か日誌 99                このページについて、質問や要望のある人は、parva@din.or.jpまでメールを! 

 

=一般成人向け XX=瞑想に関心ある人向け XXX=サニヤシン(オショーの弟子)向け XXXX=常連読者向け XXXXX以上は各自の責任において読む


10月2日 Let's chat XXXX

 昨夜、sijで告知があったんだけど、大阪のギートが自HPGeets Home Pageにチャット・コーナーを設置したという。
 それで深夜にもかかわらず、ちょっと侵入してみたのである。
 で、就寝時間が一時間ほど遅くなってしまった。
 要注意!

 昨晩は、主宰のギートほか、バンコク在住のエカント、神戸のだ〜まがいたりして、なかなか盛況。
 チャットというのは僕も初めてだったが、要するに、HP上でリアルタイムにおしゃべりをするわけ。
 ミャンマー大使館占拠事件の実況中継があったり、だ〜ま周辺の諸行無常が語られたりして、
 ま、すべからく他愛ない話なんだが、それなりに楽しい。

 侵入は簡単で、ここをクリック
 そして上方にある「ログイン/更新」ボタンを時々押していれば、ヒトのおしゃべりを傍受できる。
 自分も参加したかったら、名前を記入し、同じボタンを押す。
 すると、発言ウィンドウが現れるから、何でも書き入れ、同じボタンを押す。

 ただし、ほかに誰もログインしていなかったら、独り言になる。(それでも伝言板と同じ役目を果たす)
 ギートにしたって、24時間常駐してお相手しているわけにはいかない。
 だから、みんなで時間を決めて参加するやりかたもある。

 というわけで、やってみよう。
 明日・日曜の朝10時、ギートのチャット・コーナーに集合!


10月4日 無僧 XXXX

 先月、何度かお伝えした「一音成佛」シリーズ。
 あれからまた、虚ろに盛り上がっていたのである。

 22日のWeb篇に登場した大分のサットボーディ。
 虚舟という号を持っていた。
 オショーの講話集にもある「Empty Boat」。
 たぐいまれなるかっちょいい名前だ。
 自分で考えたのだろうか。

 で、このサットボーディ・虚舟は、同日ご紹介した「虚無僧日誌」虚波夢氏の、お師匠さんでもあるそうだ。
 更に、やはり同日紹介した佐賀の整体師・スニートが、虚舟のもとに赴き、虚鐸を一本手に入れ、弟子入りするのである。

 スニートは前々から、ひとつ竹号を欲しがっていた。
 それで私もいろいろ頭をひねって、しからば「虚月」なんぞはどうだろう…と言い送ったのである。
 しかしながら、この「虚」という文字。普通は、普化宗谷派・西村虚空門下につけられる。
 勝手に名乗るのは恐れ多い…とのこと。
 しからば、「口」をつけて、「嘘月」にしたらどうだろう…と言い送る。
 これは「きょげつ」と読むはずであった。
 しかしながらスニートは、これを「うそつき」と読み、自分にふさわしいと愛用しているようだ。

 ついでに私も自分用にひとつ考えた。
 「虚春゜」
 「こぱる」と読む。

 昨日、アガール・虚彗がウチを訪ねてきた。
 もと虚無僧だったこの人、伝統技能保持者でもある。
 すなわち、本式の深編笠を編める、日本でも数少ない人なのだ。
 藺草の香りも芳しい編みたての笠をかぶせてもらって、記念写真を一枚。(写真右)
 我ながらかっちょいい、無僧ぶりである。


10月5日 秋の到来 XXXXX

 オレは信州・上田の産。
 信州といったら、本州の中でも一番寒い県である。
 なんであんな寒いところに人が住むのかと、かねがね疑問に思っていたのだが…。
 そのヒミツが最近、なんとなくわかってきたような気がする。
 その答えは、蚊だっ!

 ここ東京あきる野市養沢の我が家には、すばらしい厠(かわや)がある。
 庭の一方が、養沢川に向かって切れ込む深い谷に面している。
 その崖っぷちが、私の厠なんである。
 春先なんぞ、梅の花が咲き乱れ、優雅な事この上ない。
 養沢のせせらぎに耳を傾け、木漏れ日を浴びながら、ひとり静かに用を足す。
 これは何にも代え難い喜びである。

 ところがだ、そのビューティフルな厠が、夏期四ヶ月は使用不能となるのである。
 ほかでもない、あのにっくきヤブ蚊のせいだ。
 ヒトの無防備状態につけこんで、容赦なく襲ってくる。
 まさに人倫にもとる行為と言えよう。
 「地球上における食物連鎖の頂点は人間である」というのは、真っ赤な嘘。
 その頂点たる人間の生き血を吸って、ぬくぬくと生きている族(うから)がおるではないかっ!

