か日誌 99               このページについて、質問や要望のある人は、parva@din.or.jpまでメールを! 

 

=一般成人向け XX=瞑想に関心ある人向け XXX=サニヤシン(Oshoの弟子)向け XXXX=常連読者向け XXXXX以上は各自の責任において読む


8月2日 空蝉 

 

 ま〜、言うまでもないだろうけど、「そらぜみ」なんて読まないでね。

 蝉というのはわりかし好きな昆虫であって、子供の頃の昆虫採集の折には、よく世話になった。とゆーか、犠牲になってもらったもんだ。
 その罪滅ぼしもあって、蝉のことはいつかこの日誌に書こうと思っていた。
 しかしいろいろあって、一日延ばしにしていたのだ。そしたら今朝、催促にあったわけ。
 用足しに外に出ようとしたら、庭先に脱ぎ置いた私の下駄に、蝉の抜け殻がはりついていたのだ。

 たぶんアブラゼミだろう。
 七年間地中に過ごし、あと数日の命を、恋にかける。
 今、午後の四時半なんだけど、まだまだ蝉時雨のまっさかり。
 アブラゼミとミンミンゼミとヒグラシとニイニイゼミの声が聞こえる。

 これで思い出すのは芭蕉の俳句、

 やがて死ぬ けしきは見えず 蝉の声

 なんで私がこんなマイナーな句を知っているのかというと、Oshoの講話に出てきたからだ。
 ただしこれに関しては、100パーセント確実というわけではない。

 私の翻訳した『ノーマインド』の中に、次なる「芭蕉の俳句」が出てきたのである。

 Dying cricket, how full of life, his song.
               (No Mind #3, 88.12.28)

 「cricket」というのはコオロギの類だ。それで私は訳出にあたり、国会図書館へ行って、芭蕉全句集を参照したのである。
 ところが句集の中には、コオロギを吟じたものがない。
 そのとき出くわしたのが、上の句なのだ。
 「cricket」を蝉に置き換えたら、まさにピッタリ。

 だいたい、Oshoに俳句を供給した経典係のマニーシャたちは、よく間違いを犯す。
 特に、東洋の詩歌の作者取り違えなどは、日常茶飯だった。
 あるいは、俳句の名のもとに、和歌とか漢詩など、ほかのジャンルの詩歌を拾ったりもしている。
 そもそも英訳されたものだから、俳句であろうが五言絶句であろうが、大差ないのだ。
 だからこの「俳句」は、芭蕉のものではないかもしれないし、または芭蕉作であっても連句作品かもしれない。

 Osho講話の中には、ほかにも「芭蕉の句」ということで、蝉を扱ったものがいくつか出てくる。
 たとえば、

 Stillness everywhere.  The cicada's voice pierces rocks.

 これは説明するまでもないだろう。
 先ほどの作にしても、なかなかの句境と言わざるを得まい。


8月4日 ばそ 

 

 インドという国には「歴史」が存在しない。
 もちろん数千年の過去に遡る歴史はある。
 しかし基本的に、時間の存在しない悠久の亜大陸であるからして、歴史を記録するってことに、てんで興味がないらしい。
 Oshoによると、インドで『歴史』なるものが初めて書かれたのは、つい前世紀、イギリス統治時代なんだそうだ。
 その点が、『魏志倭人伝』や『後漢書東夷伝』じゃないが、歴史大好きなお隣・中国との大いなる対照点なのである。
 なんでそんな話になったのかというと、Oshoその人も、そうしたインド的特質を脈々と受け継いでいるように思われるからだ。

 一昨日、芭蕉のことを書いた。
 で、Oshoによると、Bashoとは偉大な禅師だということになっている。
 芭蕉については、「公儀隠密」説とかはあるが、禅師だという話はない。
 だから普通これは、「またOshoが何か言ってる」くらいに聞き流される。

 ま、芭蕉が俳人であろうと禅師であろうと、本質的にはどうでもいい。
 ただオレは、翻訳者という性質上、そうした点がつい気になってしまう。
 Oshoも闇雲に勘違いをするわけではない。
 なぜ彼は芭蕉のことを禅師だと言うのか?

 中国の禅史をひもとくと、「芭蕉」という名の禅師が二三現れる。
 中国唐代には「芭蕉」という名の山があって、そこに居を定めた禅師が「芭蕉」の名で呼ばれるのだ。
 ただこうした「芭蕉」師たちは、いずれもマイナーな禅師たちで、語録が紹介されるということもあまりない。
 だからおそらくOshoは、「Basho」という名の禅師は知らなかったのではないか。

 ここでひとつ、思い当たるふしがある。
 Oshoの講話を聞いていて気づいたんだけど、彼には「sh」サウンドがよく発音できないのだ。
 ちょうど日本人が「L」と「R」を区別できないように、Oshoの場合「SH」と「S」の違いが明瞭ではない。
 たとえば、「シャープ」が「サープ」、「シューズ」が「スーズ」に聞こえるという具合。
 これは実は、Oshoの個人的な癖ではないらしい。なんでも中部インドの言葉には、「sh」サウンドがないのだという。
 そういえば、Oshoの生まれたマディアプラデシュ州を汽車で旅していたとき、「Sakti」という名の駅があった。あれは標準インド語では「Shakti」と表記されるべきものだろう。

 すなわち、Oshoにとっては、bashoもbasoも、等しく「バソ」だということだ。
 Basoといったら、唐代禅林の巨星、馬祖道一。
 Oshoがもっとも愛した禅師のひとりで、『空っぽの鏡・馬祖』というタイトルの講話集もあるくらいだ。
 ということで、おそらくOshoはこの馬祖と芭蕉を同一視していたものと思われる。

 そもそも東洋の固有名詞を英語表記する場合、様々な問題がつきまとう。
 先ほどの「Sakti」と「Shakti」もその一例だ。
 だからOshoが「Basho」と「Baso」を同一視したとしても、ま、無理からぬところかもしれない。
 しかし基本的には、そんなこと、どーでもいいのだろう。


8月6日 いざ修善寺! (および本HP読者優待) XXXXXX

 

 というわけで、毎度お騒がせのことながら、これより修善寺へと参上つかまつり候。
 リーラスペースで開かれるOshoサマーフェスティバルだ。
 今回は最初から最後までの参加となる。

 数あるOsho関係機関の中で、拙HP登場頻度の飛び抜けて高いのが、このリーラスペース。
 どうしてなんだろうとオレも首を傾げざるを得ない。
 いつ消えてなくなるかわかんないのにね。
 ま、蓮の葉上の朝露みたいなもんで、その存在の寄る辺なき危うさ、みたいのがいいのかもしれない。
 真夏の日本にミニOshoコミューンの出現って感じだ。
 ヒマな人は、ちょっと顔を出してほしい。


8月11日 SEX教団 XXXXXX

 

 今、修善寺。
 Oshoサマーフェスティバルもいよいよ佳境。
 浮世を離れて修行に勤しんでいたのだが…

 パソコンでメールなんかを開いたのが運の尽き。
 snml経由で、こんな文字が飛び込んできたのだ。
 『「乱交疑惑」いしだ壱成は「SEX教団(ラジニーシ師)」で暮らしていた! 』
 これは今週号の『アサヒ芸能』に載った記事だという。

 それで、修善寺駅に行ったついでに、一冊買い求めたのである。
 ちょっと恥ずかしい体験であった。
 実際、こんな雑誌、今まで一度も買ったことがないのだ…
 おっ、出てる出てる、なになに…

袋とじ2大スペシャル・超薄消しAV女優「動くオナニー」&「猥褻49カット」!
八木亜希子「ミニスカの奥丸見え事件」の目撃全証言!
超問題作「裏ビデオ女優」17人の濡れ秘部!
「悪女」20人・炎熱の下半身!
人気女子アナ「H失言」ダービー!

 そこでさっそく「袋とじスペシャル」をシコシコと開けてみたのである…
 なんだ、大したことない。
 みなさん、こんなのにつられて『アサヒ芸能』を買わないように。

 さて、肝心の「乱交疑惑」いしだ壱成は「SEX教団(ラジニーシ師)」で暮らしていた! であるが…
 まあ結論から言って、そんなにひどい記事でもない。
 実際、この号の中で、唯一読むに値する記事だといえるだろう。
 Osho翻訳の先達プラブッダ(いしだの伯父)インタビューなんかも載っているし。
 ただ、アサヒ芸能を読んで精神性に目覚める読者っているのかしら。
 (せめて週間アサヒかアサヒジャーナルくらいにしてほしかった)

 まあこの件については論評したいことも多々あるのだが、グランドクロスの日でもあることだし、また他日に譲ることにしよう。   (本HP読者の人は私が修善寺駅まで送迎してあげるから、申し出てね)


8月17日 帰還報告 XX

 

 昨夜遅く、修善寺から戻る。
 あちらでも『Oshoごっこ』をやろうと思って、勇躍、パソコンとデジカメを持って出かけたのだが…。
 かの修善寺リーラスペースは、ほぼ24時間Oshoごっこ状態。
 とってもパソコンに向かってキーボードをたたくって感じじゃなかった。

 しかしあらためて思ったが、リーラスペースの主、アマノ・キヨタカは、奇特というか酔狂な男だ。
 あんなことやりおおせるのは、日本広しといえども、彼をおいてほかにはあるまい。
 十日間にわたって、朝の五時半から夜の十二時過ぎまで、人の世話をやいたり、瞑想リードしたり、瞑想したり…。
 貴重なパーソナリティである。(屋根から転落死しなくてよかった)
 もちろんその裏には、パートナーであるヨガビジャの献身的なヘルプがあったことは、言うまでもない。

 8月6日のマドゥーリ・グループ&ヨーコ・コンサートから、15日の七福神セレブレーションに至るまで、じつに様々な瞑想メニューやイベントが組まれ、そのひとつひとつがまことに感銘深いものだった。
 う〜ん、もったいない。なんまいだ、なんまいだ。

 で、その中でも、自分にとって今回いちばん印象深かったのが、『滝』だったんじゃないかと思う。
 修善寺の周辺にはいくつも滝がある。
 そしてキヨタカは一月ほど前から「滝行」を始めていたのだ。

 実は彼、今年四月に屋根から落ち、左腕を複雑骨折したのである。
 その後、「中学生並み」の回復力で骨はくっついたのだが、腕がなかなか上がらない。
 どんな療法を試みても90度より上にはあがらず、一生このままかと悲観していたのだ。
 ところが戯れに「滝行」を実行していたところ、あ〜ら不思議、滝の中で腕が見る見る上がっていくではないか!

