ぱるばか日誌 2009
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12月20日(日) 運命の運命
久しぶりに聴いた。
三十数年ぶりか。
ベートーヴェンの交響曲第五番。
これはちょっと可哀想な曲かも。
おそらくクラシックに親しんだ人がまず最初に買う「レコード」が、コレだろう。
最初だから、コレばっかり聴くことになる。
殊に少年だったらなおさら。
LPレコードの値段は今のCDと変わらないから、そんなに気軽には買えない。
もう全曲暗記するくらいに聴く。
で、そのうち卒業するのだ。
そして、他の作曲家やジャンルの曲に進んでいく。
まるで入門曲のようだ。
レコードだから、CDプレーヤーには入らない。
もちろんiPodにも入らない。
だからといってCDを買う気もしない。
今さら「ジャジャジャジャーン」もないだろう。
それで聴かなくなってしまう。
これが運命のたどる運命だ。
三十数年ぶりに聴いて、これは良い曲だと思う。
その判断基準は瞑想性だ。
どれだけ聞き手を無心の境地に誘うか、それが基準。
これはまごうことなき名曲だ。
今さらも何も関係ない。
10月31日(土) 禅僧シェフの天命
弘前で一泊した。
函館からの帰路、なぜわざわざ弘前に寄ったかというと、レストラン山崎に行くためだ。
ここでは木村さんのリンゴを使った冷製スープがいただける。
今年6月にいただいて、あまりに美味かったので、再訪したのだ。
木村さんとは、日本で初めてリンゴの無農薬栽培に成功した人。
オーナーの山崎さんは、その木村さんを世に紹介した人だ。
弘前随一のフレンチ・シェフで、このリンゴスープも木村さんのリンゴのために自ら考案したものだ。
弘前に弊社の取引先があり、その母娘と一緒にディナーをする。
私はそもそもインド人なので、フレンチなどという柄じゃないのだが、ここは別。
デザートも終わったころ、山崎シェフが現れる。
特別に木村リンゴのスライスを一皿持ってきてくれた。
料理に使う紅玉とジョナゴールドだ。
「もうじきフジをお送りします」とのたまう。
6月に訪れた時の約束をちゃんと覚えてくれていた。
先日、木村さんとともに横浜を訪れたそうだ。
無農薬野菜の紹介のためだという。
「スローフードなんとか」というイベント。
全国には木村さんのように無農薬で野菜を育てている人は数多いるのだが、なかなか経済的に報われない。
たまたま木村さんは有名人になったので、その威力で人々を集め、土地の志ある農家の野菜を土地の志ある料理人の手により紹介し、定着させようという試みだ。
なかなかすばらしいではないか。
今後もそういうことを木村さんと一緒にやっていきたいという。
木村さんはそういう使命を持って生まれてきた人のようだ。
自分はそれを助けていきたい、と山崎氏は言う。
ヘアスタイルといい、禅僧のような趣のシェフだ。
全国で引く手あまたの木村さん。
おかげで最近はリンゴの世話が行き届かず、今年の出来は十数年前の水準に落ちてしまったという。
頻繁に酢を散布するなど、手間がかかるのだ。
おかげで料理用のリンゴは豊富だと苦笑する山崎シェフ。
NHKで紹介されたこともあって木村さんのリンゴを入手するのは極めて困難。
私も今春、ネット経由で木村さんのリンゴジュースに応募したのだが、見事に外れた。
シェフにそのことを話すと、じゃ、一本差し上げましょうと奥から持ってきてくれた。
前日木村さんから二箱届いたところだという。
青森空港から羽田行きのJALに搭乗する。
飲み物サービスがあったので、リンゴジュースを頼む。
「青森のリンゴ?」と聞くと、「申し訳ありません、違うんです」とスチュワーデス。
「青森でリンゴお食べになりましたか?」と聞くので、「うん、木村さんのリンゴ!」と答える。
彼女は知らなかったみたいだが、同僚スッチーが「奇跡のリンゴですか♪」と目を輝かせる。
そう、奇跡の味わいであった。
1リットルのジュース瓶は我がビジネスバッグに忍ばせてある。
まだ飲んでいない。
機内サービスのリンゴジュースはデルモンテの紙パックであった。
喉も渇いていたし、それなりに美味かった。
そう言えば、行きと帰りにそれぞれ特別アナウンスがあった。
「お騒がせしておりますが、全社員一丸となって再建に努めております」
そう、しっかり勉強しておくれ。
10月29日(木) 函館本線
所用で北海道に居る。
今日は札幌から函館に移動した。
スーパー北斗という特急で318km、3時間15分の道程だ。
札幌から函館の間には、函館本線という路線がある。
札幌から西方の小樽を通り、余市から南行して倶知安、羊蹄山を左に見ながらニセコ、そして長万部から内浦湾に添って函館に至る。
想像するだに楽しそう。
ところが!!