 たかが蚊、されど蚊、なのだ。
 たとえば、沖縄・西表島では、大正年間、閉村に追い込まれる部落が相次いだが、それは蚊の媒介によるマラリアのせいだった。
 オレなぞ人一倍、蚊には敏感なタチだが、それで助かっている面もある。
 かつてアフリカに働いた折、同僚の日本人の中には、マラリアに罹患して高熱で苦しむ人が何人もいた。
 夜寝ている間に、蚊にしこたま刺されるのだ。そして疲れなどで抵抗力が弱ってくると、マラリア発病となる。
 オレなんか蚊が一匹でもいたら眠れない方だから、ほとんど刺されなかった。
 それでマラリアにもならなかったというわけ。

 信州は高冷地で乾燥しているので、蚊が少ない。
 きっと太古の時代、蚊の苦手な人々が南方から移り住んだのであろう。
 その子孫たるオレが、蚊に弱かったとしても、何ら不思議はないのである。

 ここ数日やっと涼しくなり、さすが蚊の動きも鈍ってきたみたい。
 おかげで、また崖上厠が復活。
 日々のささやかな快楽が、再び戻ってくる。
 幸いなるかな、秋の到来。 


10月6日 秋の到来 〈ジャータカ篇〉 XXXXX

 久方ぶりの、晴天。
 ひたぶるに、気持ちいい。
 その秋空に、群れ飛ぶトンボ。

 それを見てオレは、はるか昔の過去生を想うのであった。
 今を去る一億数千万年前、中生代のジュラ紀。
 おそらくみなさんの多くは恐竜に生まれ、地上をのっしのっしと闊歩していたことだろう。
 ところがオレは、節足動物、ことにトンボにこだわり、転生を繰り返していたのだ。
 あの軽やかな生き方が捨てきれず、ひたすら極楽トンボに終始していたというわけ。

 おぼえているだろうか、あなたが獰猛な肉食竜ティラノザウルスだったとき。
 獲物をむさぼり食らうあなたの頭上に止まって、よくそれを見物していたのが、私なのだ。
 で、ついでに言うと、そのとき食われていた草食竜ステゴザウルスが、今あなたに連れ添っている、最愛の、ないしは口うるさきパートナーだったりする。

 ジュラ紀は四千万年続いたから、オレは少なくとも二千万回はトンボをやったことだろう。
 で、もっぱら蚊なんぞを食っていたわけだ。
 ときたま、血をたっぷり吸ったメスの蚊なんかに出くわすと、それはこの上ないご馳走であった。
 今でも、腹部を赤くてからせた蚊を見かけると、そこはかとない郷愁と食欲を感じてしまう…。

 一生のうち百匹の蚊を食ったとすると、トンボ生の全体で、二十億匹の蚊を食っている勘定になる。
 その因果で、今生、オレは蚊につきまとわれるのであろうか。(昨日の日誌参照)


10月7日 秩父 XX

 ひょんなことから、秩父を訪れることになった。
 インド人スワミ、アサンガの縁だ。
 この秋、ここ埼玉県の秩父で、アサンガの瞑想グループが行われることになったのだ。

 主催は、岡田多母(たも)さん。
 アユールヴェーダ関係のワークをやっているとき、ドクター・サダナンダを通じてアサンガと知り合う。
 そして感じるところあり、今回のグループ主催となった。

 彼女はいわゆるサイキックで、どこからともなく声が聞こえてくる。
 現在、夫の実氏とともに「アースエネルギー研究所」を経営し、健康にいい水や食品を販売している。
 その傍ら、「トコトワ・コスミックアカデミー」というのを主宰し、ヒーリングや瞑想的ワークショップを開催している。(写真・左端が実氏、隣が多母さん。)

 サイキックといったら、オドロオドロ的な人もいるんだが、彼女の場合、カラッと陽性なのがいい。
 オショー日本大使・伊勢のシャルノとも通じるクオリティだ。
 (だからこそ、オショーとの縁もできるのだろう)

 この多母さん、今秋二度ほど、秩父でアサンガグループを主催する。
 一回目は来週末で、自分たちの関係者のみで開催。
 二回目は11月19日〜21日で、これは一般にも広く開放する。
 場所は秩父の奥・吉田町にある「元気村」。
 詳しくはアサンガ瞑想会を参照のこと。

 通訳はどちらも私がやることになった。
 サニヤシンのいない瞑想会は初めてなので、さていったいどうなることやら。
 (ただ、10月19日と11月20、21日は都合悪いんだよね。誰かやってくんないかな)
 


10月11日 謝国権 XXXX

 今朝、snmlを見ていたら、以下のようなオショーの引用があった;

恋人の手を握りながら、なぜ静かに坐っていられないのか?
相手の存在を感じ、相手の存在のなかに入り、相手の存在を自分の中に招き入れなさい。
…今まで一度も知らなかったような歓びの、オルガスム的な絶頂に到達するだろう。

 出典はおそらく、『英知の辞典』であろう。

 オショーは「orgasm」という言葉をよく使う。
 これは必ずしも性的なコンテクストに限定されるものではない。
 特に形容詞「orgasmic…オルガスム的な」になると、「法悦の」という意味合いを持つことが多い。

 で、この「オルガスム的」というドイツ語系の訳語。古風な言葉だなあと思った。
 現在ではたぶん、英語系の「オーガズム」が主流だろう。
 自分の翻訳をチェックしてみると、あにはからんや、「オルガスム」と「オーガズム」が混在しているではないか。
 これはまずい。訳語は統一せんといかん。
 出版社のみなさん、今度増刷になる折には、「オーガズム」に統一しておいてください。

 かつて、オショー翻訳の先輩である日本人スワミ・ニラーラと、そんな話をしたことがあった。
 「orgasm」の訳語についてだ。
 「やっぱり今風にオーガズムだろうな」ということに落ち着いた。
 で、ニラーラ先生、ニヤリと笑って、「オルガスムスなんてどう?」とのたまったもんだ。
 嗚呼、謝国権世代!

