12月31日(水) 事故の顛末
今、信州上田の実家にいる。
実家にはポチという柴犬がいる。
これは一昨日も書いた。
今朝、起きると、一面の雪景色。
空は快晴。
オレにとっては、今年初めての雪だ。
庭に出ると、さっそくポチがやってきて、ちょこんと座る。
そして尻尾を振りながら、こっちを見上げる。
あの瞳には負ける。
そこでオーバーを羽織り、帽子を被り、手袋をはめる。
再び庭に出て、腰を屈め、散歩用の綱をポチの首輪につけようとしていると…
腰に電撃が走る。
やっちまった。
久しぶりのギックリ腰。
三度目かな。
幸い、前二度よりは軽い感じ。
気を取り直し、直立姿勢を保ちながら、一時間ほど雪道をポチと散歩する。
浦野川に沿ったのどかな散歩道。
オレと一緒だとけっこうワイルドな道をたどるので、ポチも楽しかろう。
体のあちこちにバカをつけている。
バカというのは、草花の種だ。
家に戻って、そのバカを取ってやる。
そのとき屈んで、またちょっと腰の状態を悪くする。
実家の近くには温泉が幾つもある。
一番近いのは田沢温泉。
有乳湯(うちゆ)と呼ばれ、子宝が授かるらしい。
昔、山姥がここで湯あみして阪田金時を授かったというハナシ。
別に子宝は要らないが、大晦日でやることもないので、プチ湯治にでかける。
富士屋という馴染みの宿屋だ。
源泉掛け流しの湯で、しばし腰を温める。
まあ多少は楽になったろうか。
もうじき年も暮れる。
ポチは居間に上がり込んで、スヤスヤ眠っている。
オレの遭遇した事故のことなんか、おそらく知るまい。
12月29日(月) 媾合への道
信州上田の実家に滞在中。
今日は窓ふきをする。
たまには親孝行をしないと。
実家には柴犬のポチがいる。
ホントはもっと洒落た名前なのだが、面倒だから犬は全部ポチと呼ぶ。
9歳になる♂だ。
一心不乱に窓を拭いていると、ポチが我が脚にしがみつき、やたらにマウンティングをかけてくる。
オレの脚は♀犬じゃないノ。
で、思い出したのは、アヴェロンの野生児のこと。
19世紀初頭、フランスのとある森で発見・捕獲された、野生状態の少年だ。
捕獲時、十代前半で、言葉もしゃべれず、獣のようであった。
彼を人間社会に戻すため、長年にわたって様々な努力が払われる。
その中でひとつ、彼に女をあてがったことがあった。
ところが、彼は性的に興奮したものの、コトに至ることはなかった。
人間は交接に至る本能を失ってしまったらしい ? 。
以上は、大学時代、文化人類学の授業で西村朝日太郎教授から聞いた話。
それ以来、疑問に思っていたことがある。
人間以外の動物の性本能はいかに機能するのか?
それについてのヒントを、ポチが与えてくれたように思う。
つまり、犬の♂は、とりあえず、親しみを感じる、ある一定のサイズの、動物体には、マウンティングしてみるのだ。
で、それがたまたま♀犬だったら、ある一定の反応を示し、めでたく媾合が成立するというわけ。
相手が発情中なら、フェロモンを発してもいるし、プロセスもよりスムーズであろう。
他の動物はどうか知らぬが、人間にそういう本能はない。
街角でめったやたらにマウンティングされても困るだろう。
少なくとも、着衣の状態では、この本能は役に立たない。
(いかに情熱的にやっても、衣服を貫通することは不可能であろう)
そんなこんなで、人間は後天的な学習を通じてのみ、媾合への道が開かれるようである。
オレの場合もだ。
中学の頃だったか、同級生の男にコトの真相を告げられた時、そんなことがあるものかとビックリしたものだ。
みなさんはどうだろう。
へー、そんなことするの!!と驚かなかった?