あろうことかこのスーパー北斗は、札幌駅から逆方向、東に向かうではないか。
函館行きのくせに、函館本線にのらないのだ。
札幌駅から千歳線にのって千歳をかすめ、室蘭本線に入って苫小牧、室蘭、洞爺とたどり、長万部でやっと函館本線に入るという経路。
ずっと海沿いで、やや変化に乏しい。
ところで、長万部って読めるかな。
「おしゃまんべ」と発音する。
日本の地名の中でも、いちばんコミカルなひとつであろう。
スーパー北斗は特急だからして、英語のアナウンスが入る。
Ladies and gentlemen, we will soon make a brief stop at Oshamanbe.....
というのを聞きながら、この地名はほんとに語呂が良いなと思いつつ、しかしながら、そのアナウンスが妙に「耳馴染みある」のだ。
東海道新幹線でよくやるやつの、地名を変えただけ。
その声の調子や発音などから、同じ外国人女性ではあるまいか。
英語がめっちゃ標準的なので英人か米人かわからぬが、北国のウラ淋しい荒野を走るディーゼル列車の中で、東海道新幹線と同じ気取った標準語を聞かされるのは、ちょっと変な気分。しかもOshamanbe。
JR北海道だからな、たとえばスコットランド英語でやるとか、デンマーク訛でやるとか、そんな工夫があっても良かろう。
夜の渋谷。
オーチャードホールのステージがはねた後のこと。
ホールの外で客待ちをしていたタクシーに乗る。
ドライバーは四十前後の男で、ツルツルのヘアスタイルだった。
「こんばんは。どちらまで行かれますか?」
私たちに向けられたその声の調子に、少々驚く。
快活で、柔らかい。
ヘアスタイルから、坊さんかと思った。
坊さんがドライバーのアルバイトをしているのか。
行き先を告げると、車は狭い露地を抜けていく。
「もしかして、お坊さんですか?」
背後から声をかける。
「いいえ、ただのハゲです」
また快活な答えが返ってくる。
「でも、ときどき間違えられます」
やっぱり修行を積んだ坊さんに見える。
私なんぞ、こんな繁華な街を一日中運転していたら、さぞかし心もすさぶだろう。
南無阿弥陀仏。
シャレではないが、確かにこの坊さん、車内を明るく照らしていた。
何をしていようとも、ひとりひとりが自分の周りをこんな風に照らしていたら、さぞかし世の中も明るくなるだろうに。
そんなことを想った渋谷の夜だった。
刺激的な本だ。
著者は世界の文明を、畑作牧畜文明と稲作漁撈文明の二つに大別する。
畑作牧畜文明には、いわゆる四大文明、メソポタミア、エジプト、インダス、黄河が含まれる。
そして、現在、世界を支配している西欧文明もその流れを汲む。
畑で麦を栽培し、牧畜をタンパク源とする。
無限の資源を前提とし、ダイナミックに森を破壊し、水循環を破壊する。
すなわち著しく環境を破壊する。
稲作漁撈文明は前者の影に隠れてきた。
その代表は、黄河文明によって滅ぼされた長江文明。そして貴州や雲南、東南アジアの少数民族の文明。インカ、マヤ、ネイティブ・アメリカンの文明。そして我が縄文文明もそのくくりに入る。
資源循環型で、森や水の保全が前提とされ、麦に比べ反当収量あたりの人口可養力も高い。
日本は非常に例外的な国で、ベースには常に縄文文明が存在し、ついに畑作牧畜文明に侵されることなく、現在においても国土の70%におよぶ森林を保持し、しかも高い技術力と経済力を有している。
今まで世界を支配してきたのは畑作牧畜文明であるが、地球温暖化に象徴されるごとく、もはやそこに未来はない。
資源循環型で「美と慈悲の文明」である稲作漁撈文明の見直しこそ、人類を救う唯一の道である。
そして、そこにこそ、21世紀における日本の世界に対する貢献がある。
これが、環境考古学の第一人者である著者の主張。
各分野の専門家たちによる研究結果も数多く掲載され、煩瑣ではあるが、説得力がある。
おもしろいのは、それを実現するためには、宗教の力も善用する必要があると説く。
すなわち、欧米の一神教に代わって、日本古来の多神教や神仏習合を広めるべし。
村上和雄さんの「サムシング・グレート」まで登場する。
稲作漁撈文明についてはオレも全く異論ない。
米飯とイワシでじゅうぶん満足するし。
ただ、多神教と神仏習合って…!?