 なに、謝国権博士を知らない!?
 お父上、お母上に聞いてごらん。


10月14日 いろいろあるちゃ 

 これは、NHK「みんなのうた」の一節である。
 ♪いろいろあるちゃ、かぼちゃちゃちゃ
 たまには食べ物の話もね…。

 インドには「アヒンサー」すなわち「非暴力」の思想がある。
 いたずらに生き物の生命を奪ってはいけない。
 それに則って、人々は菜食などにいそしむわけである。
 しかしながら、植物だって生きているわけだ。
 米だって、大根だって、菜っぱだって、それを食すれば、すなわち生命体の破壊なのである。

 しかるに、生命体を破壊せずに食することも可能である。
 それは、果実を食うこと。
 果実というのは、動植物の協定の上に成り立っている。
 すなわち、種子をバラまくという条件のもと、植物が動物に提供するのである。
 もちろん、種子が成熟する前に食べるのはいけない。
 それでは協定違反だ。

 そうした完熟果実の多くはフルーツに分類されるんだけれども、いくつか例外がある。
 そのひとつがカボチャだ。
 これは野菜と見なされるが、種子は成熟している。
 だから、果肉の部分を食うことに関しては、ベリーマッチ・アヒンサーなんである。

 さて、歌の文句にもある通り、カボチャにもいろいろある。
 で、最近、すごく美味いカボチャを発見したので、ここにご紹介いたす次第。
 これは「メルヘン」という品種名がついている。
 北海道の中部、風連町の産だ。
 箱を見ると、「減農薬・有機栽培」と書いてある。

 実は北海道・旭川の取引先が、進物でよく送ってくるのだ。
 それがあまりに美味いので、思わず、現地の八百屋から1ダース取り寄せてしまった。
 圧力鍋で炊くと、まさに栗のようにホクホク。
 普通は出汁を入れ、砂糖などで甘味をつけるのだが、ウチの場合はもっとシンプル。
 塩を少々入れるだけ。
 そうして写真のようにヨーグルトをかけて食うと、これが絶品!

 ま、ヨーグルトは乳酸菌だからね、アヒンサーもちゅうくらいだけど。
 「メルヘン」にひたってみたい人は、旭川・阿部商店(0166-22-3555)まで。


10月15日 往復書簡 XXX

 これは、私と一医師との間の、こころあたたまる交流の記録である。

***

 オショーの侍医に、スワミ・アムリットという人がいる。
 今はインナーサークル(プーナオショーコミューン運営委員)の副議長をしている。
 オショー著作権の統括者でもある。
 その彼から一昨日、こんなメールがあった。
 大意を要約すると、以下の通りである;

 キミはホームページには、かなりの分量のオショー講話があるようだ。 
 それは著作権に抵触する行為である。削除したまえ。
 それからキミは、ティオハルみたいな悟った連中について書いてるね。
 それはオショーのガイドラインに背くものだ。
 何を書くのも勝手だが、そういう場合には、オショーの名前を消しなさい。

 おお、ついに来なすったな。
 オショー講話の著作権問題については、過去にも一度書いたことがある。

 ま、拙HP内のオショー講話の分量は、全テキストの一割にも満たないので、オレも削除するにしくはない。
 あるいは、オショーの看板を降ろすことにしても、いつか「オショーごっこ」じゃなくて「ぱるばごっこ」にしようかななんて考えてたこともあったから、たいした問題じゃない。

 しかしオレが非常に気持ち悪いのは、日本国内にアムリットに内通している者がいるに違いないということだ。オカミの力を借りて自分の思いを遂げようという超アナクロの下卑た根性は、オレのずえったいに許さないところである。

 実はオレはアムリットとは懇意なのである。
 94年、沖縄ニライカナイ祭に際して、彼がウパニシャッドに招かれた折、オレも通訳として招聘され、いろんな場面で彼の面倒を見たのだ。
 イギリス人の彼はオレの通訳ぶりを見て、「まるでシェイクスピアみたいだ」とのたまったもんだ。(実際、オレの通訳は、80パーセントはったりなのである)

 それでオレはさっそく、返答をしたためたものだ。
 下記はその要約;

 おっしゃることには、すべて従おう。
 ただひとつ、正直に答えてほしい。
 あなたは日本語が読めるのか。
 「キミのHPにはかなりの分量のオショー講話があるようだ」とおっしゃるが、いったいどうしてそれがわかるのか。
 あなたの日本の情報提供者は誰か。

 すると翌日、すなわち昨日、またメールがあった。
 彼としてはすばやい返答だ。
 大意は以下の通り;

 情報提供者?
 キミはねえ、自分で思っているよりも有名なんだよ。
 私が日本人に著作権のことを持ち出すと、みんな「じゃ、ぱるばのHPはどうなんだ、あんなにいっぱい講話を掲載してるのに」と言う。
 つまりキミ自身が情報提供者というわけさ。おめでとう。

 なあるほど、はぐらかしてきおったな。
 しかしその手にゃ乗らんのだ。
 オレはさっそく返答した。昨晩のことだ。
 大意は以下の通り;

 オレがそんなに有名? そりゃ知らなんだ。
 しかし、ティオハルの件はどうだ。
 あれは深〜いリンクの下に隠してあるんだぞ。
 キミにはきっとスパイがいるにに違いない。
 いいか、オレは十二年間、オショー翻訳に挺身してきてきたんだぞ。
 最善の本づくりのため、あらゆる妥協を排し、戦い抜いてきたんだ。
 おかげですごくいい本ができたと確信している。
 とにかく、オレのオショーごっこにとやかく口出すやつは、容赦できん。
 キミも含めてさ。
 身中にアドレナリンが飛び交ってるぜ、ドクター。
 さあ、スパイの名を明かせ。
 今度ははぐらかすまいぞ!