 まあ、様々な療法の成果がちょうどそのとき一挙に現れたのかもしれないが、とにかくそれ以来、彼は滝にはまるのである。
 で、何事にも好奇心旺盛なオレは、その話を聞き、密かに越中褌(フンドシ)を用意して滝に備える。
 そして、修善寺に到着するや、さっそく翌7日の朝から滝に連れてってもらったというわけ。

 キヨタカが主に通うのは、リーラスペースから車で十分ほどの「旭滝」(写真上 photo by Bhagya)。
 ここは古来からの行場であるらしく、滝のすぐ下には「瀧源寺」という禅寺がある。
 この瀧源寺、もともとは普化宗(ふけしゅう)の寺で、尺八の名曲「瀧落とし」はこの地で生まれたのだという。
 (普化宗とは虚無僧の属する禅宗の一派。明治初期に廃絶)

 途中、大阪から滝行のスペシャリスト・マニッシュ(写真下の白衣姿)がやってきたので、作法をいろいろ教えてもらう。
 滝衣に数珠、錫杖を携えての参加だ。
 行場の横には不動明王が祀られている。
 そして滝そのものは八大龍王(龍神さま)になぞらえられる。
 そこでまずこの両神に向かって、「これから滝をいただきます」とご挨拶をする。

 それから滝の前に行って、結界を張る。
 これは四方および滝正面に向かって、「臨兵闘者皆陣列在前、 エエ〜イッ! 」と気合いを入れるのだ。
 そうして、両手で印を組んで、滝に入る。

 入ってすぐは、水の冷たさと勢いに負けそうになるので、「ノーマクサンマンダー」とか、「Osho! 」とか、大声で真言を唱える。
 そうして水を浴びていると、ほどなく、身体が慣れ、暖まってくる。
 絶え間なく降り注ぐ落水の中で、マインドは停止し、なんとも気持ちいい。
 いつまでも浴びていたい心境だ。

 冷水に身体が慣れるまでの時間は、個人差があるようだ。
 私の場合は二分ほどかかって、その間「ノーマクサンマンダー」を唱え続けるわけ。ところがウチのShaktiなんぞは、十秒で暖かくなったという。
 別に長く浴びればいいってわけじゃないから、頃合いを見計らって出てくる。
 滝から上がると、滴したたる体の隅々まで、比類なき爽快感が広がっていく。
 これだから「滝」はやめられない。

 毎晩十二時過ぎまで遊びほうけていながら、翌朝五時半になると女性も含め何人かは必ず集合。
 ねぼけ顔で車を連ねて出発だ。
 しかし帰ってくる頃には、みんな元気はつらつ。
 そのまま温泉浴場に直行するのだが、この湯浴みがまた極楽もの。
 この「滝」のおかげで滞在を延ばした人も続出だった。
 かく言う私もすっかり味をしめ、明日あたり近所の滝を偵察に出かけようかと思っている。

 この「滝」ごっこ、9月3〜5日に修善寺で開かれる『第五回Osho禅リトリート』でもやるだろうから、興味のある人は、ぜひ一緒に浴びませう。


8月18日 滝レポート XXXX

 

 (なぜ突如滝が出てきたのか首を傾げる人は、昨日の日誌を参照)
 というわけで、これも修善寺後遺症なのか、なんとなく滝が恋しくなった。
 それで今日は付近の滝を探索したのである。

 私の住む「あきる野市養沢」は、東京都とは名ばかりの山間の僻地。付近に滝がいくつもある。
 しかしながら、滝であれば何でもいいというわけじゃない。
 「滝行」をするには、以下の二点をクリアしている必要がある。

  1. 少なくとも2メートルは水が自由落下していること。
  2. 立つ場所があること。

 1.について言うと、滝水が岩の上を滑るように落ちるようだと、浴びることができない。2.については、しっかりした足場が必要だということ。
 それに加えて、水がきれいなこと、水量が適当であること、アクセスが楽であること、周囲の雰囲気がいいこと、等も大切な点だ。
 その意味で、昨日の写真にも見るごとく、修善寺・旭滝はそうした条件をちゃんとクリアしているのである。さすが古来からの行場だけのことはある。
 というわけで、今日私が実地見分した近所の滝レポートを、以下に掲げよう。(ちなみにウチはJR武蔵五日市駅から車で10分)

大滝
場所:養沢川支流・大岳沢 ウチから車で15分、更に歩いて5分
所見:見事な滝だが、滝壺が深すぎる。胸まで水につかって浴びる覚悟が必要。

小滝
場所:養沢川支流・大岳沢 ウチから車で15分
所見:大滝の手前、林道添いにある。水が岩にはりついていて、浴びられない。

七代の滝
場所:養沢川支流・御岳沢 ウチから車で20分、更に歩いて15分
所見:先日の大雨で林道が荒れ、アクセスが大変。その名のごとく滝が何段にも別れ、水の自由落下が短く、滝行には不向き。

白岩の滝
場所:日の出町平井川支流・タルタボ沢 ウチから車で20分、更に歩いて5分
所見:きれいな滝だが、やはり水の自由落下が短く、滝行には不向き。

 というわけで、地図に記されている「名のある滝」は全滅。なかなか難しいものだ。
 ただ、ひとつだけ、七代の滝に向かう林道ぞいに、御岳沢に注ぐ小さな滝を発見。
 高さは約3メートルで自由落下、足場も悪くない。
 そこでさっそく車を止め、浴びてみる。
 ちょっと強めだが、ウ〜ン、なかなか。

 ただ、午後の四時だったから、近くで若いコたち四人がバーベキューをしていて、集中できなかった。
 でも、彼らも災難だったろう。
 突如へんなおっさんが褌姿で横から飛び出してきて、滝を浴びながら「ノウマクサンマンダー」とかやり始めたわけだから。
 四人とも唖然として、しばし立ちすくんでいた。
 ちょっとかわいそうなことをした。
 やっぱり朝早いうちに来るに限る。


8月20日 滝レビュー〈九頭竜の滝〉 XXXX

 

 滝の話ばっかりで申し訳ない。
 残暑きびしき折、どうしても足が滝に向いてしまうのだ。

 で、今日ご紹介するのが、東京都檜原村・九頭竜の滝。
 これは友人のUshmaから聞いたもので、よく滝行に使われる場所らしい。

 九頭竜の滝「くずりゅうのたき」
 所在地:東京都西多摩郡檜原村数馬・南秋川ハチザス沢
 アクセス:JR五日市線・武蔵五日市駅から西東京バス「数馬」行き終点下車徒歩十分

 ウチからは車で30分ほど。奥多摩周遊道路のすぐ脇にあるので、アクセスはいい。
 南秋川に注ぐこのハチザス沢は、けっこう水量が豊か。
 滝も二段に分かれた見事なものだ。その上段の滝を浴びる。(写真・よく見るとShaktiが滝浴している)
 ただここは標高が600メートルほどあるので、水もかなり冷たい。今まで浴びた四つの滝の中では、一番の低温。
 水を直接頭に受けると、その冷たさで痛くなり、ジーンと麻痺してくるような感じ。
 真言を唱えても気合いを入れても、なかなか体が慣れない。
 (ウ〜ン、厳冬の高尾山って、どんな感じなんだろう…)
 しかしそのうち、この清冽な沢水が心地よくなるときがやってくるのである。

 いったん滝の冷気を吸収すると、不思議なもので、それから数時間は体が涼しい。あんまり汗も出ない。
 だから冷房のない我が部屋でも、快適に過ごすことができるのである。
 ただ、滝浴はけっこうエネルギーを消耗するみたいなので、浴びすぎるとボーッとして仕事にならないかもしれない。

 近くには檜原村の温泉センターがあるから、帰りに一風呂浴びるのもいい。
 月曜休みで、夏期は午前十時から午後十時まで営業。
 普通の風呂のほか、露天、サウナ、ジャクジ、気泡風呂など、いろいろ楽しめる。入浴料800円。
 風呂から出たら、近くの民宿・高見荘で手打ちのソバを食べよう。ソバの栽培から自家で手がけている。秋の彼岸以降は、手作りこんにゃくも出してくれるはず。これがまた美味なのだ!