瞑想系の専門家も入れた方がいいかもね。
どうでもいいが、彼の書きっぷりを見ていると、どうもご本人は稲作漁撈系の人じゃないな。
馬上の驍将といった風情。
ともあれ、読み応えのある力作
安田喜憲
雄山閣
バイオテクノロジーの世界的権威・村上和雄による、「信仰」をタテ糸に、遺伝子工学をヨコ糸にしたエッセイ。
「信仰」の部分に関しては、拙日誌読者であれば何人も首肯しうるものであろう。
ヨコ糸の部分、すなわち、その道の権威によって語られる遺伝子工学およびその周辺の四方山話が、まことに興味深い。
たとえば、生命というものは、バイ菌から人間まで、すべて四文字の塩基によって書かれている。
ATGCの塩基配列。
そして、稲とアナタとは、40%ほど遺伝子が同じなんだそうだ。
チンパンジーとアナタは、98.8%同じ。
そして、アナタと私との違いは一万分の一。すなわち99.99%同じだということらしい。
アナタとバイ菌はどんなだろう?
ともあれ、遺伝子だけ見れば、この世の生きとし生けるものの違いは、程度の差だということだ。
「山川草木悉有仏性」すなわち「生きとし生けるもの、在りとしあらゆるものには仏性がある」という仏教的な見方からすれば、受け入れ易いことであろう。
仏性=ATGCか。
偉大なるfour letter word。
ただ、具体的に数値の出るのが面白い。
そうか、オレと稲の違いは60%か。
一歩間違ったら今ごろ水田で青々と育っていたかもな…。
それから、人間の遺伝子総数は3万〜4万。
そのうち役割のわかっているのは5〜10%。
あとの遺伝子は意味不明か、まったくのムダかもしれない。
そこから先が村上神学なんだけど、そんなムダがあるわけない。
何が意味があるに違いない。
何か良い意味を持つ、良い遺伝子であるに違いない。
そして、アホに生きることによって、その「良い遺伝子」にスイッチが入る。
そのことが、各々の興味深い逸話の末尾に語られる。
ただ、残念ながら、その辺はいまいちピンと来ない。
本書の属する『生命の暗号』シリーズはほかに5冊ほどあるようだから、どこかで明確にされているのだろうか。
先日、メキキ13周年記念パーティで、この先生の講演を拝聴した。
偉い学者なんだけど、本のタイトル通り、おもろいおっさんだった。
村上和雄著
サンマーク出版
日本にはいろいろ世界一がある。たとえば、耕地面積当たりの人口密度世界一。
これはあんまり好きじゃなかった。狭いところに密集して住んでいるみたいで、嬉しくない。
しかしその密集があったればこそ、今日の日本があるのだ。
その裏に、いったいいかなる秘密があるのか。
ひとつには、和を以て尊しとする国民性があるのだろう。
しかし、もうひとつの大きな要素を、本書によって気づかされた。
それは、稲作という文化だ。
単位面積あたりの生産性において、稲は小麦の二倍なんだそうだ。
つまり、同面積の水田は麦畑の二倍の人口を養えるというわけ。
耕地面積当たりの人口密度が高まるのも当然のことだろう。
そして更に、「和」そのものも、水田耕作に負う部分が大きい。
すなわち、水田を維持するには、治水が基本となる。
水平という言葉もあるように、水はみんなが一緒になって協力しないと治まらない。
それで和の精神も涵養されたのだろう。
それゆえに、この日本という国を、食料と精神の両面で養ってきたのが、稲作ということになる。
採集・狩猟が基本だった縄文時代の日本に、大陸から稲作文化が到来した。
その生産性の高さにより、人口は増え、また余剰物資も生まれる。
米は長期保存が可能だ。
その余剰物資により、階級の分化が起こり、そして文明が生じる。
そして、余剰物資や水田という財産をめぐって、争いも起こる。
弥生文化の誕生だ。
稲作の発祥は、今から一万年ほど前、中国南部の長江中流域とされる。
中国が本家なのだ。
そのわりに、耕地面積当たりの人口密度も、和の精神も、日本ほどではない。