 さて、どんな返答が来るかな。

 ご興味がおありなら、また逐次お伝えしよう。
 (ただしこれから三日間、秩父の山中でアサンガ瞑想グループの通訳だから、インターネットできるかわかんないけど)


10月18日 怪人物の饗宴 ― 「1999/11・オショー禅リトリート」 XX

 激闘サイバー検閲バトルの続報を期待している向きもあろうが、オレもそんなアホなことばかりやっていられないのである。
 だいたいあれ以来、向こうから何も言ってこないので、書きようがない。
 それはこっちにとっても好都合。
 お互い、限られたエネルギーは、有意義に使いたいものだ。

 というわけで、今日はもっと有意義で建設的なお話。

* * * * * * * *

 みなさんもご存じの通り、伊豆・修善寺のリーラスペースでは、毎月「オショー禅リトリート」という催しが開かれている。
 今回で六回目を数える。
 この催しの特長は、毎回どうなるかわからないということ。
 いろんな怪しげな人物(オレも含めてだが)が入れ替わり立ち替わり現れて、いらぬおせっかいを焼いていく。

 今回の怪人物の筆頭は、スワミ・ラハシャだろう。
 著名なドイツ人セラピストだったのだが、先だって開悟を宣言し、サニヤス界を騒がせている。
 朕思ふに、古いサニヤシンがどんどん開悟するのは、まっこと喜ばしきことである。
 さっさと行ってもらわないことにゃ、先がつっかえて困る。
 29(金)、30(土)の夜に、サットサングを予定。
 はたしてドイツ人に悟りが可能なのか、とくと見物しよう。

 続いて、マ・アティムクタ。
 これもそうとうに怪しい。
 日本チベタン・パルシング界のおツボネ、いや大御所的な存在。
 常にプーナ周辺を徘徊していたのだが、今年の春から日本に腰を落ち着け、横浜の自宅に「アティ」というチベタンルームを設ける。
 30(土)、31(日)に、ミニワークショップ。
 お金の問題なんかもやるらしい。摩訶不思議なチベタン的アプローチに注目!

 スワミ・カタール。
 この人は見るからに怪しい。
 そして、この人の提供するダイヤモンド・ボディワークというのも、ネーミングがイマイチで、やっぱり怪しい。
 しかしこれが不思議に人気なのだ。よく効くらしい。
 期間中に個人セッションが受けられる。

 そしてマ・ヌラ。
 私は会ったことがないんだが、そのヌラヌラした名前が怪しい。
 しかし写真を見ると、わりかし美人である。
 オーラソーマの指導者として世界的に名高く、これも期間中に個人セッションが受けられる。

 しかし一番の怪人物は、やはり主催者のキヨタカだろう。
 なんと先日は、手術中に麻酔が切れたにもかかわらず、青空を見て法悦にひたっていたそうだ。
 このキヨタカが、先月のセドナ滞在で得たことなどを伝授してくれるらしい。

 料金が安いのもこのリトリートの特長。
 二泊三日、宿泊食事込みで24,000円だ。(途中参加も可能・一泊二日12,000円。カタールやヌラの個人セッションは別料金)

 周知の通り、オショーの瞑想イベントというのは、参加するまではチトおっくうだが、参加したら勝ちなのである。
 みなさん、万障お繰り合わせの上、参加されたい。

 日時:10月29(金)1:00pm〜31(日)4:00pm
 場所:リーラスペース 修善寺町堀切 1004-75 TEL0558-74-1118

* * * * * * * * * *

 行き方については、たとえば東京からだったら、一番簡単なのは;
   踊り子103号 東京駅発 10:00 〜 修善寺着 12:07 所要時間 2時間7分 4,080 円

 もっと安いのは;
   小田急線急行(箱根湯本行) 新宿 09:18 〜 小田原 10:52
   東海道本線(東日本)(熱海行) 小田原 11:07 〜 熱海 11:32
   東海道本線(東海)(浜松行) 熱海 11:35 〜 三島 11:49
   伊豆箱根鉄道駿豆線(修善寺行) 三島 11:54 〜 修善寺 12:26 所要時間3 時間 8 分 2,000 円

 名古屋からだったら;
   ひかり156号 名古屋 10:28 〜 静岡 11:27
   こだま404号 静岡 11:40 〜 三島 12:07
   伊豆箱根鉄道駿豆線(修善寺行) 三島 12:13 〜 修善寺 12:46 所要時間 2時間18分 8,060 円

 以上は、10月29日午後一時参加の場合。
 もしみなさんの中で、別の時間に参加したいけど、どのように乗り継いでいいかわからない人がいたら、私までメールのこと。
 調べて進ぜよう。強力時刻表ソフトがあるのだ。