8月22日 越中 

 

 薬屋さんの話ではない。
 褌のこと。
 最近、どうしたハズミか、褌に凝っているのである。
 今も褌一丁でパソコンに向かっているという次第。

 一般に褌といっても、二種類ある。
 六尺と越中だ。
 六尺というのは文字通り、六尺の長い布。それを股に締め込む。学習院の赤フンとか、先日ご紹介の台湾ツヤマさん着用のもそれだ。
 越中というのは、その半分くらいの長さの布にヒモがついて、ちょうどT字型になっている。

 この越中褌を使い始めて、一ヶ月ほど。すっかりトリコになって、離せなくなった。
 それでみなさんにもお勧めするという次第。
 世に蔓延する洋装のブリーフと比べて、その魅力とは何か。

1. ストーリー性
 ブリーフを着脱するとき、何らかの感動ないしは感慨があるだろうか。ありはしない。ただ、腰をかがめ、機械的に上げ下げするのみだ。
 越中の場合、その着脱という行為に様式美がある。
 着用の際には、まず裸形になり自然体で直立する。一切の衣を脱ぎ捨てた、この天然自然の姿が清々しい。
 それからやおら、ひとひらの布をとりあげ、尻の上にあてがい、付属のヒモを前にまわし、丹田のところで結ぶ。きつくもなく緩くもなく。この中道的なあんばいが、瞑想的。
 尻からスッと下に垂れている布を後ろからパッとたたき、前で素早く受け取る。静中動あり。
 その布を丹田上のヒモに通し、前に垂らす。布の両端をつまんで、カタチと締め具合を整える。これで完了。
 脱ぐときは簡単。直立のまま、前垂れを少々たくしあげ、蝶結びのヒモの一端をひっぱる。
 するとひとひらの花のごとく、布はハラリと下に落ちる。
 そして再びあなたは天然自然の姿に立ち戻る。
 この営為はぜひとも、ベッドに横たわる女を前にして、やってみたいものだ。
 腰を屈めてパンツを脱ぐなんて、カッコ悪いと思わないか。

2. 審美性
 いつか電車の中吊り広告で見たことがある。明治時代の写真だったか、旅館の一室で、若い仲居さんを前にして、褌姿の男が夕飯を食っているのだ。当時はこのような風景が自然なものであったらしい。
 ツヤマさんの褌姿も正装なのだ。
 ブリーフだったらそんなわけにはいくまい。つまりブリーフはあくまでも下着。
 私もさすがにブリーフ姿で客の前に出たりはしない。
 ところが、褌だと客前に出ても失礼という感じがあんまりしない。
 褌は裸体を引き立たせる。
 だから褌をしていると、自分の体をいつまでも若々しく美しく保とうという意識が働くのではないか。

3. 機能性
 男の一物、特に陰嚢は、締めつけるものではない。だからこそ股間に下垂しているのだ。睾丸の温度は体温よりも低めである必要がある。
 だから平生、金玉はブラブラさせておいたほうがいい。
 しかし、いったんコトがあったら、フンドシを締めてかかるというわけ。
 左様、越中ではそのような芸当が簡単にできるのだ。
 普段は緩めに締めておいて、一物に自由な運動を許す。これが思いのほか、くつろぎをもたらしてくれるのだ。
 もちろんそのためには、ISSEYのパンツとかインドのクルタみたいな、緩やかなズボンが必要。Gパンなんて論外。
 また越中は、骨盤の上でヒモを結び落下を防ぐという仕組みなので、ブリーフのように常にゴムで締め付けられるということもない。(だから、滝を浴びても、水に飛び込んでも、水圧で落ちるということがない)

 さて、このような長所をもった越中であるが、いったいどこで入手したらいいのか。
 私の場合、東京お茶の水にある「伝統芸術を着る会」のショールームで入手した。この「伝統〜」はよく新聞などで宣伝している作務衣屋さん。絹製褌が二枚組で五千円。綿製が三枚組で四千五百円。フリーダイアル 0120-77-0756
 またウチの顧客でもある和裁士・木村さんの一衣舎でも、いろんな種類の絹麻製褌を注文製作している。こちらは一枚三千円。私も何点か注文中なので、そのつけ心地をまたレポートしようと思う。
 それからふんどし情報というHPにアクセスするといろんな情報がある。
 ともあれ、ぜひ一度お試しあれ!


8月24日 「第五回Osho禅リトリート」ご案内 XX

 

 サマーフェスティバルの余韻も冷めやらぬ修善寺リーラスペースにて、9月3日から5日まで、第五回Osho禅リトリートが開かれます。
 みなさん、奮ってご参加を!

 ま、オレは毎回こうして「禅リトリート」の宣伝を買って出ているのだが、別にキヨタカに義理あってのことじゃない。
 これは非常に有意義な催しだ!!  と思っての営みなのだ。

 なぜ有意義かというと、娑婆と隔絶した「天上の楽園」で…
 「天上の楽園」と言うと大袈裟じゃないかと思われるかもしれないが、来てみりゃわかる。
 中伊豆の盆地を見下ろす高台にあって、緑の芝生に、咲き乱れる花々。湧きいずる温泉に、おいしい食事。そして浮世離れしたキヨタカとヨガビジャの存在…。これを天上の楽園を言わずして何と言おう!

 こうした楽園で、泊まり込みでOshoの瞑想を体験できるなんて、滅多にできるゼイタクじゃない。
 拙HPを見つつもまだOsho瞑想を試したことがないという人には、ぜひお勧めだ。なぜかというと、ここのキヨタカはOsho系の瞑想やセラピー、ボディワーク百般に通じていて、参加者の希望になんでも応えることができるからだ。
 また、瞑想はもうたくさんというアナタにも好適。なぜなら、瞑想プログラムをいっさい無視し、ひたすらゴロ寝と飲食と入湯にふけっていたとしても、なんら良心の呵責に苛まれないからだ。(これもキヨタカの人徳!?)

 今回は過ぎゆく夏を惜しみ、近くの滝に遊びに行くかも! (希望者は水着持参のこと)

9月3日(金)1:00pm〜9月5日(日)4:00pm
参加費:24,000円(2泊3日/宿泊食事込み)
※途中参加も可能(1泊2日12,000円)

 行き方については、たとえば東京からだったら、一番簡単なのは;
   踊り子103号 東京駅発 10:00 〜 修善寺着 12:07 所要時間 2時間7分 4,080 円

 もっと安いのは;
   小田急線急行(箱根湯本行) 新宿 09:18 〜 小田原 10:52
   東海道本線(東日本)(熱海行) 小田原 11:07 〜 熱海 11:32
   東海道本線(東海)(浜松行) 熱海 11:35 〜 三島 11:49
   伊豆箱根鉄道駿豆線(修善寺行) 三島 11:54 〜 修善寺 12:26 所要時間3 時間 8 分 2,000 円

 名古屋からだったら;
   ひかり156号 名古屋 10:28 〜 静岡 11:27
   こだま404号 静岡 11:40 〜 三島 12:07
   伊豆箱根鉄道駿豆線(修善寺行) 三島 12:13 〜 修善寺 12:46 所要時間 2時間18分 8,060 円

 以上は、9月3日午後一時参加の場合。
 もしみなさんの中で、別の時間に参加したいけど、どのように乗り継いでいいかわからない人がいたら、私までメールのこと。
 調べて進ぜよう。強力時刻表ソフトがあるのだ。

 例によって拙HP読者には、特別優待・修善寺駅送迎サービスがあるので、早めにご連絡のこと。
 問い合わせはリーラスペースまで、電話(0558-74-1118)か、E-メールで。


8月25日 黒い太陽 

 

 今日はヒマだから、天空のお話でも…。

 二週間前のグランドクロスの日、ヨーロッパからインドにかけて皆既日食があった。
 数ある天文現象の中で、皆既日食ほどドラマチックなものもないだろう。
 今年もたくさんの観望ツアーが、群をなして西の国々へと向かったようだ。

 私も一度、見物に出かけたことがある。
 84年のジャワ日食だ。
 当時、私は芳紀まさに27歳。世界放浪中の身であった。
 あれは84年5月末のこと。可憐なブリュネット、Sをテルアビブに残し、アテネ経由でバンコクに飛び、マレー半島縦断鉄道でシンガポールに下り、そこからジャカルタに飛び、ジャワ島を東進して古都ジョクジャカルタに入ったものだ。この街の周辺は、すっぽり皆既日食帯に入っていた。
 日本からのツアーは同島北岸のスラバヤあたりに陣取ったようだが、私はどうしても、世に名高い仏教遺跡ボロブドゥールで日食を見物したかった。

 外れがちな流星雨予報と違って、日食は秒単位まで予告できる。あとは空が晴れるかどうかだ。
 そして運命の6月11日。朝から雲ひとつない快晴だった。日食予報は午前11時くらい。
 さっそくミニバスで、郊外の森の中にあるボロブドゥール遺跡へと向かう。
 ところが、あろうことか、当日は日食のため遺跡は閉鎖だという!
 オレとおんなじことを考えていた観光客たちは、みんなすごすごと道を引き返していくのであった。

