ぱるばか日誌 2007               

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12月12日(水) 千鳥ヶ淵の怪

 以前もこのタイトルで書いた記憶がある。
 千鳥ヶ淵とは、インド大使館の所在地。年に一遍は訪ねる。弊社スタッフのインドビザ取得のためだ。
 「怪」というのは、そのたびに異変があるからだ。ビザ料金が急騰したり急落したり、シーク教教祖誕生日のため休館だったり。
 確か一昨年はビザが即日発給になっていて、これは悠久の大地インドにとって大異変である。
 だから千鳥ヶ淵に赴く前は、よくよく注意が必要なのだ。
 多宗教のインドにはいろんな宗教的祭日があり、それもインド暦だから毎年変わる。そこで前もってインド大使館サイトのリンクを辿り、昨12月11日がどの教祖の誕生日でもないことを確認。午前11時までに領事部に入れば、例年通り当日夕刻までにはビザがもらえるはずである。
 そこで勇躍家を出て、11時10分前に千鳥ヶ淵に到着。
 さて、領事部は…

 ところが、インド大使館が、ない………
 あの、なつかしき千鳥ヶ淵のほとりに、インド大使館が無いのである。
 かつての敷地は、無愛想なフェンスに囲まれている。
 そのフェンス上に掲示があるので読んでみると、なんでも立て替え工事だそうだ。ビザ発給業務は茗荷谷のジャパン・オーバーシーズ・コーポレーション(以下JOC)に委託とのこと。
 今回の異変はコレであったか。
 建物ごと消え去るなんて、ちょっと究極。

 
教訓:やっぱりインドは何が起こるかわからない。何事にも余裕を持ってあたるべし。

 まあ、私の油断といえば油断か。
 インド大使館のHPを見てみると、たしかに冒頭に赤字で「Important and Urgent Notice for all Visa applicants」とあって、そこをクリックすると上記の情報につながるようになっている。
 いちおう祭日チェックのためにインド大使館HPは訪れたのだが、こいつぁ気づかなかった。
 先月15日からそうなったらしい。

 ちなみに、JOCの所在地は、文京区大塚3-5-4 茗荷谷ハイツビル1階 03-5978-1381 受付時間など大使館とは異なるでの電話で確認のこと。
 民間の機関なので、大使館より愛想は良い。ただし手数料(750円)が加算される。だから現在、ビザ代1200円とあわせ1950円。
 インド大使館HPによると、もうじきネットでビザ申請もできるようになる模様だ。
 私なんかビザ免除にしてほしけどね。日印の文化交流にもう二十年も貢献(たぶん)してるんだし。


12月2日(日) 熊野・三種の寿司

 仕事で南紀に行った。熊野三山のひとつ、和歌山県の新宮だ。
 新宮にはかつて伊勢から二度ほど車で行ったことがあった。えらくロングドライブだった覚えがある。
 今回は東京からだから、名古屋まで新幹線。そこからJR紀勢線の特急・南紀号。
 紀勢線って、おそらく聞いたことあるまい。だいたい名古屋から南は近鉄の天下で、JRはマイナーなのだ。電化すらされておらず、ディーゼルの特急。それも一日四本で、四両という小規模編成。それでも南紀号は「ワイドビュー」を謳っており、窓が大きく、座面も一段上がっていてまことに眺めが良い。やっぱ熊野詣では電車に限る。
 名古屋から3時間余で新宮。取り引き先の主人がいちおう新宮速玉大社に案内してくれるが、特に崇敬している風もない。当地の歴史を研究している人のようで、なんでも熊野には正史に現れぬ裏の歴史があるようだ。神武vs熊野の神代バトル。いはく、神武東征の折、熊野方に内通者が出て、武運つたなく神武方に負けてしまうのだ。その裏切り者が八咫烏なのだという。その功績が長く今日まで伝えられ、折しもサッカー日本代表のシンボルにまでなっている。ところがそのヤタガラス、じつは神武天皇の熊野上陸を手引きした怪しからん地元豪族だったというわけ。ま、裏返すと、機を見るのに?だったということか。

 新宮市発行の観光マップに、郷土料理として、三種類の寿司が紹介されていた。めはりずし、さんま姿ずし、なれずし。
 いはく…

 めはりずし ― 高菜漬けの葉っぱでご飯をつつみこむおにぎり。
 さんま姿ずし ― 熊野灘に南下してきたサンマの酢じめを丸々のっけた寿司。
 なれずし ― 伝統的な保存食で、酢を用いず自然発酵させる。食通には非常に喜ばれる。

 別にこの紹介に則ったわけでもあるまいが、今回の滞在中、この三種の寿司を馳走になった。
 めはりずしは、海苔の代わりに高菜を使ったおにぎりという感じ。醤油や味醂の中に高菜漬けをひたし、それをしぼってから茎の部分は微塵に切っておにぎりの中に入れ、葉の部分で包み込む。酢飯ではなかったが、高菜漬けの酸味があるから寿司なのか。ともあれ、高菜の風味とあいまって美味。当地では子供の弁当にもよく使われるとのこと。
 さんま姿すしは、昼食後の食欲のない時に出されたので、正直、あまり印象にない。使われる丸ごとサンマは、北海から熊野まで南下し脂が落ちて身が引き締まっているという。私は酢じめ大好きだが、脂っこいほうが好み。ちとアッサリしすぎか。
 なれずし。これは土産にと手渡され、帰りの南紀号車中で食することにする。魚はサンマで、包丁を入れていない棒状の食品。シャリはぐちゃぐちゃに軟弱で、魚も皮付きで、ひどく食いづらい。最初はちょっと災難という感じであった。ところがコレ、見かけによらず、かなりイケるのである。天然発酵だから、上品な食酢とは違い、ピリッとしたやや刺激的な酸味。蛋白質が発酵するから、ほのか硫黄味も。クセになりそう。オレって食通なのかしらん♪ 途中から食いづらさも忘れ、南インドのミールスを食うみたいに両手を飯でぐちゃぐちゃにしながら賞翫するのであった。

 ついでに紀州といえばミカンの産地。普通は有田ミカンを連想するが、当地の人は有田は食わない。ミカンだったら、すぐ北隣の三重県・阿田和に限るという。試食してみると、めちゃ甘い。そこで土産に5kg買い込む。
 というわけで、肝腎の仕事はうまく行ったかどうか不明だが、食的にはとってもうかまった。

 ところで、再びJR紀勢線。特急南紀は一日四本、計16両しか走らないのに、けっこうガラガラなのだ。年々本数も車両数も減少傾向の様子。このままじゃなくなっちゃうかも。みなさん、なれずしや阿田和ミカンを食いに、熊野へ行こう!