教えられなかったら、まず、ずえったいそんなことはしていなかったろう。
ってなことを、窓ふきしながら考えた。
夕暮れに、細い月と木星と水星が美しかった。
12月27日(土) 大麻
最近、やたらと大麻の話が出る。
いや、繊維素材としてのヘンプだ。
親しい人々が何人も着用していて、元気になると言うのだ。
弊社はもう二十年近く、インドを相手に繊維関係の仕事をしている。
もちろん麻も使うが、亜麻や苧麻ばかりで、大麻ってのは馴染みがない。
(ただ大麻草自体は工房の周囲に雑草としていくらでも生えている)
今年の春だったか、弊店に伊豆大島から友人R氏が訪ねてきた。
R氏のそのまた友人M嬢が、大島でヘンプの褌(ふんどし)を作っているというのだ。
ウチもシルクで褌を作っていて、それこそ売るほどあるから、話だけ聞いて、忘れてしまった。
しかし、最近やたら耳にするし、メキキのH氏も大島のヘンプ褌を締めているし、加えて首相も麻生だし、これは忘れてる場合ではないようだ。
そこで大島のM嬢から、男物と女物の褌を一丁ずつ取り寄せる。
私は褌歴、約十年。
インドという布の宝庫で様々な素材を人体実験し、「最強の褌」なるものを創り上げたつもりであったが、まだヘンプは未体験。
大麻だからさぞかし気持ちイイだろうと期待もふくらむんであるが、さて結果やいかに!?
12月23日(月) Some Way
瞑想会でのわがステージコスチュームは作務衣。
禅僧の作業着だったというこの衣に袖を通して、かれこれ二十余年になる。
十着ほども持っているだろうか。
そのうち四着が、土布(どふ)と呼ばれる生地でできたもの。
これは中国の手紡ぎ手織り木綿だ。
最初に買ったのもこの土布製で、じつは今もそれを羽織ってパソコンごっこしている。
あちこち擦り切れてボロボロなんだけど、なんだか気持ちよくて、捨てられないのだ。
ちなみに下(ズボン)部分は、十年余でダメになった。
厚手の生地で、夏を除いて着られる。
手紡ぎ手織り生地がなぜ良いかと言うと、不均一なナチュラル感。
もはやこのような生地は日本では織られていない。
木綿の母国インドにもない。(そもそもインドは暑いから薄地が多い)
そのうち中国からもなくなるかもしれない。
作務衣はカタチがだいたい決まっているので、生地選びがポイント。
まずはこの土布製作務衣が私のおススメかな。
そんなに高くないし。
土布と作務衣で検索をかけると、けっこう出てくる。
通販も良いが、できたら実店舗で触ってみたい。
衣ってやっぱ、触ってなんぼだからね。
それに手織は品質にバラつきがあるし。
11月30日(日) 伝説の瞑想法
ダイナミック瞑想というのがある。
ここ修善寺リーラスペースで瞑想道場をやると、必ずメニューに入っている。
しんどいから、正直言って、あまりやりたくない。
でもサボると疎外感が生じるし、厄介な存在だ。
一昨日から二泊三日の『魂のエンパワーメント』。
ここにも毎朝しっかり組み込まれている。
昨日の朝は、サボろうかと思った。
キヨタカにリードを任せて。
でもまあ、オレが出たほうが盛り上がるし、淡々と参加する。
しかし、久しぶりにやって、その威力を体感。
過去の記憶が甦る。
だいたい、Osho考案の瞑想法の中で、これほどお世話になったものもない。
オレが弟子志願した当時は、21日間これをやんないと入門できなかった。
強烈な浄化の技法だ。
まじめにやると、得るものも多い。
おかげでオレもかなり環境美化された。(これでも)
いろんなものが現れては消えていった。
そんなことを思い出す。
今朝はオレが率先してリードする。
参加者には、存分にやってもらった。
必ずや効果があったはず。(筋肉痛とともに)
これはみんなやったら良いと思う。
心の宿便取りみたいなもんだ。
人生が変わる。
やってみたい人は、来春1月10日から修善寺で開催のリーラ瞑想リトリートにご参加あれ!!
