Golden City 体験記
2005年12月。南インドの Golden City を訪ねる。
「21日間プロセス」に参加するためだ。
結論から言って、これはかなり面白かった。
そこでみなさんにその体験を少々お伝えしようと思う。
当ページを御覧になる方は、おそらく私のことを御存知のことかと思う。
しかし検索などで突如来訪される向きもあろうから、簡単に記しておこう。
田中ぱるば。もうじき半世紀を生きなんとする男。
1986年春、Osho (当時 Bhagwan Shree Rajneesh)に出会ってその弟子となり、Advait Parvaなる名前をもらう。
Osho遷化後の2000年、 Aziz に、翌2001年そのSoul Brother Houmanに出会い、両師の指導を受ける。
もっと詳しくは当サイトのトップページを参照のこと。
さて、表題の Golden City 。
その中心となるのが、Bhagavanと呼ばれる人物である。
BhagavanとはBhagwanと同じくインド古来の尊称。
インド人弟子たちの発音を聞いていると、バガヴァンとかバクワンとか聞こえるが、バガヴァンだとバカボンみたいで字面が美しくないし、バグワンだとOsho の旧称と紛らわしいので、ここでは英語表記のBhagavanを使うことにする。
Golden City への道、それはけっこう遠かった。
初めてBhagavanなる名前を知ったのは、三年ほど前、『カルナ』という月刊誌。
Bhagavanのことが『南インドの聖者』と題され、毎月紹介されていた。
ある縁により、何回かそのシリーズ記事を読み、そこそこ興味を引かれた。
「もう少し若かったら、オレも彼のもとを訪ねたかもなァ」とか思ったものだ。
一年前、友人のAが彼のもとに参じたという話を聞いた。
Aは古参サニヤシン(Osho弟子)であり、またAzizやHoumanのもとで共に学んだ仲なので、ちょっとびっくりした。
(そして津波にさらわれたという噂も流れてきた)。
そして今年(2005年)春、突如、サニヤシンの間にディクシャブームが湧き起こった。
ディクシャというのは、Bhagavanに源を発するエネルギーの伝授である。
伝授を受けると、容易に「変容」が起こるという。
そのディクシャ伝授を行う中心人物のひとりが、先述のAであった。
私も半ばの好奇心と半ばの期待を抱いてディクシャなるものを受けてみる。
しかし、特に目立った変化は感じなかった。
都合五回ほど、人を変えたりして受けてみたが、やっぱり同じようなものだった。
ただ、その場に座っているのは気持ちよかったので、瞑想会のようなつもりで出席していた。
Aたちの勧めもあり、私もその夏、Golden City へ向け旅立つ決心をした。
しかしその間、サニヤシンの間のブームは、急速に冷めていった。
私のインド行きも、ある行き違いにより、実現しなくなった。
私も参加していた或るネットワーク上ではBhagavan攻撃が熾烈を極め、また恩師Houmanが突如世を去るという事態もあって、私の興味もだんだん薄れていった。
そんな中で、親しい友人が二人、9月の「21日間プロセス」参加のためGolden City に旅立った。
彼らの帰国を待って自らの去就を決めよう、と思った。
そして一月後。
帰国した彼らの報告は、ポジティブなものであった。
そこで私は次の12月コース参加を決心し、10月末の精進湖合宿に参加するのである。
この精進湖合宿というのは「カルキセンタージャパン」の主催する事前コースで、これを終了しないと21日間プロセスには参加できない。
「カルキセンター」というのはGolden City の日本における窓口。
プーナのOshoコミューンなどとは違って、現在のところ、Golden City には個人で行くことはできない。
必ずカルキセンターを通すことになる。
代表は大矢浩史さんで、日本にBhagavanを紹介した人でもある。
私の読んだ『カルナ』の記事も、大矢さんの手になるものであった。
Oshoサニヤシン向けに言うと、我が盟友なる修善寺のキヨタカ氏に、体型も雰囲気も似た人である。
Bhagavanのところへ行く気になったのも、ひとつにはそれが南インドだったからだ。
最近、自分の中では南印がちょっとブームになっている。
今回は弊社の出張を兼ねてのインド行き。
仕事場である北インドのデリーに数日滞在してから、空路、南印タミル州の州都チェンナイ(マドラス)に向かう。
ターミナルを出ると、あるオジサンに花束で出迎えられる。
地元旅行代理店の社長だ。
たびたびデリーに赴く私は、現地で日本への往復航空券を買うのである。
しかしチェンナイで買うと安いことをネットで発見し、メールを通じて彼に頼んでおいたのだ。
空港から市内にある彼のオフィスへの道すがら、南インドの事情についていろいろ話を聞く。
私がBhagavanのもと21日間プロセスに参加することを話すと、彼は感心した様子。
その後、会う人ごとに「この人は21日間の修養に出かけるんだよ」と自慢げに私を紹介する。
南インドでは、ある年齢に達したら神の道に入るというのが、ひとつの理想的な生き方とされているらしい。
「あなたもそうするの?」と私が聞くと、「いや私は俗人だから…」と笑って否定する彼であった。
南インド人はインド国内でも、信心深いことで有名だ。
大寺院も南に多い。
聖者と呼ばれる人々も、ここ百年を例にとれば、ラマナ・マハリシから始まって、クリシュナムルティ、アマチ、サティヤ・サイババ、ラヴィシャンカールと、枚挙にいとまない。
そういえば日本で一番有名な南インド映画『ムトゥ ・踊るマハラジャ』でも、その冒頭、資産家であったムトゥの父親がすべてを捨てて出家するシーンがあり、私は思わず感涙に咽ぶのであった。
しかし単に宗教的なだけではないらしい。南インドの都市バンガロールに代表されるインドIT産業の隆盛も、南インド人の数学的知性に依るところが大きいという。
私はこの旅行代理店社長に気に入られたようで、自宅に招かれ夕食をご馳走になる。
妻と二人の子供にも紹介されるが、北インド人と比べると、南インド人はシャイで慎ましやかな感じだ。
その後、彼の車で空港まで送ってもらう。
今回の「21日間プロセス」は日本人向けのコースで、参加人員は91名。
12月2日に東京・大阪・福岡からそれぞれ出発し、その夜、順次チェンナイ空港に到着の予定であった。
しかしその夜は折悪しく、サイクロン(颱風)がチェンナイに来襲。
空港までの道中、各所で道路が水浸しになっている。
サイクロンの影響で、各便の到着がかなり遅れる。
次第に到着ロビーにも水が押し寄せ、くるぶしほどにも達する。
それでも全便、無事、着陸する。