 例によって拙HP読者には、特別優待・修善寺駅送迎サービスがあるので、早めにご連絡のこと。
 問い合わせはリーラスペースまで、電話(0558-74-1118)か、E-メールで。   


10月19日 秩父物語 XX

 富士山に初冠雪を見たという今日、ウチでは薪ストーブに火が入る。
 いや、重ね着をすれば十分しのげる気温なのだが、どうもオレは火遊びが好きなのである。

 さて、先週末は、埼玉の秩父で過ごした。
 アサンガ瞑想グループの通訳である。
 一度は「もうアサンガの通訳はやめた!」と決意した私であったが、(なぜなら通訳するより参加するほうがいいから)、なぜか秩父には興味を引かれ、気軽に通訳を引き受けたのであった。

 引き受けたはいいが、実は秋は、ウチのビジネスもハイシーズだったのであった。
 実際、グループ初日にあたる金曜日、私は玉川高島屋の人気イベント「現代に生きる道具展」で、ファッションモデルをする予定になっていたのである。(おそるべきダブルブッキング!)
 スポットライトが三度のメシよりも好きな私は、「あ〜あ、アサンガの通訳なんて引き受けるんじゃなかった」と後悔。
 しかし、詮方もない。
 ビジネスよりオショーを優先するのが、この身の悲しき定めなのである。
 かくして先週金曜日、都会の華やかな舞台を諦め、泣く泣く秩父へと向かうのであった。

 ところが、我が師オショーは捨てたものではない。
 そうした弟子の殊勝な心がけには、ちゃ〜んと応えてくれるのである。
 これが、なかなかいいグループだったのだ。

 三十人ほどの参加者・スタッフは、すべて非サニヤシン。
 サニヤシンといえば、アサンガと私だけ。こんなグループは初めてだ。
 にもかかわらず、乾いた砂地に水が吸い込まれるごとく、瞑想というメッセージが参加者の間にしみわたっていく。
 オショーのビデオなども遠慮なしにどんどん見せる。
 みんな熱心に見入り、耳を傾けている。
 そして毎日のセッションの後には、アサンガのハグを求めて長い行列。(おもに女性たち)
 ほほえましくも、ちょっとウラヤマシき光景であった。

 やっぱりオショーは生きている。
 そしてアサンガの手腕も見事。
 さらに、こうした人々を集めた、多母さんもご立派!
 こういうグループなら、通訳していても甲斐があるというもの。
 (もっとも、「ぱるばさんの顔と声は眠くなる」と言って、まどろんでいた方々も幾たりかいたが) 


10月23日 メディテーション・ハイウェイ XXX

 昨晩、久しぶりにギートのチャットで遊んでいたんだが、最近はみんな、雪崩をうつようにパソコンを持ち始めているようだ。
 意外な人がiMacを買ってたりして、もし彼がオショーサイバーワールドに殴り込んで来たら…、と戦々兢々の日々である。

 実際、インターネットの世界は日々目まぐるしく変化していくもの。
 これほど有為転変の激しい世界もないだろう。
 昨晩の常識は、今朝すでに通用しなくなっている。

 思えば、「サイバーオショー界の統括者」アムリット氏も、五年前、www.osho.org が華々しく発足した折、プーナのブッダホールでこんなふうにアナウンスしていたものだ;

 「オショーを力ずくで追い出したアメリカ。そのアメリカの軍部が創り上げたインターネットによって、今度はオショーが世界中に拡がっていく。これぞインフォメーション・ハイウェイならぬ、メディテーション・ハイウェイだ!」

 そしてそのメディテーション・ハイウェイも、今や彼の統御を超えたものになろうとしている。
 オレのオショーごっこにしたって、この先どうなることやら見当もつかぬ。
 これもまた諸行無常。
 瞑想者たるもの、ただひたすら観照につとめるのみである。


10月26日 インドへの道 

 今、午前9時37分。JR中央線の車内。国立駅あたり。
 インド行きの途上である。
 すなわちこれから、東京・千鳥が淵にあるインド大使館にビザの申請に行くところ。
 秋の年中行事だ。
 実にインドへの道はここに始まるのである。

 ビザの申請時間が午前9:30〜11:00の間なので、今朝は目覚ましをかけての早起き。
 インド大使館だからといって、ばかにしてはいけない。
 働いているのは日本人職員だ。
 11時前に中に入らないといけない。時間厳守。
 時間ぴったりに入口が閉じられてしまう。(ほとんどオショーコミューンなみ)

 で、もしあなたが午前11時1分に到着したらどうするか?
 そう、インドという国は不可能も可能にする摩訶不思議なところ。
 入口は閉じられるが、出口は開いているのである。
 そこから入って、澄まして列の最後尾につけばいい。
 あっ、これは拙著タッサーシルクのぼんぼんパンツに書いたな…

 オレなんか、ここ十年間、毎年インド大使館に通ってるもんだから、顔も覚えられている。
 それですっかり気安くなっているかと思いきや、まるで逆なところが、お役所のオソロシイところである。
 毎年やってきてアヤシイやつ…といった処遇なのだ。
 これはおそらく、当初、プーナ行きを隠していたせいであろう。

 オショーは在世中、当局から危険人物視されていた。
 だからサニヤシンとしても、インド出入国にはかなり気を使ったものである。
 一度、プーナ帰りのボンベイ空港で、目付き鋭い私服に突然、「お前はプーナにいたろう、オレは見たぞ」と詰問されたこともあった。
 もちろん、「プーナ? なにそれ?」って感じで、しらばっくれていたのだが。