11月24日(月) ポノポノ翁
先日の拙日記「ホオ・ポノポノ!」。
後日談がある。
ただ、ちょっと煩瑣だから、ヒマな人は読んでおくれ。
件の日記を友人が「ホ・オポノポノ(SITH)」コミュに転載。 そのコメントによってわかったのは、Ho'oponoponoの「'」は英語のアポストロフィではなく、ハワイ語のオキナという発音記号なんだそうだ。
詳しく言うと「声門閉鎖音記号」っていうやつで、音を詰まらせるように発音する。
(というわけで、「英語でHooと書くとフーと読まれるので、それを避けるためにHo'oにした」という我が推論は不十分であった )
で、声門閉鎖音は日本語でどう表記されるのか。
たとえば、「里親 satooya」。この二番目の「o」は声門閉鎖音の有名な例なんだそうだ。
カタカナでは「サトオヤ」と表記される。
人名の「横尾 Yokoo」もそうだ。
英語表記ハワイ語では「Yoko'o」となるはず。
声門を閉鎖しないと「予行」と同音になる。
カタカナでは前者を「ヨコオ」、後者を「ヨコウ」と表記して区別する。
すなわち、「o'o」は「オオ」、「oo」は「オウ」なのだ。
誰も「横尾」を「ヨコ・オ」などとは書かない。
だから、Ho'oは「ホオ」が当たり。
ましてや、この「オ」が後続の「ポノポノ」にくっつき、その部分が独立した一語のような観を呈したら誠に具合悪かろう。
たとえば、「横尾忠則」を「ヨコ・オタダノリ」と表記するみたいなもの。
まあオレは原音の発音を耳にしたことがないんで確たることは言えないんだが、意味的・プロモーション的に見て、「ホオポノポノ」あるいは「ホオ・ポノポノ」が良いんじゃないかと思うのである。
11月23日(日) イノブタの怪
連休の中日、友人に誘われて近所の山に登る。
うららに晴れた初冬の陽光の中、日の出山から御岳山(みたけさん)へプチ縦走。
日和に恵まれ、山頂や御岳神社や人でいっぱいだ。
御岳参道のソバ屋で遅目の昼食をしたため、また日の出山に戻り、下山する。
三時半を回り、日の出山の登山口も近づいた頃のこと。
登山路の脇に、大きな黒い犬を連れた若夫婦が立っている。
下山してくる我々に道を譲ろうというのだ。
よく見ると、その大きなのは、犬じゃない。
イノシシだ!
思わず「オッ!」と声を挙げるオレ。
「イノシシですか!?」、通りがかりに声をかける。
「イノブタです」、と男の方が答える。
イノブタというのは猪と豚の間の子だ。
「へー、イノブタ!?」
かなりデカい。体長1メートルはあるだろう。
「日の出町の人ですか?」
「いえ、都内です…」
「でも飼うの大変でしょう」
「いえ、いつもは部屋の中で寝てるんです」
「家の中で飼ってるんだ!?」
「はい、でも昔はこんなに小さかったんです」、と言って両手で三十センチほどの楕円を作る。
そう言っている間に、女の方がイノブタを引っぱって登って行く。関係ないが、かなり容姿端麗。
「驚いたねえ、イノブタだってよ」。下山しながら友人と語らう。
「いつ鍋にするんですか?って聞けばよかった」
「でもコドモの頃から飼ってたら愛着もわくだろう」
「ウリンボって可愛いからね。とっても食えないだろう」
「可愛がってるうちに、あんなにデカくなって、さぞかし困ってんじゃない。旦那の方なんか」
「きっと奥さんのほうが可愛くて手放せなかったんだ」
下る一方だから、心も口も軽やかだ。
しかし、そのうち、ある疑念が頭をもたげる。
「もうじき四時じゃん。すぐ暗くなるのに、なんで今ごろ山に登り始めるんだろう」
「散歩だったらわざわざこんな山道に連れてくる必要もあるまい」
「だいたいいつも家の中で寝転んでるんだろ」
「あの奥さん、なんか暗い顔してたよな」
「登山の格好、してなかったし」
登山口まで下り、友人の車に乗り込む。
その先に一台、練馬ナンバーの真新しいランクルが駐まっていた。
11月6日(木) ホオ・ポノポノ!
今日はちょっと翻訳のお話。
最近スピリチュアルシーンの中でよくお目にかかる言葉、「ホ・オポノポノ」。
オレもヒューレン博士著の「みんなが幸せになるホ・オポノポノ」を取り寄せて読んでみた。
う〜ん、なかなかおもしろい。
ハートを介して無に至る南洋的技法と見た。
南無阿弥陀仏の親類筋だ。
これが多くの人々に広まるのは誠に結構なことであろう。
ただ、「ホ・オポノポノ」という訳語はヤバいと思う。
本書によると、ハワイ語で、ホ・オ=目標、ポノポノ=完璧、だそうだ。
すなわち、目標完璧ということ。
しかしながら、「ホ・オ」の「・」が問題だ。
日本人はまず、「ホ」と「オポノポノ」の二語に分けて読むだろう。
まるで「ホ」が定冠詞で、「オポノポノ」が本体であるかのよう。
ザ・ピーナッツみたないな。(古いか!?)