これは想像するに、紀元前2000年前後に長江文明が滅び、北の黄河文明に吸収されたせいではないか。
黄河文明は、雑穀や麦を中心とする畑作・牧畜文化だ。
ところが日本の場合、縄文晩期に稲作が伝来するや、それが全国に広がり、やがて弥生時代を迎え、その稲作中心の文化が基本的に現代にまで続いてきた。
伝来した稲作文化はかなり高度に発達したものだったらしい。そして、それをもたらしたのは、おそらく滅亡した長江文明の担い手たちだ。
そのあたりに現在の日本と中国の違いがあるのではないか…。
なんてことを考えさせる書籍だ。
著者は「稲の化石」であるプラント・オパールの専門家。
農学と考古学をつなぐロマンあふれる物語だ。
初版が1998年ということで、その後の研究がどう進んでいるのか、興味あるところ。
ともあれ、米を中心とした日本的食生活が見直される昨今、我々を育んできた米の飯をもうちょっとありがたく頂こうと思わせる本である。
ところで、初めて米の飯を口にした縄文人は何を思ったろう…。
昔、テレビの『すばらしい世界旅行』で観たけど、初めて米の飯を食ったアマゾン原住民は、「こんな美味いものは食べたことがない」と感想を述べていた。
藤原宏志著
岩波新書
インドへの第一関門、インドビザ取得。
これは毎回、様相が変わる。
油断できないのだ。
本日、二名分の観光ビザを申請する。
ご参考までに、その首尾をご報告しよう。
申請場所はこちら;
http://www.indianvisaatjapan.co.jp/index.jsp
要項を読んでみると、12時までに申請すれば、翌日夕刻に受け取れるという。
12時までに申請というのがクセ物で、必ずしも、12時までに入館すれば良いというものではない。
入館するとまず番号札を取って、受付を待つ。
過去の経験によると、待ち人数に拘わらず、12時になると申請窓口が閉まってしまう。
すると1時半まで昼休みだ。
申請が午後になると、受け取りは翌々日からになる。
だから、翌日に受けとりたかったら、早めに行った方が良い。
今日はゆっくり目に家を出て、10時55分に入館。
番号札を取ると、83番。
21人待ちだ。
しかし、窓口が4つ稼働していたので、進みが早い。
二十分後の11時15分には順番が回ってくる。
パスポートと申請書類、および写真を渡して、また待合席に戻る。
5分ほど後にまた呼び出されて、料金ひとりあたり1935円を支払い、レシートをもらって終わり。
わりあい楽であった。
ただ、インドの観光シーズンは冬だから、冬休みや春休み前だと、今日ほどスムーズにはいかないかもしれない。
ちなみに、期間6ヶ月、マルチプル入国で申請する。
さて、どんなビザが下りるか。
中国の杭州に居る。
きっかけは日蝕見物。
ただ、天気予報がかんばしくないから、いろいろ予防線を張っておいた。
いはく、初の中国旅行。
いはく、道元ゆかりの寺詣り。
昨夜の天気予報も最悪だったから、ますますそっちの路線になる。
今朝、起きてみると、空は一面、雲の海。
太陽の姿はない。
それでも友人カップルと約束しているので、朝食を摂った後、彼らの滞在するホテルに向かう。
友人は我が家の近所に住む日本人で、Oshoの古い弟子たちだ。
西湖のほとりを歩くと、現地の家族連れがいっぱい。
きっと中国各地から休暇を取って来たのだろう、手に手に黒めがね持ち、ときどき雲の中の太陽に向けている。
向けたって見えはしないのに。
そのとき心中に浮かんだ拙日記のタイトルは、「中国人と一緒にガッカリ」。
中国人ってったって、ホント、顔も雰囲気も、オレたちとまるで同じ。
だから、一緒にガッカリ。
Oshoのさしがねかとも思う。
かつて説法の中で、「日蝕は見るな、家の中で瞑想しろ」とのたまっている。
友人カップルはこの日、特別に超一流ホテルに投宿している。