11月23日(金) 賞味期限

 
弊社の冷蔵庫の片隅に、納豆のパックがひとつ、忘れ去られていた。
 先週末のこと。
 賞味期限は10月22日とある。
 おそらく先月中頃、私が買ったものだ。
 捨てるに忍びなく、自宅に持ち帰る。
 しばらく処遇に迷ったが、今朝、パックを開けてみる。
 賞味期限からひとつき経過。
 見たところ異常はない。
 一粒口に入れるが、異常はない。
 飯と一緒に食べても、異常はない。
 というか、美味い。
 味も、テクスチャも、同じ。

 納豆における賞味期限とはいったい何か!?
 ま、蛋白質の発酵食品だからな、チーズみたいなもんか。
 ゴーダなんか古い方が高いわけだし。

 以上、表示の賞味期限をひとつき過ぎた納豆も美味かったという報告まで。


7月29日(日) おススメDVD♪

 
思わず♪までつけてしまった。
 思い入れが深いのだ。
 とはいえ、今スグに買えるというわけじゃない。ま、順調に行って晩秋あたりだろうか…日本語版が発売されるのは。

 今から一月余り前、突然シンガポールから電話が入る。BhagavanのDVDを翻訳してくれないかというのだ。依頼主はコスミックレーベル。DVDの版元だ。日本語字幕をつけたいらしい。
 DVDは全4巻。締め切りは約二週間後。
 急な話だ。ただオレは常々Bhagavanの言葉を翻訳してみたいと思っていたので、ともかく承諾する。即日テキストがメール添付で、そして三日後DVDが速達で送られて来る。
 DVDだからきっと映像主体で言葉は添え物くらいだろう、とタカをくくっていた。ところがなんのことはない、1時間半、ずーっと語りっぱなしなのだ。それも全4巻。インタビューを収めたDVDだ。語り手はBhagavanほか、いろいろ。

 インタビュアーはアルジュナ・アーダーグというアメリカ在住のイギリス人だ。その名を聞けばオレみたいなOsho関係者ならピンと来るであろう。サニヤシン(Osho弟子)なのだ。
 略歴によると、Osho遷化後の1991年、プンジャジの許でラジカルなシフトを体験したとある。以後、著述および瞑想指導に携わり、欧米のその筋ではかなり知られた存在であるらしい。
 このアルジュナおよび細君のチャメリが一年判ほど前にインド・Golden City に到達。当地で起こっていることに感銘を受け、ゴールデンエイジムーブメントを紹介する本とDVDの製作に着手したというわけ。

 翻訳作業に入って気づいたのだが、これは一日八時間フルタイムでやって一月仕事だ。しかも当時は広島のワンネス・カンファレンス直前で、一週間ほど家を空ける予定であった。とても二週間でできるような代物じゃない。
 そこで友人の英語学者R氏にも応援を頼みつつ、寸暇を惜しんで翻訳作業に没頭する。おかげで弊社の業務は停滞、庭や畑は草ぼうぼう、友人たちには不義理のワタシであった。
 爾来五週間、納期を大幅に過ぎて、今ようやく目鼻がついたところ。シンガポールの依頼主も自らの要求の無体さに気づいたのであろう、締切を大幅に緩和した模様である。

 このDVDの価値は、何よりまず、ムーブメントの仕掛け人であるBhagavan自身の口から、事の全容を聞くことができるという点であろう。奥さんのAmmaまでインタビューに登場するが、これは前例のないことだ。アナンダギリとサマダルシニの二大弟子がそれを補足する。
 更に世界各国のディクシャ・インストラクターたちが実体験を報告。その中には往年のスター、リンゼイ・ワグナーとか、百村プロジェクトの農民たち、Osho弟子には馴染みのラハシャやヌラ、ミーテンやパリマールといった面々も登場する。ラハシャの言葉、「私たちは何年も何年も瞑想やらセラピーやらですごくがんばって、確かに多くの変容は起こったが、それがこんなに簡単だったとは考えもしなかった」というのが印象的。  現在インドのスピリチャルシーンで恐らくは一番ホットな現象であろうこの「ムーブメント」を知るには、またとない映像資料。 
 タイトルは「AWAKENING INTO ONENESS DEEKSH」。
 日本で発売の折には、またお知らせしよう。
 英語版なら今スグにもこちらで買えるみたい。


6月14日(木) 300

 映画はあまり観ない。
 観て良かった!という経験がどうも少ないからだ。
 ただ、ギリシア物になると、どうしてもチェックせざるを得ない。
 一昨年のアレクサンドロスしかり、その前のトロイしかり。
 で、これも観てしまった。

 テルモピュライの戦いは、ギリシア古代史のロマンだ。
 300人の精鋭で、十数万のペルシア軍に対峙。
 そして玉と散る。
 ヘロドトスの『歴史』に描かれた、二千五百年前の事蹟。
 スパルタ王レオニダスは我が若き日のヒーローだった。

 かつてギリシアに遊びし折、ペルシア戦跡を巡ったものだ。
 マラトンの野とか、サルディスの廃墟とか。
 テルモピュライの地峡には、兜をつけ剣を帯びたレオニダスの像があった。
 彼らが命を賭して守ったスパルタは、タイゲトスのふもと、エウロタスのほとり。
 今は何の変哲もない、静かで小さな町だった。

 テルモピュライの映画化は、これが初めてではない。
 四十数年前、The 300 Spartans (邦題「スパルタ総攻撃」)という名で公開されている。 
 じつはそのDVDも持っている。
 その「総攻撃」にしても、今回の「300」にしても、★★★かな。
 アレクサンドロスも、トロイも、★★★。
 ヘロドトスの原作を★★★★★とすればだ。
 映画ってそんなもんなんだろうか。
 オレの観た映画で一番良かったのは何かなあ。
 タビアーニ兄弟の「カオス・シチリア物語」か。
 あの淡々としたところが良かった。
 えらい昔のだけど。

 ハリウッド物って、ちょっと苦手かも。
 なんか、ギリシア=アメリカ=自由=善、ペルシア=イラン/イラク=独裁=悪、みたいな素朴な構図がある。
 巨費を投じた大戦争スペクタクルも、芭蕉の「つはものども」の17文字にはなかなか勝てないようだ。
 ちょうどペルシア王クセルクセスがレオニダスに脱帽したように。

 やっぱ、寄席じゃない!?
 やや唐突であるが…。
 木戸銭は倍だけどな。
 同じ時間とエネルギー費やすんだったら、オレはそっちを勧めるよ。


6月12日(火) ベリー!