これはおそらく、途中に英語を介しているせいだろう。
「ホ・オポノポノ」の英語型はHo'oponopono。
ここに「'」があるのは、Hooだと「フー」と読んでしまうので、「Ho'o」という表記になったと推測される。
それを日本語化した時、「ホ・オ」としたのだろう。
しかしながらカタカナの場合、「ホオ」と表記しても何らさしつかえない。
というより、一語を「ホ・オ」と分けたら、これは誤訳である。
ハワイ語のことはよく知らないが、同音を重ねることが特長だと言われる。
だとしたら、ポノポノだから意味があるんであって、オポノポノじゃちょっといただけない。
このすばらしい技法を本邦に広めるためにも、この呼称は早いとこ改めた方が良い。
「ホオポノポノ」か、「ホオ・ポノポノ」だろうな。
ヒューレン博士も本書の中で、「名前はとても大切です」と言っていることだし。
言霊ってものがあるからな。
「ホオ・ポノポノ」のほうがずっとパワフルだと思わん?
10月18日(土) ごりらのこだま
あれは79年5月のこと。
22歳のぱるば青年。どういうわけかひとりアナトリアの平原を歩いている。
トルコ共和国の西部、エーゲ海のほとり。
ちょうど乾季にあたり、日差しは夏のよう。
あたりは緩やかな起伏のある農地。
とある畑で、農夫たちがメロンの収穫をしている。
丸いメロンと楕円のメロン。
収穫された果実の傍らに、小さな女の子が立っている。
4歳ほどのいたいけな娘。
農民の子なのだろう。
丸いのと楕円の、ひとつずつ手に取ったぱるば青年、その娘に尋ねる。
「カッチュ・パラ」
「いくら?」という意味のトルコ語。
くだんの女の子は答える。
「ベッシュ・リラ」
5リラだという。
30円くらいだったろうか。
安いなと思いつつ、女の子に5リラ札を渡す。
メロンをザックに収め、女の子に手を振って、また歩き出すぱるば青年。
遠目に、男の子がひとり娘のもとにやってくる。きっと兄であろう。
女の子は5リラ札を手渡すが、兄はなんとなく不満そう。
安過ぎたのかも。
たぶん彼女は、「ベッシュ・リラ」という言葉しか知らなかったのだ。
「このメロン全部ちょうだい」と言っても、「ベッシュ・リラ」と答えたかもしれない。
そしてそれは、この異邦の青年にも理解できるわずかな現地語のひとつだった。
小さな町の宿に戻り、通りに面したバルコニーでメロンにナイフを入れるぱるば青年。
その生温かい果汁が、渇いた喉に甘かった。
爾来三十年。
乾いた平原の風に乗って、遙か東海の老漢の耳許に、ときおり囁く鈴の音―
「ベッシュ・リラ」
5リラのこだま。
9月30日(火) 瞑想リーダーをやった
先週末、修善寺のリーラスペースにて、キヨタカとともに瞑想指導をした。
まあ、話せば長いんだが、これは我が人生における、ひとつの画期であろう。
Oshoの弟子になって二十有余年。
周りには瞑想指導をしている人も数多いるが、オレはそんなガラじゃないと避けてきた。
しかし、時期が来たんだろう。
やってみると、これがけっこう楽しかったりする。
長年瞑想会を企画してきたキヨタカにも「天賦の才がある」と言われ、なんかその気になってくる。
そもそもオレは人前に立つのがけっこう好き。
人前に立って、自分が今まで得てきた最善のものを紹介するってのは、考えてみれば素晴らしいことだ。
それからもうひとつ、我が人生における一大変化。
それは、今回の瞑想会直前、会社をほとんどリタイアすることになった。
これは一時的なことかもしれないが、とにかくリタイアなのだ。
それで自由になる時間が大幅に増える。
それを瞑想の指導・普及、そして更なる研究に用いない手はない。
本づくりもしたいと思うし。
今のところ瞑想会では、10月17日〜19日、修善寺リーラスペース「リーラ瞑想リトリート」にてゲストリーダーとして瞑想指導。
それから10月27日、渋谷メキキにて瞑想指導。
拙HPも活性化したいと思うので、よろしく!