 ところがこちとら、後ろ髪を引かれつつもイスラエルから飛んできた身、そう簡単には引き下がれない。
 広大な遺跡をめぐるフェンスぞいに、未練たらしくただひとり、トボトボと歩き始めるのであった…。
 三分の一周ほどしたろうか、フト目を遣ると、とある茂みの中で、フェンスに穴が開いているではないか。
 これ幸いとその穴から中へと忍び込む。
 そして、遺跡のてっぺんでただひとり、世紀の天体ショーを眺めたものである。

 教訓:南方アジアでは何事も簡単に諦めるべからず。

 さて今回の日食、今世紀最後の皆既日食だ。
 西に向かったみなさん、首尾良く見物できたろうか。
 ところで、その前日の8月10日、sijあてに、プーナOshoコミューンのファーイースト・オフィスから次のようなメールが入った。


−プーナのファーイースト・オフィスより−

明日のグランドクロスに伴う、日食について以下のような掲示がコミューンの中に貼り出されました。
日本にいる皆さんにも参考にしてもらおうという事で、その内容を翻訳したものを送ります。

Love, Anand

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8月11日(水)の世界規模の日食

−日食の間は部屋の中にいて、太陽を見ないようにして下さい。危険です。−
コミューンのゲートはPM5:50〜6:05の間閉まります。

<日食に対する和尚の言葉>

 私達は互いに依存しあっている。木々だけでなく、太陽や月や星たちとも。全てのものは相互依存している。ちょうど明日、日食がある。完全なる皆既日食だ。それは地球上の全ての生命達にとてつもない影響を与える。もし、あなたが太陽を直接見たら、あなたは永遠に盲目になる。太陽を見る事は避けなさい。実際、外に出てはいけない。…
 外に出てみたいという大きな誘惑があるだろう。しかし、それを避けなさい。外に出てはいけない。それは目にとって、あなたの神経組織にとって、そしてあなたのマインドのメカニズムにとって危険だ。多くの人が狂うだろうし、多くの人が盲目になるだろう。妊婦は絶対に外に出てはいけない。なぜなら子宮内にいる子供は、とてもとても傷つきやすいからだ。彼はまだ安全装置を持ってはいない。彼は弱い。とても弱いので、どんなものにでも影響を受ける。そして、日食の間−それが完全なものであるとき-危険な光線が大気に侵入してくる。だから日食が起こるときは、全ての私のサニヤシンに自分の部屋に入り、ドアを閉め、坐って深い瞑想に入ってほしい。それはたった数分のうちに終るだろう。外に出たいという誘惑を避けなさい。そして、害を受けずにそれを見られるようにするための、いかなる方法を見つけようとしてもいけない。どんな方法にも、完全なる「防狂加工(”foolproof”)」は施されてはいない。それを避けた方がいい。

                              −ダンマパダ:ブッダの道−

 これを読んで、なんとなく釈然としない思いだった。
 日食を見てはいけない!?
 だったら、ボロブドゥールの遺跡上でしたたか黒い太陽光線を浴びたオレはどうなる。
 もはや救いようのない狂人なのか!?

 そこでこの件について確かめてみようと、Osho CD-ROMをあたったのである。
 くだんの講話は1980年2月14日のものだった。
 翌々日の16日には、アフリカ・インド皆既日食がある。(プーナが皆既日食帯に入っていたかどうかは定かではない)
 そしてOshoは確かに、上掲の話をしている。
 ただ、どうして日食を見てはいけないのか、よくわからない。
 単に肉体上のことなのか、それとも秘教的・スピリチュアルな意味があるのか?

 さて、この話のあった翌々日の日食当日。
 おそらくは朝であろう、講話の席で、次のような質問が採り上げられた。
 スンデラムというサニヤシンからだ;
 「皆既日食中の太陽を見てはいけないというお話でしたが、それはおかしいと思います。あなたは絶対的な自由を教えていたではありませんか」

 同様の質問は二十人ほどから寄せられたようだ。
 それに対してOshoは、こんなふうに答えている;
 「わかった、わかった、あなたの自由は大切だ、どうかこころゆくまで日食を楽しんでおくれ…。だいたいこれはヴィヴェック(世話係の女性)が悪いのだ、このことを言え言えとウルサクせがむもんだから…」
 結局これは、肉体上のこと、ことに「目に悪い」ってことだったのである。
 決して、宗教上の問題、スピリチュアルな問題ではないのだ。
 (Osho講話を部分的に引用すると、コワイことになったりするのである)

 これは途上国でよくあることだが、皆既日食の際には、必ず盲目になる人々が現れる。
 秒単位まで正確に予告されるので、「さあ、太陽が欠けるぞ」ってことで、裸眼で見てしまうのだ。
 これは、ずえったいに、いけない!
 裸眼で見ていいのは、皆既になった後、数分間のことだ。
 皆既直前直後のダイヤモンドリングでさえ、裸眼で見てはいけない。
 金環食もいけない。もちろん部分食もだ。これらは、別に見てもおもしろいものではない。
 どうしても見たかったら、太陽専用の「サングラス」か、あるいは真っ黒な写真フィルムなどを通して見る。

 わざわざ遠征にでかける人々は準備万端整えているから、事故は起こらない。
 ところが、教育の行き届いていない途上国の現地人、あるいは偶然そこに居合わせた人々は、ちょっと危ない。
 現に、84年のジャワ島日食でも、目をつぶした人々がン十人いたといわれている。
 Oshoはそれを心配していただけのことなのだ。

 その点をじゅうぶん理解していれば、もはや何の問題もない。
 幸いにして皆既日食に遭遇するようなことがあったら、なにもドラキュラよろしく白昼にドアを閉めて瞑想していなくてもいい。
 外に出て黒い太陽を存分に楽しめばいい。

 別に気違いになったりはしない。
 オレがその証拠だ!
 ン…!?


8月28日 オトコのエステ XXXX

 

 今、東京・八王子のエステサロン「アップルチーク」。
 なんでオレがこんなところにいるのかというと、今日はsnmlのオフ会なのである。

 関東一円から八人のサニヤシン(ほとんど男ばっか)が、snml会員マ・チェタナ経営のこのサロンに集合。
 普段は顔もロクに洗わない連中が次々にベッドに横たわり、オトコのエステを体験するのである。

 オレが一番始めにやってもらう。
 こんな髭面にエステの仕様があるのか…!?。
 普段は女性専用のこのエステ、突然の髭面登場に、チェタナも少々当惑気味。
 それでも顔をマッサージされるというのは、なかなか気持ちいいものだ。
 さて、結果の方はいかがだろうか?

使用前

最中

使用後

 真ん中の写真、顔に塗りたくっている緑色の物体は、カナダの海底で千年以上も眠っていたという泥。様々なミネラルを含んでいるらしい。
 ウ〜ム、なんとなく、お肌に潤いが…。

 どうかな、使用前と使用後の違い。
 一段と男に磨きがかかったではないか!

 ここ、1時間半でなんと3000円とお得。
 お近くの女性はぜひお試しになったらいいと思う。
 (男のあなたは相談してみてね)

 アップルチーク
 
八王子市子安町4-1-9 TEL0426-24-3442
 JR八王子駅南口を出て、すぐ前の道(交番の前を通る)を右方向に、300メートル程進んだ右側。(徒歩4、5分)          


8月29日 異聞『黒い太陽』 

 

 先日お伝えした「黒い太陽」。
 諸方からfeedbackをいただき、upした甲斐があったというもの。
 しかしインドでは、日食(日蝕)という現象は、ことのほか重大な意味を持つものらしい。

 実は、プーナ近郊でこのたび日蝕を体験した佐藤真紀子さんからメールをもらったのだ。
 彼女と知り合ったのは、今年五月のアサンガ瞑想グループ。
 ドクター・サダナンダの通訳なども務める、世話好きの元気ねえさんだ。ドクター・サダナンダというのは、アサンガのかかりつけでもあるアユールヴェーダの先生。
 今回彼女は、日本から患者たちを引き連れ、プーナ郊外にあるドクターの病院に出かけていったのだ。
 その最中の8月11日、当地で日食に遭遇したというわけ。
 プーナ周辺は皆既日食帯に入っていたという。
 ウ〜ン、うらやまC…。

 その真紀子さん、当日のインド人たちの様子をレポートてくれたので、ここに転載しよう;


 …インド人にとって、日蝕は絶対的に浴びてはいけないもののようです。
 私は日蝕の当日、プーナの病院にいたのですが、そこでは日蝕の間中すべての機能がストップしました。
 私の敬愛するドクター サダナンダからも真顔で忠告を受けました。

 日蝕の前後2時間くらいは地球上にふりそそぐ波動がかわる。これは人体にとって、とてもよくない波動となる。だから、この間中は外へ出ずに 室内でマントラを唱え祈りなさい。この間は水を飲んでもいけないし、調理をすることもいけない。直接目で見ることはもちろんいけないし、妊娠中の女性がこれをみると、目に障害のある子供がうまれる恐れがある。これは元々目に障害の出やすい遺伝素因をもっている場合にはそれが影響をうけるためだ。