 ベリーというのは、和訳すると漿果(しょうか)。
 広辞苑によると「果皮が多肉で汁液に富み、内部に種子をもつ果実」。
 ストロベリーとか、ブルーベリーとかね。

 ウチの庭にもなっているのである。
 ジューンベリー。庭木なんだけど、その名の通り6月になると赤い実をつける。
 その実が深紅になると食える。小さいけれども、なかなかイケる。
 今、ヒヨドリと競争しながら食っている。
 というか、ヒヨドリが食っているから、オレもと思って、つまみ食いする。
 わが姿を目にすると、キーキー鳴きながら飛び去るヒヨドリ。
 まっこと、声も姿も性格も、三拍子揃って愛らしくない。(味は良いらしい)
 メジロも来るが、こちらは愛らしいから、静かに観察する。鳥種差別。
 小さな鳥だから、体積比で言うとオレたちがスイカをまるごと食うようなものか。

 ベリー類にはビタミンが豊富だ。
 これはきっと、実を食べた動物に元気になってもらって、種子を遠くまで運んでもらおうという魂胆か。
 動植物の麗しき連帯。
 では有毒の果実はどういう意味か。その動物の遺骸を栄養にして子孫繁栄を図ろうという魂胆か。

 どちらにせよ、植物にとっては、私よりもヒヨドリに食われるほうが本望だろう。
 私に食われても、末は下水処理場か斎場だしな。


6月9日(土) マンゴー!

  五月下旬のインドは、メチャ暑だったけど、またマンゴーの季節でもあった。
 二日ほど滞在したカルナタカ州のダルワード周辺は、アルフォンゾ種やラスプリ種などマンゴーの産地。街のマーケットにはズラッとマンゴー屋が並び、すこぶる壮観であった。もちろん浴びるほど食してくる。

 宿で手にした英字紙の一面に、マンゴーの写真とともに「インドのマンゴー、今、日本へ」という活字が踊る。
 なんでも昨年六月、日本でインド・マンゴーの輸入が解禁となり、今年からまとまって日本向けに輸出されるようになったとのこと。二十年ぶりの解禁だそうだ。なんでも残留農薬などの問題で、日米で輸入禁止になっていたらしい。
 世界のマンゴー生産の半分を占めるインドだが、世界貿易に占める割合はわずか5パーセントほどだった。
 このたび解禁になったのは六品種。その中にはアルフォンゾ種も含まれている。

 インド・マンゴーの最高峰、アルフォンゾ。その中でも一番は、ムンバイの南、ラトナギリ産だと言われる。
 歴史の長いインドで最も愛されている果物だけあって、マンゴーの品種は数限りない。アルフォンゾだけで200品種あるという。
 サイズもいろいろだが、大振りのアルフォンゾが、私の訪れたダルワードのマーケットでひとつ50円くらい。ムンバイでたぶん80円。北部のデリーで200円ほどかな。日本に輸入されて、さていったいどんな値段になるか。

 先日、伊豆在住の友人K氏がご当地のマンゴーを送ってくれた。伊豆でマンゴーができるとは知らなかった。長径8cmほどの小さなもので、「チビリッチ・マンゴー」という名前であった。
 日本のマンゴーは、沖縄本島と西表島のものを食べたことがある。アルフォンゾとは違った、フルーティで爽やかな食感であった。
 さて、伊豆のチビリッチ。たいして期待していなかったのだが、食べてびっくり。濃厚な味わい。アルフォンゾに肉薄!
 ただ値段から言って、浴びるほど食するわけにもいかない。生産量も少ないみたいだし。浴びたい人は、酷暑のインドへ赴くしかないか。


6月6日 大祭動画

 わが同期H氏の情報で気づいたが、わが同期(上級コース)マイケル神父のサイトに、世界不二大祭の動画がupされいた。
 5日ほど前に追加されたものらしい。

 この催しは、さる5月20日・南インド・アーンドラプラデシュ州ワラダイアパレムで挙行されたものだ。
 動画には、当日のメインであったBhagavanとAmmaの話が9分余り収められている。
 まずBhagavanがテルグ語および英語で語り、次いでAmmaがテルグ語で語る。
 Ammaの言葉は英語ではアナウンスされなかったので、その内容は同サイトの英訳を参照されたし。

 これはインドのケーブルテレビAASTHAで放映されたものらしい。AASTHAは導師たちのダルシャンやインタビューを専門に扱っており、現在はアメリカやカナダでも視聴できるようだ。
 画面はちょっと青味がかっているが、当日の雰囲気をよく伝えている。


5月30日 世界不二大祭

 さる5月20日、南インド Golden City (以下GC)で開催された「ワールド・ワンネス・デイ」のセレブレーション。
 これは世界中でいろんな呼び方がなされたようで、たとえば「ワールド・ピース・デイ」とか「グローバル・メディテーション・デイ」とか。
 ま、名前はどうあれ、みんなで世界の不二一如と平和をお祈りする機会であった。
 南印GCのイベントへは、日本からは三十余名の参加があった。みなさん前々日の5月18日朝、日本各地の空港から旅立って行かれる。
 私のみ仕事の都合上、一日遅れて翌19日の早朝に家を出立、成田よりシンガポール経由でインドに向かう。GCの玄関口であるチェンナイ着が同日夜11時ごろ。そこからタクシーに乗り込み、GC到着は20日午前1時過ぎであった。
 草木も眠る丑三つ時、勝手知ったるGC第二キャンパス男性棟二階七号室に忍び入ると、幸い小電球がひとつ灯り、ワタシ用に準備されたベッドがひとつ空いている。夜中とは言え、気温は三十度を越えている。水のシャワーが心地良い。部屋の小電球を消し、ひとり静かにベッドにもぐりこむのであった。

 翌朝、大祭の当日は、朝7時からホーマ(護摩焚き)がある。6時前にみないそいそと起き出し、準備を整える。会場は同じ第二キャンパスで、食堂棟の手前に大きなテントが設置されている。そこに外国からのディクシャ講師四百人ほどが集い、女性のダーサ師(Bhagavanの直弟子)たちによってホーマが執り行われる。
 その後、朝食。そして昼食。夕方からの本祭までは皆ただ静かに待っている。前日の19日にはアナンダギリ師やスジャイ師のお話しがあったらしい。それについては他の参加者からの報告を俟ちたい。
 昼間の気温は45度にも昇る。食堂の金属製テーブルに触れると熱い。日本からの参加者は男は私を含めて八名であった。なかなかこの時期、休暇が取りにくいのであろう。八名の中には、S和尚、そして旧友のサニヤシン(Osho弟子)Tなどがいた。本祭会場は白亜のワンネス寺院だとばかり思っていたが、やや離れた野外であるらしい。ワンネス寺院の敷地では収容しきれないのだという。