到着順にバスに乗り込みGolden City に向かうのだが、空港前の道路など、もう膝小僧あたりまで水に浸かる始末だ。
こんなことは数十年ぶりだということであった。
大水のせいで道路も迂回せざるをえず、通常なら一時間半ほどのバス所要時間が、この夜は6時間もかかる。
目的地のGolden City に着いたのは、朝も明け初めた午前7時であった。
ここGolden City は、正しくはGolden City II と言う。
元祖Golden City はここから西に十数キロ離れた場所にあり、そこにはキャンパスが4つあって、Bhagavanの住まいもある。
ここGolden City II は現在二つのキャンパスに分かれ、ひとつは建築中の大寺院「Oneness Temple」、そしてもうひとつが今回プロセスが開かれる新キャンパスだ。
チェンナイから北に約70km。
タミル州の州境を越え、お隣のアーンドラ・プラデシュ州にある。
だから言葉も違っている。タミル州はタミル語だが、アーンドラ・プラデシュ州の公用語はテルグ語だ。
Bhagavan自身はタミル州出身だがテルグ語が母語なのだそうだ。だから彼はテルグ語とタミル語、そして英語が堪能である。
ちなみに、北インドで広く流通するヒンディー語は、ここではほとんど通じない。
この新キャンパスは広大だ。
4ヘクタールほどもあるのではないか。
そこに現在、四つの建物がある。
大きな宿泊棟が二つ、それから食堂/講堂棟、そしてトイレ棟だ。
まだ建設途中の真新しいキャンパスで、とにかく非常に清潔。
掃除が行き届き、建物内は素足で歩けるほどだ。
二つの宿泊棟に男女が別れて生活する。
今回の参加者のうち、男は26名、女は65名。
まっとうな仕事に就いている男にとっては、こんな年の瀬に三週間も休みを取るのは至難の業なのであろう。
宿泊は広々とした部屋のドミトリーである。
私の部屋は10人収容であった。
翌12月3日から三週間プロセスが始まる。
男女別れての受講だ。
男は少なかったから、同じ宿泊棟内にある50畳ばかりの大部屋に集合。
女は食堂/講堂棟にある大講堂が会場だ。
キャンパスは四囲に高い壁が廻らされ、外界から完全に遮断されている。
プロセス関係者しかキャンパスには入れないから、こうしたコースには理想的な環境と言える。
私たち日本人グループのほか、同時にブラジル人のグループ26人が同プロセスを受講していた。
彼等は人数も少なかったので、男女一緒に、女性棟の大部屋で受講した。
後に述べるが、彼等のほとんどはOshoサニヤシン。
良く言えばリラックスしていたが、悪く言えばチトうるさかった。
グループはサイレンス(沈黙)で行われた。
講堂はもちろん、食堂や休憩時間も口をきかない。
これは私もアジズやフーマンのリトリートで体験したが、プロセスに集中できて良い。
人とすれ違っても挨拶など不要だから、気楽なものだ。
コースのリーダー役はダーサと呼ばれる人々だ。
男組には四人の男性ダーサ。女組には十人くらいの女性ダーサがつく。
いずれも剃髪し、白い上衣とドーティを着用。
コースは通常、朝七時半に始まり、途中、朝食・昼食休憩をはさみ、夜の八時半ころ終了。それから夕食を摂り、消灯は十時半だ。
男性参加者について言うと、最年少が26歳、最年長が七十代の会社会長。私は年長組の方だった。
コースのリーダー役、ダーサ。
これは僕(しもべ)という意味だという。「神の僕」だ。
私たちは語尾に敬称「ji」をつけ、ダーサジと呼ぶ。
みな二十代であろう若い人々だ。
すなわち自分たちより年長の参加者をリードするわけだ。
Bhagavanの周りにはひとつの僧団のようなものが組織されていて、彼らはそれに属する出家僧のごときものだ。
家を後にしてGolden City に住まい、男女とも剃髪して貞潔の誓いを立て、すべてをBhagavanのワークに捧げている。
永年親しくBhagavanの薫陶を受けたであろう彼らの総数は、現在百五十余名。
男組の場合、四人のダーサジが交代でセッションをリードする。
また、それぞれ6〜7人の参加者を受け持ち、コースの時間外に個人面談やグループセッションなどを行う。
私を担当してくれたのが、クリシュナラージというダーサジ。
いちばん小柄で一見頼りなげなのだが、なかなかおもしろい人であった。
グループミーティング中、彼とBhagavanとのなれそめを聞いてみた。
曰く;
幼少の頃から神を求める志の篤かったクリシュナラージ少年。
中世南インドの覚者アディ・シャンカラをグル(導師)と定め、修養に励んでいた。
十三歳になったある日、ある人からBhagavanの写真を見せられる。
一目でそれに引き込まれたクリシュナラージ少年、Bhagavanについて様々なヴィジョンを視る。
ヴィジョンの最後に、グルとあがめるシャンカラが現れ、「お前はこの人の許に行きなさい」と言い渡される。
そこで彼はヴィジョンの中でBhagavanに、「どうかあなたの許に行かせてください」と願う。
するとBhagavan、「あなたはまだ若く、学ぶべきことも多い。もうしばらく家に留まり、勉強を続けなさい。私が力になろう」と答える。
爾来、Bhagavanは常に彼の傍らに現れ、いろいろ面倒を見てくれる。
学校のテストが近づくと、「〜時から〜時までは数学の勉強。その後は〜時まで社会科」という具合に細々と時間割を組んでくれる。
彼が大病を患って入院すると、家族以上に付き添ってくれたのもBhagavanだった。
そしてこれは彼ひとりにとどまらなかった。母にも、父にも、そして兄にも、Bhagavanは現れた。
母がサリーを買いに行って緑か黄色か迷うと、傍らのBhagavanが「緑の方が似合うよ」と言ってくれる。
まるで家族がひとり増えたかのようだった。
そして二年後、日本で言う中学の過程を終えたクリシュナラージは、出家して僧団に加えてもらえるようBhagavanにお願いする。Bhagavanもそれを了承する。
いかにBhagavanに親しんでいたとはいえ、愛する息子が家を出るというのは、両親にとって辛いことだ。そこでクリシュナラージは両親を説得してくれるようBhagavanに頼む。
するとその夜、Bhagavanは母親の夢に現れ、クリシュナラージを貰い受けたい旨を告げ、その許しを請う。母親はそれを肯う。次いで父親の夢に現れ、その許しを請う。最後に兄の夢に現れ、その許しを請う。
かくして家族全員の了承を得て、十五歳のクリシュナラージは出家し、僧団の一員となるのであった。
数ある男性ダーサジの中で、おそらく随一の美声の持ち主であろうクリシュナラージ師、Bhagavanのダルシャンや様々な典礼の席上でリードボーカルを勤めていた。その歌声はコスミックレーベルのCDにも収められている。