 というのです。アーユルベーダの経典にも2〜3箇所におなじようなことが書かれていました。
 それでも好奇心があるのはどこの人も同じなので、若いドクター達は日蝕がはじまるまでは患者さんのレントゲンフイルムなんか持ちだして、目にあてて見ていました。
 癌の患者さんが多いところなので、私も一枚、肝臓癌の患者さんのフイルムなんかひっぱりだして目にあてて見ましたが、いざ日蝕がはじまるとなると、そういう若い人達も屋内へ入ってしまいました。
 一緒に行った日本人達はもちろん中へはいる気なんてありません。それを見て止めない私は、「君は彼等の友だちではないのか?」なんて言われたりもしたほどです。

 私が滞在していたのは プーナから車で小一時間のワゴリという農村地帯の美しい平原でしたが、地上が暗くなるにしたがって鳥もヘンな鳴き声だけになり、奇妙な静けさが地表を支配しました。
 部屋の中に座って瞑想を試みていると確かに ビリビリとした感じが肌にしたので、これが悪いのかしらん? と思ったのですが、家の中にいるのに感じるんじゃ…避難してもむだジャン。
 なんて思ったんですけど。

 しかし、もの見高いインド人がことごとく家の中にはいって 大人しくお祈りをするのには、この波動以外に もうひとつワケがあります。
 それは、日蝕の間にお祈りをすると、日本の四万六千日のように何倍もの御利益があるのだそうです。 それでインド人達はこの機会を逃さずmake wishするわけですね。

 さらに、サドゥ達はこの日、川の中にはいって水にマントラを唱えるのだそうです。すると、この水は聖なるものとなり、難産や病気の時などに効くようになると言われているそうです…。


 いかがかな。
 このドクター・サダナンダの言葉など、先日upしたOshoの言葉とそっくり。
 ウ〜ン、どう解釈したものだろう。
 黒い太陽光線を浴びると、どっかオカシクなるのだろうか。
 その場合にも、やっぱりオレがその証拠!?


9月1日 飛騨の宿にて XXXX

 

 今、飛騨・宮村の宿にいる。
 8:16PM
 なぜこんなところにいるのかというと、「飛騨高山に行こう」という垂乳根の母の発案に従い、親二人を車にのせて、お連れまいったという次第。
 信州上田の実家から、中央道長野線に乗って松本インタで下り、上高地へ向かう道を国道158号をトコトコ登り、途中、中ノ湯で上高地線と分かれ、ピッカピカの安房トンネルを抜けると、そこはもう飛騨の国。
 近年開通したこの安房トンネルのおかげで、岐阜県飛騨地方がぐっと近くなった。
 かつての安房峠はたいへんなつづら折り。しかも冬になると雪で閉ざされたりして、「高山」というとなんとなく遠国の響きがあった。
 今では上田から車で三時間強。

 しかしこの高山というのは、おもしろいところだ。
 街全体が博物館みたいな趣。
 がんらい博物館好きのオレなんか、いくら時間があっても足りないくらい。
 小京都と言われるほど、日本の伝統美が残されているのがいい。
 「陣屋」と呼ばれる幕府代官屋敷を訪ねると、郡代公邸に茶室が併設されていたりして、なんとも奥ゆかしい。
 かと思うと、お白砂には抱き石など拷問道具が並べられ、安易なノスタルジーを阻んでいる…。

 というわけで、たまには私も人並みに、親孝行なんぞ致すのである。
 「親孝行したいときにはナンとやら」…だしね。
 思えば前回、両親と同じ宿に泊まったのは、四年ほど前、プーナのブルーダイヤモンド・ホテルでのことであった。
 やっぱり垂乳根の母の発案で、「インドに行こう」ということになり、インド各地を十日間ほど案内したのである。
 そして更に、垂乳根の母の発案で、「プーナにも行こう」ということになって、Oshoコミューンにも連れていったというわけ。
 ほとんど必要のないことながらエイズテストを受け、赤いおべべを着せられ、コミューンをそぞろ歩くわが親たち。
 ま、なんのことか訳がわからなかったことだろうが、息子が長年入り浸っている場所を一目見ることができて、気も済んだというところだろうか。

 というわけで、割合あっさり淡泊な親たちを持ったおかげで、オレも何不自由なくOshoごっこに邁進できるわけで、これはラッキーなことであると思ふ。 


9月4日 修善寺にて XX

 

 修善寺 今朝は朝六時の「滝浴」から始まる。
 昨夜は遅かったにもかかわらず、小雨の降る中、ほとんどの人が参加。みんな、なかなか熱心である。
 更には七時半のダイナミック瞑想にハシゴする人もいて、ウ〜ン、探求者の鏡。

 さてこの禅リトリートの特質は、その柔軟性に富んだプログラムにある。
 例えば今日午後1時半から始まったセッションの冒頭を、ちょっと収録しよう;

 リーラスペース瞑想ホール9月4日午後1時35分。出席率70%
 登場人物:K=キヨタカ(リーラスペース主人) P=ぱるば その他、参加者数名

K:さて、何をやりましょうか?
参加者A:ダンスしたい!
K:ダンスは昨日の夜やったからなあ…。ナタラジ瞑想を。
P:いいじゃん、ちょっと体、動かしたい。
K:あっ、ところで、次回の禅リトリート、ラハーシャっていう悟りを開いたサニヤシンが来ます。ドイツ人で、最近話題の人。
P:ラハーシャって、ドクター・フリチョフ?
K:そう、プーナでも有名なセラピストだった人。それでオレ、聞いてみたんだ。「悟りを開いたってホント?」って。そうしたらその返事が、「『私は悟りを開いた』と宣言する私は、もう消え去った」と…。でも「私は永遠の至福の中にいる」と言うわけ。
P:へー、おもしろそ。
K:これから禅リトリートでは、毎回、悟りを開いた人を招きます!
P(ひとりごと):だったら、キヨタカが自分で悟ったらいいのに…。
K(ひとりごと):早くぱるばも悟ってくれないかなあ…。

 って感じで、結局、ダンスになったのであった。
 余談だけども、私は最近、便秘気味で悩んでいた。ところが、一時間踊ったところ、無事、開通したというわけ。
 そーいえば、修善寺では、けっこう快便なのである。
 夏のサマーフェスティバルのとき、マドゥーリのミニ・グループで、「ハイみなさん、最近あったことを、ちょっと詩に書いてください」と言うもんだから、オレはサラサラと英詩をしたためたのである;

Just before the group
I went into the loo
And took a great shit
And I feel really good

 ね、ちゃんと韻も踏んでるでしょう。
 さて、この修善寺の空気に、いったいどんな秘密が隠されているのであろうかっ!
 あるいは単に、運動不足なのかもね。


9月8日 帰還報告 あるいは タントラ瞑想ごっこの実態 XX

 

 昨日夜、八日ぶりに家に戻る。
 「なんだばるばは、遊んでばかりじゃないか」と思われる方もあろう。
 いや、実際そうなのである。
 だがしかし、見えざるところで、ちゃんと仕事もしているのだ。
 昨日も青山のスタジオで、和裁士の某氏と、「世のオトコを救う越中プロジェクト」なる謀議をしていたのである。
 このプロジェクト詳細については、また明日あたりupしよう。

 というわけで、仕事の合間に、信州、飛騨、そして伊豆に行ってきた。
 伊豆・修善寺では例のごとく、瞑想修行に勤しんでいたのである。
 この「Osho禅リトリート」では、また不肖私が、「タントラ瞑想ごっこ」なるプログラムをリードする。
 私はそもそも瞑想リーダーなんかじゃないから、そのプログラムもまっこと素人っぽくて手作り風味なんだけど、それがまたいいという人もいるわけだ。

 この「タントラ瞑想ごっこ」というのは、Oshoの名著ヴィギャン・バイラヴ・タントラを翻訳中に自然発生してきたもの。
 つまりは、同書の中で紹介されている百十二の瞑想法を、ちょっと体験してみるという試み。
 「まずは遊び心でやってみなさい」というOshoの言葉に従い、「ごっこ」というネーミングにしている。
 初めてやったのが二年前の五月。地元のアグニ主宰あきるの瞑想会でのこと。
 それから徐々に姿を変えつつ、現在のカタチになった。

 現在はどうやっているかというと、昨年発売になった百十二の瞑想カードを円形に並べ、参加者に心を虚しゅうしてもらって、無作為に選んでもらう。それをみんなで体験してみるというわけ。
 だから何が出るかわからないのだ。

 参加者がカードを選んだら、まずそこに記載されている瞑想技法を読み上げてもらう。
 そうして私が、その瞑想法に関するOshoのコメントを朗読する。
 このコメントというのは、「ヴィギャン・バイラヴ・タントラ」の中から抜粋して作成したものだ。(カードセットに付録でついている)
 それを朗読しながら、「さてどんなふうにこの瞑想法をリードするか」と考えるわけ。

 今回、最初に現れたカードは、技法第50番、「ただ合体を想起することによって、抱擁なしで、変容が」というもの(写真上)。

 それについてOshoは、こう述べている;