 本祭に向け、午後5時前、外国人参加者全員で瞑想ホールに集まる。そしてダーサ師から英語で説明を受ける。それが日本語、スペイン語、ロシア語、中国語でそれぞれアナウンスされるから、なかなか悠長なものだ。ちなみに日本語の通訳は女性サニヤシンのPであった。米プリンストン大学出身の才媛であるが、そういえば当日、同大によって祈りの物理的効果が科学的に測定される予定であった。さて結果や如何。
 説明後、バスに分乗して会場に向かう。日本人グループには一台のバスがあてがわれる。もちろんエアコン付のデラックスバスだ。なんでも事故のため迂回路を取るので、会場までは一時間以上かかるという。
 夕陽を浴びつつ高速道路から田舎道に入る。やがて耕地の彼方に、白色のビームライトが見えて来る。あそこが会場らしい。
 西方に山塊の迫る茶褐色の原野だ。周辺にはたくさんの車が駐められている。ナンバーを見ると、地元アンドラプラデシュ州のほか、隣州のタミル州とか、カルナタカ州とか。
 薄暮の中、駐車場でバスを降り、会場に向かう。われわれ外国人ディクシャ講師はステージ脇の入口を通される。白色のライトに照らし出された会場はあまりに広く、その大きさを推し量ることすらできない。客席は既に満杯の様子。特設のステージはさながら大伽藍のようだ。
 まさに大祭という趣。万障繰り合わせて伺候する価値はある。晴れ々々しい装飾を施されたステージ前を通って、外国講師席に案内される。客席のほぼ中央、前から十番目あたりの特等席だ。大きなステージの正面には椅子が二つ据えられ、そこにAmmaとBhagavanが座るのであろう。その椅子の上方に目を遣ると、南印の夕空に月齢4ほどの鎌月と宵の明星が寄り添って輝いている。

 当日の参加者は、15万とも20万とも言われている。その多くはワンネスヒーラーとも呼ばれ、GCで三日間のコースを受講している人々らしい。
 インド人ディクシャ講師の参加は5千人。インドでディクシャ講師になるのはかなり難しいようで、数年にわたる奉仕活動の末、受講資格が得られるのだ。

 もう日もとっぷり暮れた会場では、いくつかの言語でアナウンスがあった後、バジャン(献身歌)が始まる。楽士たちは最前列に陣取り、その姿がステージの左右に設置された大スクリーンに映し出される。私の担当ダーサ師であったクリシュナラージ師もボーカルで登場する。
 バジャンは三十分ほども続いたろうか。ステージ正面奥の扉から、BhagavanとAmmaが現れる。そしてBhagavanは向かって左側の椅子、Ammaは右側の椅子に座る。ツイン・アヴァターラと言われるAmmaとBhagavanが並んで座る姿を見るのは初めてだ。
 まずBhagavanが現地語のテルグ語で語る。次いでそれを英語で語る。Bhagavanがライブで語るのを見るのも初めてだ。私が初めて GCに参じたのは一昨年12月だが、その少し前からBhagavanは公開の場では語らなくなっていたからだ。最近はまた語り始めたようである。そして Ammaがテルグ語で語る。二人の言葉の内容は我が同期マイケル神父のサイトを参照。英語だけど、そのうち誰かが訳してくれるだろう。「あなたがたはこれからAmmaBhagavanだ」という言葉が印象的だった。
 Ammaの言葉が終わった後、AmmaBhagavanによるディクシャがある。
 しばしの後、ディクシャ講師たちが立ち上がり、後方に向かってディクシャをする。するとインド人参加者たちがディクシャを受けに押し寄せる。外国人講師席は鉄柵で仕切られていたが、押し寄せる人々によって大きくわたみ、今にも倒壊しそうになる。大柄なダーサ師や係員たちが体を張って人々を押し戻している。その後、アナウンスがあり、ディクシャ講師たちは地球全体に祝福を送る。
 やがてAmmaBhagavanは壇上を去り、クリシュナ師の挨拶があって、ワールド・ワンネス・デイの大祭は幕を閉じる。その後もステージの前では大勢の人々がディクシャ講師たちを取り巻き、ディクシャの施術を求める。我々もできる限りそれに応える。
 祭の余韻にひたる大群衆をすり抜け、日本人グループがバスに乗ったのは九時過ぎであったろうか。それからの道中が大渋滞であった。駐車場から本道へ出るまで一時間ほどかかる。ようやくキャンパスに戻ったのが11時ごろ。それから遅い夕食をとり、おのおの部屋に戻るのであった。鎌月も明星もとうに没していた。そういえば宵の南天を飾っていたはずの南十字の姿も、もはや無かった。

 翌日も何らかのプログラムがあったらしい。しかし私はそれにも与らなかった。不埒なことに、翌朝の5時過ぎには次の目的地に向かって旅立ってしまったのだ。またそれについては別の機会にでもお話ししよう。
 ただ、その日、チェンナイ発ムンバイ行き飛行機でのこと。隣席に就いた三十過ぎくらいのインド婦人が、私の顔を見るなり嬉しそうに言うのだ。「昨日のバグワンのイベントに参加しませんでしたか?」と。インド人はBhagavanのことをバグワンと発音するらしい。
 彼女もディクシャ講師として参加していたという。あの大群衆の中でどうして私のことがわかったのかと聞くと、たまたま私の後方に座っていたらしい。う〜ん、オレってそんなに目立つんだろうか!?
 ムンバイで医師をしているという。最近どうも女医のディクシャ講師に縁のある私である。彼女の勤務先が「Joy Hospital」というのも可笑しかった。
 ムンバイからは三十人ほどのディクシャ講師がイベントに参加したが、彼女だけ私と同じ飛行機に乗ったのだそうだ。それも私の隣席で、しかも私を見知っていたとは、これもバグワンのいたずらか!?

 この一連の企ての仕掛人とおぼしきブダペストクラブは、同様の行事を毎年催すようである。
 催す方は大変だろうが、来年あるようなら、またぜひ参上つかまつりたい。
 お祭り大好き!
 一年でいちばん暑い季節であるが、美果マンゴーの熟れる時期でもあるし。


5月18日 世界平和の瞑想&祈りの日

 な〜んてな、ちとオレの柄じゃないんだが、そんな日がある。
 あさっての5月20日。
 世界各地で平和の瞑想と祈りがある。

 もともとは富士山麓の白光本部でやっていたものらしい。
 それを、世界賢人会議「ブダペストクラブ」が採り上げ、今年から世界規模でやる…ようになったらしい。
 ブダペストクラブっていうのは、先年「地球交響曲第五番」で紹介されたラズロー博士が主宰している。
 祈りの物理的効果はプリンストン大学のコンピュータで測定されるという。
 
 で、オレもだ、参加しようと思って。
 じつは南インドのGolden Cityで、2万人(一説では5万)が集まって一緒に世界平和を祈ることになっている。
 真新しい白亜のワンネス・テンプルで、アンマとBhagavanの音頭のもとに祈るそうだ。
 日本でも富士山麓に一万人が集まるようだから、みなさんも参加されると良い。
 富士山が遠い人は、近隣できっと誰かがやっているだろう。
 たとえばウチの近所では、ヨガの先生が自宅に人を集めて開催する。弊社のスタッフも何人か参加するようだ。

