションルームもほとんど使われることがなく、今は望遠鏡の展示場になっている。
これは別にタカシが志を曲げたということではない。
オショー のメッセージを伝えるべきオショー
ギャラリーは、まずほとんど利益をもたらすことがない。いわば華のようなものだ。まずはその華を支える茎葉の部分が必要だ。
その役割をにない、オショー
の香を秘めつつ、ビジネスとして成り立つ店を作ろうというのがタカシたちの考えだった。それで生まれたのがこのギャラリー『テラ』だったというわけ。
オレもやっぱりギャラリーオーナーだからわかるけど、こうした店って、そう簡単には黒字転換しないものだ。とくにタカシたちは販売のビジネスは始めてだから、2、3年は我慢しないとね。しかも扱う物が天体望遠鏡とかヒーリングストーンとかいった特殊なアイテムで、おまけに人通りもあまり多くないときたら…。
そこでタカシは考えた。それなら『Via
南阿蘇』ってのを作っちゃえ!
この『Via
南阿蘇』というのは「南阿蘇の道」というような意味で、簡単に言うと自分の住む南阿蘇の「オショー
的なスピリット」を、モノに託して売っていこうというもの。
しかしながら「オショー
的スピリット」といっても、もちろんそれは究極的な話。今のところ南阿蘇にそうした商品がゴロゴロころがっているわけじゃない。まずはネットワークを広げ、「オショー
的なスピリット」ないしは、「瞑想性」「自己探求」「創造性」といったものに共鳴できる人々とともに商品開発を行っていく。タカシによると、そうした人々が周りに集まりつつあるのだという。
それで『テラ』は来年から、天文ギャラリー色を弱め、「食」関連の方向に大きく振れることになる。
具体的に言うと、南阿蘇の有名な天然水と有機野菜を使ったレストランを主とし、併設のショップで同じく水や野菜や「ルナ天文台」を売っていくという。
ところでタカシの『Via
南阿蘇』構想は、この『テラ』レストランにとどまらない。もうひとつあるのだ。ただあんまり宣伝しすぎて実現しないと困るから、それについてはまた次の機会に譲ろうと思う。
しかしまあ、いつも「疲れた、疲れた」と言いながら、疲れを知らぬ人々であることよ。
今日は12月11日。オショー66回目の誕生日だ。そしてオレは今、電車の中にいる。時は朝の6時半。東京の西のはずれ武蔵五日市から成田空港へ向かう道中だ。行く先はインドのプーナ。帰国は二月初めの予定となっている。
昨日はいろいろ忙しかった。というのも、来年3月21日に予定されている『禅ライブ・セレブレーション』の手配に追われていたからだ。
3月21日といったら、オショー エンライトメントデー(オショー が悟りを開いた日)。ここ二三年、隅田川のほとり「すみだリバーサイドホール」で盛大にセレブレーションが行われている。ただ次回はちょっと趣が変わっている。もう少し一般の人々にも間口を広げ、『禅ライブ』と銘打ち、新しいタイプのセレブレーションにしようというものだ。
テーマは「二十一世紀へのキーワード・瞑想」という感じで、楽しくお祝いしながら、広くこの世に瞑想やオショー をプレゼンテーションしようというもの。会場は例年通り、浅草駅から徒歩五分の、広くて瀟洒な「すみだリバーサイド」だ。
瞑想とはサンスクリット語で「ディヤン」、それが中国を通って日本に伝わってきて「ゼン」となった。「人類が次世紀に生き残るとしたら瞑想しかない」、なんてことをオショーはのたまっていた。そしてこの日は、オショー 最後の講話集である『禅宣言(禅マニフェスト)』日本語訳の出版される日でもある。
そこでこの『禅ライブ』つまり「生きた禅」セレブレーションは、二部構成となる。昼から始まる第一部は『Healing
Zen』というタイトルだ。サニヤシンのボディーワーカーやセッションギバーがミニブースを出して、希望者に体験セッションを行う。『フィリ・フェスティバル』のサニヤス版のようなものだ。ただ、玉石混淆の『フィリフェス』に比べると、こっちは規模は小さいが粒ぞろいで、エネルギーも気持ちいいはず。
キネシオロジーやクラニオセクラル、オーラソーマにチベッタンヒーリング、リバランシングにカラーパンクチャー、レイキにマルチダイメンショナル、サイキックマッサージにタロットリーディング……その他いろいろな瞑想的セッションが、経験豊かな施術者によって体験できる。
そして夕方からの第二部が『Dancing
Zen』。ここにはスペシャルゲストが二人いる。まずはアメリカからやってくるスワミ・アヌブッダ。リバランシングやコンシャスタッチの創始者で、オショーのボディーワーカーでもあったこの人は、日本でもとりわけ人気が高い。このアヌブッダが、体に働きかけつつ、人々を瞑想の境地へといざなってくれる。
次いで登場するのがオショー沖縄大使のスワミ・ウパニシャッド(喜納昌吉)。まずは『禅宣言』出版の記念スピーチだ。最近いろいろ世上を騒がすウパニシャッド、さていったいどんなことを言い出すやら。
そうして会場はダンシング・セレブレーションへと突入する。登場するミュージシャンは、ウパニシャッドのほか、名古屋のオショー
バンドとか東京のバナナバンドとかいろいろウワサが飛び交っているが、今の段階ではいったいどんなものになるかは定かではない。
とにかくこの話がまとまったのは、つい二、三日前のこと。だから、内容的には未知数な部分が相当多い。じつのところ、これから様々なサニヤシンたちとともにクリエートしていこうという感じなのだ。総責任者はいちおうオレということで、これからプーナでいろいろ策動することになる。その間、日本ではマ・ウシュマが窓口になってオーガナイズにあたる。
プーナには例によってパソコン持参で出かけ、コミューン内外からインターネット接続する予定なので、このセレブレーション企画の推移も、随時お伝えできることと思う。何かおもしろいアイデアのある人、あるいは何のアイデアもないが肉体でヘルプしたいと思う人は、parva@din.or.jpまでどしどしメールをくだされ。