Osho の主著とみなされる一書に「Vigyan Bhairav Tantra」がある。
これは古代インドの瞑想技法集「ヴィギャン・バイラヴ・タントラ」を題材にしたOshoの説法集だ。
本書には百十二の技法が収められているが、その中で最も短いのが「Devotion liberats」(献身は解き放つ)というスートラ。
献身が解放のための技法とされている。
本書の中でOshoは、「誰かを愛したら他に瞑想はいらない」と述べている。
インドには献身の長い伝統がある。
古くはシヴァに身を捧げたデーヴィー、クリシュナとともに生きた中世の女性覚者ミーラ、そして近世には母神カーリーに献身したラーマクリシュナ等々。
「神は愛なり」と説くキリスト教の神髄も献身だ。
そして本邦で言えば、阿弥陀如来を頼む浄土門がそれに相当するであろう。
南無阿弥陀仏で解き放たれた妙好人の数は、おそらく禅門で見性を得た人々の数を上回るのではあるまいか。
Golden City のキーワードも、この「献身」にある。
21日間プロセスでは様々なワークが行われるが、その基本となっているのが「献身」だった。
なんでもかんでも、お任せする。
何にお任せするのかというと、これは何でもいいのだ。
しかし便宜上、それは Presence (プレゼンス)と呼ばれる。
ちょっと聞き慣れない言葉だから、解説が必要だろう。
断っておくが、これは私の解釈である。
間違っているかもしれない。
「存在」とも「宇宙意識」とも「神」とも言うべき、最も根本的な存在がある。
それがあなたの身近に親しく現れたものを Presence と呼ぶ。
辞書で引くと、「顕現」とか「降臨」とか。
それは「ハイヤー・セルフ」とも呼ばれるし、究極的には「自分自身」なのであろう。
Presence は、何でもいい。
自分の慣れ親しんだものでいい。
ホトケでも、大日如来でも、アマテラスでも。
アラーでも、マリアでも、聖フランチェスコでも。
Oshoでも、Bhagavanでも、あるいは人格のない「プレゼンス」でも。
そうしたPresenceを喚起し、なんでもかんでもお任せだ。
そういうことに慣れ親しんでいない、たとえば私みたいな人間は、ちょっと戸惑う。
シヴァとか、観世音菩薩とか、Divine Presenceとか、いろいろやってみたが、いまいちピンと来ない。
最終的にはBhagavanを頼むことにする。
上述のクリシュナラージ家の場合、Presence はBhagavanの形をとって現れた。
そしてそのPresence=Bhagavanと、親しくコミュニケーションまでとっている。
クリシュナラージ師の場合のみならず、多くの人々にBhagavanは顕現しているようだ。
しかし悲しいかな私のごとき信薄き人間の場合、なかなかそういう具合にはならない。
Bhagavanというとディクシャを想起する人も多かろう。
しかしディクシャというものが導入されたのは、ごく最近、すなわち03年8月のことだ。
これはエネルギーの伝達であり、多くの場合、施術者が受け手の頭に触れる形式を採る。
Bhagavanによると、いわゆるenlightenment(悟り)はバイオロジカルなものであるという。
すなわち脳の物理的変化によって起こるということだ。
もっと詳しく言うと、頭頂葉の非活性化がEnlightenmentにつながり、前頭葉の活性化がGod realization(神実現)につながる。
何人かの神経生理学者が、その線に従ってディクシャを科学的に研究している。
そこでちょっと趣向を変えて、男の子向けに科学談義を ― 。
瞑想中に頭頂葉が非活性化し前頭葉が活性化することは、以前からSPECT断層撮影などによって知られていた。
頭頂葉の後部には、OAAと呼ばれる「空間認識を司る部分」がある。
空間認識とは自分と他を弁別すること、すなわち自他の分離だ。
人間はこの部分が過剰活性の状態にある。
たとえば「エゴの強い人」は、fMRI(核磁気共鳴機能画像)で見ると、頭頂葉後部に強いアルファ波活性が見られる。
この部位を非活性化すると、意識の拡張、自我の消失、万物との一体感などが得られる。
前頭葉は意志に関係しており、特にその左前部は、喜び、至福、慈悲と深いつながりがある。
また、前頭葉の基本的な神経伝達物質はドーパミンであり、それは幸福感をもたらすとともに、しばしば「神との神秘的合一感」をもたらすこともある。
人は通常、前頭葉があまり活性化していない。
深い瞑想中には、前頭葉の左前部に、非常にパワフルなガンマ波が現れる。ガンマ波は近年、高い意識状態の指標と見なされている。
この部分を活性化すると、深い至福感や「神の臨在」が感じられる。
更に、大脳の中心部には「透明中隔(septum pellucidum)」という、秘められた法座がある。
そこが活性化すると、慢性的な痛みや悩みがたちまち治まり、深い平安や歓喜が生まれるという。
こうした頭頂葉の非活性化、ならびに前頭葉や透明中隔の活性化は、瞑想やセラピーなどによってもたらされる。
ただしその効き目や永続性は様々であろう。
研究者たちによると、従来の瞑想法やセラピー技法に比べ、ディクシャの効能は目覚ましきものがあり、しかも永続性があるという。
すなわちディクシャは、エネルギー授受によって、即座に脳の配線(ハードウェア)を物理的に変えてしまうのだ。
「一万時間の瞑想経験のあるチベット僧と、21日間プロセス修了者の脳波が同じ相を示していた」という話もある。
ここで私のディクシャ体験談を…。
といきたいところだが、先にも述べた通り、何人かの施術者からディクシャを受けたが、特に目立った体験はなかった。
その理由として考えられるのは;
1.ディクシャはたいして効かない。
2.ディクシャも効かないほど、ぱるばは救いがたい。
3.既に配線が変わっていた。
4.効いてはいるのだが、気づかない。
さて、どんなものか。
研究者によると、「ディクシャによって脳がハードウェア的に変わっても、なかなか意識上の変化が到来しない」というケースもしばしばあるらしい。
その方が、逆のケース、すなわち「意識上で何かを体験しつつも、ハードウェア的にそれを支える基盤が整わない」場合より、現実的で地に足が着いていると言えそうだ。
しかしながら、ディクシャは闇雲に脳の配線をいじるというわけでもあるまい。
イエスの言うごとく「幼子(おさなご)のようにならない限り神の御国に入れない」とするならば、人にとって至福とは生来の自然な状態であるはず。
そうした幼子のごとき脳の状態に復す縁(よすが)となるべきもの、 それがディクシャではあるまいか。
一部サニヤシンの間ではディクシャを危険視する向きもあるが、その是非については、まあこのオレを見て判断してもらってもよかろう。
(やっぱ危険!?)