かつて毛沢東もお気に入りだったという、西湖のほとりに広大な敷地を占める賓館だ。
既に大勢の人々が、外で空を眺めている。
日本人のツアーグループも。
望遠鏡など据え付けて、まことに気の毒な次第だ。
少し離れた芝生の上で、二人と合流し、空を見上げる。
9時ちょっと前。
気温は既に30度を越え、汗が流れる。
その頃には、ときどき雲の隙間から太陽がうっすらと姿を現す。
黒めがねで見ると、ずいぶん蝕も進んでいる。
しかしこの雲じゃ、繊細なコロナはとても見えないだろう。
よく見ると、低層の灰色雲と、高層の白雲の二段構えだ。
低層の雲がある限り、基本的に皆既日蝕は見えまい。
そして皆既の太陽が見えないと、いささか画竜点睛を欠く。
皆既の開始は9時35分ごろ。
その時間が迫るにつれ、灰色雲の動きが早くなる。
鎌のように細くなった太陽が、雲から出たり入ったりする。
そして、皆既の7分ほど前、ついに灰色雲が太陽の前から退去する。
まだ高層の白雲は残っているが、それほどの支障にはならない。
その頃から、周囲はみるみる暗くなる。
黒めがねの中、太陽は糸のように細くなり、最後にダイヤモンドリングの一閃を残して、皆既に突入。
黒い太陽の周りにはコロナが広がり、あたりは夜のように暗くなる。
頭上には金星も輝いている。
オレにとっては25年ぶり二度目だが、こんなに劇的なものだとは思わなかった。
「日蝕は見るな」というOsho説法は、1980年インド日蝕の折のもの。
道場のあったプーナも皆既帯に入っていたらしい。
じつは今日のカップル、そのときもプーナにいて、Oshoのその説法に出席していたという。
見るなと言われると見たくなるのが人情というもの。
翌日Oshoは、「どうしても見たければ黒めがねをかけて見なさい」と笑いながら言っていたそうだ。
で、そのカップルは見たという。
特に女の方は外ではしゃぎ回っていたらしい。
そのせいかな、彼女、ちと変なのである。
オレも二回目だしな、やっぱ変かも。
そもそもは日蝕見物であった。
元・天文少年であったオレとしては、国内で皆既日蝕があるというのに拱手傍観というのは些か辛いものがある。
とはいえ現役たちみたいに一年前から準備なんて気はさらさらない。場所は南の離島だ。
じつはこれがかなりの難関であった。なんとか屋久島に寝場所は確保できたが、渡航の足のないことが判明。今年五月のことだ。泳いでいくわけにも行かないので、諦めざるをえなかった。
近所に住む友人カップルも、年初から奄美行きを目論んでいた。
その彼らから先月連絡がある。やはり渡航の足がないので、その代わりに上海に行くという。
その手もあったか。
確かに上海は皆既日食帯の中にあり、午前9時半という時間も悪くはない。
上海と言えば、先ごろネット上に友人A子が楽しげな滞在記を綴っていた。
同地にはH夫妻が在住している。彼らとは個の花瞑想道場などで旧知の間柄だ。それで、いつの日か行ってみたいと思っていた。
幸いJALのマイレージも貯まっている。
さっそくWebでチェックすると、まだ空席ありではないか。速攻、予約を入れる。
中国というのはほとんど未知の土地だ。以来、彼の地の情報収集に努める。
ひとつ、おもしろいことに気づいた。道元の入宋(にっそう)修行した寧波(ニンポー)の地も、そのすぐ近くにある。
杭州湾に完成した世界最長の海上橋を通ると、上海から二時間半ほどの道程らしい。
道元と言えば、年初に映画『禅』を観た。
その中に出てくる中国の寺院、たとえば、彼に衝撃を与えた典座(てんぞ・キッチン主任)の居た阿育王寺、そして如浄禅師の許で大悟徹底した天童寺、それらも寧波の近郊にあるらしい。
というわけで、牛に引かれてではないが、今回の中国行きはどうやら寺詣りの旅になりそうだ。
天気も悪そうだし(:_;)
ところで、特典航空券についてひと言。
希望の便が満席でも諦めることなかれ。