 だから当然、ビザ申請の際にも、「プーナのオショーコミューンへ行きま〜すっ!」なんて、ずえったい言ってはいけなかった。
 プーナの「プ」の字も、オクビにもオナラにも出してはいけないのである。(注・オクビとはゲップのこと)
 それで、ビザの申請時、プーナのことをひた隠しに隠していたオレなんか、容貌魁偉でもあるし、けっこう怪しげな雰囲気を醸し出していたに違いないのである。
 その怪しげなが感覚が、オレにも、大使館職員にも、条件づけとして染みついているのだろう。

 オショーが遷化して、事情もたいぶ変わってきた。
 なんせ、生きているときには非難するが、死ぬと神棚に奉るお国柄だ。
 講話録の出版記念には現職首相も駆けつけたりするような変貌ぶり。
 ところがインド大使館員には、オレは依然として怪しいらしい。

 昨年秋のこと。
 ウチは商売柄、毎年インドにスタッフを派遣する。
 それで去年のビザ申請時には、三人分のビジネスビザと、一人分の観光ビザを申請した。
 オレはプーナに遊びに行くわけで、ぜんぜん仕事なんかしない。
 それで観光ビザを申請したわけだ。
 すると窓口の顔なじみ女性は、「あんただけ観光ビザは、ぜったいおかしい」と言って、非常な難クセをつけるのである。
 長年、日印両国の文化・経済交流に尽力してきたこのオレをつかまえてだ。

 「なんであんただけ観光ビザなのよ?」と追究されても困るのである。
 なんと言われようが、オレは仕事なんかしないから、観光ビザ。
 それで今年始めて、申請用紙の中にある「インドでの訪問先」欄に、「プーナ」と記載したのである。
 プーナのオショーコミューンに修行しにいくのだ、文句あっか!

 さてどうなることやら。
 (今11時10分。ビザ申請の順番を待っているところ)


10月29日 沈黙に最も近い音 XX

 スニート山口嘘月から、嘘鐸が届いた。
 謙嘘な彼は、自身の作を「虚鐸」ではなく、「嘘鐸」と呼ぶのである。

 ただ、どっちにしても一般の人にはわかるまい。
 虚鐸とは普化宗谷派で使われる呼称。
 更に言うと、開祖・西村虚空師の作のみが虚鐸と呼ばれるらしい。
 サニヤス界でこの名称が広く行われているのは、虚空門下アガール虚彗の影響であろう。

 尺八というのは一尺八寸の略で、メートルに直すと約55cm。
 虚鐸サイズの一物はそれよりかなり大きいため、一般には「虚無僧尺八」とか「長管の尺八」とか呼ばれる。
 写真一番上が普通サイズの尺八。
 一番下が虚彗作の虚鐸で、二尺六寸。約77cm。
 内側の二本が、今回送られてきた嘘鐸だ。

 一番大きな中下のが二尺七寸。80cmを越える長さ。
 そして中上が二尺一寸だという。
 しからば、さっそく吹いてみよう。
 う〜ん、なかなか音が出ない…。

 スニート嘘月によると、最近のいわゆる尺八は、音が出やすいよう、内側を加工してあるそうだ。
 私の持っている「入門用尺八」も、実は竹製ではなく、カリンの木で作られていて、わりあい簡単に音が出る。
 内側が真円で、直径が小さいほど、音が出しやすいのだそうだ。
 それに比べて、嘘月作の嘘鐸は内側に漆を塗ってあるだけ。
 だから初心者の私には、かそけき音しかでない。

 しかしだ、そのかそけき音が、いいのである。
 そもそも、東洋のアートというのは、無を引き立たせるためにある。
 音楽で言えば、音というのは、沈黙へといざなう道しるべなわけ。
 よっぽどの精神的つんぼならいざしらず、瞑想者たる私やアナタには、むしろかそけき音の方が大事だったりする。
 プレム・プロモーションのコピーじゃないが、「沈黙に最も近い音」ってわけ。

 私の知っている楽器の中で、最もかそけき音を出せるのが、この虚鐸なのだ。
 聞こえるか聞こえないかの極限あたりまで、この楽器は持っていける。
 そしてついには、無の中へと、溶け入っていく。
 こうした芸当は、西洋の楽器にはちと無理だろう。
 虚鐸が法器、すなわち「瞑想のための道具」とされてきたゆえんも、そのあたりにあるに違いない。

 ところで、この嘘月作。
 なかなかのワザモノである。
 いずれは虚鐸づくりの大家になるやもしれぬ。
 無名の今のうちに一本手に入れておくのも、賢い方策ではあるまいか。
 連作先を知りたい人は私まで


11月2日 覚者レビュー XX

 修善寺リーラスペースで開かれたオショー禅リトリートに行ってきた。
 今回の呼び物は、ドイツ人ラハーシャによるサットサング。
 サットサングというのは、言ってみれば、覚者とともに座り、その悟りにあずかるという機会だ。

 最近はオショーの弟子たちの中で、悟りを開いたと言われる人が何人も現れ、これはまことに喜ばしき限りである。
 かのゴータマ・ブッダにも、五百羅漢といって、開悟の弟子たちが五百人いたと言われる。
 オショーにしても負けてはいられまい。