ともあれ、こうした科学的研究に対してはGolden City も全面的に協力しているようだから、今後の成果に注目したい。
ディクシャには三種類あるらしい。
ムクティ・ディクシャ(上記)、ワラ・ディクシャ、ヒーリング・ディクシャだ。
ワラディクシャとは願望成就のディクシャであり、すなわち現世利益をもたらすもの。
現世利益と言うと、精神的探求者は一般に「オレには関係ない」と思うであろう。
私にもそんな傾向がある。
かのイエスも「貧しき者は幸いなり」と言っているではないか。
ところが、このBhagavanなる人物は、家も、クルマも、金までも、祈れば面倒見てくれるらしい。
余談だが、私はそもそも、ディクシャを受けてもあまり体験がなかったせいか、Bhagavanに対してはけっこう懐疑的であった。
インドコースに先立つ昨年10月、精進湖の準備合宿に出ても、やっぱり懐疑的だった。
そして、合宿の初日…。
思いがけず、すぐれて現世的な願望が私の中にきざしたのである。
ちょっと困った願望であった。
そこで一計を案じた。
これはちょうど良い。
これを使ってBhagavanをテストしてやろう。
かくして私は、願望成就をBhagavanに頼み始めたのである。
テストするからには、真面目にやらねばならない。
それでけっこう真面目にお願いしたわけだ。
「あなたの言うことがホントだったら、どうかこの望みを叶えてください」と。
相変わらず半信半疑だったんだけど。
すると合宿の最終日、なんだか叶ったような感じ…。
まあ、80パーセントくらい。
それでBhagavanの言うことも少々信じてみようか、という気になったわけである。
Osho のスローガンも「Zorba the Buddha」、すなわち「物質的にも精神的にも豊かに」であった。
大陸でも古来より「衣食足りて礼節を知る」と言われる。
現身(うつせみ)の我々だ。現世利益を別して蔑ろにする必要もあるまい。
Bhagavanによると、物質的に満たされない限り、人は精神の道に向かわないとのこと。
欲しいものは何でもお願いしてみよう。
少なくとも、自分で悪あがきするより、お任せするほうがラクだ。
(ま、ものごとには限度というものがあろうが)
この21日間プロセスは、ディクシャ施術者になるためのコースであった。
コース中には特に、頭に手を置くお馴染みのディクシャは行われなかった。
Golden City での滞在そのものがディクシャだとも言われた。
特に、Cosmic Being (コズミックビーイング)との瞑想に、強力なディクシャ効果があるのだそうだ 。
コース中はほとんど毎日、夕方になるとバスに乗り込み、十数キロ離れた元祖 Golden City の第一キャンパスに出かける。
近代的な Golden City II と比べると、なにやら南インドの農村を思わせる素朴な風情だ。
その一画に、椰子の葉で四囲を廻らした簡素な瞑想ホールがある。
入口にはカーテンが垂れている。
外には大きなマンゴーの木々。
バスから降り、マンゴーの樹下で静かに待つ私たち。
やがて中からダーサジが現れ、カーテンが開く。
みんなクッションを小脇に抱え、入口で靴を脱ぎ、中に入る。
男は向かって左側、女は右側に座る。
前方の壇上、十幾つか並べられた椅子の上に、剃髪して白衣をまとった Cosmic Being たちが瞑目して坐している。
向かって左側が男、右側が女。
あたりには触(さわ)れるほどの沈黙が流れる。
ひとりの女性ダーサジが壇の下に侍り、ときどき扇で風を送ったり、裳裾を直したりしている。
さて、この Cosmic Being とはいったい…。
その名も示す通り、意識が宇宙と一体になった人々であるらしい。
もはや個我というものが無いので、しゃべるということもないという。
そして一般的な社会生活を営むこともない。
いったん Cosmic Being になった人が、再び普通人に戻るということは、多分ないのであろう。
歩いたり、食べたりという一通りのことはできるらしい。
「一緒にいてこんなに楽しい人々はいない」と、ふだん生活を共にしているクリシュナラージ師は言う。
見たところ、ほとんどが南インド人のようだが、ひとり若いアメリカ青年がいる。
この Cosmic Being になるには、自ら志願し、それから親兄弟など近親者の了承を得、特別な行によってその状態に達する。
Cosmic Being は高次のエネルギーの発信機的な役割を果たすという。
現在は、週一度の休み(月曜)のほかは、この瞑想ホールで人々とともに瞑想している。
我々のようなプロセス参加者のほか、インドの一般民衆も貸し切りバスを連ねてやってくる。
インド人たちは Cosmic Being の前で五体投地をし、退出時も背を向けずに後さじりをするなど、篤い崇敬を情を示している。
男性 Cosmic Being の中でいちばん年嵩であろうひとりに、ムニラトナムという人がいる。
近隣の村の牛飼だったという。
ごくシンプルな村人だ。
歳は三十代半ばであろうか。
三年ほど前、Bhagavan が近所の村人たち三百人ほどをGolden City に招待し、公開ダルシャンを行った。
Bhagavanの母語は村人たちと同じテルグ語である。
それに参加したムニラトナムは、ただ一度のダルシャンで往ってしまったのだ。
シンプルな牛飼であった彼に、突如、解放が訪れた。
以来彼は、二〜三の仲間とともに近隣の村々を訪れ、村人たちにディクシャを与える。
最初は訝っていた妻も、やがてその仲間に加わり、共に村々を廻るようになる。
その数は二年間のうちに百村を数えたという。
二年経ってムニラトナムは、 「Cosmic Being となってGolden City 内に住まい、人々の覚醒のよすがとなりたい」とBhagavanに願い出る。
その願いが聞き入れられ、昨年夏、ムニラトナムの「コズミック・セレブレーション」が盛大に執り行われる。
ビデオで見ると、当日、およそ二千人ほどの村人たちがバスに分乗して、Golden City 内の会場に集う。
みなムニラトナムの世話になった人々だ。
闇の帷の降りる頃、Bhagavan が壇上に現れ、村人たちに祝福を与える。
やがて大歓声の中、白い衣をまとったムニラトナムがBhagavanのもとに連れて来られる。
既にトランス状態にあった彼は、自分では歩けなかったのだ。
Bhagavanは身を屈め、ムニラトナムの眉間に親指で触れる。
ムニラトナムの身体に一瞬、電気が走る。
その間わずか数秒。そして彼の願いは果たされたのであった。
トランス状態は三日間ほど続き、その後、徐々に回復する。
今は毎日、第一キャンパスの瞑想ホールで人々ともに坐している。
Bhagavanのワークの特筆すべき点は、脚下顧照ではないが、地元を重視していることだ。
後にも述べるが、彼は世界全体の変容を企図している。
しかし、お膝元が変わらないようでは、世の変容もおぼつくまい。
もともと、アーンドラ・プラデシュ州南部のこの地域は、かなりすさんだ土地柄だったらしい。
暴力や飲酒がはびこり、警察も手を焼いていたという。
ところが数年前にGolden City が建設され、地元民にも働きかけるようになった結果、地域の様相が一変したという話だ。
私たちはほぼ毎日バスに乗って両Golden City 間を往復したが、その道中にも、Golden Cityと地域住民の親密な関係を肌で感じたものである。
南インドの古い預言に、「三百の村が変容したら世界が変容する」というものがあるという。
ともあれ、村人たちのようにマインドがシンプルであるほど、変容も早いようだ。
ところで、瞑想ホールの壇上には Cosmic Being 用に椅子が十脚少々準備されているが、いつも真ん中にひとつ、空の椅子がある。
なんだろうと訝っていたら、その椅子にもちゃんと座る人がいるそうだ。
ただし、霊体で。
Golden City の西側に広がる山々と森林地帯は、「Siddhaの森」と呼ばれている。
虎も出没するという深い森だ。
Siddha(シッダ)とは到達者という意。
この森には古来よりSiddhaたちが住んでいると言われる。
中には肉体をもって数百年生きながらえているSiddha もいるそうで、村人の中には邂逅した人もいるらしい。
そんなSiddha の中にひとり、シッダラヤという人がいる。
やはり数百年の齢を数える人で、かつてはよく村人たちの間に霊体で出現したそうだ。
森の中の一隅に、彼を祀る小さな祠があった。