今朝は早起きして空港に赴き、その満席便をトライしたところ、難なく席をゲットできた。ただ、変更手続きに30分ほど要したから早めに行くべし。
この世に極楽ありとすれば、それは、ダイナミック瞑想後の温泉であろう。
世界広しといえども、その幸運に与れるのはここ修善寺リーラスペースくらいだ。
みなさんもぜひどうぞ。
今、瞑想リトリート中。
次回は、9/19-23 リーラ瞑想リトリートスペシャル。
その次は、10/23-25 天命瞑想道場 (with 出口光&キヨタカ・ぱるば)
ウチの庭には、猿と蟹が出る。
相変わらず猿は元気だ。
一昨日も外がなにやら騒がしい。
玄関を出てみると、裏のビワの木に猿がたかっている。
実を食いにきたのだ。
このところ不在がちだったので、すっかり食い尽くされてしまった。
おかげで今年はひとつも我が口に入らずじまい。
それに比べると、蟹ははかなき存在だ。
ビワの根元ちかく、古鍋がひとつ放置されている。
雨水でいっぱいだ。
その鍋を覗き込むと、底に蟹がひとつ伏している。
生きている気配はない。
蟹も水死するのだろうか。
はたまた飢えて死んだのか。
仄かな紅色が不憫であった。
そこで一句;
水底に紅置き蟹の鎮まれり
(みなぞこにべにおきかにのしずまれり)
近所の山寺に偉い禅僧が住んでいたみたいだ。
S老師という。
没後十数年経つが今も多くの人々に慕われている。
著書の中で老師は面白いことを言っている。
力量ある禅者というのは、世間的には破天荒だとか奇矯な振る舞いをするとか思われがちだが、それは大間違い。
ごく普通になるんだそうだ。
いはく、禅には昔からこんな言葉がある;
我に大力量あり
風吹けば即ち倒る
肩で風切るのではなく、風が吹くとパタッっと倒れる。
風が止んだら、また立ち上がって歩く。それだけ。
横面をひっぱたかれたら、イテーっと顔をしかめる。
別にキリスト者みたいにもう一方の頬を差し出したりもしない。
ただ、平々凡々に生きる。
それでOshoの言葉を思い出した;
To be ordinary is to be extraordinary.
平凡は非凡。
みちのくの奥も奥、青森県の弘前に滞在中。
今日は取引先のオーナー母娘と夕飯に出かける。
行き先は津軽三味線ライブハウス。
「山唄」という店だ。
つねづね思っていたんだが、日本人たる者、ピアノやギターも結構だが、もっと和楽器に親しむべし。
琴とか、三味線とか、尺八とか。
「一音成仏」って言葉もあるし。
こういう和楽器のライブハウスってあまりない。
オレの知ってるのは、沖縄とここ弘前くらいかな。
最近は若者を中心に津軽三味線が好まれるようになり、弘前にもライブハウスが数軒できているようだ。
これは慶賀の至りである。
この「山唄」はその老舗であるという。
今日は笹川皇人クンのソロを聴くことができた。
オーナー娘の幼馴染みだ。
昨年の津軽三味線全国チャンピオン。
見事な演奏であった。
そこで一句;
バチ音の空に弾ける津軽かな
現在、修善寺滞在中。
雨模様の中、リトリートの余韻を楽しんでいる。
ここリーラスペースのキャッチフレーズは、「過去に七人の悟った存在を招聘!」……
しかしながら、それはあくまでも過去の栄光である。
主(あるじ)キヨタカは長年、八番目の師を求めていた。
それが最近、見つかったらしい。
猫の「チー」である。
今も我が部屋で毛繕いをしている。
その油断なき覚醒と、無為自然なる挙措が、多大な精神的示唆を与えるらしい。
このチーには、いろいろ習癖がある。
そのひとつが、屋内では決して用を足さないこと。
だから、キヨタカ家では、そのたびにチーを外に出さねばならず、いつも大騒ぎだ。
しかしながら、この習癖、なんとなく理解できる。
オレにも似たような傾向がある。
屋内ではやりたくない。
用便は食事と並んで、人生で最も大事な営みのひとつだ。
そもそも動物の祖先、つまり原生動物は、食事と用便しかしていない。
必要物を摂り入れ、不要物を排出する。