7月10日(木) オレの遊び場
最近のオレの遊び場。
渋谷のメキキというところだ。
コレは例にもれず、修善寺のキヨタカの紹介なんだが、今年の2月に入会して、けっこうハマっている。
出口光という人の主宰する、様々な人々の集まりだ。個人事業者や中小企業の経営者連中が多いが、オレの感じから言うと、一般社会人とOshoサニヤシンの中間あたりかな。実社会でバリバリ働きながら、精神性にも関心を向ける人々って感じ。みんな非常にオープン。Oshoの宣揚するゾルバ・ザ・ブッダの素養を持つ人々かもしれない。
まあ普通だったら縁のない会かもしれない。キヨタカが入会したのは出口さんが出口王仁三郎の曾孫だったからだ。
そして出口王仁三郎とは、我々の愛するフーマンが高く評価していた人。つまりフーマンつながりというわけ。
キヨタカの入会によって、オレとか瞑想関係の人々が徐々に入り込むようになった。
そして先週末、キヨタカのホームグラウンドである修善寺のリーラスペースで「個の花瞑想道場」というものが二泊三日で行われた。リーダーは出口光さんとキヨタカ。
これはメキキのワークショップ「個の花道場」に瞑想をプラスしたものだ。ここにメキキのアクティブな会員が大勢参加したのである。
メキキの会員はOsho瞑想は初めてなのであるが、みなダイナミック瞑想やクンダリーニ瞑想に真摯に取り組んでいた。ダイナミック第二ステージのカタルシスなど、びっくりするくらいの大騒ぎで、初回から効いてるなあという感じだった。
これは修善寺リーラスペースという場のせいでもあろうが、メキキの人々が「個の花道場」などを通じて平生から磨きをかけているせいだろう。
オレも個の花道場には二度ほど参加したのであるが、かなり強烈にハートに働きかける場であった。
この修善寺「個の花瞑想道場」の成功もあって、今メキキ内では瞑想に対する関心が急速に高まっている。近々、瞑想を扱う分科会も誕生する予定で、今後ますます楽しくなりそう。
メキキには専用のSNSがあり、そっちが面白くてmixiもお留守になりがちだ。そういえば5月末にはメキキ昼食会でキヨタカが講演し、大ウケする。そんなこんなで最近はもっぱらメキキ周辺で遊んでいるというわけ。
もし一緒に遊びたい人がいたら、来週の火曜夜7時から渋谷のメキキ事務局で「個の花道場」説明会(無料)があるから、覗きに来ると良いだろう。当日はオレもキヨタカも参加する予定。参加希望者はオレにメールのこと。
メキキのホームページはこちら。
6月4日(水) キヨタカ葬儀の次第
Osho系の有名セラピストでディクシャギバーでもある(たぶん)マ・ヨガ・スッダ。
アフリカ系の血の入ったアメリカ人女性で、私もサニヤシンなる前の1986年だったかな、オランダのヒューマニバーシティでお世話になったことがある。
このスッダの葬儀がさきごろイタリアのコミューンで行われた。
ガンで余命数週間と診断され、まだ存命中に、盛大なサヨナラパーティをやったのだ。
いかにもOshoサニヤシンらしい。その時の写真はこちら。
この件は畏友キヨタカが教えてくれた。
キヨタカというのは伊豆・修善寺でリーラスペースという瞑想道場を運営している人物である。
実は私ぱるばは、キヨタカの葬儀に際して葬儀委員長を務めることになっているのである。
キヨタカ昇天のあかつきには、酒池肉林の大パーティの末、みんなで送りだそうという趣向だ。
で、そのキヨタカ、自分もスッダのようにしてほしいと言う。
ちょっとね〜、チャッカリと言うか。
きっと、自分が死んだ後、オレたちだけで酒池肉林の大パーティするのが悔しいんだ。
その気持ちもわからんではないが、キヨタカの場合、それは難しいよ、きっと。
スッダみたいに律儀でマジメな人なら、サヨナラパーティの後、ちゃんと逝くだろう。数週間したら。
キヨタカは無理だな。
ずえったいに逝かないよ。何ヶ月たっても。
そういう事態に際して、いったいどう対処するつもりか。
きっと、一周忌、二周忌と、本人臨席のもとにパーティをやるんであろう。
で、オレが幹事!?