しかし村人たちの信心も徐々に衰え、それとともに1930年代以降シッダラヤも現れることはなくなった。
ところがGolden City ができ、その瞑想ホールに Cosmic Being が坐すようになると、再び彼は姿を現す。
そして、「これこそ私の坐るにふさわしい場所だ。椅子をひとつ用意してほしい」と言う。
そこで Cosmic Being たちの真ん中に、椅子がひとつ用意される。
そして彼はいつもそこに坐りに来るのだという。
残念ながら肉眼では見えないが。
彼に限らず、いろんな存在がこの瞑想ホールを訪れるのだそうだ。
Bhagavan のもとには、六人のアチャリヤと呼ばれる人々がいる。
いずれもジーヴァアシュラム以来、Bhagavan が手塩にかけた高弟たちだ。
ジーヴァアシュラムというのは、Bhagavan が1984年に設立した全寮制の学校である。
プロセスが始まって二日目のこと。
大枚はたいてインドまで来たが、まだ様子見気分の私であった。
その日の午後であったか、アチャリヤであるアナンダギリ師の講話があった。
場所は女性の講義室である大講堂。
男女一緒の聴講であった。
これは内緒にしておきたいのだが…。
もしアナンダギリ師の話を聞く機会があったら、出来るだけ早く会場に来て、前列に座ること。
できたら、真ん中の通路側がいい。
英語がわかると、なおいい。
ゆっくりした口調でしゃべるから、たいしたヒヤリング能力はいらない。
アナンダギリ師の講話は、遠くで聞いているとひたすら眠いが、近くで観るとスペクタクルである。
ビデオなどで見ると、いつもBhagavanの傍らに侍っているので、さだめし一番弟子なのであろう。
ダーサジたちも恭しく彼を迎える。
齢はまだ三十そこそこであろうか。
アナンダギリ師の講話は、21日間プロセス中、二度ほどあった。
その中で語られた印象深い逸話をひとつ ―
今から十五年ほど前、まだアナンダギリ少年がジーヴァアシュラムの生徒だった頃のこと。
彼は品行方正な模範生タイプであった。
しかしそれがだんだん窮屈になってきた。
自分はそんな模範的な生徒じゃないことを、彼はよく承知していた。
それで悶々とした日々を送るアナンダギリ少年。
そしてあるとき、思い切ってBhagavan のもとに行って、すべてを打ち明ける。
自分はぜんぜん模範生なんかじゃありません、怒りや、暴力や、嫉妬や、貪欲や、不平不満でいっぱいです、と。
当然Bhagavanはびっくりするだろうと思った。
今までずっとBhagavanの前では模範生として振る舞ってきたからだ。
ところがBhagavanは平生とまったく変わりない。
何らのジャッジメントもなく、ただ「明日の朝食はイドリにしようか」なんてことを言っている。
いったい私はどうしたら良いでしょうと、なおも食い下がるアナンダギリ少年。
するとBhagavan、「キャンパスの外れにある大岩の上で、今キミの言ったことをぜんぶ歌にして歌っておいで」と言う。
そこでアナンダギリ、キャンパス外れの大岩に赴き、先ほどの自らの言葉をぜんぶ歌にして、大声で歌う。
爾来彼は、その名のごとく、至福に満ちた存在となる。(アナンダとは至福の意)
じつはこれは歌唱のせいではなかった。
大岩に赴けとアナンダギリに言いつつ、Bhagavanは彼の目にある一瞥を送ったのだ。
その一瞥により、アナンダギリは変容する。
強力なディクシャが与えられたのだ。
講話が終わり、合掌しつつ退出するアナンダギリ師。
たまたま前列中央の通路側にいた私。
アナンダギリ師と目が逢う。
これが、いわく言いがたい目であった。
なかなかに cool ! なのである。
こんな目をした弟子を持っているならBhagavanもただ者ではあるまい、と思ったものだ。
さてそのBhagavan。
この運動、すなわち、Golden Age Movement の中心人物だ。
いったいどんな人なのか、みなさんにとっても一番の関心事であろう。
まずは参考書籍のご紹介。
日本語で手に入るのは、以下の三点かと思われる:
ONESESS on the Earth 地上の楽園 (←クリックするとAmazonにジャンプ)
カルキセンター・ジャパン刊 2004年12月
日本での窓口・カルキセンターの大矢さんが中心になって編んだ本。
小冊子であるが、この運動の概観をうかがうには格好の入門書。
Bhagavanの法話(質疑応答)が大部分を占め、その教えがよくわかる。
まあ、読んでいて、びっくりする一書だ。
続編の予告はあるが、まだ出ていない模様。
悟りってなあに?
中西研二著 VOICE刊 2005年4月
寡聞にして知らなかったが、著者は「中西ヒーリング」主宰者。その世界では有名人らしい。
昨年末とあるパーティでご一緒したが、非常に親しみやすいおじさんであった。
本書はそんな中西氏による、Bhagavan解説&21日間プロセス体験記。
Bhagavan解説の部分は、Bhagavanとの個人面談および上記の「Oneness」をソースとしつつ、Bhagavanおよびその運動について詳細に述べられる。
プロセス体験記は、日にちを追って、自らの驚くべき体験が臨場感を持って綴られる。
ただ、中西氏のプロセスは「VIP待遇」すなわちマンツーマンの個人メニューだったから、我々のとはちょっと違うかも。
これもやはり驚くべき本だ。
黄金時代の光
大矢浩史著 出帆新社 2001年9月
カルキセンター代表、大矢浩史さんの著書。
まだディクシャの導入される前、より日常生活に即したBhagavanの教えが、人々の体験談とともに紹介される。
「カルキ・ユーザー」という概念がおもしろい。
というわけで、運動の世界的な広がりに比すると、意外に資料が少ない。
これは日本語のみではないらしい。
たとえば、Golden City の売店に行っても、Bhagavanの説法集やビデオなど、ひとつもない。
まったく出版されていないわけではないが、品切れなのだという。
この辺がOsho の周辺と著しく違う点だ。
プーナのOsho コミューンに入ると、目抜き通りの一等地に、お洒落なブックショップが店開きしている。
そこで売られているのは、すべてOsho の法話集。
書籍であったり、ビデオであったり、オーディオテープであったり。
Osho は生涯に七千から八千回の説法を行ったと思われるが、そのほとんどが上記の形態のいずれかで手に入る。
英語の説法すべてをテキストで収めたCDロムもある。
Bhagavanも法話を行っている。
芝生ダルシャンと呼ばれるものだ。
元祖Golden City 第三キャンパスにある住居近くの芝生で、プロセス参加者などを前にして、週に二度ほど質疑応答形式で話をする。
すなわち、対機説法だ。
対機説法とは言うまでもなく、TPOすなわち時間/場所/機会に制約される。
このあたりが、Bhagavan関係の書籍の少ない理由かとも思われる。
南インドの芝生の上で昨年の四月アメリカ人のピーターの質問に対して与えられた答えが、今あなたにそのままあてはまるとは限らないわけだ。
とりわけ動きの速い現代社会においては。
ただ、本が欲しいという要望はかなりあるらしく、Golden City でもそれに応えて昨年、Evenings with Sri Bhagavan という小さな本を出版している。
これは英語で行われた芝生ダルシャンをそのまま収めたもの
ダルシャンの期日は、2004年9月15日から10月2日だ。
ただこれもGolden City内では品切れで、アンマのテンプルでやっと一冊、乱丁本を手に入れたという次第。
機会があったら訳出してみたいと思う。
ともあれ、BhagavanやGolden Age Movementに関心のある人は、上記日本語書籍の一読をお勧めする。
しかし、このBhagavanっていうひと、ほんとにびっくりさせるようなことを言う。
その筆頭は、2012年までに世界中の人が悟るということ。
そして、自分には悟りを与える力があるということ。
これだけ聞けば、まず良識ある探求者はおしなべて背を向けることであろう。
あなたも早いとこ、背を向けた方が良い。
時間と視神経の無駄だ。
ゆめゆめ、下の一線を越えぬように。
ーーーーーーー〈一線〉ーーーーーーーーーーーーーー〈一線〉ーーーーーーーーーーーーーー〈一線〉ーーーーーーー
あ、越えてしまったね。
あとはオレの責任ではない。
ま、気取って書くのも疲れたから、この辺から本来の文体&人称代名詞で行くか…
世界中の人が悟る!?