 オレはまあ、行きがかり上、インドへ行くんだけどね。
 当地の参加者の大半は地元インドの人々なのだが、世界各国のディクシャギヴァーも六百名ほど参集する。
 日本人グループは今朝出発だ。
 で、なんでオレが悠長にこんな日記を書いているかというと、仕事上どうしても今日は抜けられず、明朝発でギリギリ滑り込む算段をしているからだ。
 首尾良く参加できたら、またご報告しよう。


4月24日 インドから帰還

 縁あって、インドに三週間ほど行ってきた。
 縁というのは後述するが、ちょうど弊社のインド出張も重なっていたので、仕事もしてきた。

 その仕事の一部が、インド亜大陸をめぐる茶綿探しの旅。
 これがかなり面白かった。弊社HPに掲載してあるので、ぜひ御覧あれ!
 http://www.itoito.jp/

 さて、縁というのは、現在、南インドGolden City で行われている、日本人コースの手伝い。
 百人ほどの人たちが、ディクシャ講師になるべく21日間のコースを受講している。今日がその最終日なはず。
 私はまあ忙しい労働者の身であるからして、21日間まるまるお手伝いというわけにも行かない。(また来月も行くし)
 そこで10日間だけ、馳せ参じたというわけ。
 なかなか楽しかった。
 というか、けっこうヒマ…。これはコースがつつがなく進行しているということで、目出たいことなのである。
 手伝いのスタッフは、男女別に、宿泊棟の一室で寝泊まりする。
 今回、男のスタッフ部屋には、日本人四名(インド人A氏を含め)、チェコ人が二名。

 チェコ人と話をしたのは、おそらくこれが初めてかも。
 控え目な若い男の子たちであった。チャスラフスカ知ってるかと聞いたら、知らないとの答え。(ん!? キミも知らない? 無理もあるめえ、東京オリンピック・体操の女王だしな)
 
 せっかくGolden City に出かけるなら、Bhagavanの顔を拝みたい。
 昨年12月と今年1月の10日間コースの経験から、Bhagavanのダルシャンは木曜日と踏む。
 そこでコース最後の木曜であった19日まで滞在したのだが…。
 見事、空振り。
 A氏の話によると、最近Bhagavanはまた語り始めたとのこと。
 チェコの10日間コースでも、最終日にネーマンでダルシャンがあり、Bhagavanは一時間ほど語ったという。ただし現地語だったので、意味はわからなかった。
 さて、日本人のダルシャンはどうだったであろう。報告が待たれる。
 なお、過去のダルシャンの動画が、YouTubeにupされている模様だ。
 http://www.youtube.com/profile_videos?user=worldofoneness

 というわけで、まずは帰国報告まで。


4月6日 カワセミ航空

 今、インドにいる。
 飛行機の中だ。
 その名もKingfisher Airlines(キングフィッシャー・エアラインズ)。
 日本語に訳すと、カワセミ航空。

 インドでキングフィッシャーと聞くと、ふつう、別のものを連想するだろう。
 キングフィッシャー・ビールだ。
 インドでいちばん大きなビール会社。
 それが最近、航空業に進出したというわけ。
 同社の飛行機は一目でわかる。外装デザインがビールのラベルとおんなじだ。
 尾翼のところでカワセミがぱたぱたやっている。

 今日は首都デリーから南インド・カルナタカ州のフブリという街まで飛ぶ。
 フブリなんて聞いたこともなかったが、有色綿を求めての旅だ。
 (有色綿というのは白い綿花ではなく、茶綿など有色の綿)。
 この名もない地方都市に路線を持っているのは、このキングフィッシャー航空くらい。
 デリーからムンバイまで飛び、そこでフブリ行きに乗り換える。

 デリー・ムンバイ間も同じキングフィッシャー航空を使ってみる。
 最新鋭のエアバスA321型で、エコノミークラスにも個人用液晶モニタ付だ。
 二時間の飛行時間だが、朝食まで供される。
 もしかしたらキングフィッシャービール飲み放題かと期待したが、それはない。
 インドでは国内線内でのアルコール飲料提供は禁じられている。
 そのかわり、キングフィッシャー・ミネラルウォーターは飲み放題だ。

 ムンバイ発フブリ行きの飛行機は座席数64のプロペラ機。
 ATR72-212Aとあるが、どこの飛行機かはわからない。
 こちらも新鋭機なのだろう、二列に1つ小さな液晶モニタがついている。
 ただ個人用じゃないから、スイッチオフもできず、ちとウルサイ。
 ともあれ、今のところ、すこぶる快適である。
 運賃もリーズナブルだし。
 ビールメーカーの航空キャリアだとてあなどれない。
 
3月21日 第七の誡

 オレも今生で一度、出エジプトをやっている。1983年のこと。
 場所は紅海じゃなくて、スエズ運河。
 カイロから荒野をバスに乗って運河まで行って、それから小舟で渡った。
 モーゼほどドラマチックじゃないが、それなりに面白かった。
 もっとも、当時、既にシナイ半島はイスラエルからエジプトに返還されていたから、スエズを渡ってもまだエジプトだったが。

 ではネットで見つけた十誡モノをもうひとつ;

 モーセがシナイ山から降りてきた。
 「同胞諸君、良いニュースと悪いニュースがある。良いニュースは、神の掟を10ケ条まで削れたってことだ。悪いニュースのほうだが、姦淫の罪はどうしても削らせてもらえなかった」


    ◇ ◇ ◇

 姦淫(かんいん)ってスゴい言葉だが、十誡の第七番目。
 第六が殺人の誡で第八が盗みの誡だから、それくらいイケナイことなのだ。
 みなさん、ゆめゆめ犯さないように。

 で、姦淫とは何か。
 ひらたく言うと、婚外交渉のこと。
 ということはつまり、日本人のほとんどは姦淫犯!?。(私は違うが)

 しかしこの掟は、日本の戦前の「姦通罪」と同じく、人妻に関してのみ厳しい。
 旧約聖書によれば、人妻と通じると、姦夫姦婦すなわち男女ともに死罪。
 ところが、男の場合は既婚・未婚は関係ない。とにかく、人妻(婚約中も含め)とやらない限りOK。処女と通じても、親に賠償金を払って妻にすればそれで収まる。妻は何人持ってもOK。
 というわけで典型的な父系制社会の規定。
  
 それでは最後にOshoジョークをひとつ;
 