 ところで、誰かが「悟った」と宣言すると、けっこうかまびすしいのがこの世界。
 左様、世の欲望を捨てたはずのサニヤシンとて、悟りに関しては他人に先を越されたくないのだ。
 場合によっては、「悟った人」を石もて追っ払ったりする。

 オレに言わせれば、悟った悟らないは本人の問題。
 肝心なのは、その人の「悟り」がオレの役に立つか否かということだ。
 そのおかげでオレの覚醒が多少とも深まるんであれば、その「悟り」が本物であろうとなかろうと、基本的にはどうでもいい。

 さて、このラハーシャ。
 もともと医師であり、かつてはプーナオショーコミューンでも屈指の有名セラピストだった。
 それが今春、開悟を宣言したわけだから、コミューンとしてもかなり困惑したらしい。
 ラハーシャはコミューン内でのサットサング開催を申し入れるが、断られる。
 (このようなコミューンの姿勢の是非については、またいつか考えよう)

 悟りたてホヤホヤのラハーシャ。
 写真で見てもわかる通り、シェワちゃんみたいな親しみやすい風貌。
 どう見ても、普通の人なのだ。

 やがて、サットサングが始まる。
 まず、ちょっとお話をしてみんなを瞑想に誘導するんだけど、これがなかなかのお手並み。
 スーッと be here now のスペースに人々をいざなう。
 これがすこぶる気持ちいい。

 ホール前面に椅子を二つ用意し、ひとつに自分が座っている。
 もうひとつはどうするんだろうと思っていたら、質疑応答の際に、質問者をそこに座らせるのだ。
 まるでカウンセリングのよう。
 そして質疑応答も、終始、親密でなごやかな雰囲気で進んでいく。
 しかし分析の鋭さなどは、さすがセラピスト出身。
 カリスマはあまり感じられないが、それがかえって気安くていいという向きもあろう。
 「ほとんど期待していなかったけど、予想外にすばらしかった」というのが、主催者キヨタカの弁。
 みなさんも機会があったら出席し、悩みがあったら是非とも、前に出ていって打ち明けてみるといい。
 めくるめく体験が待っているかも!

 ついでにもうひとり。
 キヨタカの部屋で、ガンガジという覚者のビデオを見せてもらった。
 ガンガジというのは、プンジャジの弟子で、アメリカ人の女性。サットサングを世界中で開き、非常な人気を博しているという。
 アメリカ女性なんて最も悟りに縁遠い存在じゃない…と思いきや、これがなかなかなのだ。
 質疑応答の場面で、何をしゃべっているのかよくわからなかったが、カリスマがムンムン。
 見ているだけで、陶然とするような雰囲気だった。
 しかしキヨタカに言わせると、オショーの弟サイレンドラのカリスマはこんなもんじゃなかったそうだ。
 う〜ん、見のがしてしまった!

 というわけで、いつもながら楽しくタメになる修善寺・禅リトリートであった。


11月3日 世紀のインド人 

 Vote now or wait for a hundred years
 「さあ投票を! それとも百年後にする?」
 これは、インドの有力紙 Times of India がウェッブ上でやっている人気投票だ。
 題して「世紀のインド人」!

 ま、ヒマなあなたのために、ちょっとばかしご説明いたそう。
 Times of Indiaが、今世紀で最も偉大なインド人を三人選びたいんだそうだ。
 それでウェッブ上で人気投票をやっている。
 アドレスはhttp://www.timesofindia.com/today/02home12.htm
 予備投票と本投票の二つがあって、現在は予備投票の段階。
 予備投票で四つの部門から各25名・計百人を選び、本投票でその百人の中から三人を選んで、永くその栄誉を讃えるということらしい。

 予備投票の四部門というのは、政治、経済、精神界、芸術。
 精神界があるというのはいかにもインドらしいんだが、ともあれ、各部門のページを開くと、投票用紙が出てくる。
 そして三人まで名前を書けるようになっている。
 インド人なら誰の名前を書いてもいい。

 しかし一応の目安として、各部門15名の人物がノミネートされている。
 たとえば、政治だったらガンディーやネール、経済だったらビルラやオベロイ、精神界はタゴールやクリシュナムルティ、芸術はサティヤジット・レイやラヴィ・シャンカールといった感じ。
 各人物の名前をクリックすると、写真とともに評伝が現れる。
 それを読んでいると、近代インド史のお勉強にもなる。

 さてその精神界。
 上記の名前以外で、おなじみのところといえば、ラマナ・マハリシ、マザー・テレサ(この人、インド人だったのかしら)、そしてバグワン・ラジニーシっ!
 (あっ、この人物、知らない?  オショー のこと)

 これらの人々が第一ノミネートの15人。
 これじゃまだ不足だという人には、更に第二ノミネートの15人がいる。
 投票用紙の上に More names to help you choose という文字があって、そこをクリック。
 すると、精神界だったら、スリ・オーロビンド、サティヤ・サイ・ババ、マハリシ・マヘッシ・ヨーギといった名前が現れる。

 予備投票の締切は今月30日。
 本投票は12月1日より。
 最終発表は2000年の1月1日なんだそうだ。
 Will you join the vote?