このオレだって悟っていないのに。
しかし、これはどこかで聞いたことがある。
昔々、同じ国の経典に、同じような願いを発した人の話が出ているではないか。
その名も法蔵菩薩。
願文にいはく、「たとえ我れ仏を得たらんに、十方の衆生、至心に信楽して、我が国に生まれんと欲して、乃至十念せんに、もし生まれずんば、正覚を取らじ」(大無量寿経)
つまり、世の人々が成仏しなかったら私も仏にならない、ということだ。
そしてこの法蔵菩薩はしっかり成仏して、阿弥陀如来になっている。
であるならば、私たちの成仏も既定の事実なわけだ。
これが浄土門に伝わる教え。(ウチの菩提寺も浄土真宗であった)
これがホントだったら、世界中の人々が悟ったとしても、別に不思議はあるまい。
ただ、Bhagavanのユニークなところは、期日を定めているところ。
2012年だと。
あと6年じゃん。
ほんとかよー。
その根拠として、ユガ(ヒンドゥー教で言う時代)の推移、星の配置、地磁気の変化などいろいろあるらしい。
そういえば覚醒速度のスピードアップについてはAziz師も言及しているし、パソコンCPUのスピードアップも顕著であるからして、そういうことがあっても良いかもしれない。
もちろん、にわかには信じがたい。
がしかし、Bhagavanの言う通りだったとしたら、またこれほど結構なこともあるまい。
しばらくは信じてみるとするか。
それから、「Bhagavanには悟りを与える能力がある」。
これも大びっくりだ。
ところで、「悟り」、あちらの言葉で「Mukti」、にもいろんな段階があるらしい。
最低次の悟りは、マインドの介入から自由になること。
最高次の悟りは、神との一如(Oneness)なんだという。
ただ、「悟りとは終わりのないプロセス」だとも言われる。
ま、悟りの定義についてあまり喋々と語ってもさして意味はあるまい。
というのも、それは自分では如何ともし難いものだから。
Bhagavanいはく、悟りは自力では到達できない。
外から頂戴するほかない。
このことについては、非常にハッキリと断言される。
ま、これはいい。
他力系やキリスト教系の考えも同じようなものだろう。
「求めよ、さらば与えられん」とかね。
なぜBhagavanが悟りを与えられるかというと、「悟りのアヴァターラ」だから。
アヴァターラというのは、神の化身。
特定の役割を持って世に生まれた権化ということだ。
アヴァターラというのは別にBhagavanひとりだけではなく、ほかにたとえば数学のアヴァターラとか、愛のアヴァターラとか、いろいろいるらしい。
もともと誰だって神の御分霊(わけみたま)なわけだから、これはわからなくもない。
ただ、アヴァターラにはそれぞれ役割があるらしい。
Bhagavanの役割は、悟り。
それゆえ、悟りを与えることができるというわけ。
あなたはきっと、「そんな無体な!」、と思うだろう。
今風に言うと、「ありえな〜い」って感じ。
ま、オレなんかは、そこまで言うなら信じてみようかと思うけどね。
かのテルトゥリアヌスも言っているではないか;
「credo quia absurdum (ありえないから信じよう)」と。
21日間プロセス中、Bhagavanには三度まみえた。
ただし、芝生ダルシャンではなかった。
Bhagavanはこの時期、沈黙していた。
昨年四月のコース時には語っていたそうだが、九月には既に黙していたそうだ。
少々残念なことではある。
ダルシャンの場所は、元祖Golden City の第二キャンパス。
通常はインド人向けコースが行われているのであろう、ゲート付近には大勢のインド人の姿が見られる。
ダルシャン会場は、そこから右手奥に入った講堂。
靴を脱いで、中に入る。
白大理石敷きで、百畳ほどの広さか。
真ん中に一条、赤絨毯が敷かれている。
持参のクッションに坐してしばし瞑目していると、やおら戸外でワッというざわめきが。
Bhagavanの到着だ。
このダルシャンはコース参加者専用だった。それで、中に入れないインド人たちがBhagavanの姿を一目見ようと入口付近に集まっていたのだ。
やがて後方入口に姿を現すBhagavan。
数人のダーサジを伴い、赤絨毯の上を演壇に向かって進んで行く。
現身のBhagavanに一番近く接せられるひとときだ。
壇上に昇り、椅子に腰かけ、瞑目するBhagavan。
クリシュナラージ師らによるバジャン(献身歌)が始まる。
その中で参加者たちは、あらかじめ指導された瞑想法やワークを行う。その間、約十五分。
そののちBhagavanは席を立ち、もと来た赤絨毯の上をたどってホールを後にする。
戸外では再びワッという歓声。その中でBhagavan、車に収まり、いずこへやらと去っていく。
これが現象面のダルシャン。
さて、非現象面では!?
う〜ん…
すごいエネルギーを感じた!っていう人もいたが。
オレは特にそういうこともなかったかな。
カッコいいおじさんだとは思ったが、それくらいだったろうか。
Oshoに初めて会ったときもそうだったが、物理的に近接したからといって、それで特に劇的な展開があるということもなかった。
ホールを出て、雨期のぬかるみを避けつつ、バスの駐車場に向かう。
途中、インド人向けのシンプルな食堂がある。
飛び込んで御相伴に与りたい衝動にかられる私であった。(ここの方がぜったいウマいはず)
ここでちょっと趣向を変えて、飯(メシ)の話。
私が最近南インドづいているのも、ひとつには南印飯がすばらしいからだ。
最近は首都圏を中心に、日本にも南印飯屋が増殖中である。
(みんなの知っている「インド料理店」はほとんどが北インド系)
南印料理の特長は、米が主食で、菜食が多く、割合あっさりしていて、バナナの葉の上に盛りつけ、手で食う。
この「バナナ」以降は伝統的スタイルなのだが、とにかくメチャうまい。
ただし、Golden City の食事に関しては前評判もイマイチだったので、期待はしていなかった。
ま、そうだなー、オレがここ数年体験してきたOsho Communeを含む南方アジア瞑想系リゾート五件のうち、やっぱ最下位だったろうか。
トップはタイ国チェンマイにあるマンタク・チャ老師のTao Garden。
昨年滞在した同じ南印、ラマナ・アシュラムの飯も実に印象的であった。
何もないガラーンとした古い食堂の床に座り、前にはババナの葉が置かれ、役僧たちが無造作に給仕する。
メニューは徹底して現地食。
なんでもラマナ自身が料理好きで、アシュラムの食事に関しても細かな指示が出ているということだ。
ま、しかし、Golden City の食事については致し方ない面もあろう。