 若いフィーバー神父、ある朝、コーヒーを飲みながら同業の友人と話していた。
 「ボクの自転車、盗まれちゃってさあ」と神父。
 「だったら、こうしたらいいよ」と友人の神父、「明日の説教で十誡の話をするんだ。そして『汝、盗むなかれ』と言ったところで、会衆を見回す。そうしたらきっと犯人がわかるよ」
 翌日、フィーバー神父は友人を訪ね、自転車が見つかったと嬉しそうに報告した。
 「十誡の話をしたんだね」と友人。
 「うん」、とフィーバー神父、「でね、『汝、姦淫するなかれ』と言った時、どこに置き忘れたか思い出したんだ」


3月16日 出エジプト

 読めるかな〜、コレ。
 「で・えじぷと」ではない。
 「しゅつ・えじぷと」だ。
 こういう字面にそこはかとない郷愁を感じるのはオレだけだろうか!?
 旧約聖書で創世記の次に来る文書。
 オレもモーゼに率いられて紅海を渡ったくちか。
 はたまたファラオとともに海に呑まれたくちか。

 時は西暦紀元前十数世紀。
 一時期エジプトに定住していたイスラエルの民は、ファラオ(エジプト王)の圧政に悩み、モーゼの指揮下、パレスチナの地に逃避を企てる。
 不毛の砂漠を駆け抜けた彼らの前に立ちはだかったのが、紅海。エジプトとシナイ半島を隔てる海だ。
 背後にはファラオに率いられたエジプトの大軍が砂塵を巻き上げる。
 さて、ヘブライの命運やいかに!?
 Oshoによると、当時の様子はかくのごとくであった;

 モーゼはイスラエルの民とともに、紅海に達する。ファラオは大軍を率いて背後に迫る。
 モーゼは広報渉外担当を呼びつける。 
 「エイブ、舟はどこなんだ。どアホ! 舟はどこなんだ」
 なおも怒鳴りつけるモーゼ、「海を渡るにゃ舟が必要だろうが、この大馬鹿野郎!いったいオレにどうしろってんだ ― 海を割って、歩いて渡れってか!」
 「そうだよ、モーゼ。いいじゃん、それ! もしそれができたら、2ページそっくり割いてやるよ。ウチの聖書の!」

      * * *
 かくしてモーゼが杖を上げ、手を海にかざすと、水は分かれ海は陸となり、イスラエルの民は歩いて紅海を渡るのであった。
 しかし続いてファラオの軍勢が突入すると、海はもとに戻り、水に呑まれて全滅する。
 このシーンは米映画「十戒」でお馴染み。モーゼはチャールトン・ヘストン、ファラオはユル・ブリンナーであった。50年前の映画だけどね。

 旧約聖書をひもとくと(日本聖書協会の口語訳)、たしかにこの事績は2ページ以上にわたって掲載されている。旧約のハイライトのひとつだ。
 ちなみに、広報渉外担当の「エイブ」とはアブラハムの愛称で、いかにもヘブライっぽい男子名。アブラハムとは神と最初に契約を結んだ人物で、イスラエル民族の父祖とされる。


3月12日 シナイの荒野

 まずは技術的なお話。 
 前回の日誌で、イエスが「マンマミーア」と言っているんだが、あれは原文では「Heavens above」(上なる天)。
 お次のペテロ「サンタ・マリーア」は「Holy Mackerel」(聖なる鯖)。マルコの「サンタ・ルチーア」は「Lord save us」(主よ救いたまへ)。ユダの「キリエ・エレイソン」は「Holy Moses」(聖モーゼ)。
 なんだ、ぜんぜん違うじゃん!! などと言うなかれ。
 こういうところが、いっちゃん難しいのだ。
 この原語部分はみな感嘆の言葉で、しかもキリスト教的な趣を持っている。そんな言葉は、日本語にはない。
 それゆえ、なんかかんか、それっぽい外来語を持ってくるよりほかないのだ。

 それではモーゼが出てきたついでに、時代はぐっと遡って、旧約聖書の「出エジプト」時代。
 モーゼに率いられたイスラエルの民は、エジプトから紅海を渡り、シナイ半島の荒野を四十年間にわたってさまようのであった。
 その間、シナイ山にて神から十誡を授かる。
 そのときの事情は、Oshoによると、かくのごとくであったらしい;

 あるとき神が地上を訪れ、バビロン人のもとへ赴いた。
 そして言った、「お前たちにひとつ、誡め(いましめ)を授けよう」
 「それはどんなものでしょう」、バビロン人は尋ねる。
 神は答える、「汝、盗むなかれ」。
 バビロン人は答える、「そんなものはいりません」。
 そこで神はエジプト人のもとへ赴いて、同様に呼びかける。しかしエジプト人は「いいえ結構です」と答える。
 そののち神は、砂漠を彷徨うモーゼを目にする。
 そこで声をかける、「誡めをひとつ授けよう」。
 するとモーゼは尋ねた、「値段はいくらですか」
 「いいや」、神は答える、「無料だ」
 「そうですか」、モーゼは言う、「だったら十ほどいただきましょう」


      ◇ ◇ ◇
  
 これはいはゆるユダヤ人ジョーク。
 ユダヤ人は勘定高いという図式。
 Oshoはこの話がことのほかお気に入りの様子で、十数回も説法の中に登場している。

 ただ、Oshoバージョンはちょっと違っている。
 上に紹介したのが、おそらくはオリジナル。
 Oshoバージョンでは、「汝、盗むなかれ」が「汝、姦淫するなかれ」になっている。
 バビロンと言えばヨハネ黙示録で「大淫婦」と表現されるくらいだから、「姦淫するなかれ」のほうが面白い。

 ともあれ、タダだと聞いて中身も確かめず誡めを十個ももらっちゃって、ご苦労様という話。


3月9日 深刻な話

 先日の日誌に関連して、ある読者から、「ぱるばはVimalのJoke Bookを持っているのではないか」とコメントを頂戴する。
 お察しの通り、所持しているのである。
 しかもVimalのサイン入り。99年1月9日という日付があるから、入手はかれこれ8年前のこと。

 Vimal(ヴィマール)というのはOshoのイギリス人弟子で、Oshoジョーク集「Take It Really Seriously」の編者。(この題名はもちろん「Take it easy」のもじり)。Oshoありし日のOshoコミューンでジョーク係をしていた人だ。

 不案内な人のためにちょっと解説。
 Oshoは説法の中でジョーク(小咄)を多用した。
 これらジョークは、Oshoが記憶の中からたぐり寄せたものの他、コミューンのジョーク係が方々から掻き集めたものだ。本書はそうした掻き集めジョークをジャンル別に編集したもの。Oshoの説法に登場した英語のジョークが六百数十ページにわたって収められている。その数は三千にも上るだろう。
 ジョークの題材は多岐に渉り、それが29のジャンルに分けられている。「ユダヤ人」、「結婚」、「子供」、「政治」、「セックス」、「宗教」、「動物」…といった具合。
 もちろん、私は全部読んだわけじゃない。
 「宗教」の項をつらつらと眺めただけ。