 目を閉じ、横になる ― あたかも相手が一緒にいるかのように。ひたすら想起し、それを感じる。体は揺れだし、震え始める。体のなすがままに任せる。相手がいないということはまったく忘れる。相手がそこにいるかのように動く。
 「あたかも」であるのは始めのうちだけだ。ひとたび要領がわかったら、もはや「あたかも」ではない。そのとき、相手はそこにいる。
 実際に愛の行為に入るかのように動く。相手とやったであろうことをなんでもやる。声をあげたり、動いたり、体を揺らしたり。
 ほどなくひとつの円が現れる。そしてこの円は奇跡的なものだ。
 しかしその円は男と女によって創られたものではない。
 もしあなたが男であれば、宇宙全体は女となる。
 もしあなたが女であれば、宇宙全体は男となる。
 今やあなたは〈存在〉それ自身との深い交感の中にある。
 そしてその扉は、相手は、もういない。

 すなわちこれは、ひとりで、存在全体を相手に、愛の営みをおこなうというものだ。
 じつにパワフルな技法。インドには五千年前からこんな技法が存在していたのだ。
 そして実際、この技法は、Osho瞑想グループの中でもよく使われる。
 私も三年ほど前プーナで、マ・ラーダのリードするグループの中でこれを体験し、その効能に驚いたものだ。

 しかしこの技法は、その性質上、いつでもどこでも…というわけにはいかない。
 人と場所を得ないと、なかなか難しい。
 その点、修善寺リーラスペースは、この技法体験の上で、うってつけの場所と言えるであろう。
 そして実際、亭主のキヨタカが、この技法の「スペシャリスト」でもあったのだ。

 このキヨタカという人、おそらく日本で一番、Osho瞑想グループにカネを注ぎ込み、また最も多くOsho瞑想グループの通訳を務めてきた人物なのである。
 それで瞑想やセラピーなど、様々な技法によく通じている。
 そこで今回は、この第50番のリードはキヨタカに任せ、私は存分にこの瞑想を味あわせてもらうのであった。
 もしかして前世でタントラ行者だったんじゃないかと思うほど、私はこの技法にスッと入っていけるのである。
 ウ〜ン、これはオレ向きかもしれない…

 もちろん、人よって向き不向きがあるので、誰にとっても効果があるとは限らない。
 だから技法も百十二用意されているというわけだ。
 「あなた向きの技法は、必ずひとつある」とOshoも言っている。
 だから心配には及ばない。

 さらにOshoいわく;
 「ここには可能なかぎりの方法が尽くされている。もしぴんとくるものが何ひとつなく、ふさわしいと感じられるものが何ひとつなかったら、もはやあなたに残された方法はないということだ。そうしたらもう精神性なんか忘れて、のんきに暮らしなさい」…
だってさ。

 このプログラム、毎回の修善寺・禅リトリートでやっているし、それから今月23日(祝)に東京・目黒でもやる予定なので、ヒマな人はお越しください。

 Good Luck!!


9月9日 越中大作戦・序説 XXXXXX

 

 今朝、机の前に座ってパソコンごっこをしていたところ、屋根の上でノシノシ音がする。
 おかしいなァ、大工さんなんか頼んでないのに…。
 1999・9・9だからかなァ…。(この日はY2K的な特異日なんだそうだ)
 その怪音がなかなか止まないので、窓を開けて、上を見てみる。
 そしたら驚いた。
 黒い影がひとつ、ひさしから降ってきて、庭木の上に止まるではないか。
 猿だ! それも見事なオス猿。
 どおりでここ二、三日、夜になると、近くの森で、ギャーという野生の雄叫びが聞こえていたわけだ。
 ウチの庭先に猿が出現したのは、この三年のうち二度目のこと。

 ところで、なぜオス猿とわかったかというと…
 悠然として森の方に去る彼の尻モトに、ふぐりが輝いていたからだ。
 なるほど、あの輝きこそ、金玉というにふさわしい。
 彼にとって、あれこそオトコのステータスシンボルであり、視覚的フェロモンの発生源なのだ。
 あれを見て同類の女性たちは、「ステキ!」とか思ったりするのだろう。
 そのピンク色もあいまって、とにかくよく目立つ。
 あのように陰嚢が目立つのは、まず第一に睾丸を低温に保つためなのだが、それが性的シンボルの役割を果たすようになったわけだ。

 ひるがえって我が人類をかんがみるに、陰嚢はほとんど性的シンボルとしての機能を果たしていない。
 陰嚢を見て発情する女性ってのは、少ないのではないか。
 陰嚢は文字通り、日陰者なのだ。
 なぜそうなったかというと、これも人類の直立歩行のせいだろう。
 四つ足だと陰嚢は後ろに突きだし、まさに「陽嚢」という感じ。
 ところが直立歩行すると、陰嚢は股間に収まってしまい、目立たなくなる。
 これでは性的シンボルとして役に立たない。

 実を言うと、陰嚢は、日陰者どころの存在ではない。
 「見せてはいけないもの」なのだ。
 嘘だと思ったら、明日、銀座の大通りで陰嚢を露出して歩いてごらん。
 たちまち猥褻物チン列のカドでしょっぴかれるだろう。

 この「陽嚢」から「猥褻物」への転落。そのウラには、人類の長い歴史がある。
 簡単に言うと、セックスを抑圧すると戦争に勝つのだ。
 この数千年の間に、性抑圧的民族が性寛容的民族を滅ぼし尽くしたというわけ。
 十戒にも高らかに謳われているではないか、「汝、姦淫を犯すなかれ」と。
 あのスピリットがユダヤ教から、キリスト・イスラムへと受け継がれ、世界の西半分を制してしまう。
 東半分にしても、事情はさして変わらない。
 とにかく戦いに勝つため、軍隊のみならず、社会全体で性を抑圧する。

 そうした経緯があって、陰嚢は深くしまいこまれることになる。
 しかし本来、陰嚢はしまいこむものではない。
 できるだけ露出させ、睾丸の温度を下げないといけない。
 そうしないと、いろいろ厄介なことがある。

 たとえば、現代社会で最も軍隊的な服装といえば、男子の学生服。
 真夏でもなんでも、厚手の綿あるいは混紡の黒いズボンを穿かせられる。
 その下には、もちろん綿のブリーフ。
 あんなものがいいわけない。
 だから、ガクランを着ている男子高校生は、ほとんど例外なく陰金田虫に悩まされる。
 オレもそうだった。
 陰嚢に銭形の頑癬が広がるのだ。
 それを治すにはキンカンを塗るのだが、それが飛び上がるほど痛い。

 また、睾丸の温度上昇によって、精液の製造に支障が生じると言われる。
 しかしそれ以上に、精神衛生上、様々な悪影響を及ぼしているに違いない。
 哺乳類が誕生して6500万年。その間、睾丸はずっと冷却されていたのだ。
 百年や二百年でその生理構造が変わるわけはない。

 それで、この越中大作戦というのは、オトコの股間温度を下げ、珍宝金玉(「ちんぽうきんぎょく」と読む)に快適な生活を送ってもらおうというプロジェクトだ。
 もはや性を隠蔽して他民族を征服するような時代じゃない。
 地球温暖化をはじめ全地球的危機の叫ばれる昨今、これは火急の課題だと私には思えるのである。
 オトコを冷やせ!


9月11日 極楽往生 XXX

 

 一週間前、「悟りを開いた」というサニヤシン、ラハーシャの話をした。
 その彼についての話が、今サニヤシンのメーリングリストsnml上をにぎわしている。
 やっぱり兄弟弟子が「往ってしまった」となると、気になるものらしい。

 思い起こすと、オレがOshoの弟子となったのも、煎じつめると、悟りを開きたいという欲望があったからだ。
 今もそんな欲望があるのかと自問すれば、そのへんはよくわからない。
 だいたい、「開悟」という現象が世の中に存在するのかすら、定かではない。
 Oshoが悟ってるのかどうかも、オレは知らない。
 般若心経にも、「無無明亦無無明尽」、すなわち「無明というものもないし、無明が尽きるということもない」とある。
 無悟も開悟もないということだ。

 オレが開悟の欲望を無くしたとしたら、それはすなわち、既に開悟したか、あるいは求道心を無くしたかのどちらかだ。
 さあ、どちらでしょう!?
 残念ながら、まだ、開悟したという気はしないから、おおかた初心を忘れて怠惰になっているのだろう。

 最近、Oshoの弟子たちの中で、悟りを開いたという人が何人も出ている。
 まっこと欣快の至りである。
 ラハーシャしかり、ティオハルしかり、そして僕がよく通訳をするアサンガも公言はしないが同様のスタンスだ。

 ウ〜ム、オレを差し置いて…、とか思わないでもないが、
 オレが未だ往かないでいるというのは、結局のところ、自分がそれを望んでいないからにほかならないのである。
 すなわち、もうすこしこの娑婆をウロウロしていたいということ。

娑婆ダバダ〜♪
   
娑婆ドビヤ〜♪

 般若心経の末尾にいわく、
 掲帝 掲帝 般羅掲帝 般羅僧掲帝 菩提僧莎訶
 (往く者よ、往く者よ、彼岸に往く者よ、まさに彼岸に往く者よ、悟りあれ)


9月14日 一音成佛〈ウンチク篇〉 XX

 これから楽器を始めたいな〜♪ なんて思っている人のために、今日はひとつご紹介を。
 それは虚鐸だっ!