第一に、必ずしもインド慣れしていない人々が長期滞在するのだ。
中には海外旅行初めてという人もいる。
プロセスを円滑に進めるためにも、無難なメニューにせざるを得ないのであろう。
それに、三〜四会場で同時進行しているグループごとに食事時間が異なるため、自ずとメニューにも制限が出てくる。
バイキング形式だが、期待していた南インド料理はほとんど出てこない。
ダール(レンズ豆カレー)など、二〜三の北インド料理が昼と夜に供されるくらい。
とりわけ哀しかったのが朝食で、私など、南インド製イギリスパン(すなわち悲惨な食パン)と缶詰のチーズ(!)をボソボソと囓るのであった。
それで思い出すのが、前出のアナンダギリ少年とBhagavanのやりとり ― 「明日の朝食はイドリにしようか」
このイドリこそ、私が首都デリー(北インド)で仕事をしている時いつも朝食にオーダーするスーパー南印ブレックファストなのだ。
これは発酵させた米粉蒸しパンで、それをサンバル(ピリ辛の豆スープ)やココナツ・チャツネとともに食べる。
ラマナ・アシュラムの朝食もこれだった。
シンプルで、美味で、ベリーマッチエキゾチックで、日本人の口にもよくあうし、やっぱ南印なんだから、これくらいは出して欲しいよね…というのが唯一の願いである。
コース中、二回、ネーマンにあるAmmaのテンプルに出かける。
Golden City から南方に七十kmほどだ。
大型バスにみんなで乗り込み、のどかな田園地帯を三時間くらい走る。
風景は美しいが、なんせインドの田舎道。
ガタゴトを通り越して、しばしば空中浮揚を余儀なくされ、体にチトこたえるかも。
沈黙中なのであまり話はしないのだが、女性参加者たちはパンジャビドレスを着たりして、なんとなく華やいでいる。
ここネーマンのテンプルでは、Ammaのダルシャンを受ける。
Ammaというのは、Bhagavanの奥さん。
Bhagavanとともに Golden Age Movement の創始者とされる。
インドではよく神々が「ラダ・クリシュナ」というようにカップルで扱われるが、この二人の場合も「Amma Bhagavan」という具合に対で呼ばれることが多い。
プレゼンスを喚起する場合も「Amma Bhagavan、どうかそのプレゼンスで私を満たしてください」とか祈ったりするのだ。
私の場合も、ディクシャをする時には、まずAmma Bhagavan を呼び起こす。
Ammaには語録がないだけに、いったいどういう存在なのか、もうひとつよくわからない。
Bhagavanとともにアヴァターラとされ、Bhagavan以上の神通力を発揮するとか言われる。
どういう神通かというと、まずは現世利益ということになろうか。
Bhagavanも現世の面倒を見るのであるが、なにがしか条件がついたりする。
その点Ammaは、インドの言葉で「母」を意味するごとく、無条件で望みを叶えてくれるらしい。
それでネーマンのテンプルには、インド中から善男善女が蝟集する。そして一日二度ほどあるAmmaのダルシャンで祝福を受ける。
テンプルと言っても、メインの部分は、鉄パイプやトタン板や布で構成された、かなりシンプルなものだ。
それでもおそらく二千人ほども収容できるだろう。
コンクリート製の床は幾つかの区画に別れ、コース参加者には前方のブロックがあてがわれる。
人いきれとトタン屋根の輻射のせいか、内部は非常に暑い。(扇を持参すべし)
やがて、タミル語(たぶん)、ヒンディー語、英語、日本語などでアナウンスが流れ、バジャン(献身歌)が始まる。
そのうち、壇上のとばりが開き、椅子に座したAmmaが現れる。
おそらくシルク製であろう、美麗なサリーをまとっている。
一見どこにでも居そうな南インド婦人。ちょっとコワモテな感じ。
Ammaは座したまま、時々両手の平を会衆に向け、祝福光線を浴びせる。
会衆も手を差し伸べ、それを頂戴する。
その間、十五分ほど。
さてその御利益やいかに。
Ammaが退場すると、インド人たちは私たちのブロックの周りに集まる。
男も女も、老人も子供も。
ディクシャを受けるためだ。
若い母親がオレの裾を引っぱって、傍らの幼児の頭を指さす。
まだディクシャ・イニシエーションを受けていなかったオレは、断らざるを得ない。
このテンプルは、私たちのキャンパスに比べると、ぐっとインドっぽくて猥雑だ。
入場料もなく、敷地内には様々な売店があって、久々のショッピングも楽しめる。
お香やオイル、音楽CDや書籍類、布製品、パドカ…。
パドカとは、聖性を象徴する装飾的なサンダルだ。ここで売っているのは木製のもので、値は五千円ほど。
私もひとつ入手して、現在、自室の卓上に鎮座ましましている。
21日間プロセスも終わりに近づいたある日、ディクシャのイニシエーションがある。
このイニシエーションを受けると、「ディクシャ講師」になるわけだ。
英語で言うと、Deeksha Giver。すなわち「ディクシャを与える人」。
そもそもこのコースはディクシャ講師を養成するものだから、このイニシエーションはひとつの終了式みたいなものだ。
いつもの通り講堂に集まり、それぞれ担当のダーサジから、銀のパドカでディクシャを受け、聖水とマーラ(数珠)をかけられ、イニシエーションを受ける。
これで目出度く私もディクシャ講師となったわけだ。
とは言え、ディクシャとは私がするものではないし、人間の努力でどうこうなるものでもない。
あくまでも〈神〉の側からの恩寵なのだ。
ディクシャとは、人と〈神〉とが繋がるよすがとなるものであり、いったんつながれば後は全託で、〈神〉がすべての仕事をやってくれる。
現在のところディクシャは、こうした「講師」すなわち「Golden City で21日間コースを終了した人」を通じて受けることになる。
コースを終了した人であれば、誰からでも同じエネルギーが流れるのだという。
講師本人が、たとえば「どのくらいBhagavanを信頼しているかどうか」も無関係なんだそうだ。
だとすると、どの講師からディクシャを受けても同じなのであろうか?
この点に関してはオレもちょっと疑問な次第である。
たとえば、酒を飲んでディクシャするな、という指示もある。
まあお互いの相性みたいのもあろう。
たとえ同じエネルギーが流れているにせよ、講師が生理的に合わなければ、そのエネルギーに対して開かない…みたいな。
携帯蛇口みたいなもんなんだろうな。
蛇口はどこへでも行くが、そのコックをひねって水を飲むのは、あくまでも受ける本人ということだろう。
ところで、オレみたいな人間を通じてもディクシャのエネルギーは流れるのか!?