 それでは先日見つけた短いやつをひとつ;

    ◇ ◇ ◇

 最後の晩餐でのこと。皆それぞれ食事を終え、ウェイターがイエスに勘定書を持って来た。
 「マンマミーア!」とイエスは言う。「こんな金、持ってないよ」と、勘定書をペテロに回す。
 「サンタ・マリーア!」とペテロは言う。そしてそれをマルコに回す。
 「サンタ・ルチーア!」とマルコは言う。そしてそれをヤコブに回す。そんな具合に勘定書は回りに回って、最後にいちばん端っこにいたユダの手に渡る。
 「キリエ・エレイソン!」とユダは叫ぶ、「いったいぜんたい、どこで手に入れりゃいいんだ、この銀三十枚!」


3月4日 聖性

 昨日の日誌についてのコメントによると、C 嬢は過去生において修道女と娼婦の間を行き来していらした御様子。
 まじめに修道女をやっていると、次生は娼婦になるのだろうか。
 そしてまじめに娼婦をやっていると、次は修道女?
 聖と性はコインの両面。
 そういえば、イエスが十字架に架けられたとき、男の弟子たちはみんな逃げ去ってしまったが、ひとり「娼婦」のマリア・マグダレーナのみは最後までイエスの傍にとどまったのであった。

 それではチト英語のお勉強。
 娼婦は英語でプロスティテュートと言う。
 Oshoジョークにいはく;

 若いアイルランド娘が、女子修道院長と話をしていた。自分の将来の夢についてだ。
 「私が大きくなったら」、娘は言った、「プロスティテュートになりたいです」
 女子修道院長は目をまん丸にして、驚愕のあまり息を呑んだ。
 「いったいなんですって! 何になりたいとお言いかい?」
 「プロスティテュートです」、娘は言った。 
 修道院長はホッと安堵のタメ息をついた、「おお、グローリー・ハレルヤ」、そして言った、「私はまた、プロテスタントかと思いました」

     ◇ ◇ ◇

 これは蛇足の解説が必要かも。
 修道会はカトリックなど旧教の制度。プロテスタントは修道院を否定している。
 そしてアイルランドは英語圏唯一のカトリック教国。
 修道院長にとって新教は娼婦以上の仇敵だったというわけ。

 で、まじめに修道士をやっていると、次生は?
 ドン・ジョヴァンニかカサノヴァか?


3月3日 修道院にて

 Benediction というと、ベネディクト派の修道会が連想される。(2月22日の日誌参照)
 だいたい、拙ページを訪れるような人は、かつて二度や三度、修道僧をやっていたものと思われる。

 オレなんかも学生時代、北海道を旅した折、つい、なつかしさにほだされて、函館郊外のトラピスト修道院を訪れたものだ。
 中は見学できないのだが、「大学でカトリック研究会に入っています」と言ったら、年配の修道士が中に招じ入れてくれた。当時たまたま某大学の「カト研」に籍だけ入れていたのだ。
 北の大地に建つ石造りの僧院は、良く言えば静謐、悪く言えば暗かった。修道士たちはここで、祈りと学習と労働の生涯を送るのだ。外に出るのは歯医者に行くときぐらいだと言っていた。クッキーの工場もあった。男子修道院だが、売店にだけ女がいた。土産にカン入りのトラピスト・クッキーを買った。
 このトラピスト会もベネディクト派の流れを汲んでいるらしい。

 で、思い出したのが、Oshoジョーク。
 修善寺のキヨタカ氏が好んで語っていたやつ。
 ちょっとエグイんだが。
 現代版デカメロンってことで;

 ジミーが砂漠の中で迷ってしまった。二日間さまよい、喉が渇いて死にそうだったが、女子修道院に行き当たった。彼は男だったから尼僧たちは中に入れてはくれまい。それでジミーは壁を飛び越えた。そしてバスルームを見つけ、こころいくまで水を飲んだ。それからシャワーを浴びようと思った。
 服を脱いで裸になったとき、物音がして、二人の尼僧がバスルームに入ってきた。それで彼は裸のまま、シャワーカーテンの陰に隠れた。
 入ってきた尼僧のひとりが、カーテンからハミ出たジミーの一物に気づいた。「なにかしら、コレ?」
 「なんでしょう」、もうひとりの尼僧が答えた。そして手を伸ばして、それを引っぱった。とっさにジミーは石鹸をひとつ放り投げた。
 「見て!」、尼僧は言った、「ソープマシンよ!」
 それでもうひとりの尼僧もそれを引っぱり、ジミーはまた石鹸を投げた。さらに最初の尼僧が再びそれを引っぱったが、もう手許には石鹸がない。尼僧はなおも引っぱる ― 何度も、何度も。
 突然、尼僧は振り返って声を挙げた、「見て! シャンプーよ!」

     
2月25日 ゴーストのいろいろ

 聖霊で思い出した。

 なんで急に聖霊かと言うと、22日の拙日誌で「Spirito Santo(聖霊)」が出てきたから。
 イタリア語の教会用語って、なんと格調高いのだろう。
 英語じゃ、Holy Ghostだ。
 最初それを聞いたとき、耳を疑った。

 Oshoジョークにこんなのがある;

 ポーランドのとあるサラミソーセージ工場で爆発があり、サラミが一本、天まで飛んでいった。そして聖ペテロの足許に着地した。 
 「なんてヘンな格好してるんだろ」、と言いながら聖ペテロはそれをつまみあげる。そしてそれをイエスに見せに行く。
 「こんなもの見たことありますか」と、ペテロはイエスに尋ねる。
 「いいや」、とイエスは答える、「見たこともないなあ」
 そこでペテロはマリアに見せに行く。
 「マリア」、ペテロは言う、「こんなもの見たことありますか」
 「あら!」、マリアは声を挙げる、「これってね、こんなヘンな臭いがしなかたっら、まさしくアレよ、聖霊 (Holy Ghost)!」


 オチがわからない人のために蛇足。キリスト教会によると、処女マリアは聖霊によってイエスを身籠もったことになっている。

◇ ◇ ◇

 英語でghost(ゴースト)というと今は幽霊だけども、もともとは魂とか霊、精神という意味もあったらしい。
 ドイツ語のGeistと同じだ。
 ところがspiritという外来のラテン系単語が「精神」という高尚な意味合いを担うことになり、ghostはお化け専科になってしまう。
 ただ、Holy Ghost のような古典的用例は別だ。
 たとえば、ディケンズの名作「クリスマス・キャロル」に出てくる「クリスマスのGhost」たち。クリスマスの晩、冷酷な守銭奴スクルージを導き、改心に至らしめる霊的存在だ。
 このGhostは翻訳者によっていろいろ訳され方が違うみたい。

 オレがこの本を読んだのは確か小学生の頃だったかと思うが、「幽霊」と訳されていた。
 だから、感動はしたんだけど、ややキモ悪い読後感が残った。
 ここはやっぱ、「クリスマスの精」とか「精霊」とか「霊人」とかやるべきであろう。

◇ ◇ ◇ 

      ◇ ◇ ◇

 ところで、話はグッとローカルになって、ディクシャ関係。
 みなさんいろんなところで写真を撮られるが、ときどき、画面上に白い光の玉が写っていたりする。
 それがスピリチャルな現象だということで、よく見せてくださるんだが、私の見るところ、しばしばそれはspiritじゃなくて、ただのghostだったりする。
 この場合のghostとは、レンズのゴースト。
 これは、被写体の近くに強い光源があるとき、レンズの乱反射により、画面に光の玉が現れる現象だ。
 ちょっと写真に親しんだ人なら誰でも知っているから、人に見せるときは要注意!!