とっくに昇天してるよ。
ま、冗談はさておき、最近キヨタカ氏と私は「メキキ」という集まりの周辺で遊んでいる。
出口光さんという王仁三郎の曾孫にあたる人の主宰する会だ。
来月キヨタカはこの出口さんともども、修善寺のリーラスペースにて「個の花瞑想道場」というのを開く。
これはなかなかに面白そうである。
詳しくはこちら。
5月17日(土) 幻の血戦
熊蜂というのがいる。
黒くて、デカくて、刺されたらさぞかし痛かろう。
だから少年たちは避ける。
オレみたいな元少年も避ける。
コヤツが棲息してるんだよ。
ウチの駐車スペースに。
しかも、運転席ドアあたりが縄張りのようで、いつもその辺をホバリング(空中遊泳)している。
だから、車に乗りこむ時、いつも緊張が走る。
アドレナリンで心がささくれる。
いっそのことキンチョールで決戦に臨もうか。
が、しかし、決戦の前には相手をよく知らないと。
それで、パソコンを開いて、ネット検索する。
熊蜂、クマバチ、クマンバチ…
なになに、熊蜂はきわめて温厚。ふ〜ん…
なになに、雄にはそもそも針がない!
えっ、蜂なのに針がないって!?
だったら、アイツ、刺さないんじゃん!!
縄張りをホバリングしているのは雄なのだ。
良かったー、決戦を挑まなくて。
かくして、互いに友誼を結んだ我々であった。
名前もつけた。熊五郎。
丸っこくて、なかなかカワユイ。
空飛べるなんて、ステキ!
わりあい単純なオレである。
今までの緊張の半世紀はいったい何だったのか。
教訓:昨日の敵は今日の友。
な〜んちゃって、刺されたりしてな…
5月16日(金) 門前の小僧…
昨日はホトトギスの鳴き声で目が覚めた。
ああ、もうじき夏なんだ、という響き。
なに、知らない?
じゃ、ここをクリックしたまへ。
ウチの方ではいつも5月の中下旬に鳴き始める。
和歌の中にいちばん詠まれる鳥がホトトギスだという。
ウグイスじゃないのだ。
なぜか?
やっぱり稀少性、遠隔性かな。
ウグイスは三月からずっと近場で鳴いている。それで有り難みも薄れてくる。
その点、ホトトギスは遠くの森から、遙かに夏の到来を叫んでいる。
あの風情が良い。
このホトトギス、托卵性である。
お邪魔先はウグイスの巣。
野鳥界のマイスタージンガー同士にはそんな因縁もあったのだ。
法華経を聞きながら育ち、成長すると特許許可局と鳴き出すんだから、不思議。
5月10日(土) アンジェリック魁夷
東山魁夷展に行ってきた。
場所は竹橋の国立近代美術館。
魁夷のこと、ほとんど知らない。
でも百数十点も見れば、なにがしかの見当はつく。
一番好きだった作品は、渓谷の紅葉を描いたもの。
純粋に色の遊びで、ひたすらに楽しい。
「魁夷」の表示がなければ誰も魁夷だとは気づくまい。
要するに誰が描いたっていいような作だ。
その力の抜けたところが好き。
それで思い出したのが、会場入口に掲示されていた解説。
魁夷はドイツ留学時代に、フラ・アンジェリコの影響を受けたとある。
フラ・アンジェリコとはイタリアの画僧で、その名のごとく、エンジェルみたいな楽しげな絵を描く。
魁夷とははなはだ画風が違うのであるが、ただ一葉、その絵の中にアンジェリコがいた。
きっとそのとき魁夷は魁夷するのに疲れ、エンジェルに身を委ねたのかも。
個人蔵とあったから、もはや二度とお目にかかることもあるまい。
売店の絵はがきにもなかった。
(グーグルでイメージ検索しても出てこない)
ま、エンジェルにはいつだって会えるから、いっか。
3月25日(月) 或る発情
東京では桜が開花したようだが、こっちは梅が盛り。
紅梅、白梅、ピンク梅。
そんな「梅ヶ香」の中、今日は半日、山仕事をした。
山仕事。
う〜ん、カッコいい響だ。
ま、そんな大層なもんじゃないんだが。
チェーンソーを持って谷を降り、倒木を短く切って、それを運び上げるのだ。
結構な重労働。
なんでそんなことをするかというと、薪づくり。
好きなんだ、コレが。
畑を耕すより好き。
なんというか、男の血が騒ぐ。
わかるかな〜、キミたち。
たとえば、トラックが荷台いっぱい雑木を積んで走ってたりするだろ。そんなの見ると無性に血が騒ぐ。
杉やヒノキの立派な丸太じゃ、血は騒がない。
あれは建材。商品。
ナラとかカシとかクヌギとかいった、役にも立ちそうもない雑木じゃないとダメ。
なんと言うかな〜、これは太古からの記憶だろう。
雑木は薪となって火を発し、野獣を遠ざけ、人々に温もりを与え、煮炊きの熱となり、夜には灯りとなり、最後は灰となって畑を肥やす。
何十万年にも渉ってだ。
たかだか百数十年の歴史しかない石油などとは話が違う。
こうした雑木の存在があってこそ、今の我々も存在するわけだ。
血が騒いでも当然だろう。
ん!? キミの血は騒がない?