…ということについては、思いっきり疑問であった。
何度も言う通り、そもそも、あまりディクシャというものを信じていなかったからだ。
それでも、「霊性の蛇口」になるのはそぞろに気持ち良いので、機会あるごとにやらせてもらっている。
皆さん、それなりに感じてくれてるみたいで、もしかしたらオレを通じてもエネルギーは流れているのかも♪
21日間プロセス参加者の顔ぶれを見ると、おばさま世代が一番多い。
子育ても一段落し、時間的・経済的に余裕の出る時期なのであろう。
それに比すると男子は、なかなか休暇が取れないのか、はたまた他の遊びに忙しいのか、数的にぐっと劣勢である。
沈黙期間が長かったのであまり話もできなかったが、そんな男たちのバックグラウンドは、治療師系、脱サラ系、自営系とか…。
それぞれに様々なスピリチュアル遍歴を経てきている様子。
中でも中西ヒーリングに関係する人々が多かった。
これは中西研二氏が熱烈なBhagavan信奉者であり、日本でいちばん活発にディクシャを紹介している人だからであろう。
TM(超越瞑想)出身の人々も散見される。聞くところによると、インドのマハリシの許から多くの瞑想者がGolden Cityに流入しているという。
ひるがえってOsho関係はどうか。
先にも述べた通り、今回の日本人グループ91人の中で、サニヤシンすなわちOsho弟子は、私も含めて2人のみだった。
これはちょっと意外だったかも。だいたいインドのスピリチュアルシーンでは、石を投げるとサニヤシンに当たるものだ。
ただ、同時に開催されていたブラジル人グループでは、参加者26人のうちほとんどがサニヤシン。
その講堂の祭壇にはOshoの写真が飾られていた。
このブラジル組には、実はラハシャが与(あずか)っていたらしい。
ラハシャというのはOshoの著名なドイツ人弟子であり、現在、瞑想リーダーとして世界中を回っている。
なんでも、あるときブラジルのサニヤシングループがラハシャを招聘して瞑想イベントを開催。その中でラハシャがディクシャを紹介し、興味を抱いたブラジル人サニヤシンたちが、グループでツアーを組んだらしい。
地球の真裏からロンドン経由ではるばる渡天求法である。我々がブエノスアイレスに行くようなものだ。
そのラハシャも私たちとちょうど同じ時にGolden Cityに滞在していた。
彼とともに、いかにもOshoサニヤシンらしい華やいだ西洋人の一団がいる。
その中には、オーラソーマのヌラ、ハノーヴァー皇太子妃トゥリヤ、Oshoミュージシャンのミーテン、歌姫プレマールなど、馴染みの面々も。
Bhagavanのダルシャン時など、いつも彼らは最前列に座を占めていた。
バジャンの調べに合わせて自然に体をスウェイさせるその姿など、Oshoダルシャンの雰囲気を彷彿とさせる。
オレもそうだけど、総じてサニヤシンというのはjuicyな人々である。
ただ、ときおり、そのjuicyさに、どこか生硬さというか、とがったところが感じられたりも…。
ディクシャのエネルギーが加味されれば、そのjuiceも、よりまろやかに熟成するのではないか、とオレは思ったりするのである。
Golden City で現在進行中の一大建築プロジェクト。Oneness Temple。
場所はGolden City II、私たちのキャンパスから1kmほど離れたところだ。
食堂棟の屋上からも望見できる白亜の大伽藍。
ディクシャ・イニシエーションの翌日であったか、我々ヤマトボーイズ二十余名、バスに乗って見学に出かける。
これ、そもそもは2005年内完成という話であった。
しかし悠久の大地インドでは、何事であれ期限通りにはいかない。
現在では06年末完成と言われているが、おそらくそれもおぼつくまい。
白亜の伽藍というと、北インド・アグラのタージマハールを思い出すが、それよりも大きいのではあるまいか。
外壁はラジャスタンの白大理石で蔽われている。
三層の構造物で、合わせて二万人が一緒に瞑想できるという。
プーナOshoコミューンの旧ブッダホールが通常二千人台だったから、その規模が想像できよう。
最上階の広大なスペースは、「柱のないホール」としては「アジア最大」なのだという。(後楽園みたいなエアドーム方式には負けるが)
このホールに八千人のCosmic Being が一堂に会して瞑想するのだそうだ。
八千人というとそれだけでも五百トンくらいの重量になるが、さて構造計算のほうがいかがか…。
設計者はポダールというインドの建築家。
彼はまたVastu(インドの風水)のスペシャリストでもあるという。
最上階からの展望はすばらしい。
周囲はほとんど原野。
ところどころに植林されたユーカリの林がある。
東方の彼方には、インド第二の塩水湖プーリカット湖が見える。
敷地内には、この寺院のほか、休憩棟や、食堂棟、トイレ棟など、幾つかの建物が配されている。
いずれも白亜の建築物で、周囲の緑と調和して、いかにも宗教的な施設らしいたたずまいを見せている。
いずれここで瞑想コースも開催されたりするようになる由。
南インドといえば、ミーナクーシ寺院を始め、大伽藍が妍を競っている。
そこにまたひとつニューフェースが登場したというわけだ。
さて、Golden City なりBhagavanに対して首を傾げる人々の、まず疑問の筆頭は、このコースの料金であろう。
三週間で5500米ドル。現在の為替レートで約65万。
これにはオレもちとびっくりした。
インドの事情には通じているつもりだったからだ。
いかに昨今著しい経済発展を遂げているとはいえ、たとえば南インドの地方都市では、100円も出せば小綺麗な飯屋でボリュームたっぷりの昼食にありつけるのである。
日本人の場合は更に事前合宿にも参加せねばならず、そこに往復航空運賃などを含めると、ちょっと百万仕事になる。
比較するのもなんだが、二年前に参加したマンタク・チャ老師のタオガーデン(タイ・チェンマイ)の一週間コースは735ドル。部屋はシャワー付きの個室で、食事は比較にならないほどデラックス。プールやジム、各種マッサージやヒーリングメニューも充実。バカンス&リラクセーションには好適である。
ただ、この21日間プロセスの目的は、個人の成長というよりも、ディクシャ講師養成のためにある。
それゆえ、相応の準備と覚悟が必要なわけだ。
この料金設定については、コースの最後にダーサジからちょっと説明があった。
なんでも、精神界にはひとつ法則があって、何かを受け取るには対価が必要だ、ということらしい。
かつては無料でコースを実施したこともあったが、見るべき効果はなかったという。
これはなにも精神界に限ることではない。
オレも商売人のハシクレだからわかるが、物事は然るべき対価を払って初めて、当人にとって価値が出るのである。
このPowerBookだってかなり投資してるから、愛着もひとしおなわけだ。
たとえば、かつてグルジェフがパリ郊外のフォンテーヌブローに学校を開いた際も、相当の学費が要求されたらしい。
本気で学びたければそのくらい払え、ということだ。
(インド商人はよく相手を見て価格を決めるが、これはけっこう理に適っている。インド人の1ルピーとあなたの1ルピーとでは、重さがまるで違うのである)
まっとうに働いている社会人なら、このコース料金も別に不可能な額ではあるまい。
まっとうじゃない人でも、本当に必要であれば、カネは天下の何とやらだから、そのうちきっと回ってくるであろう。
この「精神界の法則」であるが、これはディクシャを受ける際にも適用される。
慈悲心あふるるオレは当初みんなにタダでディクシャしようとか企んでいたのであるが、それはあまり妙手ではないらしい。
然るべき対価を支払って初めて、効果も期待できるようである。
気がつくと今日は2006年5月13日。
この体験記を書き始めて四ヶ月ほどにもなる。
先月にはまたGolden City において日本人向け21日プロセスが実施され、新たに百二十余名のディクシャ講師が誕生。
私の体験談ももはや、いにしえのものとなりつつある。
世の流れにつれて、コースの内容やGolden City をめぐる環境も刻々と変わっていく。
今回のコースでは、たとえば頭に手を置くディクシャが多用されたということだ。
また、Cosmic Being の中に、通常の社会生活を営めるようになった人が二人ほど現れた、とも。(それならオレもなりたい!?)
インドの「スピリチュアル・シーン」で今いちばんホットなのが、おそらくこの Golden City であろう。
ちょうど七〜八十年代のプーナみたいなものだ。
(そのせいか知らぬがOsho弟子の間ではいまだディクシャアレルギーがあるようで、たとえばOsho弟子関連のメーリングリストではディクシャ関係の投稿はブロックされる)
オレはと言えば、正直なところ、ディクシャによってめくるめく体験! というようなことは、別にない。
悟ったか、と問われれば、別に悟っちゃいない。
ただ、Osho→Aziz&Houmanと展開した自らの道筋の、自然な推移であるように思える。
現在は毎週火曜日・東京で開催の楽園ディクシャなどを中心に、ディクシャ活動をさせてもらっている。
ディクシャを受けたいという人は、遠隔も含め、いつでも施術させていただくので、ご連絡いただきたい。
というわけで、今回の体験談はこれでおしまい。
長い間のおつきあい、ありがとう。
今年12月には同じくインドGolden City にてディクシャ講師の10日間上級コースがあり、私も参加する予定なので、その節にはまたご報告することもあるだろう。
それ以外にも折に触れ何かupするかもしれないので、そのときにはよろしく。
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