2月22日 Blessing と Benediction

 これはいたって個人的趣味の話;
 (いつもそうだが)

 ときは先月12日。
 南インド・Golden City での英語10日間コース、最終日。
 この日は、朝、Amma(アンマ)のダルシャンがあり、夕刻Bhagavan(バガヴァン)のダルシャンがあるという豪華メニューであった。
 Bhagavanダルシャンが終わって講義室に戻ると、今度はアナンダギリ師が出現。
 ギリ師、この十日間で三度目のお目見えだ。ちょっと日本語コースと差がありすぎじゃないのぉと思ったが、その当時(12月)ギリ師は外遊めされていたらしい。
 このときのことは1月19日の日誌にも書いたが、とにかくディクシャDeekshaという言葉はもう英語では使わない、これからはワンネス・ブレッシング Oneness Blessingで行こう! というお話しであった。
 ブレッシングとは祝福という意味だ。

 そうしたら、とあるイタリア男がハーイと手を挙げて、のたまはく;
 イタリア語ではBlessing は ベネディッツィオーネBenedizzione となるんですが、これはもうめっちゃキリスト教チックなコトバで、とってもクニでは使えませ〜ん!
 とのこと。
 (ちなみにこの男はOshoサニヤシンであった)

 響きが良いのだ、この、ベネディッツィオーネという言葉。
 さすがローマ教皇のお膝元。
 教会のミサに出かければ、蝋燭の光と香炉の煙の中、荘重なイタリア語で、アシェンシオーネ(昇天)とか、レズレッツィオーネ(復活)、スピリト・サント(聖霊)なんて台詞が石造りの内陣に朗々と響き渡る。それと同類の言葉なわけだ、かのベネディッツィオーネ。
 カトリック二千年の歴史の重み。(ダヴィンチ・コードくらいじゃビクともしない)
 こりゃ使えねぇ…ってわけで、困ったイタリアン。

 しかし、彼にとって状況は更に厳しさを増しつつある。
 というのも、最近発覚したのだが、Oneness Blessing のほかに、Oneness Benediction (ベネディクション)という言葉があるのだ。
 Benedictionとは言うまでもなくBenedizzione の英語型。
 すなわちBlessing は今までのいはゆるDeekshaだが、Benediction はAmmaやBhagavanから発するエネルギーらしい。

 たとえば、今年5月20日、白光真宏会の「世界平和の祈り」に連動して、南インドGoldenでも2万5千人のディクシャ講師が集って「世界平和のためのOneness Blessing」を行うのだが、そこにはAmmaやBhagavanも臨席してOneness Benedictionをするという。
 今、世界中でそのための準備が進行中なのだが、さてかのイタリア人、いかにそれを表現しているか。

 ひるがえって日本では、Blessing は使わずにワンネス・ディクシャで行くみたいだから、問題も少ない。
 ただ、サニヤシン(Osho弟子)の間ではディクシャに対するアレルギーなどもあったりして、オレなんかはけっこう、Blessingとか好きなんだけどね。
 祝福されてヤな人もあるまいし。
 で、翻訳者の性(サガ)として、Blessing と Benediction をどう訳し分けるか!? なんてことをちょっと考えてみたりするわけだ。

 Blessing というのはアングロサクソン系の言葉で、Benedictionはラテン系。
 とすると、前者を大和コトバで訳し、後者を漢語で訳すのが良いんじゃあるまいか。
 とすると、後者は「祝福」で決まり。
 前者はなんだろうねえ…。


1月19日 Oneness Blessing !

諸君!

お久しぶり。
今週月曜、ひと月半ぶりにインドから帰国。
亜大陸を往き巡りつつ、仕事に道楽に励んだのであった。
仕事についてはこちらなどにいろいろ書き連ねてあるので、ここでは道楽について少々。

ここ一二年の我が道楽は、南インドの Golden City 。
日本ではカルキとかディクシャのほうが通りがいい。
一年前の2005年12月、21日間プロセスというのに参加して、ディクシャ・ギヴァーとなる。
そして先月(12月)、日本語の10日間上級コースに出るつもりだったが、日本のカルキセンターからの要請でヘルパーとして参加。
そしてこの一月上旬、英語の10日間上級コースに参加したというわけ。

都合、四週間近く滞在したことになる。
う〜ん、おもしろかった、というか、強烈。
一年前の21日間プロセス時のように体験記を書こうと思ったりしたが、どうもそういう気分にならぬ。

英語コースも終わりに近い1月12日。
ちょうど一週間前だな。
午後のセッションに現れたアナンダギリ師。
昨年も書いたが、私はこの人のファンなのである。
Bhagavanの一番弟子。
質疑応答のセッションだった。

なんでも、もう英語ではDeekshaという言葉は使わないらしい。
欧米を中心として、いろいろ問題があるようだ。
先月の日本語コースのときには、Deekshaの代わりにOnenessハDeekshaという言葉が提示された。
そして今回アナンダギリ師によると、そのDeekshaもなくなって、Oneness Blessing になるという。
日本語に訳すと「一如祝福」?「不二一元祝福」?
ではDeeksha Giver はどうなるかというと、さあどうしましょう、Oneness Blessing Facilitator なんてどう?? という感じ。
翌13日はコース最終日。朝Amma、夕方Bhagavanのダルシャンがあり、その後の最終セッションにまたもや現れるアナンダギリ師。
しきりに Oneness Facilitatorハという語を使う。それになるんだろうか。

ただ、これはあくまでも提案であり、各国それぞれ事情があるだろうから、それに従って決めてくださいとのこと。
ちなみにOneness University のサイトでは、まだDeekshaもDeeksha Giverも健在である。
まあ、日本はワンネス・ディクシャで行くのかな。
ワンネス・ファシリテーターなんてな、まずあるまい。
やっぱ、ディクシャ・ギヴァーないしディクシャ講師なんだろう。
個人的にはBlessingとか気に入ってるけど。
Blesser とかな。
そんな言葉ないか!?

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