11月4日 都見物 

 今また中央線の電車内。立川駅を出発するところだ。
 シルバーシートに座っている。
 立っていた方が運動になっていいのだが、パソコンごっこのためには着席が必須。
 で、いきおい、シルバーシートに座ることが多い。
 みんなが敬遠するんで、空いてる確率が高いのだ。
 それで有り難く座らせてもらう。
 やがて電車も混んできて、そのうち、目の前に老人が立つこともある。
 にもかかわらずパソコンごっこを続けるってのには、ちょっとした覚醒が必要だ。
 すなわち、不生不滅、不老不若、南無阿弥陀仏…。

 さて、なぜ中央線に乗っているかというと、またインド大使館なのだ。
 ご記憶の向きもあるだろうが、先週も、この外国公館に出向いたのである。
 その際、生まれて初めて、ビザ申請書の訪問先欄に「Pune」と書いたのであった。
 それで無事ビザが取れたのか? というお問い合わせがいくつかあった。

 何の問題もなかったのである。
 窓口の若い女性はそんな欄、見もしないのだ。
 オショーをめぐる状況も変わった。
 昨日もお伝えした通り、インドの「朝日新聞」Times of India 紙上で、インド精神界トップ15にノミネートされるくらいだ。
 で、めでたく先週金曜、観光ビザを受け取ったのである。

 ではなぜまたインド大使館に向かっているのか。
 実は先日、私は五人分のビザを申請したのだが、そのうち二人の書類に不備があったのだ。
 すなわち、申請書の末尾に署名欄がある。
 そこにはパスポートと同じ署名をしないといけない。
 そこを間違ってしまったのである。
 おかげで、また今日、上京の仕儀とあいなった。
 ま、週に一度は都見物も楽しきことかな。


11月6日 野糞のごとき君なりき XXXXX

 毎日マジメなことばっかし書いて退屈なんで、今日はもっとマジメに行こうと思う。
 文芸路線の日本映画に、『野菊のごとき君なりき』というのがある。
 これは、伊藤左千夫の小説『野菊の墓』を基に、木下恵介が映画化したものだ。
 寡聞にして私は原作も映画も知らないのだが、ヒロインはさだめし、野菊のごとく可憐で美しかったのだろう。

 さて、私が最近楽しく日々を過ごしているのも、先だっても書いたように、我が家の崖上厠が復活したからだ。
 やっと平年並みの涼しさとなり、さしものヤブ蚊も消え失せ、こころいくまで放尿の愉悦にひたることができるのである。
 かかる行為のことを、山岳用語で「キジ打ち」という。
 これは男の場合で、女のときには「花摘み」という。
 なぜ私がかかる行為を好むかというと、自然のものを自然に還すという快感があるからだ。
 せっかくの黄金の滴を、白磁の便器上に放棄するというのが、どうもいただけない。

 そもそも人糞というものは、肥料ともなる大事な資源であった。
 上手に大地に還せば、動植物の栄養になる。
 それを今は、下水道に流し、カネと手間をかけて処分しているわけだ。
 トイレで用を足すという行為によって、おそらく我々は自然とのつながりをまたひとつ失ってしまったのではないか。

 インドの農村には、今もトイレがない。
 大地がそっくりトイレなのだ。
 そこには人間も含めた、大きな生の循環がある。
 どうして我々は排泄という素晴らしき行為を、狭い便所の中に閉じこめてしまったのだろう。

 セックスもそうだが、排泄もまた、そそくさと済ますようなものではあるまい。
 野で用を足すインド人を見ていてもわかるが、彼らは排泄し終わってからもしばらく、尻を出したまま座っている。
 あたかも、尻を通じて大地との交感を楽しんでいるかのようだ。

 オレもかつてそれを体験したことがある。
 記憶している限り、三度ほど。
 いずれも二十年ほど前の若きみぎり、西方世界をさまよっていた頃。
 一度はクレタ島プシクロの盆地、一度はシケリア島セリヌスの野。

 そして一度はシナイ半島、紅海に面したダハブの海岸。
 人里離れた海水浴場だった。
 とはいっても、椰子の葉でできた小屋がいくつか立つのみ。
 そしてベドウィンの小さな集落。
 何の設備もない。
 トイレすらもない。
 それで男も女も野外で用を足すほかない。

 三千有余年前にモーセとヘブライの民が彷徨した、そのままの荒野。
 海辺を離れると、一本の草木もない峨々たる岩山が立ち上がり、遠くシナイ山へと連なっていく。
 赤茶けた山ふところに、とある場所を見つける。
 今日のトイレだ。
 そこに居るのは太陽と私だけ。
 そよ風と、遠くの方に潮騒の音。

 そして砂上に今、ひり出された、とれたての一物。
 それを見て、しばし陶然としたものだ。
 美しい!
 大空と陽光のもとで、芳香すらただよう。
 私はときも忘れて、あかず眺めるのであった。

* * * * * * *

 …といふわけで、野糞のごとき君も、また、ひたぶるにうるはしきかな…
 みなさんも一度いずこかで体験してみるとよろしかろう。

 ただし、一物の傍らに、ゆめゆめ白きティッシュペーパーなんぞ、添えるべからず。
 添えられるやいなや、あたかも魔法の解けるがごと、
 うるはしの我が君は、
 あはれ糞尿まみれになってしまふのだ。


11月7日 ウィークエンドのうた XXXXX

 ごろ寝にふけり
 何もしない
 秋は深まり
 草は一本も生えない

 (編者註・意味不明の人はこちらを参照)


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