生命の大本だ。
それゆえ、あなたが健康体であれば、どちらもすこぶる心地よい。
食事も、用便も、快楽である。
現代の人間社会では、食事に関してはあらゆる便宜が計られ、巨大な産業にまで発展している。
ところが、用便に関しては、狭くて暗くて臭い片隅の一画に押し込められたままだ。
いささか公平を欠くのではないか。
そんな片隅では、やりたくない。
その点、たとえば、インドはいい。
広大な天地が、その快い営為の舞台となるのだ。
かつてブッダの故地、ブダガヤを訪ねたことがある。
朝まだきニランジャラーの河畔を散歩すると、広い河原のあちこちで、人々が思い思いに用を足している。
用が済んでも、しばらくは立ち上がる風情もない。
それは天地との交感のひととき。
ゴータマ・ブッダその人も、29歳で出家して以来、ずっとそうした交感を楽しんでいたに違いない。
誰にも日に何度か訪れるチャンス。
不要な物を大地に返して、源へとつながる。
宇宙という大生命の懐に立ち還る一瞬。
返本還源。
だから、チーの気持ちはよくわかる。
現在公開中のレッドクリフ。
これは三国志に親しんでないと、ややわかりづらいかも。
諸葛孔明とか、劉備とか、曹操とか、関羽とか、張飛とかが登場する。
(こうした固有名詞がちゃんと漢字変換されるんだから、その影響力や推して知るべし)
こういう古代の『史劇』はそそられる。
『トロイ』とか『300』とか。
この『赤壁』もなかなかの力作である。
ただ、観終わった後、奇妙な哀しさが残った。
なんだろう、これ。
別に多くの人々が殺されたからというわけではない。
やや居心地悪い哀しさなのだ。
これは「落としどころ」の問題なのだろう。
この作品、戦闘シーンでメチャクチャ盛り上がる。
観客のエネルギーを大いに喚起するのだ。
しかし、その昂揚した感興を、うまく処理してくれない。
たとえば、オペラなぞは、そうした興奮を最後にハートに落とす。
そこにはエクスタティックな感動がある。
能楽だったら、腹に落とし込む。
そこには静寂がある。
この映画は、そこんところがあいまいなわけだ。
振り上げた拳がうまく収まらない。
その収まらない興奮が、哀しさとして感じられるのであろう。
というわけで、70点かな。ワタシ的に言うと。
頑張ってはいるが。
始発電車に乗った。
武蔵五日市発5時20分、立川行き。
本当はもっと早いのに乗りたいのだが、ローカル線ゆえこれが精一杯らしい。
JR五日市線。
立川駅で東京行きの中央線快速に乗り換える。
乗換案内で調べると、立川着が5時51分。
東京行きが6時5分発で、14分待ち。
朝の忙しいのに14分は悠長すぎる。
それに春は名のみの弥生の早朝、プラットホームはひたぶるに寒冷。
乗換案内をよーく調べると、5時52分に東京行きがある。
猶予は1分。
東京行きのホームは階段を隔てた向こうにある。
通常、立川駅で1分の乗換は困難だ。
しかし早朝でもあるし、ひょっとしたらイケルかもしれない。
朝の疾走も運動になって良いだろう。
立川駅到着に備え、ドアの前でダッシュの体勢。
向こう側のホームには八王子方面からの電車が同時に滑り込んで来る。
車側には東京行きの表示。
あれに乗れというのか。
ドアが開くと同時に、電車を後にする。
…と、驚いた。
走っているのはオレひとりではない。
各ドアから一斉に人々が走り出す。
そのほとんどがグレーのいでたち。
グレーの奔流がホームへ押し出し、階段を駆け上がる。
奔流以外に人影は無きも同然だから、流れに乗っていると、かなり小気味良い。
奔流が存在するということは、相手の電車がそれを待っているということだ。
奔流にも何とはなしの余裕が感じられる。
果たして、東京行き電車はホームに悠然と身を横たえ、奔流を吸い込んでいる。
我が知らざるところで日々5時51分に展開されていた、ローカル線住民による1分間の立川駅早朝エクササイズ。