 まっ、オレがこの一物を手にしたのはわずか十日前のこと。
 だから、ご紹介なんて僭越至極の所行なんだが、僭越至極のところが拙HPの得意技なのであるから、ご了解のほどを。

 さて、話せば長いのであるが、この虚鐸(きょたく)。
 尺八のデカイものと思っていただけばいい。
 なぜこの楽器をお薦めするかというと、これがあなたの瞑想生活に資するところ大なりと思うからだ。
 これは禅宗の一派、普化宗の道具である。

 この普化宗、開祖は中国唐代の禅僧・普化(ふけ)と言われる。馬祖の孫弟子にあたる人だ。
 ただしこの普化、禅の全盛期・唐代の中でも、一二を争う変わり者。Oshoお気に入りの丹霞と並んで、「風狂の人」として知られる存在だ。とっても一家を形成するような人じゃない。
 彼の営みといったら、ときの大禅師・臨済とつるんで遊んだり、相手かまわず鐸と呼ばれるベルを打ち振ったり。(銅鐸って知ってるよね、あれに近いものだと思う)

 虚鐸の由来は次のようだ。
 普化の禅風を慕った張伯という人が弟子入りを願い出るも、許してもらえない。
 それで仕方なく、いろんな笛で、師の鐸音をまねてみた。
 この張伯、笛のたしなみがあったのである。しかしなかなか上手くいかない。
 あるとき、竹を切って笛を作り、試してみた。すると似た音が出た。
 それで、その竹笛が、「鐸ならぬ鐸、ウソの鐸」ということで、虚鐸となったわけ。
 この虚鐸が、鎌倉時代、入宋修行した法燈国師覚心によって日本にもたらされ、そこから普化宗が誕生するのである。

 それゆえ、普化宗には経典も坐禅もなく、修行僧はひたすらこの虚鐸を吹くのみ。
 そうした修行僧が虚無僧と呼ばれた。
 深い編笠をかぶり虚鐸を吹いて諸国を遊行してまわる人々だ。
 この人々のモットーが、「一音成佛」。
 彼らにとって虚鐸とは、楽器というより、法器、禅器であった。
 他人に聞かせるというよりもまず、瞑想のための道具だったのだ。

 ところで、禅宗といえば、我が国では臨済宗と曹洞宗。
 普化宗なんて聞いたこともない。
 それもそのはず、この宗派は、明治四年に廃絶になっているからだ。
 というのも、幕藩時代、この普化宗=虚無僧が、様々な形で権力に利用されていたからだ。
 時には浪人の「就職先」として、あるいは公儀隠密として。
 だから虚無僧の中には、およそ瞑想者とは程遠い不逞のヤカラが混じっていたりした。
 それで、TVの時代劇に出てくる虚無僧たちは、なんとなく怪しげなのだ。
 かくして、維新となって体制が変わると、明治政府によって、好ましからざる宗派ということで、廃止されてしまう。

 宗派として廃絶はしたが、この虚鐸は現在、楽器・尺八として世に広まっている。
 また京都・明暗寺など、虚無僧寺が復興されるという動きもある。
 九州では西村虚空師が普化宗谷派を創始する。
 禅器としての虚鐸が再認識されようとしているわけだ。

 そこで明日は、一音成佛〈実際篇〉。
 この虚鐸がどうやって僕の手許にやってきたかというお話。


9月18日 一音成佛〈人物篇〉 XX

 

 先日お伝えした一音成佛の続篇。(読んでない人はひとつ上を参照↑)
 本当は翌日あたりに書くつもりだったのが、突如の越中ふんどし闖入で、延び延びになってしまった。

 私がこの虚鐸(きょたく)という耳慣れない言葉を初めて聞いたのが、1989年プーナのこと。
 アガールという日本人からだ。
 Osho世界ではこの虚鐸というものがけっこう盛ん。
 プラシャンタンというポルトガル人がこれを使って瞑想リードをしたり、著名なアメリカ人音楽家デヴァカントなども使っている。
 サニヤス界に虚鐸を持ち込んだ張本人が、このアガールだったのだ。

 アガール。またの名を入野虚彗。鹿児島生まれ。
 幼き頃、父親が家に連れてきた虚無僧の笛に感銘を受け、いつしかその道を志すことになる。
 長じて上京。師につき尺八を学ぶが、何か満たされぬ思いにとらわれる。
 そして五年後、虚鐸に出会い、自らの道を見定める。
 熊本在住の西村虚空師に弟子入りして修行。
 そして79年、虚無僧としてプーナを訪れ、サニヤシンになる。

*  *  *

 夫婦道祖神で有名な隠れ里・信州別所の野倉に、「パニ」という洒落たカフェがある。
 今年八月の終わり、ウチの実家から車で十分ほどの、そのカフェを訪ねる。
 すると、初対面であった主人の佐々木氏が、だしぬけに、「アガールって知ってますか」と言う。
 「知ってますとも! でもまたどうして…」
 聞けば、アガールに虚鐸の手ほどきをしてもらっているとのこと。

 アガールがかつて信州に住んでいたことは知っていた。
 数年前に一度、安曇野で出会ったことがある。
 南国育ちの彼は、「いやあ冬が寒くって…。南に引っ越そうかと思ってる」と言っていた。
 その彼がまだ、松本の近くに住んでいるらしい。
 それで佐々木氏とふたりで彼に電話をかけ、数日後に来てもらうことにする。

 プーナで見たアガールは、髭や髪を伸ばし放題、服装もヒッピー風で、ようするに、あんまりキレイじゃなかったわけだ。
 ところが久しぶりに見る彼は、身なりもこぎれいで、更に一層のシブさを醸し出している。
 松本郊外にパートナーともども住み、畑を耕したり、虚鐸を作ったりしているという。
 「パニ」の傍らにある陶芸工房で、佐々木氏ともども、さっそく彼の手ほどきを受ける。

 一年前から笛に凝りだしていた私は、いつかは虚鐸を一本、と思っていた。
 思いも寄らぬアガールの出現に、これはついに虚鐸がやってくるのだなと思った。
 「いいのがあるよ」と、アガールは四駆の中から一本取り出してきた。
 アガールと言えば、この世界では昔から知られた存在。
 その人が「いい」と言うなら、「いい」に違いないのである。

 実家では私の妹が、「月のテーブル」というカフェ・ギャラリーをやっている。
 そこへも彼を案内する。
 右の写真はそのときのもの。
 彼が吹いているのが、その「いい」虚鐸。
 現在、我がパソコンテーブルの脇に立てかけてあって、ときどき「いい」音を出している。

 それでは次回は、一音成佛〈実際篇〉。
 虚鐸に関するプラクティカルなインフォメーション。


9月19日 メディテーション・パークご案内 XX

 

 もう日時もないんで、いまごろお伝えするのもどうかと思うが、4日後の9月23日秋分の日、東京目黒にて「メディテーション・パーク」なるものが開催される。
 主催は私の友人であるUshma(豊岳道子)等なので、ご都合のよい向きは、是非ご参加を。

 午前10時から午後8時までの、三部構成。
 今回の目玉は、午後の部、スワミ・サレンドラだろう。
 先日のキヨタカ日誌にもあった、Oshoの実弟で、「悟りを開いている」という人だ。
 まあ「悟り」については緒論あろうが、閉じているより開いている方が良いと思われるので、私もぜひ見てみたいと思っているのである。

 また、夜の部では、私が「ヴィギャン・バイラヴ・タントラ」瞑想をリードすることになっている。
 悟りを開いた人の登場後に、いったい何の瞑想をリードするのか!? という疑問もないではないが、ま、これも成り行きだ。
 主催者Ushmaの宣伝文句に曰く;

 OshoごっこでおなじみのSw.ぱるばのリードによる「ヴィギャン・バイラブ・タントラ瞑想」です。すでにキヨタカの禅リトリートなどでも、その面白さは多大な評価を得ていますが、これがまたおすすめなのです!
 「ヴィギャン・バイラブ・タントラ」全10巻を翻訳したぱるば自らによる、名調子のリードに身を任せながら、いつの間にか深い沈黙の中に入り込んでいくでしょう。何が出てくるかわからない1枚のカードにみんなで瞑想するというのは、ワクワクするような体験です。

 とは、まことに面はゆい限りだが、人がどう感じるかは本人の勝手なので、論評は避けることに致そう。

場所:東京目黒区緑が丘文化会館 第4研修室 東横線自由が丘徒歩7分(申込団体はスリーインワン)
参加費:4000円(部分参加も可)

PART1 10:00am〜12:00pm 1000円
 ダイナミック瞑想他
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9月20日 一音成佛〈吹奏篇〉 XX

 

 では実際に、虚鐸を吹いてみよう。
 (ここまで読んで唐突に感じる人は、二つ および 三つ前↓の「人物篇」と「ウンチク篇」を参照のこと)

 ウ〜ム、なかなか音が出ない。
 息が虚しく竹管の中を通過するばかり。
 だから虚鐸というのであろうか!?