ま、無理もない。
この山里にしてからがそうだ。
父祖は山仕事を生業としていたはずなのに、現在ここに住まいする男たち三十余名のうち、雑木の丸太を見て発情するのは、オレの他もうひとりくらいなのだから。
共に他所から移入してきた人間。
よっぽどプリミティブなんだと思う。
3月19日(水) 時候の挨拶
ここんとこ毎日、畑仕事に精を出す。
豊作の第一歩は土づくりだからな。
肥やしや灰をやって土を耕す。
耕耘機もあるんだが、肉体派を目指してるんで、クワで耕す。
すると、通りかかるオジサンたちが口々に「ジャガイモ?」と声をかける。
標高250mの当地では、ふつう彼岸までにジャガイモを蒔くのだ。
ウチの畑ではジャガイモはとっくに蒔いてしまった。
いや、オジサンたちにしても、オレがこれからジャガイモを蒔くか否か、別に知りたいわけではない。
これは時候の挨拶なのだ。
年がら年中、おはよー!と言うのもバカみたいじゃないか。
彼岸前に畑を耕している人に出くわしたら、「こんちは!」の代わりに「ジャガイモ?」と言うのが、このあたりの流儀なのだ。
で、とっくに蒔いてしまったオレとしては、いちいち「違う」と言うのも面倒になってきて、しまいには「ウン」とだけ答えて、また黙々と土づくりに励むのであった。
2月18日(月) 150円のパン
150円で買えるパンの話。
わがiPod nanoの中身は8割が西洋クラシック、2割が印度クラシックその他。
つまりほとんどクラシックしか聴かない。
最近電車の中で聴くのはもっぱら声楽曲だ。オペラアリアとか歌曲とか。短いから下車駅に近づいても調整しやすい。
声楽曲というとクラシックの中でもとっつきづらい印象があるかもな。そもそもイタリア語かなんかで、歌の文句がわからない。
それでも時間による淘汰をくぐり抜けてきた名品は、やはり聴くべしである。
最近は秋川ナニガシという歌手の登場もあったりして、そうした曲が身近になりつつあるのは喜ばしきことだ。ただ秋川クンの歌を聴いていると、なんだか自分が歌っているみたいで、ちと気恥ずかしかったりする。(東京人ががんばって関西弁しゃべるみたいな。上手なんだけどな…)。やっぱイタ飯はイタリアで食うってもんか。
諸君には宗教的な曲など、よろしかろう。
たとえば、Panis Angelicusとか。
「オンブラマイフ」に似た雰囲気の名曲だ。iTunes Storeで検索すると150も出てくる。試聴して気に入ったのを買えば良い。
そんなヒマのない人は…
昨年秋に他界した
パヴァロッティの歌うやつとかね。貫禄。
もうちょっと清楚な感じが良い人は、
アンドレア・ボチェッリ…
女声では、ちょっと録音は古いが、往年の大歌手
レナータ・テバルディ…
iTunesをインストールして、クレジットカードを登録しないと買えないけど。いずれも150円。これは超お得である。
ちなみにPanis Angelocusとはラテン語で「天使のパン」。
キリストを意味するらしい。
2月7日(木) 天竺國のiPhone
諸君、明けましておめでとう!