 中学時代に吹奏楽部に属していたから、だいたいの西洋管楽器は口にあてている。(二枚舌楽器を除き)
 そして、ここ一年ほどは、東洋の笛をいろいろと散策。
 そうした楽器たちに比べ、音出しの難しさという点では、この虚鐸がピカイチだろう。

 そもそも、虚鐸を楽器ととってはいけないのだろう。
 横山克也などの尺八CDを聴いて、「オレもこんなふうに吹きたいっ!」と思って虚鐸を手にしたら、これはもう悲劇以外の何物でもなかろう。
 これは禅器、すなわち瞑想のための道具なのだ。

 この道具を鳴らすためには、腹から深く息を吐く。
 歌口にうまく息があたると、虚鐸は全体を振るわせて音を出す。
 息が切れてくると、音は次第に弱まり、消えていく。
 ちょうど梵鐘のようだ。
 音が消え去るとき、そこに無の境地、「覚醒」がある。

 だからこそ、普化宗では「一音成佛」と言われるのだろう。
 一音を深く極めていけば、そこにはブッダがいる。

 腹の底から音を出すためか、その音色は比類ないほどに深い。
 一音の中に、限りない陰影を秘めている。
 だから私なんぞ、あんまりメロディーを鳴らそうという気にならない。
 ひたすら三つ四つの音を出して、喜んでいる。

 ここが他の楽器、ことに西洋楽器との違いだろう。
 メロディー演奏のために進化した西洋楽器は、いかに均質な音を効率的に作るか追究している。
 その到達点のひとつが、たとえばワーグナーの楽劇だったりする。
 あれはあれでいいんだが、そのためには、バイロイトと、大編成のオケと、歌手たちと、聴衆が必要だ。

 虚鐸というのは、その正反対の道を行く。
 あなたと、一本の竹。
 ほかに何もいらない。
 そして結局は、同じ地点、ないしはもっと深いところへ連れていってくれる…かもしれない。

 それでは次回は、一音成佛〈実際篇〉。
 虚鐸に関するプラクティカルなインフォメーション。


9月22日 一音成佛〈Web篇〉 XX

 さて、明治になって廃宗になった普化宗。
 もはや虚鐸を吹きながら遊行する虚無僧は存在しないのか!?

 これがいるんだなあ。そうゆう酔狂な人が。
 その元祖が熊本の西村虚空師。先にも紹介した普化宗谷派の創始者だ。
 その弟子たちの中に、虚無僧行脚をしている人たちが幾たりかいる。
 その姿がWeb上でもうかがえるのだ。

 まずは青木虚波夢(こなむ)さん。
 coominのページというところに、彼の手になる「虚無僧、虚波夢の托鉢日記」というのが掲載されている。
 これが実におもしろい。
 登録しておくと、メールで配送もしてくれる。
 実はこの虚波夢氏と、HP作者のcoomin嬢は、プーナのOshoコミューンを訪ねたことがあるのだという。
 「虚無僧掲示板」もあるから、いろいろ質問もできる。

 お次は、白土虚晧クン。
 邦楽ジャーナル(1997・10月号)というページにレポートされている。
 そのレポートによると、虚晧クン、今まさにインドに旅立とうとしている。
 実はこの虚無僧に、私はプーナで出会っているのである。
 98年1月、Oshoセレブレーションの準備に忙しかった頃、彼はコミューンを訪れていたのだ。
 もとロックンローラーだったという虚晧クン、今頃どこで何をしているやら。

 さてお次は、九州在住のスワミ・サットボーディ。
 彼もきっと虚×という号を持つのだろうが、寡聞にして知らない。
 現在大分に居を構え、虚鐸を作っている。
 その様子が樋口のホームページに出ている。
 このページ、紙芝居あり音声メッセージありで凝ってはいるんだが、リンクも連絡先もまったく見あたらない。
 「興味ある方は一緒に楽しみましょう」と書いてあるんだが、どうやって一緒に楽しんだらいいのやら…。
 ともあれ、虚空師免許皆伝の虚鐸だから、興味ある方は私の方にご連絡を。

 最後にもうひとり、同じく九州佐賀のスニート。
 この人はOshoごっこ掲示板にもときどき登場するのでご存じの向きも多かろうが、かつては「サニヤス界の三浦友和」と令名も高かった整体師。サニヤス九州では「温泉紀行」に健筆も揮っている。
 彼の趣味もまた虚鐸作りなのだ。
 いわく、虚鐸作りは「男の究極の遊び」なんだそうだ。
 ま、温泉といい、虚鐸といい、趣味がちょっとシブイね。
 オレもそのうちハマってしまうのだろうか!?


9月24日 サイレン銅鑼 XX

  昨日、東京・目黒で、「メディテーション・パーク」なる催しがあった。
 主催者は、Oshoスワンハウス、オーシャン、ダイナミックサークルなど、日頃それぞれ都内で瞑想会等の活動を行っている三グループ。
 たまには一緒に瞑想しようということで、この催しとなった。今回で二度目。

 先日もお伝えした通り、今回の目玉は、スワミ・サイレンドラ。(写真右)
 Oshoの弟で、「悟りを開いている」というもっぱらのウワサ。
 インド国内では、内科医、ヨガ協会会長、詩人、翻訳家など様々な肩書きがあり、興味津々…。
 ってことで、今回は40人を越す人々が集まった。
 前回は10人強だったから、いかにサイレンドラ人気が高かったか、おわかりになるだろう。
 (タイトルの「サイレン銅鑼」は、「さいれんどら」を変換したら、たまたまそうなった。おもしろいから、そのままにした)

 このサイレンドラ、約四時間にわたって、瞑想指導したり、質疑応答したり。
 白い衣をまとって椅子に座るっていると、なにやら若き日のOshoを彷彿とさせる。
 Oshoと24歳違いで、現在44歳。
 物心ついたときには、Oshoは既に世に名高き教師であった。だから彼にとって、Oshoとは兄ではなく、導師だという。

 このサイレンドラという名前。あんまり馴染みのない名前だなあと思ったら、Oshoが名づけ親だという。
 Shailendra。前にも言ったが中部インドではShとHの区別がないから、サイレンドラ。「ヒマラヤ」という意味らしい。
 15歳でOshoの弟子となり、その名がそのままサニヤス名となる。
 瞑想指導や質疑応答の場では闊達に語るが、普段は物静かな印象。
 「サイレン銅鑼」は誤変換かもしれない。

 「悟り」云々については、私からは何とも申し上げられないので、ご自身で体験してみることをお勧めする。
 修善寺リーラスペースと(10月1日〜3日)と山梨プレムコミューン(10月9日〜11日)でに彼の瞑想キャンプが開かれる
 また、東京三鷹のオーシャンにて、9/30と10/4〜8にミニ・グループがある。詳しくは森実(マニック 042-574-9838)まで。
 少なくとも、声聞の弟子たちにとっては、ノスタルジーに浸れること請け合い。


9月27日 「ユニオ・ミスティカ」出版 XX

 昨26日は私の誕生日であった。
 諸方から祝メールを頂いて、ありがたき次第である。
 (いや別に、祝メールをくれなかったアナタを責めているわけではない)

 さて、先日、Osho新刊『ユニオ・ミスティカ』が発売となった。
 スーフィー(イスラム神秘主義)の詩人ハキーム・サナイの詩を題材としたもので、スーフィー関係のOsho講話集の中では、『あなたが死ぬまでは』に続いて二冊目。

 1978年11月から12月にかけてプーナで語られたもので、邦訳されたものでは今夏刊行の『黄金の華の秘密』と、『ダンマパダ(法句経)』の間に位置する。
 当時Oshoは、道家について語ったり、このようなスーフィー物、更には仏典と、様々な精神的遺産について語っていた。
 日本で一番広く読まれてきた『存在の詩』や『究極の旅』も同時期のものであり、おそらくこのプーナ一期は、Oshoの一番油の乗り切った時代かもしれない。

 訳者はスワミ・マニック。彼にとっては初訳だ。
 いろんな人がOsho翻訳に挑むことは、いいことだろう。
 下↓にもあるサイレンドラ瞑想イベントを世話しているのも彼で、私もこの日、本書を手にしたわけだ。
 Osho翻訳書を入手したときにはいつも、訳者のサインを記念にもらうのだが、マニック氏はけっこう謙虚でもじもじしている。それでサインをもらいそびれたのだが、ついでに金も払いそびれた。
 どうしたもんかねえ、マニック君。

 『ユニオ・ミスティカ』 市民出版社 2,600円   


9月28日 500系! XXXX

 今日の日誌はほとんど意味がないのだ。(毎日そうか)
 単に今、かっちょいい乗り物の中にいるってだけ。

 新幹線の人気車種である500系。
 遅まきながら今日初めて見たのだ。(もちろん乗るのも初めて)
 それで男の子である私は、記念写真を撮るのである。(写真:東京駅にて)
 今、これに乗って京都に向かっているところ。
 ほんとは霊体遊離して、外から見てみたい感じ。

 ところで新幹線の最新車種は700系。
 車掌さんに言わせると、この500系はJR西日本製なので空調の効きが悪く、夏場などは700系の方がいいんだそうだ。(この人、JR東日本の人なんだろうな。でも電車って全般的に冷房が効き過ぎて体によくない。その辺をよく考えるべき)
 その700系。実物は見たことないんだが、写真で見る限り、この500系のほうがかっちょいい。

 で、今度は携帯で新幹線内からこの記事をupしようってわけ。
 さて、うまくいくかな? 


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